第2章・紅の闘士プリム

旅立ちからの騒動


 神殿の司祭たちや闘技場の馴染みの面々、住民たちに加えガラハッドやクリスに見送られ、ラフィンとアルマは世界を巡る旅へと出たのだった。


 守護者ガーディアンと平和を祈るアポステルとして世界のあちらこちらを巡り、行く先々で人助けをし、自分たちの活躍の話をヴィクオンにまで響かせよう――そんなワクワクとした気持ちを抱くラフィンだったが、そんな彼に呑気な声がかかる。


「見て見てラフィン、これ!」

「……」


 声のする方を見てみれば、アルマが愛読書『ヒーローマン』の絵本を開いて中を指し示している。その表情はだらしなく弛んでいて幸せそうだ。


 ――アルマはこういう性格である。

 どこまでもおっとりとしていて、優しくて、のんびり屋。争いごとが苦手で、何事も平和的に解決しようとする思考の持ち主。

 だから自分の評価とかは深く気にしていない。カネルにいじめられていても、言い返すようなことさえなかった。


 昔から「落ちこぼれ」のレッテルを貼られてきたために、そう思い込んでいる部分は非常に強い。ゆえにアルマの中で強くてカッコイイ認識があるヒーローに憧れているのだろう。


 ラフィンは腹の底から深く溜息を吐き出すと、片手で己の顔面を覆った。

 正直、ラフィンはこうして旅に出ることを心の底から楽しみにしていたわけだが、アルマは普段となんら変わりない。自然で、いつも通りである。まるでその辺に散歩にでも行くような。


「アルマ……お前なぁ、ちょっとのほほんとしすぎだろ……」

「あはは、だって街の外に出るなんて久々だから」

「まぁ……そりゃ、そうだろうけどよ。司祭連中がうるさかったからな、俺もしつこく言われたぜ。儀式が近くなってきたから、万が一に備えてアルマを街の外には連れて行くな、って」


 呆れ果てたようなラフィンの様子にアルマは開いていた絵本を閉じて、肩から提げるカバンの中に突っ込んだ。

 これまでは白いふんわりとした法衣を身に着けているのみだったが、今現在は神殿の司祭たちが旅立ちのために用意した衣服に身を包んでいる。

 白を基調としていることは今までと変わりはないが、袖のない白の法衣の襟元や裾部分には青い紋様が刺繍されており、その上には同じく白いポンチョを羽織った格好だ。

 そんな親友の姿をまじまじと眺めて、ラフィンはそっと小さく吐息を洩らす。


「(アルマはよく転ぶからできるだけ裾が長いのはちょっと、と思ったんだけどな……まぁ、これなら男でも女でも誤魔化しは利くだろ)」


 ふわふわとしたポンチョのお陰で幸いにも胸元はあまり見えない。見えたとしても、あまりの絶壁ぶりにそこに乳が存在していても気づかない可能性の方が高いのだが。


 ――ちなみに、現在のアルマは女だ。

 改めてその胸元を見下ろし、ラフィンはやや満足顔で頷く。思った通り、これなら問題はないだろう。じっくり見たところでそこに膨らみなど確認できない。


 ラフィンには、この旅の目的がもうひとつ別にある。

 それは先日も口にしていたように、アルマをこんな身体にしたジジイ神が祀られている神殿を探し出し、殴り込むこと。そしてアルマを元の――普通の少年に戻すといったものだ。

 本人は口に出しこそしないが、親友は本来は男。日常の生活で不便をしないはずがない。

 このような体質になった当日、あれほど泣いていたのだ。不安も大きいだろう。


「(それにアルマはどんくさいからこのままだと変な男に引っかかりそうだし……早く男に戻ってもらわないと色々な意味で心配が尽きねーや)」


 そこまで考えて、ラフィンはアルマの手を掴む。するとアルマは不思議そうな面持ちでラフィンを見上げた。


「とにかく、あんまり俺の傍を離れるなよ。外はもちろん、街とか村では特に」

「……? うん、わかった。それで、まずはどこに行こうか」

「ここから南にしばらく下ればオリーヴァって街がある、まずはそこを目指そうぜ。その途中に村もあるみたいだし」

「じゃあ、取り敢えずそこの森を抜けてからだね」


 頭に叩き込んだ地理を思い返しながらラフィンが告げると、アルマは了承の意味合いを込めて何度か小さく頷きを返す。そして進行方向に見える森へと視線を投じた。

 この森は、ラフィンとアルマがまだ小さい頃によく遊びに来ていた場所だ。心なしかアルマの表情は明るい、嬉しそうにも見える。


 儀式の日が近づくにつれて、アルマは街の外に出してもらえなくなっていた。アポステルに万が一のことがあっては困る、という司祭たちの勝手な言い分だ。

 アルマがいじめられても見向きもしないというのに、そんなことばかりは気にするのだから。



 * * *



 森の中は明るく、平原と変わらず空からは陽光が降り注ぐ。鳥のさえずりが耳に心地好かった。

 茂みの中から緑色の液体――スライムがひょこりと顔を出す度に、アルマが嬉しそうに小さく手を振る。


 大昔では人間を襲ってきた魔物らしいが、ラフィンやアルマが子供の頃には既に凶暴性は鳴りを潜め、非常に友好的な魔物の代表として広く知られていた。

 今では人懐こいスライムも非常に多い。ゆえに人の気配を察知してとぼけた顔を出してくるのだ、一緒に遊びたいのだろう。

 アルマは逆手に持つバスケットを見下ろすと、掴まれたままの手を揺らしてラフィンの注意を引いた。


「ねぇ、ラフィン。この先の小山でお昼にしようよ。さっきから色々なスライムが顔出してきてるよ」

「ああ……腹減ってんだろうな」


 お昼にすると言っても、ヴィクオンを発ってからまだ一時間と少し。旅やら冒険らしいことなど何もしていない。

 だというのに、もう昼にするのかとラフィンは思わず苦笑いを滲ませた。これでは旅というより、ただのピクニックだ。


「(まぁ……楽しそうだからいいか。あんま気張りすぎても途中でバテちまうかもしれないしな……)」


 特に急ぎの旅でもない。各地に点在する神殿に赴き、神々に挨拶をする意味で祈りを捧げに行く必要はあるが、別にいつまでに――と期限が決められているわけでもないのだ。

 それに、アルマを元の男に戻してもらうためには、その時が一番のチャンス。どのようにして頼むか、また断わられればどうするか。それもじっくり考えなければならない。


 ラフィンがそんなことを考えていた時だった。

 不意に、女性のものと思われる悲鳴が森の中に響き渡ったのだ。


「な、なんだ!?」

「今の女の人の声だよね……ラフィン!」

「ああ、行ってみるぞ!」


 この森はそう深くはない、探せばすぐに目的の人物は見つかるはずだ。

 ラフィンは即座に駆け出そうとしたものの、アルマを振り返ると親友と森の先とを何度か交互に見遣る。


 アルマはどんくさい、裾を引っかけてよく転ぶ。

 結果、僅かな逡巡の末にラフィンはアルマの手を掴んだまま早足に森の奥へと進んでいった。

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