ジジイ神襲来


 アルマは、アーブルの街からやや西にある池の中に入っていた。

 普段羽織っているポンチョは池の近くの草むらに放り、現在は膝下まであるローブとその下に穿く黒のズボンのみ。


 邪魔にならぬようローブの裾を腰辺りで結びながら、既に何度目になるかわからない溜息をひとつ。

 朝、この池に来るまでの間にうっかり通行人と朝の挨拶をしてしまったために、現在のアルマは少女の姿だ。


「……ない」


 池の中を捜索すること、約二時間。

 アルマが探しているのは、プリムが池に捨てたと言っていたカバンだ。大きさは小振りの小銭入れ程度のもの、池の中からそのひとつを探し当てるには結構な労力を使う。

 プリムはガラクタと言っていたが、アルマには何よりも大切なものだった。必ず見つけなければならない。


「よし……」


 今度は潜って探してみよう――そう思った時だった。

 ふと、何者かの視線と気配を感じたのだ。プリムの家を出てから既に結構な時間が経っている、ラフィンが起きて自分を探しにきてしまったのだろうか、そう思いながらアルマは辺りを見回したのだが――


「お……おほおぉ……アルマちゃん、上は下着つけちょらんのか……! ローブが水に濡れて小さいおっぱいが――ンンン! 見えそうで見えぬ!」


 アルマをこのような体質にした諸悪の根源であるジジイ神が、やや離れた木の陰から様子を窺っているのを見つけた。

 否、窺っているのではない。完全に覗き見レベルだ。ラフィンがこの場にいれば、既にその顔面に強烈な蹴りが叩き込まれていることだろう。

 木の幹に身体を隠し、顔だけをコッソリと覗かせてアルマを凝視しているのだ。傍から見れば神ではなく、ただの不審者である。


「じゃが……今日は邪魔者のラフィンはおらんな、これならばじっくりと……」


 ジジイ神は辺りの気配を探った後に木の陰から飛び出すと、不思議そうにこちらを見つめるアルマ目がけて飛び出した。


「アルマちゃあぁん! 今日こそワシと愛を育もうではないかッ、おっぱい揉ませちょくれぇ~!!」

「神さま、おはようございます」


 到底神とは思えぬ弛み切った顔でアルマに突撃したジジイ神ではあったのだが、飛びつく勢いのまま目的の胸元に顔面を押しつけた時――そこには、求めていた柔らかさは既に存在していなかった。


 おはようございます。

 その挨拶で、ジジイ神が触れる直前にアルマの身は少年の姿に変わっていたからだ。


 ジジイ神は血眼になりながら震える手でアルマの平らな胸をペタペタと触り、程なくして離れた。非常に覚束ない足取りで。

 そして近くの平原に四つん這いになると、深く項垂れる始末。まるでこの世の終わりのような。


「お、おあ……おおおぉ……! あと一歩のところで、またしても……うぐおおぉ……ッ!」


 アルマは暫しの間そんなジジイ神の様子を見守っていたが、こんなことをしている場合ではない。今は一刻も早く池の中から目的のものを見つけなければならないのだ。

 早くしないとラフィンが心配して探しにきてしまう。ただでさえ旅の疲れがあるのだから、あまり親友に無理はさせたくない。アルマはそう思っていた。


「……アルマちゃん、さっきから何をしとるんじゃ? もう何時間もじゃぶじゃぶ遊んどるが……」

「いつから見てたんです?」

「いっ、いや! それはそのッ、アレじゃ! 天界から見ておったんじゃ!」

「池に僕の大事なものを落としちゃったんです、それを探していて……」

「ほほほう」


 ジジイ神はちらりとアルマを横目に見遣ると、純粋な疑問を投げつける。が、その質問は「ずっと見てました」と告白しているようなものだ。

 だが、アルマはそれ以上深くは問うことをせずに、眉尻を下げて簡潔に事情を伝えた。

 するとジジイ神はその場にあぐらを掻いて腰を落ち着かせ、胸の前で両腕を組みながら何度も頷く。


「(アルマちゃんが池の中に大事なものを落とした……つまり、それをワシが見つけて拾ってあげればアルマちゃんは……!)」


 ジジイ神の妄想の中では、池の中から随分と美化された自分自身が後光を浴びながら出てきた。

 その手にはモザイクで暈された何かが乗っている。仕方ない、アルマの大事なものがどのような形状をしているのか、ジジイ神は知らないのだから。

 探しものを華麗且つ男らしく見つけ出したジジイ神に対し、アルマは頬を朱に染めながら嬉しそうに抱きつく。そして恥じらいながらも服を脱ぎ始め――


「おい」


 エスカレートしそうになった妄想は、不意の襲撃で中断を余儀なくされた。

 ジジイ神が妄想の世界から現実に戻って来ると、後頭部に固い感触。どうやら妄想を邪魔されてしまったようだ。

 怒りを露わに振り返った先――そこには、そのジジイ神に負けず劣らず鬼の形相で見下ろしてくるラフィンがいた。あぐらを掻いて座るジジイの後頭部に片足を乗せて踏みつけている形だ、先ほど感じた固い感触は彼の靴裏。


「おのれええぇ! 何をするのだラフィン!」

「妄想が全部声に出てんだよエロジイイ! 大体なんでいきなり妄想の中のアルマは服を脱いだ!?」

「貴様は子供か? 子供かチェリー、ンンン? 服を脱いですることといえばそう多くはなかろう、当然身体で礼をするために決まって――グフォッ!」


 至極当然といった様子で間髪入れず反論するジジイ神の鳩尾に、綺麗な形で重い鉄拳が叩き込まれた。無論、仕掛けたのはラフィンだ。

 例え妄想であろうと目の前で親友を穢すのは許さない、そう言わんばかりに。

 ラフィンを追いかけてきたプリムとレーグルは、やや距離を取って佇む。


 できればあまり関わりたくない。

 彼らのなんとも言い難い複雑な表情には、そんな気持ちがほんのりと滲んでいた。

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