遺書
もうすぐ私は、この国の最高権力に手が届く。
グラン・マダルシカの研究は進んだ。
ラングルスで生み出される青い炎と同様以上のエネルギーを放出させられる鉱石が見つかった。
小規模な実験を繰り返してみているが、破壊力は相当なもので、これまでの大砲のような兵器とは比べ物にならない。
グラン・マダルシカの実験後の土地にはしばらくは草も生えてこないほど万物を燃やし尽くしてしまう。この青い炎は、非常に恐ろしい。
他国では、人が乗って空を飛べる乗り物の開発を熱心にしているようだが、飛行型兵器であるグラン・マダルシカの技術を応用すれば、数百人数千人が乗ることができる飛行輸送機を開発することは簡単にできる。
いよいよ、軍事責任者という権力が本当に見えてきた。
君と出会わなかったら、この計画は始まることはなかった。とても感謝している。
長かった。
私の母は、エクルドアーリという異民族の出身で、父はこの国の貴族の家に生まれた人間だった。
エクルドアーリはもともと国境付近の山岳部に住む少数民族で、他の異民族と同様、豊かな資源のある我が国へ国境を超えて無断で入ってきては職に就き定住していた。
もちろん、そういう異民族の家庭は非常に貧しくて、この国の人間と同じような生活をすることはできなかった。
母の家庭ももちろん貧しい家庭ではあったが、祖母が医師の家庭の住み込み使用人をしており、その医師が聡明な母を気に入り、養子にして医師資格を取得できる学校への学費も全て負担してくれたので、母は異民族出身としては極めて稀なことだが、この国で医師として働いていた。
エクルドアーリは山岳部の民族であるため、山に生息するギザルという動物を食べる風習があった。
このギザルという動物は、二本足でこそ歩きはしなかったが、極めて人間に近い種類の動物であるため、特にこの国ではエクルドアーリ出身と話すだけで差別的な扱いをされることも少なくなかった。
エクルドアーリが<呪われた民族>と呼ばれるもう一つの理由は、数年に一度、致死率の非常に高い流行り病が発生することにあった。
母は、流行り病の発生源の一つとして、ギザルが病原菌の媒介になっている可能性を仮説として立てて研究を進めていた。
父の家が、病原菌などの研究を行う研究施設の資金を出していたため、父と母はその研究所で知り合うこととなった。
結婚の申し込みをしたのは、父からだったと母から聞いた。
しかし、当然のことながら、父の家はそれを許しはしなかった。
そのため、父は貴族という称号を捨てることになり、貴族の称号を捨てた父は僕が4歳の頃に歩兵として徴兵され戦地で命を落とした。
うっすらと父の記憶がある。
とても正義感の強い、優しい父だった。
けして裕福ではなかったが、私たちは幸せに暮らせていた。
しかし、父の死で生活は一変した。
母は病原菌を研究所から持ち出したという嘘の罪を着せられ、研究所から追い出された。
それと同時に、医師の資格も剥奪されてしまった。
おそらく父方の母親、つまり私の祖母の仕業に違いなかった。
貴族の家から息子を奪った私の母を、ひどく嫌っていた。
差別と貧困と闘う新たな生活の始まりだった。
それでも母は、弱音を吐かない人だった。母はいつも明るくて、聡明で物知りな人だった。
そうだったらよかった。
しかし、私の母は普通のどこにでもいる人だった。
母は、変わってしまった。病んでいったのだ。
いつも病んでいるわけではなかった。
機嫌の良い日は、昔とまるで変わらない優しくて聡明な母が、まだそこにいた。
母は生き物の生態に詳しくて、よく生き物の話をしてくれた。
「生き物はね、巡っているの。弱いものは強いものに食べられる。食べられたものは消えるわけじゃない。食べたものの強さになる。だから彼らは強いのよ。私たちも強いの」
何かを自分に言い聞かせるように、母はよくそう言って笑った。
そう言う母は、とても弱々しく見えた。
母が料理をする時に口ずさむエクルドアーリの民族の歌が、私は好きだった。
この国の言葉では見られない舌や歯を使う発音が多くあり、まるで口が楽器のようだと感じた。それを聞く時だけは、「ああ、母は私の好きだった母のままだ」と感じることができた。
9歳になったある日のことだ。
その日は前日に降った雪が積もり、窓の外は真っ白な異世界になっていた。
早朝に、乱暴なノックが家の中に鳴り響いた。木で出来た粗末な玄関扉が、今にも外れてしまうのじゃないかというくらいに揺れた。
突然兵士を引き連れて入ってきた役人が大きな声でこう述べた。
「現在市内で流行している病の病原菌をばら撒いたとの嫌疑がかかっている。事実確認のため拘束することが決まった。すぐに支度をしろ」
母は役人へ身に覚えがないことを何度も訴えたが、それを確認するための拘束だとの説得を信じて、身支度を整えて役人たちと出て行った。
私は嫌な予感がしていた。
母は「大丈夫。何かの間違いよ。神様は正しい行いをする人間を必ず救ってくださる」と、不安そうに見送る私に、振り返って笑顔でそう言った。
私は、どこか、ほっとしている自分がいたことに気がつかないふりをして、降りしきる雪のなかで、ただ母に行かないでくれと叫び声を上げ続けた。
何の騒動かと近所の婦人たちが姿を表し、泣きわめく私を抱きかかえ、不安そうに連行される母の後ろ姿を見送った。
そのうちの誰かが、こう言った。
「なんて酷いことを。実の孫を産んだ人に、ここまでする必要なんてないでしょうに」
大人は、事情をみんな理解していた。
これから母がどうなるのかも、おおよそ気がついていた。私の母が家で私にどんなことをしているかも気がついていたのかもしれないと、この時はじめて感じた。
気がついていても、誰も止めることが出来ない。世の中にそういうものがあると、実感した日だった。
抵抗すれば次は我が身なのだ。
それが、権力というものだ。
自分たちが生きるのに精一杯の世界で、揉め事に巻き込まれるわけにいかない。
それが、人の心理だ。
だから、見えているものを見えていないことにするのだ。
母が連れて行かれた6日後の朝、母が処刑されることを知った。
子供は処刑場に行ってはいけない決まりがあったが、私は広場の隅にあったゴミ捨て場の大きな入れ物の中に入って、その一部始終をこの目で見届けた。
ちょうど処刑台の横に、そのゴミ捨て場はあった。
最後まで罪を認めなかったからなのか、母の腕や脚には鞭で打たれたような痕がいく筋もあり、ガリガリに痩せ細っていた。
母は何かを呟いていたが、聞き取ることはできなかった。
しかし、最後に母が口にした言葉だけはハッキリと聞き取ることが出来た。
「アズロ……」
私の名前だ。
エクルドアーリの言葉で、”幸せ“を意味する言葉だと母が教えてくれた。
母の命は、より強いものの一部になった。
だから私は、その強いものを食らい、それらよりも強くなり、母を取り返すと誓った。
取り残された私は、父方の祖母が決めた貴族の家に養子として引き取られることになった。
父から貴族の称号を奪ったくせに、孫には貴族の称号を与えたかったのだろう。
曰く付きの私を引き取った貴婦人は、慈善事業が好きな善人ではなかった。
祖母がどこまで知っていたかは知らないが、私を引き取った貴族の婦人には、グロテスクな少年趣味があった。
私の容姿を気に入った婦人は、私に女性物の下着を着けさせて、画家にそれを描かせた。
それだけではおさまらず、婦人の悪趣味はどんどんとエスカレートしていった。
悪趣味な婦人の性癖に付き合わされる日々は、神学校の寄宿舎に入るまでの5年間に渡って続いた。
父を奪われた日から、私はずっと大切なものを奪われ続けていた。
優しかった母、幸せだった日々、人を信じる心、自分の考える正義。
14歳で神の道へ進むと同時に<ルバスタン>という新たな名前を授かった。
私は、この日に生まれ変わった。
何を奪われても怖くはない。
最終的に、奪い返せばよいのだ。
圧倒的な権力で奪い返せば、何も奪われたことになどならない。
とても数奇な運命だ。
10年ほど前、私が32歳の時に、彼と出会ったことで私の運命は大きく動き始めた。
ーーアジュア。
その名を聞いた時に、体が震えた。
この地方の古い言葉で、”幸福"を意味するのだとジュミール様は目を細めて話してくださった。
私と運命を共にするべく生まれた人間だと確信した。
そして、私の運命を大きく変えた人物はもう一人いる。言わなくても分かると思うが、それは君だ。
彼と君に出会わなかったら、私はこんなにも本気で世界を変えようとは思わなかったかもしれない。
司祭になるためには、大きな犠牲を払わなければならなかった。
タブリスカを、なんとしてでも候補から外す必要があった。
そしてそれは簡単なことではない。タブリスカは村民とジュミール様からの信頼がとても厚い、優秀な助祭だった。
孤児院で初めてレックと話した時、彼はリュクシーという少女のことが好きなのだとすぐに気がついた。
レックは戦争で父を亡くしていた。
私と同じ境遇である彼もまた、私の運命を導く存在だと思った。
それから私は、日夜、考えを巡らせた。
タブリスカの信頼を地の底に落とすには、どうやって何をするべきなのか。
教会の資金を横領させるか、それとも貴婦人とのスキャンダルか、薬物や酒に溺れさせるか、はたまた暴力事件を起こさせるか。
タブリスカの身辺を調べてみたが、彼は金への執着もなく、女性への関心もほとんどない敬虔な信徒で、付け入る隙がまったく見当たらなかった。
しかし、人には必ず弱さがある。
その弱さに打ち勝てない環境を用意してやれば、必ず彼も足を踏み外す。
私の母と同じように。
私はそう考えた。
そんな時に、アジュアが面白い話を私に持ってきた。
ジュミール様との会話で、タブリスカに前科があるのではないかと思わせる話があった。
そこに彼の弱さがある。
彼の過去を辿ると、少年にいたずらをした罪で服役していたことが分かった。
こういう趣味趣向はなかなか変えられるものではない。
食の好みと同じで、食べるなと言われれば言われるほど、美味しそうに見えるものだ。
それから私が彼を破滅させるストーリーを考えるのに時間はかからなかった。
問題は、その生贄となる人間は誰がよいのかということだった。
私は聖人ではないが、けして悪人ではない。
この計画の罪の重さも理解していた。
理由が必要だ。
ただの被害者にならないための。
人から平然と大切なものを奪った人間は、自分も奪われる覚悟をしなければならない。
この計画の生贄は、人から大切なものを奪った人間がふさわしい。
アジュアへの差別を煽動し、見て見ぬふりをしたレック。
彼にテストをしてみることにした。
タブリスカの少年愛の趣味を利用して、彼を司祭候補から降ろし、私が司祭候補になった暁には、レックが慕っているリュクシーとの結婚を約束した。
資金は好きなだけ用意する。それが条件だった。
すると数日後に、幼い少年は信じられないほど残酷な計画を私に提案してきた。
『僕は、彼女の英雄になりたい』
私はその提案を受け入れ、リュクシーを人身売買の噂のあった貴族の屋敷の使用人として送り出した。
「幼い少女に、なんてひどいことを」誰もがそう言うだろう。
彼女は、レックがアジュアにしていた陰湿なイジメに気が付いていた。しかし、それをずっと誰にも言わなかったことを私は知っていた。
ある日の夜、私は孤児院で一枚の手紙のようなものを拾った。
それは、懺悔の告白文のようでもあり、恋文のようでもあった。
『私はあなたのことが好きだけれど、あなたを好きなことが知られてしまったら、この場所で生きていくことができない。レックは頭が良くて口も上手い。だから、この孤児院では彼の言うことに、誰も反論ができない。私はあなたのことが好きだけれど、あなたのように差別を受けながら孤独に生きていく勇気が持てない。途中から入ってきた私に、あなたはいつも、優しくしてくれた。けれど、私はあなたを助ける勇気が持てない』
誰に宛てた手紙かも送り主の名前も書いていなかった。
しかし私は、これはリュクシーがアジュアに宛てた手紙なのではないかという確信があった。
人から何かを奪う人。
そして、それを止められるのに止めない人。
イジメをする人。
そして、それを止められるのに止めない人。
人を殺す人。
そして、それを止められるのに止めない人。
止めない人に罪はあるのか。
罪を犯す人が圧倒的に悪いのだ。
それは、そうなのかもしれない。それが真理かもしれない。
しかし私は、人々がその罪を犯す人を見逃して許している環境こそが、悪なのではないかと、ずっと思ってきた。
見て見ぬふりをする人間は同罪だ。
同じ罰を受けなければならない。
私が世界の法律を創れるならば、きっとそうするだろう。
だから私は、彼女の運命を神に委ねた。
人身売買は噂に過ぎない。
彼女が聖人ならば、きっと神は彼女を導いてくださる。
もし彼女が悪人ならば、神は彼女に罪を償わせるだろう。
数ヶ月後に屋敷を訪れた時、彼女の姿はそこにはなかった。
私は彼女がしたことと同じように、その事実を見て見ぬふりをした。
神は彼女の罪を知っている。これは、逃れられぬ罰なのだ。
見て見ぬふりをした人間は、自分も見て見ぬふりをされる覚悟をしなければならない。
これで、レックの計画に必要な条件の一つが整った。
それから2年ほどが経ち、タブリスカの屋敷の使用人となったレックから一通の手紙が届いた。
『アジュアをタブリスカの屋敷に寄越してほしい』
手紙には、それだけが書かれていた。
私は、計画どおりタブリスカがレックにいたずらする様を、ジュミール様に目撃させるのだろうと思っていた。ジュミール様一人では、その事実を公にはしないかもしれない。よって、アジュアも目撃者にしようとしているのだと理解した。
しかし、その日アジュアは、何事もなかったように私の屋敷に帰ってきた。
その時に、何かがおかしいと気がついた。
レックが計画したものは、当初、私に提案したものと、本当は違うのではないか、そう思った。
しかし私は、彼に計画について問い詰めたり、確認をしたりはしなかった。
目的を達成しなければ、彼が宿屋に売られてしまったリュクシーの英雄になることは叶わない。
レックは私との約束を必ず守るだろうという自信があった。
そして彼は、見事に私との約束を守った。
アジュアを英雄に仕立てあげて。
恐ろしい子供だと思った。
最初から彼の計画は、リュクシーが恋心を抱いていたアジュアをタブリスカの生贄として捧げ、自分は汚れ役を一切せずにリュクシーの英雄となることだったのだ。
レックは、大切な私の飼い犬を勝手に飼い慣らし、陥れて利用した。
私はすぐに宿屋に行きリュクシーを買い取った。自分の手で不幸へ陥れてから、自らの手で救うという彼の気色悪い計画の最後の仕上げだけ、変更させてもらった。
彼が先に約束を少し変えてきたのだから、私も少し変えさせてもらったところで文句を言われる筋合いはない。
いずれにしろ、もうすでに彼女の心はレックのほうへ向いているはずで、彼の本来の目的はそれだったはずだ。
これで、私たちは互いにイーブンというわけだ。
行儀の悪い犬には、きちんと躾をしなければならない。
しかしレックは、私がリュクシーを勝手に身請けしたことに関して、異常なほどの怒りを露わにし、タブリスカを陥れたことをすべて公にすると言い出した。
そう言ってくることはだいたい想像がついていたので、私は新たな提案を彼にした。
タブリスカの件を公にすれば、彼がリュクシーにした卑怯で残酷極まりない仕打ちも、私は彼女に伝えるだろう。お互いに良いことは何もない。
そこで私は彼に新たな提案をした。
私が出会った聡明な人魚から聞いた興味深い話を彼にしてやった。
ある日、村の漁船の船長から、捕まった魚の中に人魚が紛れ込んでいたとの連絡があった。
船長が言うには、人魚は貴重な真珠や珊瑚を持っており、海中にはもっと多くの蓄えがあると告げ、その在処を教えるかわりに、この村の中で最も話の分かる権力者と会わせてくれと申し出たという。
私と面会することになった人魚は、この村に伝わる人魚についての理不尽な掟を変えてもらうことは可能かと私へ尋ねてきた。
私は、条件によっては可能だと答えた。
最低限でも、この村の司教になり、権力を手に入れることが必要であり、それだけでは村の慣習をやめさせる効力を発揮できないため、国の法律を整備する必要があると彼に告げた。
人魚は、私に全面的に協力すると言って、彼の知るところの人魚と人間の歴史や、人魚が人に与えられる能力など、余すことなく私へ教えてくれた。
それは、私が思っていたよりも、数倍も、いや数百倍も面白い話だった。
人魚の話の中で最も私の心を捕らえたのは、伝説の兵器<グラン・マダルシカ>のことだった。
グラン・マダルシカの開発には、ラングルスという、人魚に触れた人間が手にする能力が生み出す青い炎が必要だとのことだった。
しかし、このラングルスは人の心身を蝕む。
ちょうど私は、このラングルスの使い手を誰にするか検討しているところだった。
これをリュクシーにしたら良いのではないかと、レックに持ちかけた。ラングルスを手にした人間も人魚と契約を交わすことで、その命を救うことができるとのことだった。
代償はあれど、蝕まれた心身は、体の一部分を除きその契約により元通りとなる。
宿屋が私に変わっただけで、同じことだ。
私が彼女を恵まれていない環境で監禁しておけば、彼が彼女を救い出す英雄になれると、レックに告げた。
さすがにレックは、こんな提案を受け入れることなどないのでは?と普通の人間ならば思うだろう。そう考える人間は、人間のことを何も理解できていない。
人は、欲しくて仕方ないものを手に入れるためなら、悪魔にだってなれる。
それが、人の心ならば尚更だ。
彼は、それを受け入れた。
私は、悪人ではない。
私の計画には実験体となる人間が必要だ。それにうってつけなのは、間違いなくリュクシーである。
しかし、実験はいつまで続くのか分からない。
悩んだ末に、私は決断した。レックには消えてもらう必要がある。人から何かを奪った人間は、自分も奪われる覚悟をしなければならない。
彼もそれを理解する時が来た。
代償は、彼の体と魂だ。
私は彼を異国の組織へと売り飛ばした。
体が残っていたとしても魂はもう残っていないに違いない。
私は、また少し強くなった。
それからの出来事は、君も知ってるとおりだ。
グラン・マダルシカの研究は、思っていたよりもはるかに難航した。
リュクシーには申し訳ないことをしたと今でも思っている。
彼女の犯した罪と比べて、私が彼女へ施した罰は重過ぎた。
みんな、私の一部になった。
レックも、ジュミール様も、そして、医学館の修道士たちも。そうやって私は強くなってきた。
彼女も私の一部にしようと考えた。
しかし私は、彼女をアジュアの一部にすることを決めた。
強くなるのは、一人だけで構わない。
他の人々は、その一人の一部になればいい。そうやって人の罪は浄化され、強くなっていくのだ。
明日の朝、私は無実の罪でアジュアを処刑する。
彼は、手に入れた能力で私を殺せるだろうか。
私を殺して、自分は無実の罪で処刑されそうになっている、こんなことは間違っているのだと、民衆へ真実を訴えられるだろうか。
訴えたところで、愚かな民衆は彼の言葉になど耳を傾けないだろう。
母を連れていかせた、あの大人たちのように。
次は我が身なのだ。
彼を生かしておくはずがない。
生き抜くには、自分が奪うしか道はないのだ。
自分が選択し、自分が奪う。そうやって全ての悲しみや怒りや命を飲み込んで、人は強くなっていく。
アジュアが、もしも、保身に満ちた愚かな民衆たちに殺されずに生きていたら、この遺書を彼に渡してほしい。
許してほしいとは言わないが、私のことを理解してほしい。彼にはその義務が、あるはずだ。
そしてアジュアと君で、狂人ルバスタンが残した戦争兵器の設計書を使い、この国の権力を手に入れて、この国を変えるのだ。
私は君たちの一部になった。
罪悪感など感じる必要は何もない。
どうか、無実の人が処刑されたり、血統や見た目で差別を受けたりしない世の中を。
強い権力に怯え、悪を見過ごし、無言の暴力を振るう人々で満ち溢れていない世の中に。
そういう、私が望んだ世界を創り上げてほしい。
彼の理想としている世界は、私の理想としている世界とよく似ている鏡の世界だ。
鏡の世界では、正義と悪は反転している。
でもそれは、本当は同じものなのだよ。
きっと、それを理解できる日がやってくる。
だから私は、死んだわけじゃない。
私の魂は、完璧な世界の一部になる。
まだアジュアは青臭い若者だ。
私の想いを君が彼へ受け継ぎながら、導いてやってほしい。
私は、生涯で最も憎み、最も愛した母のもとへいく。
最後に。
君のフィアンセは、私の愛しい息子に譲ってくれたまえ。これが父としてできる唯一のことなのでね。
私は歪な愛し方しかされなかった。だから、歪な愛し方しか知らない。
しかしこれが、間違いなく愛というものなのだと、ようやく最近、私にも分かるようになった。
もしも、こんな世界に生まれなかったら、私は彼を普通に愛せていたのではないか、そんなふうに思うことがある。
空は晴れ渡り、海の波は寄せては返す。
そんな戦争のない世界で、人々は笑い合って生きるんだ。
そういう未来が、きっといつかやってくる。
青く青く広がる幸福の中で。
アジュア
君にはそういう世界で、幸せに生きて欲しい。
私の最初で最後の、人らしい願いだ。
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