第63話 慈悲深き堕天使
国家に属さず血の匂いに惹かれ戦場に赴き、その地を紅く染める伝説のような存在。
数々の猛者を屠り彷徨う様は人々に恐怖を与え、無数の逸話を残したという。
その右手には変幻自在の妖刀紅桜、桜の花びらを散らせ煌めく様は死にゆくものたちへの手向けの花となった。
その左手には狂瀾怒濤の妖刀村正、小ぶりながらも人々の魂を吸い取り使役する奇怪な技を持ち何人もの魂をその身に宿らせているという。
いったい誰なのか、いつ頃存在していたのか、どれほどの強さなのか。
詳細は全く不明のまま噂が一人歩きし、今でもその存在をまことしやかにつぶやかれる謎の人物。
彼の愛刀だった村正、それが現在シノアの愛刀として桜小町と呼ばれている刀の正体だ。
「そうそう、あなた
「まぁな。あの儀式をやったら“強欲”のやつが来やがってな、スカウトされたんだ」
かなり親し気に見える二人だが、その周りを漂う空気は殺意に満ちるあまり空間が歪み始めている。
ピキピキと嫌な音を立てぶつかり合う殺意は触れただけで八つ裂きにされそうなほど鋭い。
「さて、まずはお前がなんでその器に宿ってんのか教えてくれるか?」
お互いの殺意をぶつけ合いながらプライドが問う。余裕の表情で口を開いているがその内心は少しだけ焦っていた。
なぜなら、人間の器とは繊細なのだ。自分の器に適合しない魂を長期間受け入れていればその器が自己崩壊を始め、生という概念を失い輪廻転生の円環から外れてしまう。
そうなればその器の持ち主は死ぬことも生きることも許されずに永遠に理の外を彷徨うことになるのだ。
彼の主であるソリスは怒りに震えることだろう。
「そうね…紅桜がこの子に私をあげちゃったのよ。対して強くもないし、成長はまぁまぁだけど今でも肉体的に弱すぎるわ。貴方の手刀でダウンしちゃうぐらいにはね」
シノアの面を被った桜小町―村正が銀色の髪をいじりながらぼやいた。
性格的に適当な部分が多い彼女にとってシノアの魂の器が壊れるなど、些細な事なのだ。
「それよりも私は貴方がなぜこの子に拘るのか知りたいわ」
余裕の表情の裏で打開策を考え込むプライドに村正が尋ねる。
正直に答えてしまえば彼女は絶対にシノアの身体から出ないだろう。他人をいたぶったり苦しめたりするのが大好きな超サディストなのだ。シノアのクラスメイトを思い出す。
「あぁ、実はカクカクシカジカでな…」
「…それが通じるのはアニメの中だけよ」
プライドの非常に詳しい(笑)説明も彼女には通じなかったようだ。
そうこうしているうちにもシノアの魂の器は消耗している。だからといって真実を告げるわけにもいかないだろう。
どうするべきかプライドが悩んでいると村正が勝手に自己解決してくれた。
「まぁいいわ。久しぶりに大量の血も味わえたし、また刀に戻るわ。紅桜もこの子とまた戦いたがってたし…」
「ずいぶん素直じゃねぇか?」
思いのほかことがうまく進んだことに驚いたプライドだったがここで水を差して、気が変わったなどと言われても困るので放っておくことにする。
「まぁ私も変わったのよ。この子の影響かしらね…そうそう、そこの大きい獣だけどね、自我が戻ってるわよ。あまちゃんの貴方のことだから
「あぁ?ったくメンドくせぇ…」
シノアから離れ意識を刀に戻す村正。それと同時にシノアの身体から不純物が取り払われ、右眼に宿っていた炎も嘘のように消え去った。
プライドは倒れ伏すシノアを抱えながら魂の器を修復すると、今度はその肉体を癒し始める。
「“傲慢の名によって命じる、この者に癒しと安らぎを与えよ”」
それは名のある悪魔にのみ許される契約魔法、悪魔界もしくは地獄とよばれる場所で心折れ自我を失った者たちの魂を消費して発動するその魔法は、恐ろしいほどの権能を持ち魔法の原初である神の奇跡にもっとも近いとされる究極の法則制御装置だ。
ボロボロだったシノアの身体はみるみる回復していき、失った血液のみならず戦闘の最中に斬られた髪までも修復させてしまった。
自分の身体の回復を感じたのか、シノアが目を覚ましプライドと目が合う。
漆黒の翼を持った天使、自分を癒してくれたその存在に感謝を述べようとしたシノアだったが、急激な回復による疲労感からまた気を失ってしまった。
神に祝福された
運命の歯車がいま、回り始めた。
「ふぅ…ようやく終わったか。さて、あとはこっちか」
シノアの回復を済ませたプライドは右手の鎌を持ち直し、兄の亡骸を抱きしめて泣く獣へと視線を移した。
「ったく…なんて胸糞わりぃ…ほんとに人間ってのは屑だな。やめて正解だったぜ」
顔をしかめ心底嫌そうにぼやく彼だが、その言葉には兄を失った少女への慈しみの心が顕われていた。
現に彼は黒獣を警戒するわけでもなく、そっと近くまで歩み寄るとその頭を撫で始めたのだ。
「おいお前。安心しろ、てめぇの兄貴は天国にいるぜ」
「…ホント?ドウシテ…ソンナコト…ワカルノ…?」
涙を流しながらプライドを横目に見る黒獣に対し、彼は珍しく笑みを浮かべその翼を自慢するかのようにはためかせた。
漆黒の羽根が辺りに散らばり美しく幻想的な光景が黒獣の視界に飛び込んでくる。
あまりの美しさに感動しなにもいえなくなる黒獣。
そんな黒獣の頬を堕天使は優しく撫でた。
「わかったか?俺は天使だ。お前の兄貴は天国に連れていかれた。さっさと兄貴の後を追うぞ」
「…デモ…コンナ…スガタジャ…オニイチャンニ…キラワレチャウ…」
寂しげに俯く黒獣だったが、そんな彼女に奇跡は訪れる。
「“傲慢の名によって命じる、この者に真なる体躯と安らぎを与えよ”」
プライドの魔法により醜かった黒獣は元の姿に戻り、美しい少女へと変貌を遂げた。
不治の病と言われた獣化病も大悪魔の前ではただの風邪も同然だ。
自分の身体が元にもどったことを喜んだ少女は兄の亡骸を抱きしめたまま、安らかに息を引き取った。
とても満ち足りた幸せそうな表情をして。
「…おわったか」
独り言のようにつぶやいたプライドの言葉だったが、それに対する労いの言葉が後ろからかえってきた。
「お疲れ様です“傲慢”様。相変わらずお優しいのですね」
時空の歪から突如出現した謎の人物はエンヴィほどではないにしろ、とても整った見た目をしており人外であることがうかがえた。
「アザゼルか。俺は別に優しいわけじゃない」
アザゼルと呼ばれた女性の言葉を否定したプライドは、胸元からロケットペンダントを取り出すと、それを開き目を細めた。
「…俺はただ、どうしようもないほどに甘いのさ」
そこには幼い少女の姿が描かれており、親しい間柄であることがうかがえる。
その少女が誰なのか、どういう関係なのか、今となって知る者は“傲慢”の名を持つ彼だけである。
神の寵児と堕天使、その二人の運命は複雑に絡み合い数百年たとうとも断ち切られることはなかったという。
伝説はここから始まった。
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