欲求不満だなんてそんなことはない
宿を二部屋取ったラフィンたちは、食堂で夕食を摂っていた。
この宿は簡素な酒場も兼ねているらしく、食堂内には仕事上がりと思われる男たちも大勢いる。だが、レーグルの言葉通りこの宿には荒くれ者らしき姿はなく、いずれも人が好さそうな者たちばかり。酒の香りこそ漂っていても、宿全体の雰囲気は非常によかった。
「わあぁ!」
「お、よかったなアルマ。ここでもクリームシチュー出て」
「ほへ、アルマちゃんはシチュー好きなん?」
「うん!」
賑わう食堂内で運ばれてきた料理を見て、アルマは早速目を輝かせる。
湯気の立つそれは、アルマが大好きなクリームシチューだった。クッキーの型で花の形に切り抜かれたニンジンがなんとも可愛らしい。
いただきます、の挨拶をするなり彼の姿は「彼女」へと変わり、それを見たラフィンの手には僅かに力がこもった。今となっては見慣れてしまった光景だというのに、昨夜のあの時間が今もまだ彼に影響を与え続けている。
「(何考えてんだよ……俺はアルマを守る
アルマは男――それは昨晩のあの時からずっと、呪文のように頭で繰り返してきた。己の中の煩悩を鎮めるように。
彼は男なのだと頭の中で繰り返し続けると、アルマが少女の姿になった時にラフィンの煩悩は丸裸になる。いくら男だ男だと言い聞かせても「今は少女の姿だ」と、くだらない屁理屈が頭に浮かんでくるのだ。
こんなことではいけない。改めて自分自身を戒めるように、内心でそう言い聞かせた。
* * *
その後、早めに入浴を済ませて部屋に戻ったラフィンは、アルマと軽く言葉を交わしてから寝台に寝転がる彼を見守っていた。
旅の疲れもあるのだろう、時刻はまだ二十時を回って少しといったところであるのにアルマは既に夢の中。今日も今日とてすやすやと、規則正しい寝息を立てて幸せそうに眠っている。
ちなみに――現在もまた、おやすみの挨拶をした時に少女の姿になってしまった。唯一の救いなのは、昨晩と異なり同じ寝台で寝ないで済むこと、だろう。
「なぁ、ラフィン。ちょっとええ?」
「……ん? ああ、どうした?」
「アルマちゃん、もう寝とる?」
「ああ」
そこへ、やや控えめに部屋の扉が叩かれた。
そっと開かれた扉の先にはプリムが立っている。ラフィンは座していた寝台の縁から腰を上げると、足早にそちらに歩み寄った。
すると、プリムは眉尻を下げて片目を伏せると、利き手を己の顔の前辺りに立てて形ばかりの謝罪を向けてくる。
「はは、すまんなぁ。アルマちゃんが起きとったら邪魔したらあかんと思うて」
「なんだ、そんなの……別に気にすることないだろ、お前だって一緒に旅してる仲間なんだから」
ラフィンもアルマも、プリムを邪険になどしない。邪険にするくらいなら、旅に同行することなど許可していないのだ。
だが、その返答は彼女にとってはやや意外なものだったらしい。プリムは大きな猫目を丸くさせると、緩やかに肩を疎ませた末に照れくさそうに笑った。その表情には隠し切れない嬉々が滲んでいる。
「それで、どうしたんだ? こんな時間……って言うには、まだ早いけどよ」
「あ、せや。なぁ……ラフィン? 寝る前にちょ~っと、ウチと一緒に汗かかへん?」
「は……?」
要件を問うラフィンの言葉に、プリムは今思い出したと言わんばかりに両手を叩き合わせた後、目を細めて彼の片腕を取る。多少なりとも妖艶な雰囲気を纏わせる様子にラフィンは思わず瞠目すると、警戒するように一歩足を退いた。
だが、それで怯むプリムではない。にっ、と白い歯を見せて笑うと掴んだままの彼の腕を引っ張り、強制的に部屋から引きずり出してしまったのである。
「欲求不満なんちゃうの? ほらほら、はよう! た~っぷり楽しもうや!」
「お、おい! ま、待て……ッ、待てって!!」
ニヤニヤと不敵な笑みを浮かべる彼女に反し、ラフィンの顔からは見る見るうちに血の気が引いていく。しかし、制止の声は当然のように聞き入れてなどもらえなかった。
プリムはご満悦と言った様子で満面の笑みを浮かべると、そのまま力任せにラフィンの腕を引っ張り駆け出す。やめろ待てと、やや引きつった声を洩らす彼の声など聞こえていないとばかりに。
「……ラフィン……?」
それから、アルマが目を覚ましたのは三十分ほどしてからのことだった。室内の明るさから、深い眠りにつけなかったのだ。
アルマはゆっくり寝台の上に身を起こすと、寝ぼけ眼で室内を見回す。だが、同室のはずのラフィンの姿はどこにも見えない。
風呂は先ほど終えたはずだ、トイレは室内に設置されている。しかし、使われている気配はない。
「……?」
どこに行ったんだろう。
アルマはそんな疑問を抱くと、静かに寝台を降りる。部屋の扉はわずかに開かれたままだ、非常に不自然な痕跡。
ラフィンは出かける時、戸締りはしっかりする。ましてや、アルマが中で眠っているのだから戸を開けて出掛けたりはしないはず。うっすらと開かれたままの扉からは、まるで大慌てで出て行ったような――そんな様子が見て取れる。
「まさか、ヴィクオンの火事の時みたいに何かあったんじゃ……!」
そう思うと居ても立ってもいられない。
アルマは椅子の背にかけたポンチョを羽織ると、慌てて隣の部屋へと向かった。そこは今夜の宿としてプリムが取った部屋だ。
「プリム、プリム起きてる? ラフィンがいないんだ、どこに行ったか知らな――」
室内からの返答や反応を待たずに扉を開けたのだが、彼女がいるはずの部屋も――もぬけの殻であった。
窓辺の寝台を見ても、そこには誰もいない。しかし、荷物やカバンは置かれたままだ。
ラフィンもいない、プリムもいない。そうなると、アルマの頭の中では悪い想像ばかりが広がっていく。
「ど、どうしよう……やっぱり何かあったんだ……!」
そう結論を出してしまうと、アルマは大慌てで部屋を飛び出す。
そして二人を探すべく階下へと降り、夜の街へと飛び出して行った。
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