守護者の秘技


「ラフィンよ、今の世の中において一番の悪が何かわかるか?」


 裏庭に出たラフィンは、父に言われるまま火を熾していた。いくつにも重ねた薪に火をつけ――完全な焚き火だ。

 そんな中にかかった唐突な問いに一旦手を止めてガラハッドを見遣るが、彼の表情は至って真面目。決してふざけた問いなどではない。


 今の世の中において一番の悪、それは何か。ラフィンが考えていると、数拍の思案の間を挟んだあとに改めてガラハッドが口を開いた。


「それはな、人間だ」

「人間?」

「永年アポステルたちが各地で頑張ってきたから、今のご時世は魔物が悪さをするなんてことはほとんどない。だがな、人間の欲には際限がないんだ。魔物が暴れ回るのは神の力で制御することは可能だが、人間の欲ばっかりは神様でもどうにもできねーのよ」

「だから、人間が一番の悪なのか……」


 確かに、ラフィンが小さい頃から魔物が暴れ回るようなことはなかった。昔は近くの森までアルマと二人で出かけて、魔物と一緒に遊んだりしていたものだ。

 迷子になった時は魔物が案内人の如く、街の近くの街道まで送ってくれたりと――人間と魔物の距離は非常に近い。中には狂暴な魔物も存在していると聞くが、この花の都ヴィクオンの周辺には穏やかなものしか生息していないのだ。


 父のその話を聞いて彼の頭に真っ先に浮かんだのは、やはりカネルだ。

 昔からアルマをいじめる彼女は、ラフィンにとって限りなく「悪」に近い。


「そこでな、俺たち守護者ガーディアンは人間から身を守る術を身につける必要がある」

「人間から身を守る? やられる前に叩く以外に方法があるのか?」

「ああ……お前には先手必勝の戦法を教え込んできたが、俺がガーディアンをやっていた頃に修得した秘技だ。それをお前に教えてやる。だからこの技でアルマちゃんを守ってやれ」


 ラフィンの両親であるガラハッドとクリスは若かりし頃、当時のアポステルの同行者をやっていたのだ。その道中で二人の間には愛情が芽生え、旅が終わると同時にこの都に腰を落ち着かせることになった。

 ラフィンが小さい頃からガーディアンになると決めていたのは、確実に両親の影響だ。親のその話を聞いたことで、自分もガーディアンになるのだと固く誓っていたのである。


 そして出逢ったのがアポステルとして誕生したアルマであったのは――運命のイタズラなのだろう。


 祈り手というのは神々に祈りを捧げる間、非常に無防備になる。ガーディアンは文字通り、その祈り手を守るために存在するものだ。

 だが、アポステル以外の祈り手がガーディアンを傍に置いてはならない、などという決まりは特にない。祈り手であればガーディアンを持つのは当然のこと。


 ゆえに、別にラフィンのパートナーはどのような祈り手でもよかったはずなのだ。

 だが、彼がパートナーに決めたのはアルマだった。奇しくも、親と同じくアポステルのガーディアンになると決めたのである。


「オヤジが使ってた秘技か……わかった!」

「アルマちゃんは俺たち家族三人の生活を守ってくれた子だ、何かあったら許さんからな」

「ああ、わかってる」


 息子のしっかりとした返事にガラハッドは満足そうに笑むと、剣を持たぬ逆手を伸べて指先のみを招くように動かす。

 だが、その視線が己ではなく己の手元に向けられているのに気づくと、ラフィンは父と焚き火とを何度か交互に眺めた。


 * * *


「ラフィン、大丈夫?」

「ああ、ちょっと火傷しただけだ。大丈夫」


 ガラハッドから秘技を教わったラフィンは、買い物から帰ってきたアルマと共に高台へとやってきていた。今日はこれから神殿と闘技場に顔を出し、明日には出立するという旨を伝えに行く予定だ。

 父からあのような話を聞いた以上、少しでも早くこの都を離れた方がいい。カネルはラフィンのことを大層気に入っていて、だからこそアルマが邪魔でいじめるのだから。


 アルマは包帯の巻かれたラフィンの手をそっと撫でつける、その表情はどこまでも心配そうだ。


「でも、この手で明日から旅なんて出ても大丈夫なの?」

「だーいじょうぶだって、オヤジからちゃんと秘技も教わったしな。これでちゃんとお前のこと守ってやるから、心配すんな」

「僕が心配なのは自分のことじゃなくて」

「ハハ、わかってるって」


 アルマは自分のことよりも他人を第一に考える性格だ、ラフィンがそれを知らないはずがない。だが、純粋に心配されるのは少しばかり照れくさいのだ。

 話題を逸らすべく、ラフィンは腰に据えるカバンからひとつハサミを取り出すと、それをアルマに差し出した。


「そうだアルマ、あとで俺の髪切ってくれよ」

「え、髪? なんでまたいきなり……」

「ん、旅に出る時に切るって決めてたんだ。長旅になるんだから長いと邪魔だろ」

「せっかく綺麗な色してるのに、もったいないと思うけどなぁ……」


 突然の申し出にアルマは差し出されたハサミを受け取り、彼の臀部辺りまで伸びた後ろ髪に視線を向ける。

 ラフィンの髪は母譲りの金色だ、太陽の光を受けると更に色素が薄くなって非常に美しく輝く。アルマはラフィンのその髪色を気に入っている。

 僅かにも不服そうな表情を浮かべるアルマの頭をやや乱雑に撫でてやりながら、ラフィンは蒼く澄んだ空へと視線を投じる。今日は雲ひとつない気持ちのいい空だ。


「なぁ、アルマ。旅の途中にさ、お前の故郷にも行こうぜ。家族に会いたいだろ」

「え……でも、いいの?」

「別にどこをどう行こうが決まりなんかないんだ、俺たちのペースで好きにやってきゃいいんだよ。そうやってあちこち行ってたら髪なんかすぐに伸びるさ」


 ラフィンのその言葉にアルマは目を丸くさせると、程なくして照れたように――しかし嬉しそうに笑った。

 緩やかに吹きつける風に揺らされる横髪を片手で押さえ、そっとラフィンの横顔を盗み見る。


 ラフィンという男はいつもこうだ、何かと引っ込み思案なアルマの手を引いて一歩を踏み出す勇気をくれる。

 躊躇う背中を押したり、怯えるその手を引っ張ったり、いつでも傍で導いてくれる存在だ。


「(ラフィンと一緒なら、どこまででも行けるような気がするなぁ)」


 そんなことを考えながら、アルマは暫しラフィンを見つめていたものの、やがて彼のようにその視線を青空へと向けた。


 * * *


「……で、まさかそれ持っていくのか?」

「うん、ヒーローマンの絵本全部」

「……」

「旅先でまたやろうね、ヒーローマンの練習」

「やだよ」


 アルマの手元にはやや大きめのカバン、中は絵本だ。

 ヒーローマンと書かれたタイトルからして、アルマが非常に好む絵本だろう。アルマはヒーローが大好きだ。

 子供や信者から見ればカッコイイのかもしれないが、ラフィンにはどうしてもそう思えない。

 昔はアルマと『ヒーローマンごっこ』なる恥ずかしい遊びをしていたが、ラフィンはもう十八、今年で十九歳になる。


 つまり、当時よりも遥かに恥ずかしい。知られたくない黒歴史だ。

 やろうぜ、とは言えなかった。当然である。

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