急接近?
その夜、ラフィンは夕食と湯浴みを終えると眠るまでの時間をのんびりと過ごしていた。
少女にお礼を言おうと思ったのだが、彼女は既に休んでしまったらしい。部屋をノックしても反応はなかった。
明日の朝に礼を言えばいいかと無理に起こすことはせず、現在に至る。
戦闘で使ったサバイバルナイフの手入れを終えてしまうと、他にはすることが何もない。隣の寝台を見ても空だ、アルマは現在備えつけの浴室でゆっくりとシャワーを浴びている。
――どうしようか。
ラフィンがそう考えた時、洗面所と浴室に繋がる扉が蝶番の軋む音と共に開かれた。
ちょうど出てきたかと半ば反射的にそちらを振り返ったラフィンだったが、次の瞬間大きく後退してまたしても寝台から落ちる。それはもう盛大に。
「ねえラフィン、ちょっと」
「おまッ! 服っ、服着て出てこい!」
ラフィンが振り返った先にいたのは当然アルマなのだが――いただきます、ごちそうさま、で再び少女の姿に戻った親友はあろうことか上半身裸だった。
純粋な男だった頃の名残なのか下はバスタオルを巻いているものの、上半身は特に隠してもいない――つまり、全裸のところに腰にバスタオルを巻いただけの非常に危うい格好だ。色々な意味で。
そんなアルマの姿に、ラフィンは寝台から転げ落ちるほど後退したのである。先日もそうだったが、床に落ちた拍子に打ちつけた身の痛みになど構っていられない。
だがアルマはラフィンに大股で歩み寄ると、やや泣きそうな表情で寝台に乗り上げてきた。
「ちょっとラフィン、見てよコレ」
「見れるかあああぁ!!」
いくら親友と言っても、現在は少女の姿なのだ。オマケに服を着てない、下だって満足に防御していない、ただバスタオルを巻いているだけ。
ラフィンは頭から布団をかぶると間髪入れずにツッコミを返した。布団に邪魔をされてアルマの目には届かないが、その顔は耳や首元まで真っ赤だ。
アルマはそんな親友に不思議そうに首を捻っていたが、やがて状況を理解したらしい。腰に巻いていた大きめのバスタオルを外すと、それを胸元まで引き上げてようやく己の身を隠した。
「あ……隠したから、ほら」
「ほら、じゃねーっつの……ったく、この旅で少し慎みってのを教えなきゃダメみたいだな……」
そこでラフィンはようやく布団から顔を出すと、赤くなった顔を片手の平で覆いながら溜息混じりに呟いた。
顔は出せても、やはりアルマの方を向くことができない。バスタオルを巻いただけで実際に服は着ていないのだから。
「……で、どうしたんだよ」
「ああ、うん……なんだか、胸が大きくなってきてる気がするんだ」
「……へ?」
思わぬ言葉にラフィンは思わずそちらを見遣るが、すぐに慌てて目を逸らす。だが、心配そうなアルマの様子はやはり気がかりだ。
「お、大きくなった?」
「昨日までは気のせいかと思ったんだけど、でも今見てみたらやっぱり大きくなってるような気がして……」
ちらりと視線のみでアルマの胸元を見てはみたが、ラフィンの目には違いがわからない。
元々絶壁だったのだからじっくり見たり触れば多少は違いもわかるのだろうが、ラフィンにそのようなことができるはずもない。
「僕の身体、これからどうなるんだろう……」
「だ、大丈夫だよ、なんとかなるからそんなに心配すんなって」
じわりと蒼の双眸に涙が滲み始めるのを見れば、やはり放っておけない。極力その身体を見ないよう注意しながら片手を伸ばして、いつもしてきたようにアルマの頭を撫でつけた。
目だ、目さえ閉じてしまえば素肌だって胸の膨らみだって、バスタオルから覗く悩ましい足だって見なくて済む。
だが、アルマはそんなラフィンを暫し無言で見つめたあと「へへ」とどこか照れたように笑い、下から顔を覗き込むように身を寄せた。ラフィンの顔は赤い、耳までほんのりと色づいている。
アルマから見れば非常に珍しい姿だった。
「……ラフィンっていつもカッコイイけど、そんなふうに照れたりもするんだ」
「……あ?」
「顔、赤いから。可愛いとこもあるんだな、って」
思わぬ言葉に伏せたばかりの双眸を開いたラフィンは、数拍の沈黙の末に片腕をアルマの肩に回し――覆いかぶさるようにして、その身を寝台へと押し倒した。片腕を回したのは頭を打たないための多少の配慮だ。
不意に傾いた視界と背中に感じる柔らかな寝台の感触、次いで己を見下ろすラフィンの姿にアルマは思わず双眸を丸くさせた。
ラフィンは自分を見上げてくるアルマに対し、暫し耐えるように唇を噛み締めてから静かに口を開く。
「……お前なぁ、あんま挑発するようなこと言うなよ」
「ちょ、挑発?」
「今のお前は女で、俺は男なんだ。やろうと思えば、いつでも襲えちまうんだからな。お前が思ってるほど俺は自分の理性に自信なんか持ってねーし」
その言葉にアルマは目をまん丸くさせたまま、瞬きも忘れたかのようにラフィンを見上げていた。
だが、程なくしてその頬にほんのりと赤みが差すところを見れば、意味は理解してもらえたのだろう。それを見てラフィンはそっと小さく吐息を洩らすと、静かに身を離した。
寝台の縁に座り直し、頭を占める邪念を鎮めるようにその場であぐらを掻く。
「わ……わかったら、早く服着てこい。明日も早いからもう寝るぞ」
「う、うん」
アルマはぎこちなく頷いてから身を起こすと、慌てたように寝台を降りて洗面所の方へと消えていった。
ラフィンは暫し目を伏せたまま黙していたが、やがて盛大に息を吐き出す。深く深く、腹の中に溜まったものを全て押し出してしまうかのように。
両手で己の顔面を覆うと、今更ながら早鐘を鳴らし始める己の心音から逃れるべく寝台に倒れ込んだ。そんなことをしても意味はないのだが。
「(~~ッ! 何やってんだ俺えええぇ!!)」
部屋に一人であれば、間違いなくその辺を転げ回っていただろうとラフィンは思う。
アルマを怖がらせてはいないだろうか、嫌にならなかっただろうか――気になるのはそんなことばかり。
だが、それを問うだけの勇気はない。話題に出せば、つい今し方の行動を思い出してしまう。
「(ま、まぁ……ああ言っておけば迂闊な真似はもうしてこないだろう、ちょっとくらいは気をつけるようになるかも……)」
それは少しばかり残念なような気もするが、自分とアルマのためにもその方がいい。半ば無理矢理に頭の中でそう片づけた矢先。
今度は困り顔で、アルマが出てきた。その手には見慣れない女性物の下着を持って。
着け方がわからないのだろう、依然として上半身は裸のままだった。
「クリスさんが買ってくれたんだけど、これどうやって着けるの?」
「だーかーらあああぁ! せめて身体隠してこいバカ野郎!」
ラフィンは再び邪念を払うように今度は両手で己の両側頭部をかき乱すと、顔を赤らめながら叫んだ。
彼の苦悩は、これからも続きそうである。
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