泥棒少女と厳ついオヤジ


 街中であるにもかかわらず、ラフィンと少女は問答無用に激突した。

 少女は随分と戦い慣れているようで、片手に買い物袋を抱えたまま逆の片腕一本で三節棍を振り回して応戦している。激しく動き回る度に――ラフィンが繰り出す一撃を受け止める度に揺れる豊満な胸に野次馬たちは「おおぉ」と色めき立った。


 アルマは零れていた涙を拭うとなんとか喧嘩を止めようと両者を交互に眺めるのだが、はやし立てる野次馬の声にかき消されて声がまったく届かない。

 どうしよう――そう思えば、またアルマの目には涙ばかりが溜まっていく。


「(なんやねんコイツ! デキるとは昨日思っとったが――ハンパやない!)」


 当の少女はといえば、次々に繰り出される遠慮も何もないラフィンの攻撃に奥歯を噛み締めながら、必死にそれらをいなし続ける。時に避け、時に武器で防ぎはするものの彼の攻撃速度や反応速度は普通ではない。


 右ストレートを避けてカウンターを叩き込もうとするが、ラフィンは決して怯まないのだ。

 渾身の力を込めて突き出した右ストレートが避けれられたとしても、その勢いを失うことはなく、次に流れるように身を翻して左足で後ろ廻し蹴りを叩き込んでくる。


「(足を掴めば、次には寝技でも仕掛けてくるんやろ……! おっそろしい身体能力や、バランス感覚もどないなっとんねん!)」


 少女は小さく舌を打つと、抱えていた買い物袋を放り投げる。そして愛用の得物を両手で構え直した。

 相手の力を見誤っていた己の慢心に苛立ちさえ感じながら浅く細い息を「ヒュ」とひとつ洩らすと、全神経を集中させてラフィンの挙動を窺う。


「――ここや、もらったぁ!」


 次いだ瞬間、ラフィンが大きく足を振り上げた。少女はそれが己に直撃するよりも先に素早く仰け反ると、三節棍の鎖部分で彼の足を捻り上げる。


「女の顔面狙ってハイキックなんて……紳士やないなぁ、お兄さん」

「俺はフェミニストじゃないんでね」

「ははっ、かーわいいカノジョの前でええトコ見せたいもんなぁ。あの子の――」


 取り敢えず足を固定したことで動きを止めるのに成功した少女は、口元に笑みを滲ませながら挑発するべく軽口を叩く。

 しかし、攻撃を防がれたにもかかわらずラフィンは焦るような素振りも見せない。なんとも可愛げがない――少女は口にこそ出さずとも内心で毒を吐いた。


 そんな彼に腹立たしさを感じるものの、少女は一度アルマの方へと視線を遣る。女を足蹴にすることさえ厭わないこの忌々しい男の彼女は、一体どんな顔をして見守っているのか。それを見てやろうというのだ。

 だが、アルマの姿を視界に捉えると彼女の表情は怪訝そうなものへと歪む。


「(……あ、あれ? あの子……男の子か? 女の子ちゃうん? せやけど昨日見た時は女の子やったような……勘違いか?)」


 今のアルマは少年の姿だ、少女の姿しか見ていなかっただろう彼女が疑問を抱くのも当然と言える。

 アルマの方を見てぽかんと口を開ける少女を確認しラフィンは改めて指を鳴らすと、双眸を半眼に細めながら文句をひとつ。


「おーい、いつまでこうしてるつもりだ? そっちがこねーなら続けていくぞー」

「――はッ! 少しくらいレディに合わせーや、ほんまに女心がわからん男やな!」


 己の方に意識を戻した少女を確認すると、そこでラフィンは突如として自由な片足を――身を丸めるようにして曲げた。

 鎖は振り上げた片足首に固く絡みついている、それゆえに全体重をかけて彼女を地面に引っ張り倒そうと目論んだのだ。


 予想だにしない行動にラフィンの片足を締め上げていた少女は目を丸くさせると、彼の体重を支え切れずに棍を掴んだまま転倒した。いくら戦い慣れているとはいえ、成人近い男性の全体重を女性の細腕で支えきれるはずもない。

 ラフィンは素早く身を入れ替えると鎖が外れない片足をいいことに、彼女に馬乗りになる形で背中に乗り上げた。


「さーて、大人しく金を返すか、このままボコられて騎士団にお仕置きしてもらうか。どっちがいい?」

「ぐぬぬ……ッ、金なんぞもうあるかいな! とっくに使つこうてもうたわ!」

「ほおおぉ、俺たちの金はあの焼き鳥に消えたってワケだ。宿代持つとか言いながら結局は嘘、人が寝てる間に部屋に侵入して金と金目のモンを盗み出しておいてイイご身分だな、おい」


 周囲の野次馬は「いいぞいいぞ」と大声を上げたり口笛を吹いたりと、場のボルテージは最高潮に達している。若くてスタイルのいい女が男に力で捻じ伏せられている、という状況は単純に男たちの欲を満たすものなのだろう。

 しかし、そんな時。


「こんな時間に、一体何の騒ぎだ!」


 ふと、怒声に近い声が商店街に響き渡ったのである。

 アルマが男たちと共に声のした方を振り返ると、そこには険しい表情を浮かべながらこちらに歩いてくる一人の男性がいた。歳は四十になるかならないかだろう、中年男性だ。


 人混みを掻き分けてやってきた男は、その身を白銀の甲冑に包んでいる。――騎士だ、世間知らずのアルマでさえ理解できた。

 ラフィンは少女に馬乗りになったまま、近づいてきた男を不思議そうに眺める。だが、その下でうつ伏せになっている少女は男の顔を見て表情を引きつらせた。


「ひいぃッ、パ、パパっ!?」

「……パ、パパぁ?」


 ラフィンは少女の思わぬ反応に目を白黒させると、彼女と男とを何度か交互に見遣った末に静かにその上から退く。すると慌てたようにアルマが傍らに駆け寄ってきた。

 そして男はラフィンとアルマに向き直ると両手を太股の外側に添え、きっちりとした姿勢で深々と頭を下げる。


「申し訳ない、ウチの娘が何かご迷惑をおかけしたようですな。どうされました?」

「え、あ……いや、俺たちは昨日その娘さんに金を盗まれて――」


 突如現れた彼女の父らしき男は非常に厳つい風貌をしている、気の弱い者が睨まれれば恐怖ですくみ上がってしまうことだろう。

 そんな男性に深々と頭を下げられ、ラフィンは多少たどたどしくなりながらも本来の要件を告げようとしたのだが、彼が最後まで言葉を向けるよりも先に、男は厳つい風貌に憤怒を滲ませて娘の首根っこを捕まえた。


「お前というやつは! まだ盗みなんぞ働いておったのか!」

「か、堪忍やああぁ! しゃーないやん、パパの稼ぎだけやったら足りひんのやもん!」


 男は見るからに騎士だ、その娘が盗みを働いていたとなれば大問題である。騎士は罪人を捕まえるのが仕事なのだから。

 だが、騎士になれるのはひと握りの人間。その分、給料はとてもよいとラフィンは父から聞いていた。


「足りないって、お前のオヤジさん騎士なんじゃないのか? それで足りないってどんな生活……」

「うっさいわ! アンタらなんかにウチの事情がわかるかいな!」

「黙っておれ!!」


 少女は余程父親が怖いのだろう、怒鳴られるなり冷や汗を垂らしながら貝のように口を閉ざしてしまった。それまで周囲ではやし立てていた野次馬連中も、我関せずといった様子でそそくさと散っていく有り様。

 男はそんな様子を確認すると厳つい風貌にやや疲れを滲ませて、深い溜息を吐き出した。


「……申し訳ない、こいつは弟の病を治そうと治療代と薬代を必死になって集めているのです。しかし、どのような理由があれど盗みは盗み……盗った金は私が責任を持ってお返しします」

「せやかて、どうしてもルネを助けたいんやもん……治る見込みがなくても、ちょっとでも長生きしてほしいやんかぁ……」


 男に首根っこを掴まれたまま、ついに少女は泣き出してしまった。勝気そうな猫目からは大粒の涙が次々に溢れては、地面に落ちていく。

 彼女のその言葉を聞いて、アルマはどこか恐る恐るといった様子で口を開いた。


「あ、あの……その弟さんって、もしかしてこのくらい……八歳くらいの男の子ですか? 赤い髪の……」

「……? 息子を……ルネをご存知で?」


 男の驚いたような反応と返答に、アルマは表情を綻ばせると傍らのラフィンと顔を見合わせた。

 夕方にギルドに向かう際、ラフィンとぶつかった赤毛の少年――どうやらあの少年が、この泥棒少女の弟だったようだ。

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