命が消える音
眼下に広がるのは、湧きだった人々の高揚した顔と、不安そうに囁き合うざわめき。
遠くには、青く透き通る水平線が見える。
水が溢れそうなコップの縁みたいだ。
頭上に遥かに広がる空は、雲一つない快晴。
旋回する鳥が一羽。
春の香りを漂わせる風。
街の広場に組まれた木製の大きなステージ。
広場にある噴水も今日は水がすっかり抜かれてある。
広場に人が集まりすぎて、噴水に突き落とされてしまう人が出ると危ないからなのかもしれない。
人生で一度だけ、人が処刑されるところを見たことがある。
12歳の時だ。
子供と女性を誘拐して殺した男の刑罰だった。
「こんな穏やかな村でそんな凄惨な事件があるなんて」と大人たちは口々に言い、怒りが村に充満していた。
子供は処刑場へ行ってはいけない決まりだったけれど、僕は孤児院から抜け出して広場の入り口にある出店の陰に隠れて、男が処刑される様子を最後まで見届けた。
神の教えに背いた悪魔のような人間に裁きが下る瞬間を見てみたかった。
男が殺したのは、僕の知っていた子供でも、僕が話したことがある女性でもなかった。
殺された3人とも、上流貴族の人間で、一体どんな人生を送ってきたのかも知らなかった。
幼い子供を貴族の使用人として住み込みで働かせたり、教会へ預けたりする貧しい村民はたくさんいた。
そういう貧しい人たちは、確かに、子供を殺したりはしていないだろう。
しかし、他人に食事を与えられる立場になった子供たちの境遇は、必ずしも良いとは限らない。
むしろ、生きながら地獄のような生活が待っていることのほうが多かった。
だけど、そういう大人の行為は許されていて、誰も処罰などされなかった。
もちろん、自分が楽しむために人の命を奪うことは許されない残忍な行為だろう。
しかし、それを犯した大人は人々の面前で自分の命を奪われるのに、育てられなくなった子供を他人に売ったり捨てたりする大人は、何の処罰も受けない。
本当にそれは、公平なことなのか。
今、処刑台の上に立ってみて考えてみると、理由が違うだけで、行った行為の卑怯さは大きく変わらないような気がする。
レックやリュクシーや僕は、大人に捨てられて、結局、誰かに殺される運命を辿った。
生涯を振り返ると、幸せだったことももちろんあっただろう。
しかし、それ以上に悲しみや苦痛の多い人生だったはずだ。
少なくとも僕はそうだった。
息絶える直前のリュクシーの表情が脳裏にこびりついている。
信じられないほど、安らかな顔をしていた。
『聖人になりなさい。神を信じ正しい行いをしていれば、人はそれだけで幸せになれるのです。ちょうど神が、私に君を授けてくれたように、君にもきっと奇跡のような幸福が訪れます』
ジュミール様の言葉は、僕に希望と絶望を教えてくれた。
木で出来た処刑台は馬が5頭は並べられそうなほどに大きかった。
その真ん中に、人が2人くらい立てそうな一段高くなった台が置いてある。
その台のちょうど真上に一本の太い木が水平に設置されてあり、先端が輪になったロープが中央から吊り下がっていた。
僕は処刑台へ登る階段を登り切ったところで、衛兵と並び、正面を向いて立たされていた。
もう1人の衛兵は、僕たちの反対側にある大きなレバーの横に立っている。
おそらく、中央にある一段高くなった台を下へ落とす装置のレバーだろう。
僕たちの後から階段を登ってきたルバスタンが、僕と衛兵の前を通り過ぎて、処刑台の中央付近で立ち止まった。
ルバスタンは真っ黒な礼服に身を包み、真っ黒な皮のグローブを両手にはめ、片方の手には、あのガラスで出来た鳥かごがぶら下がっていた。
キラキラと太陽の光を乱反射する。
非常に細かな飾り彫が施されたガラス細工の鳥かごだ。
「今朝、裁判所でこの男の死罪の判決が下りました。村の皆さんも、大変驚かれていることと思います。この男は、村の掟を破り、海岸で捕まえた人魚を殺すこともしなかった。そして、人魚に触れてしまい、狂人と化しました。恐ろしい病原菌を作り出し、村の多くの人々を死に追いやったのは、この男の仕業だったのです。この男は、それだけでは飽き足らず、グラン・マダルシカという恐ろしい伝説の兵器まで作り上げようとしています」
広場に集まった村人たちの口から、悲鳴や怒号が次々と噴き出す。
そのざわめきが落ち着くのを待ち、ルバスタンは言葉を続けた。
「この鳥かごの中にいる人魚が、その証拠です」
ルバスタンはカルミヌスの入った鳥かごを村人たちのほうへ掲げて言った。
「この大罪を神は許すことはない。村に更なる災いが訪れる前に、この罪深き青年をここで処刑することとする!」
ルバスタンは、高らかに声を上げた。
そして、衛兵に目配せをすると、衛兵は僕の腕を掴み中央の壇上へ移動させ、目の前に垂れ下がったロープを僕の首へ掛けた。
「やめて!アジュア!逃げて!」
鳥かごの中から、カルミヌスの悲痛な叫び声が上がる。
「僕が処刑されたら、きっとカルミヌスを海へ帰してくれますね?」
僕は横に立つルバスタンの方へ顔を向け、尋ねた。
「私は聖人だ。意味のない殺生はしない」
彼の深い海のような瞳をじっと見つめた。
レックの笑顔。
リュクシーのもがき苦しむ顔。
彼らの顔が次々と目の前に浮かんだ。
ルバスタンは笑っていた。それは、勝利を確信した人の顔だった。
「ごめんなさい、司教様。僕はやはり幸せにはなれない」
手に力を込めると、僕の体の周りに青い炎が舞い上がった。
「何を……!」
衛兵が声を上げる。
僕の体の周りに現れた炎が、頭上に集まり、大きな弧を描いてルバスタンの頭上に落ちていく。
ルバスタンの勝ち誇った表情が、一瞬にして青い炎に包まれた。
「ルバスタン様!!」
衛兵が慌てて駆け寄ろうとするが、炎はさらに大きく燃え上がり、獣のような咆哮が広場に響き渡った。ルバスタンは苦痛に体をくねらせて、もがきながら叫び声を上げ続けた。
その凄惨な様子に怖気づき、衛兵は身構えたまま後退りをする。
ルバスタンの顔が焼けただれて、どろどろと溶け落ちていく。そのせいで、美しい深海色の目が片方すっぽりと赤黒い皮膚に覆われ、見えなくなった。
ちょうど、僕と向かい合っていたそれは、まるで、鏡の中に映る僕のように見えた。
目の前で苦しんでもがいているのが、自分なのか、それとも他の誰かなのか、分からなくなった。
「さようなら、もう一人の僕」
黒い炭の塊となったその物体は、吹きつけた風と共に散り散りになって晴れ渡る空へ舞い上がって消えていった。
不思議と、悲しくはなかった。
悲しくはないはずなのに、涙が溢れて、次々とこぼれ落ちていった。
あまりにも、呆気ない、一瞬の出来事だった。
怖いくらいの沈黙のあとに、悲鳴と怒声が爆発したように湧き上がる。
それと同時に、無数の石が処刑台めがけて飛んできた。
「やはり、一つ目は悪魔の子だったんだわ!」
誰かの叫び声が突き抜けるように聞こえた。
混乱していた衛兵が、慌てて処刑台のレバーを引こうと走り寄り手をかける。
それと同時に、僕は民衆に向かって声を上げた。
「聞いてください。僕は人魚に触れました。人魚に触れた人間は、あらゆる物を燃やし尽くすことができる青い炎を操れる能力を手にします。僕がこの能力を使って、ここにいる村の人間すべてを燃やし尽くすことは簡単です」
叫び声を上げて罵っていた村人たちは、一気に静まり返り、次に出てくる僕の言葉に耳を澄ました。
広場の隅にいた人間の数人は、青ざめた顔をして慌てて広場から走って逃げ出した。
「僕はこれまで、ルバスタンに言いつけられるがまま、様々な犯罪に手を染めて生きてきました。ある時はそれが正義だと信じ、ある時はそれが紛れも無い自己承認欲求を満たすための言い訳であると自覚しながら、罪を重ねました」
村人たちは訝しげな表情を浮かべて、周囲の人間と顔を見合わせる。中には驚きの表情をする年老いた女性もいた。
しかし、僕の足元の台座を落とすレバーに手をかけていた衛兵は、その手をレバーから下ろして、次の僕の言葉を待つようにして体をこちらへ向けた。
「僕に、どんな理由があろうとも、ルバスタンを殺した罪は消えないことでしょう。ですから、僕はここで処刑されようと思います。だけど、その理由をみんなに、最後に聞いてもらいたい。真実を聞いてもらって、そうやって僕は死にたいんです」
広場にいた人々は、不思議なほど静まり返ったまま、言葉もなく僕の顔に多くの視線を寄せ、僕の口から出てくる次の言葉に耳を傾けた。
◆◆◆
これは僕にとっての復讐でした。
僕はルバスタンに大切な人の命を奪われて生きてきました。
親友のレック。
育ての親だったジュミール様。
そして親友のフィアンセだった女性、リュクシー。
皆さんが信じようが信じまいが、これは紛れもない事実です。
ルバスタンは聖人ではない。悪魔のような人間です。
僕は自分の命を救うために、皆さんの命を奪いたいとは思いません。ルバスタンのような人間にはなりたくないのです。
そして、皆さんの命を奪わずに、ここで僕が処刑される代わりとして、一つお願いがあります。
そのガラスの鳥かごに入った人魚を、どうか海に帰してあげて欲しい。お願いです。人魚はあなたたちを殺したりしません。海に帰せば、あなたたちに災いは訪れない。僕がここで、約束します。
◆◆◆
そこまで話し終わった僕は、処刑台のレバーの横に立つ衛兵に向けて真っ直ぐな眼差しを向けた。
「必ず、人魚は逃してやってください。そうしなければ、僕は地獄から蘇って、あなたとあなたの家族の命を、必ず奪います」
「わ、分かった。必ず人魚は海に帰してやる」
衛兵は、緊張した面持ちで僕の言葉に応え、再び装置のレバーに手をかけた。
民衆は静まり返り、数千の目がことの顛末を食い入るように見つめている。
「待て」
レバーを持つ手に力が入るのが見えた瞬間、背後から声がした。
そして足音が近づき、僕の首にかかったロープへ手が伸びて、ロープは僕の視界を通って、首から外された。
「私も、ルバスタンの命令で多くの人間をこの場で処刑してきた。その中の一人に、僕の幼なじみがいる。それが正義だと思おうとしても、心の中のどこかにはいつも、紛れもない間違いだと感じている自分がいた。しかし、それを口にする勇気が私にはなかった。処刑されるべき人は君じゃない。今日、処刑されたのは、ルバスタンという一人の犯罪者だ」
衛兵の目には涙が浮かんでいた。その衛兵の目を真っ直ぐに見つめながら、僕は話し出した。
「僕は、ルバスタンという人間に特別な存在だと言われ、愛することができなかった自分を愛することができました。だから信じてしまったんです。自分を差別し愛さない人は全て悪人なのだと言ってくれたルバスタンのことを。それで、僕の心は救われてしまった。僕は、自分が特別に愛される存在だと信じたかった普通のどこにでもいる弱い人間でした。その弱さによって、たくさんの罪を犯し、人の命を奪いました。そして、利用されていただけだと今更になって気がついた。だから彼を殺したんです。これは、ただの復讐であり殺人でした」
目の前の衛兵ではなく、どこかで聞いている神へ向けるがごとく、弱く醜い本当の自分の心を告白した。
「処刑されるに値する人間です」
僕は衛兵の手にしていたロープを掴み取り、もう一度、自分の首へかけようと、それを頭まで持ち上げた。
「いいえ、アジュア。あなたがルバスタンを殺したのは、復讐のためじゃないわ。愛する人を守るためよ。告白します。私こそが、復讐のためにあなたを利用したの」
その時、鳥かごの中から微かなカルミヌスの囁きが聞こえた。
その次の瞬間、彼女の小さな体からは想像もつかないくらいの大きな声が飛び出し、広場の隅々までを埋め尽くした。
「聞きなさい。醜い人間どもよ」
◆◆◆
私はアナカサハラという海の王国の王女です。
私の両親だった国王と女王は私が幼い頃に、この村の人間に殺されました。
両親の顔もほとんど覚えてはいません。
王国の後継者となった私は、人の目にけして触れないよう、厳しい管理のもと、ほとんど監禁されるように育てられました。
たった一人で、無限に時間を持て余していた私は、古くから伝わる書物をたくさん読みました。
かつて、人間と人魚が平和的に互いに協力しながら暮らしていた時代の記録。人間が人魚を忌み嫌い殺すようになった、大量虐殺を行った村の青年の話。
そういうことが書かれた本を、いくつも読みました。
私は、人間は身勝手で残忍な生き物だと思っていました。いつか、大きくなり、私が大人になったら、きっと私から両親を奪い、王国の民を苦しめている人間に復讐をする。幼い私は、神にそう誓いました。
人間を騙し私の体に触れさせ、ラングルスの能力を手にした人間を操り、かつて村を焼き尽くした青年のように人を根絶やしにしてやるつもりでした。
私にとっても王国にとっても、危険な賭けであると理解していたので、なかなか決心はつきませんでしたが、婚約者が行方不明になったことで、私の心は決まりました。
人間に復讐してやる。
これまで殺され続けてきた多くの人魚と同じ痛みを与えてやりたい。
私の中にあったものは、人間という生物に対する計り知れないほどの憎しみです。
◆◆◆
「だから、彼は何も知らずに、まやかしである私に騙されただけなのです。もはや私の復讐は失敗に終わりました。殺人ショーが好きな人間どもよ。この私を、偉大だった父や母と同じように無残に殺すがいい!」
「なんて、恐ろしいこと…」
村人たちは、次々に声を上げた。
「その人魚は危険だ!」「殺せ!」「まやかしに取り憑かれた1つ目も殺してしまえ!」と口々に叫び声が上がった。
そして、湧き立つ群衆の中から、一人の大男が処刑台に近づき、手にしていたボウガンを構え、矢を放った。
矢の向かう先は、壇上に置かれた陽の光を反射しキラキラと煌めくガラスで出来た鳥かごだと、すぐに分かった。
たぶん何かを考えたわけじゃなかった。
咄嗟に、反射的に体が動いた。
掴んでいたロープを手放し、カルミヌスが囚われた鳥かごと村人が放った矢の間に、体をねじ込んだ。
次の瞬間、背中の右脇腹付近に、ドスンという衝撃と共に破裂するような痛みが走った。
それが、一瞬でジンジンとした熱を帯びながら全身に広がる。
頭が真っ白になり何も考えられない。
力を振り絞り、広場のあちらこちらに青い炎を放つ。
一気に広場は混乱の渦に飲み込まれた。
僕は足元に置かれたガラスの鳥かごを抱えて持ち上げると、衛兵を押し退けて処刑台の階段を駆け降りた。
言葉にならない叫び声を上げながら、混乱する広場の中を駆け抜ける。
何度も体を村人に掴まれたが、必死に振り払いながら前に進んだ。
たまに、背中や腕に、ドスンと破裂するような痛みが突き刺さる。
何度も、何度も、その痛みは僕に訪れた。
意識を失いそうになりながら、なんとか広場を抜け、浜辺を目掛けて走り出した。
体には無数の矢が刺さっているのかもしれない。
ここで、息絶えるわけにいかない。
彼女を、海に帰すと約束したのだから。
その時、一人の村人が両手を広げて僕の目の前に立ちはだかった。
若い青年だ。確か、パン屋の向かいの洗濯屋の跡取り息子だ。
僕にはもう迷いはなかった。
その村人目掛けて、思い切り力を込めて炎を浴びせかけた。
邪魔なので殺すつもりだった。
命が燃えて、消える音がした。
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