残された魂

風和ふわ

残された魂

『あと、二日だな』


 洋介の声が機械越しに流れてくる。輝人はぼうっと宙を眺めながら、適当にそれに返した。あと二日。洋介が言いたいそれは、輝人達人類が地球に滞在することの出来る時間のリミットのことである。

『十年なんて意外に早いもんだな。明後日の今頃にはもう宇宙にいるなんて、考えられないもんだ』

「あぁ、俺もだ。よく宇宙船も開発が間に合ったな」

『そりゃ自分達の命がかかってるからな』

「……お前はもう宇宙船に入るのか、洋介」

『ああ。嫁もそうしたがってる。乗り遅れたら死ぬんだからな。もう入れるらしいから、明日の朝に入るよ。……お前は?』

 洋介の声が少しだけ震えた。きっと輝人の事を心配してくれているのだろう。眉を寄せて、口をへの字の折り曲げている親友の顔を思い浮かべた。

「俺はギリギリに入ろうと思う。故郷を、この目に焼き付けておきたい」

『……そっか。出発は午前十時だからな。七時にはもう宇宙船に入った方がいいぞ』

「あぁ、ありがとう」

『……生きような、輝人』

 洋介のその言葉が聞こえた瞬間、通話は途切れた。恥ずかしがりやの洋介がしそうなことだ。輝人は昔から変わらない親友に顔を緩めて、自動車の運転席から降りた。後ろの席では息子の新司が可愛らしい寝息をたてて眠っている。輝人は車のドアを開けて、横から新司の小さな体を揺すった。新司はとろんと瞳を揺らして、起き上がった。

「ぱぱ? ここはどこ?」

『パパの故郷だよ。明後日までこの辺りに泊まるぞ』

 新司は小さく頷いた。輝人は新司を車から出るように急かす。新司が車から出たのを確認すると、車の鍵をかける。道路に車を止めているのだが、車通りが少ないこんな田舎の道路じゃ何も言われないだろう。それに大半の人間はもう宇宙船の中だ。しばらく道路を歩いていると神社が見えた。輝人は懐かしさに目を細めた。この場所は昔通っていた小学校、中学校の通学路であり、雨が降る度に雨宿りをしていた幼い輝人の思い出の場所である。神社はしんと静まり返っている。新司の高い声がよく響く。二、三段の階段を上れば、目の前には大きな賽銭箱。その賽銭箱を見ているとなんだか「おい小僧、ここに金を入れろ」と言われているようで、幼い輝人はこの賽銭箱が大嫌いだった。絶対にお前なんかにお金はあげるもんか。そう賽銭箱に言い残して、神社を後にしたこともあった。小さな子供にそう言われた賽銭箱はどんな気持ちで輝人の背中を見ていたのだろうか。

 そこで不意に、洋介の「あと二日」という言葉を輝人は思い出した。明後日にはもう自分は地球にはいない。何度も反芻させて、輝人の奥から不安や戸惑い、それに類似した感情が溢れ出てくるのを感じる。今から十年前、世界が絶望した。日本の総理大臣が深刻な面持ちで、画面越しに言ったのだ。

“地球に人類が住めなくなる”と。

 最初は何かの番組のやらせだと思ったが、違った。総理大臣は泣いていた。日本国民の前で涙を流し、俯いた。これは事実なのだ、と輝人は悟った。それから慌ててパソコンを開いて、その理由を調べた。しかし日本政府自体が、その理由を分かっていないようだった。「我々は地球を知らな過ぎた」。そう書かれていた。よくわからない複雑なグラフも、どこかの国の科学者の言葉も素人の輝人には理解できなかった。だが唯一分かったことは、そこで人類が下した決断は人類の母とも呼べるこの地球を捨てることであったということ。世界中で人類逃亡のための宇宙船が作られた。それに乗って人類は二日後、この地球を去るらしい。人類がいなくなった地球はどうなるのだろうか。人類が地球に住めないならば、他の生物はどうなるのだろう。そんな事が次々と思いついてくる。もしかしたら地球は自分を汚している人間を嫌悪していて、追い出したかったのかもしれない。人類がいない方が、いい星になるかもしれない。輝人は軽く賽銭箱を撫でる。少し指先が汚れた。それを気にせずに、財布から取り出した五百円玉を入れた。新司も入れたいと言ってきたので、新司には百円玉を渡す。顔を上げて、改めて神社を見る。黄緑の古ぼけた屋根。苔まみれの木の壁。神社に寄りかかっているように生えている大樹。神社の前の道路に並ぶ桜の木々。冷たい空気。濡れた土の匂い。仏頂面の大きな賽銭箱。この賽銭箱は明後日には自分がいなくなると知ったら、どう思うのだろうか。輝人は一言、呟かずにはいられなかった。


「今まで、ありがとう」


 不思議そうに輝人を見る新司。

「ぱぱ、だれにいっているの?」

「ずっと俺を見守ってくれた神様にだよ」

 輝人はそう言って新司の手を握って、踵を返す。そろそろ、車に戻ろう。するとふわりと麦わら帽子が輝人の視界を遮った。麦わら帽子独特の匂いを感じながら、輝人はそっと帽子を手に取る。


「すみません、帽子」


そよ風のようなソプラノに思わず輝人は固まった。目の前に女性の細い指がそっと近づいてくる。麦わら帽子がひらりと輝人の手から離れていき、女性の頭に収まる。麦わら帽子の持ち主である女性はにっこりと輝人に目を細めた。風が吹いて、周りの木々が揺さぶられている音が輝人の耳に流れてきた。そして女性の黒髪も川の流れのように、風に靡いている。白色のワンピースのスカートが輝いて、なんだか眩しかった。新司が輝人のズボンを握る。

「こんな時にここに来る人がいるとは思いませんでした」

 輝人は我に返って、そう言った。女性も頷く。真っ直ぐに輝人を見つめる女性に思わず輝人が俯けば、女性の可愛らしいリボンのついた黄色のサンダルが見えた。

「地球を去る前にどうしても故郷を見ておきたくて」

「僕も、宇宙船出発のギリギリまで、この場所にいようかと……」

「あら、私もなんです。なんだかご縁を感じます。……可愛いお子さんですね」

 すると新司の大きな瞳が女性を映す。女性はしゃがんで、新司の目線に合わせた。新司は照れくさそうに俯く。女性が新司の髪を撫でた。そこで輝人は思わず目を見開いてしまう。女性は静かに涙を流していた。しかし顔は笑顔のままだ。輝人は話しかけていいのか戸惑う。

「あの、どうかされましたか」

「いえ……懐かしく思いまして。私にも息子がいたのですが、数年前に会えなくなってしまって……」

 輝人は口を閉じた。女性は相変わらず新司の髪を撫でたまま、うっとりとした表情をしている。


「こんなに、大きくなって……」

 

そこで女性は慌てて立ち上がると、輝人に頭を下げる。

「す、すいません! 思わず、自分の子供と重ねてしまい……」

「いえいえ、大丈夫です。……では、僕はそろそろ」

「は、はい。またご縁があれば会いましょう」

 そう言って女性と別れた。綺麗な人だった。少しだけそう思って、また新司の小さな温もりを感じて、輝人は歩き出した。




***




 海水が足を冷やしていくのを感じた。新司が迫ってくる波に歓喜の声を上げている。人類逃亡まで後一日。つまり出発は明日。明日の早朝には宇宙船に入らなければいけない。輝人はぼんやりと遠い水平線を眺める。波に反射して、日光が眩しい。目の前の海に思わず目を細めた。足元を見れば、地面は大量の貝殻によって埋め尽くされている。その中にはどこから流れてきたのか、ビール瓶、カップラーメンの空、片方だけの靴など色々なものがあった。昨日は神社の後、輝人の実家だった場所に行った。輝人の両親はもうすでにいない。そのため実家は勿論だれも住んでおらず、草木が伸び放題だった。だが確かに輝人が住んでいた家だった。両親が笑っているような気がした。


「また会いましたね」

 

その声に振り向くと、昨日出会った女性がいた。輝人は軽く頭を下げる。

「ここも、思い出の場所ですか」

「ええ、まぁ」

「懐かしいなぁ。私もこの浜辺でよく遊んだんですよ」

「僕もですよ。もしかしたら、昔僕たち、すれ違っていたかもしれませんね」

 女性は笑って頷いた。白い歯も、白い肌も、長い黒髪も、輝人には女性の全てが輝いて見えた。

「そういえば」

 女性の声に我に返る。見惚れていた。

「この浜辺で昔、小さなビンを拾ったら中に手紙が入っていて、なんて書かれていたと思います?」

「………さぁ、なんでしょうか」

「“好きです”って書かれていたんです」

 女性ははにかむ。

「自分宛てではないのになんだか嬉しくて……そのビンは今でも大切に持っています」

「もしかしたら本当にあなた宛てだったのかもしれません」

 輝人は遊んでいる新司から目を離さないまま、そう言った。女性の視線を感じる。

「実は僕も……妻にプロポーズをするときに、その方法を使いましたから」

 妻。その言葉を輝人が最後に使ったのはいつだろう。

「妻と僕は幼馴染でした。それで、高校卒業の日。僕はこっそりビンを置いて、妻が拾うように仕掛けました。妻がそれを読んだとき、僕は後ろから妻を思い切り抱きしめました。そしてそのままプロポーズしたんです」

「それは……」

 女性の言葉が途切れる。どうしたのかと輝人が顔を覗けば、女性の頬に一筋、透明のラインが流れていた。思わず息を止めてしまった。なぜ、この人が泣くのだろう。

「すいません……気を悪くしましたか?」

「いえ、すみません。感動してしまって……。あなたの奥さんは幸せ者ですね」

「……そう、でしょうか」

 輝人は黙り込む。本当に、そうだろうか。心臓が高ぶっているのを感じた。輝人は拳を握りしめる。

「怖い顔してますよ」

 女性は眉を下げて、笑う。するとその時、新司の笑い声が急に止まる。慌てて輝人がそちらを見れば、新司は転んで、尻もちをついていた。その瞬間、輝人はぞくりとした。

「新司!!」

 輝人は新司にすぐに駆け寄る。新司は海水で下半身が濡れただけだった。怒られるのかと思ったのか、不安そうに輝人を見上げる。輝人は新司の体を起こしてあげると「あまりはしゃぐんじゃない」とだけ言った。太陽が雲に隠れたのか、辺りが妙に暗い。波がざわついていた。輝人は女性に視線を向ける。

「情けない所を見せました、すみません」

「いえ」

輝人も女性も黙り込む。

「……少し、話を聞いていただけますか。こんなこと、他人の貴女に話すべきじゃないって思うんですが」

「はい。こんなご縁ですし、聞かせてください」

 女性はにっこりほほ笑んだ。

「僕の妻、つまり新司の母親は葉子というんですが……三年前に病死しました」

「はい」

「葉子は最期まで苦しそうでした……でも、最期になると、笑って、新司をお願いって僕の手を握りました。……僕はその葉子の手の感触を今でもはっきりと覚えています」

「……はい」

「今思えば、僕は葉子に頼りっぱなしだった。僕は小さいころから泣き虫で、あいつに甘えてばかりいた。僕のせいで葉子は病死したんです、きっと。……そんなあいつは本当に幸せ者だったと思いますか?」

 女性が答える前に輝人は言葉を続ける。

「俺だってあいつを幸せにしてやりたかった。あんなに苦しそうに死なせたくなかった……っ」

 輝人は声を荒げて、目を見開き、息を乱していた。そして我に返り、深呼吸をする。

「葉子がいない今、僕がちゃんと新司を守るしかないんです。せめてもの葉子への罪滅ぼしです。でも、新司は幼い。すぐにいなくなってしまいそうで、すごく、怖いんです」

 輝人は俯いて、唇を噛みしめる。「すみません」と女性に頭を下げた。波が輝人の足首を濡らす。新司がそっと輝人の足にしがみ付いた。輝人は新司の頭を撫で、微笑む。たとえ地球に人類が住めなくなってしまったって、新司をどんなことをしてでも俺が守ってやる。自分の手にすっぽりと包まれる小さな手。その手を見て、輝人は体が少し震えた。やはり怖い、と少しだけ思ってしまう。新司はそんな父親に気づいているのかいないのか、一際明るい声を上げる。

「ぱぱ、このうみってぱぱがいってたでんせつのうみなんでしょ?」

「伝説? それは炎の英雄の話、ですよね?」

 新司の言葉に女性が微笑んだ。

「そうです。僕が小さいころから親父に何回も聞かせてもらった話なもんで」

「昔、新羅の国の海賊がこの海に攻めてきて、ここに住んでいた私達の先祖はたくさんの財宝を盗られ、困り果てていた。そこに現れたのは一人の勇敢な少年。彼は炎で燃えている木の枝を投げ続けて、新羅の海賊達を見事追い払った!っていうやつですね」

「ええ。その話が好きで、僕も友達と木の枝を集めて、英雄ごっこをしました」

 女性は「まぁ可愛らしい」と小鳥のような声で笑う。先ほど自分のせいで気分を害してしまったのではないかと思っていたので、輝人は安堵する。そういえば、と思った。葉子もこの伝説、好きだったなぁ。気付いたら固い顔になっていたらしく、女性が輝人の肩を軽く叩いた。

「あまり気張らなくていいじゃないですか。子供は自分が思っているほど幼くないですよ」

「え、で、でも新司はまだ……」

「すぐに分かります」

 女性はそう言って踵を返した。そして顔だけ輝人を振り返ると、白い歯を見せて、笑う。日光が丁度よく当たって、女性の白い肌をさらに映えさせる。

「今更ですけど、私の名前は亜希子です。明日も会えるといいですね。宇宙船の中で」

 そして亜希子は浜辺を去った。輝人はその後姿を見えなくなるまで見守っていた。亜希子の言葉で思い出した。もうすぐ、この地球を去ることになるのだ。この海も、大好きだった伝説も、あの賽銭箱も、実家の匂いも、プロポーズの事も、もうこうして見ることも感じることも出来ないのだ。それは、凄く嫌だな。自分の手で海に触れた。勿論手が濡れる。それが愛しいと思うのと同時に輝人は寂しくなった。




***




 新司がいない。

 輝人は夜中目覚めその事に気づいた時、背中にひやりとした汗が流れた。慌てて周辺を駆け回り、新司を呼ぶが見当たらない。実家にもいなかった。息が苦しい。静かな暗闇の中、自分の呼吸の音だけが聞こえた。輝人はもしやと思い、神社へ走る。あったのは大きなあの賽銭箱だけ。その場に膝をつき、震える体を抑える。涙で視界が歪んでいた。心臓の鼓動をここまで強く感じたことがない。息が上手くできなかった。立たなければ。立って新司を探さなければ。そう思っているのだが、脳と身体が一致しない。何が、葉子への罪滅ぼしだ。自分は子供一人すら探せられないじゃないか。足が全く動かなかった。そこで輝人は自分が裸足で走り回っていたことに気づいた。足の裏が痛い痛いと叫んでいる。だがそれよりも輝人が感じたのは恐怖だ。新司が、いない。それは輝人にとってどれほどの恐怖であろうか。情けなく、新司の名前を呼ぶことしか出来ない。


「何をしているんですか!!」

 

輝人は思わず顔を上げる。亜希子がいた。亜希子は眉を顰め、輝人を見下ろしている。輝人は情けない自分の姿に気づき、恥じた。だが体が動かない。ただ情けない涙声を口から押し出すだけだ。

「しんじが、いない……」

「情けないですね」

 亜希子の声が輝人の体に突き刺さる。それは自分が一番分かっている。だからこそ輝人は何も言い返すことが出来ない。

「ついてきてください。先ほど人影を見ました。多分新司君です」

 亜希子はそう言って、輝人に手を差し伸べる。輝人はそれに甘え、すぐに立ち上がり、顔を拭う。早く息子を見つけなければ。これ以上、情けなくなりたくない。

「すみません」

 輝人の小さなその言葉を聞くと、亜希子は黙って走った。白いスカートが暗闇の中、揺れる。道路の所々にある外灯とともに輝人を導いてくれる。それに力強く輝人を引っ張る亜希子の手。それは不思議にも、葉子が最期に輝人の手を握った感覚に酷く似ている、まるで、本当に葉子が生き返ったみたいだ。泣き虫な輝人を優しく、そして強く引っ張ってくれた自分の妻と亜希子をやはり重ねてしまう。涙がまた溢れてきた。本当に情けないな、俺は。輝人は自分の弱さを改めて自覚しながら、亜希子に引かれるまま、前に進む。

 亜希子に連れてこられた場所は今日の昼中に行った浜辺であった。暗闇の中、地面に小さくうずくまっている人影を輝人は見つけた。すぐにそれを抱きしめる。伝わってくる温もりに力が抜けそうになった。

「どうして、急にいなくなったんだ!!」

 新司の体が揺れる。うろうろと黒目を泳がせ、結局俯く新司。輝人は新司の手に自分のライターが握られている事に気づき、思わず声を荒げてしまう。

「なんでこんなものを持っているんだ!!」

 新司は答えない。俯いたまま、動かない。輝人は新司の足元に木の枝がたくさん集められていることに気が付いた。まさかこれを燃やそうとしたのだろうか。そこで気付く。新司が今している行動がこの目の前の海にある伝説に酷似していることに。

「……つよくなりたかったんだ」

 新司の小さな唇が震える言葉を紡いでいく。

「でんせつのえいゆうみたいに、つよくなったら、ぱぱ、こわいかおしなくていいでしょ……?」

 新司の声色がだんだんと強くはっきりとしたものになっていく。そのことに逆に輝人が戸惑ってしまう。

「ぼく、ぱぱをまもるよ。うちゅうにいっても。だからね、そんなになきそうなかお、しないで……」

 輝人は唇が震えるのを感じた。情けなく、号泣してしまう。何をしているんだ、俺は。新司はその場で崩れてしまった輝人の頭を撫でた。大丈夫だよ。そう新司が言ってくれたような気がした。体から恐怖心が抜けていく。今の輝人にあるのは新司への絶えない愛情のみである。怖がっていては駄目だったんだ。輝人は泣きながら、だが力強く新司を抱きしめた。

「ごめんな、新司」

 震える声では頼りないかもしれないが。輝人はやっとの想いで声を吐き出す。

「もう、俺は大丈夫だ」

輝人がやっと落ち着いて泣き止んだとき、そういえば、と亜希子を探すが亜希子の姿はもうどこにもなかった。あるのは目の前の延々と広がる伝説の海だけ。


「ね?自分の知らないところで子供って成長してるでしょ?」


そんな亜希子の声が聞こえた気がした。




***




「おおきなうちゅうせんだねぇ」

 新司の声に輝人も頷く。今は六時。地球脱出のための宇宙船は輝人たちの目の前にあった。外国の映画に出てきそうな大きな宇宙船。こんなものをよく作れたものだと輝人は感心してしまう。宇宙船の中ではまず持ち物検査が行われるらしく、今はその行列に並んでいる。新司はとても興奮していて、大人しくしてくれない。宇宙船に入れば、洋介に連絡して「心配かけたな」と謝らなければいけない。それに謝るべき人がもう一人いる。人混みの中、輝人は周りを見回す。どうやら亜希子の姿はない。もう先に入ったのかもしれない。もし会ったら、昨日の夜の事を謝らなければいけない。輝人ははぐれないようにと新司の手をしっかりと握った。次は輝人達が宇宙船に入る番だ。


「新司、生きるぞ」

「うん!!」

 

そして輝人達は宇宙船の中へ入っていった。




***




 私が死んでから、貴方は凄く苦しんでいたね。

 ずっとずっと隣で見ていたけれど、本当に心配したの。

 このままじゃ貴方が壊れそうで、私はそれが怖かった。

 それにもうすぐ地球を出て行ってしまうじゃない。

 だからね、神様におねがいしたの。

 どんな姿形でもいいから、最期に、貴方と新司に会いたいって。

 またあなたと話せるなんて夢にも思わなかった。

 また新司の頭を撫でることが出来るなんて思わなかった。

 それに宇宙に行く前に、新司があんなに成長してるって分かって、よかった。

 人混みの中、宇宙船の入り口へどんどん近づいていく貴方と新司。

 私が死ぬ間際に私の手を震えながらも握ってくれた貴方の手。

 今はもうしっかりと新司の手を包んでいるから問題ないわね。

 本当、心配かけさせないでね。

 貴方は昔からそうよ。

 泣き虫で弱くて、でも誰よりも優しかった。

 そんな貴方が愛しくてたまらなかった。

 だから私、ちゃんと幸せだったのよ。

 ねぇ、貴方はね、地球の魂は地球から離れることが出来ないって知ってる?

 つまりね、私、もう貴方に会うことも出来ないらしいの。

 貴方は宇宙に行くんでしょ?

 幽霊はね、宇宙に行けないのよ。

 だからね、もうさよならなの。

 本当は貴方の傍でもっと見守ってあげたかったけれど、無理みたい。

 本当、残酷よね。

 宇宙船に入っていく貴方を私は見守ることしか出来ないなんて。


「本当に、残酷………」


 ポツリと、呟いた。どこかの外国映画に出てきそうな大きな宇宙船。その宇宙船が轟音を響かせ、ゆっくりと地面から浮上していくのを見守りながら、涙を一粒、流す。麦わら帽子は、宇宙船が離陸する際に生じた旋風によって飛ばされる。白いスカートも激しく揺れていた。手には小さな薄く汚れたビン。中には手紙が入っていた。宇宙船が宙高く飛び立ち、見えなくなるまで亜希子、いや、葉子はそれを見守っていた。

「生きてね、上手く地球を脱出してね」

 葉子はそう呟いたものの、しばらく間を置くと、また口を開く。

「………ごめん、嘘よ」

 葉子の視界はすでにぐちゃぐちゃだ。体が足の指からゆっくりと消えていくのが分かった。もう、この姿でいるのも出来ないのだと葉子は悟った。その前に、と葉子は震えた涙声で最後の言葉を残す。


「………私を残して、いかないでよ……」


 葉子は消えた。残されたのは手紙の入った、薄汚れたビンだけである。ポタリと、一粒の涙がビンを濡らした。


 終

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残された魂 風和ふわ @2020fuwa

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