騎士さまと祈り

「うおらああぁッ!」


 手加減も何もない強力な一撃を叩き込んでくるプリムを相手に、ラフィンは表情に笑みを乗せると両腕を顔の前で交差させる。

 頭上から振り下ろされる渾身の一撃は手甲を填めた彼の腕を打つが、それは満足なダメージにさえならない。


 どれだけ攻撃を叩き込んでも堪えた様子のないラフィンに、プリムは負けん気を刺激されたらしく、息を乱しながらも攻撃の手を休めない。

 三節棍を組み立てた棍棒で、プリムは何度も矢継ぎ早に攻撃を繰り出してくる。

 それらはいずれも全力だ、気を抜いて直撃すれば平気で意識を飛ばせるだろう。眠れない時には素晴らしい睡眠薬になる。


 ――もっとも、直撃すればの話なのだが。


「んがああぁ! どないなっとんねん! ガード固すぎやろ!」

「は……ッ、無駄口叩いてるヒマなんかあんのか?」

「へ? あ、あれ?」


 一発たりとも通らない攻撃にプリムが愚痴を連ね始めるが、ラフィンは彼女のその隙を見逃さない。文句を言い始めると言うことは、それだけ集中が途切れている証拠だ。

 彼の言葉にプリムは猫目を丸くさせると、次の瞬間――目の前から消えたラフィンに思わず瞠目する。素早く上体を屈ませることで彼女の視界の死角を突いたのだ。

 完全に身を隠すには至らないが、ほんの数秒は稼げる。時間にしてほんの僅かなものであれ、ラフィンにとっては充分過ぎるもの。


「もらった!」

「んげげッ! ちょ、ちょおタンマああぁ!」


 プリムがラフィンの動きに気付いた時――既に彼の拳は彼女の顔面近くまで迫っていた。蒼褪めながら、それでも咄嗟に首を横に倒すことでその攻撃を回避することには成功。

 しかし、虚空を掠めたラフィンの拳は彼女の後ろにあった木製の壁に直撃し、派手な破壊音と共に大きな穴を開けたのである。

 板が割れる音に宿の主が気付かないはずがない。厨房の場所の窓を開けるなり、恰幅の良い女将が声を張り上げた。それを合図に食堂の大きな窓も開き、宿泊客が何事だと次々に顔を覗かせる。


「コラアアァ! アンタたち何やってんだい!」

「おい、避けんなよ」

「避けんと死ぬわ! このドアホッ!」


 ラフィンはぶち抜いてしまった壁から手を引き抜くと、その破損具合を確認する。そんな彼の様子をプリムは依然として蒼い顔をしながら見つめていた。


「あれ? なぁ、アンタたち……あの子は一緒じゃないのかい?」

「あの子?」

「ああ、あの茶髪の……アタシのシチューをおいしいって言ってくれた子さ。さっき外に出て行くのが見えたけど……」


 女将の言葉にプリムは不思議そうに首を捻るが、続く言葉には彼女のその表情も強張る。そして、そんな話を聞いてラフィンが黙っていられるはずもなかった。

 破損具合の確認も後回しに、ラフィンは真っ先に駆け出す。女将のあの言葉から察して、アルマはまだ戻っていない。

 当然、この庭には姿を見せていなかった。ならば街中だ。


「ラフィン!」

「ああ、行くぞ!」


 夜に街に出てはいけない――レーグルはそう言っていた。つまり、夜のこの街には色々な危険があると言うこと。

 そんな中に一人で行かせてしまった、一刻も早く見つけなければとラフィンはプリムと共に夜の街へと駆け出した。


 * * *


「さあさあ、どうしたんだい? もう逃げないのかい?」

「ほおぉ、近くで見るとこりゃまた可愛い子だねぇ。今日はツイてんなぁ、こんな可愛い子、そうそういないぜ」


 大慌てで逃げ出した先、そこは男たちの言葉通り行き止まりだった。

 アルマは壁を背に後退しようとはするのだが、当然壁が動いてくれるわけがない。野獣のような目をした男たちを前に完全に委縮してしまっていた。

 半分パニックになってしまっているが、多少は冷静な部分も残っている。どれだけ性的な視線を向けられようと、アルマは元々は男の子なのだから。

 視線のみを動かして男たちの両サイドを確認する。


 なんとか、人一人が通るほどの隙間はある。相手はか弱い少女一人と見て、道を完全に塞いではいないようだ。それだけ余裕なのだろう。退路など塞ぐ必要もないと思っているのだ。


 上手くいけば、切り抜けられるかもしれない。

 アルマはぎこちない――とても引き攣ったものではあるのだが、不意ににっこりと笑ってみせた。

 そんな様子に男たちも「お?」と意外そうな声を洩らす。


「こ……こんばんは!」


 アルマが挨拶を口にすると、その身はいつものように真っ白な煙に包まれてしまった。

 男たちは突如として発生した煙に驚愕し、間近にいたために思わず咳き込んでしまったが――それでもその中の一人は脇を駆け抜けて行こうとするアルマの片腕を掴むことで、逃亡を阻止する。


「ふっざけた真似してくれるねぇ! お嬢ちゃん!」

「くッ!」

「こりゃあ、た~っぷり可愛がってやらねぇ……と、な……――あ?」


 片腕を掴んだままその身を引っ張り込むと、勢いを付けて冷たい地面へと張り倒す。後頭部や背中を打ち付ける痛みにアルマは思わず表情を顰めるが、どこか怪訝そうな男たちの声を聞けば、その表情には薄い笑みが滲んだ。

 つい今し方の挨拶のせいで、現在のアルマの身は少年のものへと変わった。これでもう貞操の危機はない。

 だが、それは男たちの怒りを刺激してしまった。


「このガキ、野郎じゃねぇか!!」

「おっかしいな、さっき見た時は確かに……」

「テメェ、飲み過ぎでボケたんじゃねーだろうなぁ!?」


 アルマを押さえ付ける男は酒に酔った勢いもあるのだろう、懐からナイフを取り出すと手慣れた動作でひと回し。

 そして無遠慮にアルマが身に纏う白のローブの前を斬り裂いてしまった。本当に男なのか確認してやろうと言うのだ。


「――ッ! う、く……っ!」


 その刃は、彼のローブだけではない。アルマの肉体にも達していた。胸元に走る痛みに、意識するよりも先に表情が勝手に歪む。傷自体はそんなに深いものではないが、それでも止血しなければ止まるのに時間はかかる。

 ローブを斬り裂いた男たちの表情は、その先に現れた平らな胸元を見て今度こそ怒りに染まった。


「チッ! 殺っちまえ!」

「ああ、こんなガキ殺したって問題になんかならねーさ!」


 今度は貞操どころの騒ぎではない、命の危機だ。

 酒のせいなのか、はたまたこの街では日常茶飯事なのかは定かではないが、彼らの言葉にアルマは蒼褪めると何とか逃れようと身を捩る。

 だが、その程度で男たちの拘束が外れるはずもない。必死に逃げようとするアルマの姿は彼らの愉悦を煽る要因になったらしく、その表情には笑みが浮かんだが、目は笑っていない。


 今夜のお楽しみが、まさか男だったとは。

 彼らの胸中を占めるのはそんなものだろう。


「(ど、どうしよう、どうしよう……もっとまずい状況になっちゃった……!)」


 男はナイフを逆手持ちの形に変えると、強い力でアルマの胸を押して背中を地面に押し付ける。上から強い力で押さえられてしまえば、もう逃れようがない。

 あとは翳されたナイフが突き立てられるのを待つしかできなかった。


「――何をしている?」


 しかし、アルマが死を覚悟したその時。

 不意に暗がりから聞き慣れない声が聞こえたかと思いきや、次いで凍えるような冷気を感じたのである。

 刹那、凍て付くほどの冷風に乗って、氷の刃が男たちの身に襲いかかった。


「う、うわああぁ!?」

「な、なんだこれ!? に、逃げろおおぉ!」


 男たちは大慌てで逃げようとはしたのだが、それは叶わなかった。

 彼らの両足はいつの間にか地面に張った氷に巻き込まれ、その場に固定されていたのだ。無理にでも足を動かせば膝から下の骨が折れてしまう。

 だと言うのに、アルマの身は巻き込まれていなかった。とは言え、地面が凍っているのだから当然刺すような寒さと冷たさは感じる。


「だ、誰……? ラフィン……?」


 アルマは静かに身を起こすと、頻りに疑問符を浮かべながら辺りを見回す。何が起きたのか確認しようと。

 すると、先ほどアルマや男たちが辿ってきた暗い道から一人の男が姿を現した。

 明かりが乏しく、その風貌までは正確に窺えないが背丈からして男性だと言うことは容易に窺い知れる。その身に鎧を纏っていることから、このオリーヴァの街の騎士なのかもしれない。


 だが――これは、恐らくクラフトの祈りによるもの。

 騎士が祈りを扱えるのかと、アルマは状況も忘れてその男を呆然と見つめていた。

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