第62話 懐かしき輩

「な、なんや?あんさん眼おかしなったんか?」


黒獣が村人たちを虐殺する様子を余裕の表情で眺めていたスキンヘッドだったが、シノアの変異に驚き思わず取り乱し始めた。


「がぁっ…ぐっ…グギ…」


段々と桜小町から放たれる瘴気に侵されていき自我を失っていくシノア。

姿かたちは変わらずともその内面では暴風が吹き荒れている。


「これ、どないしたらええねん…あんな化け物とタイマンはって勝てる自信ないで…」


狂暴化しつつある黒獣と自我を失いかけているシノア。

これらを同時に相手して生き残れると思うほど、スキンヘッドは自分を過大評価してはいない。

即座に撤退を決めると、残った村人たちを見捨てて逃げ出そうとする。


しかし、それが許されるわけがなかった。


「ガッ?!な、なんちゅう速さや…これがアンタの本気っちゅうわけかい…」


到底人間には観測できない速度、立っていた位置に残像が残るほどの速さで放たれた手刀に胸を貫かれたスキンヘッドは、吐血しながらその場に倒れ伏した。

手刀を放った張本人はその顔に何の感情も浮かべず、ただ自分の手から滴り落ちる血に魅入っている。


「血ィ…血が…血が欲しい…」


禍々しい感情を含んだその言葉は、スキンヘッドを貫いた青年シノアではなく彼の手に握られた刀から発せられており、その身に纏うオーラは血よりも紅く暗闇よりも暗い。

見ただけで発狂しそうなほど異様なその刀は、かつて死霊使いネクロマンサーに仕えたころの風貌を取り戻しつつあった。


「お、終わりだ…この村は…悪魔に滅ぼされるっ…」


残っていた村人の言葉が血濡れた大地に木霊する。

自分の死を嘆き愛する誰かの死を憂いて。


だが、次に彼らの目に飛び込んできたのは、恐ろしい黒獣でも禍々しい妖刀でもなく、漆黒に輝く煌びやかな天使の翼だった。


「ったく…なんとか間に合ったようだな。魂の器は無事か…」


美しい翼をはためかせその場に登場したのは、人外の美丈夫─七つの大罪エヴァグリオスの“傲慢”を司る堕天使、プライド・ルシファーだ。

静かに飛翔しその場に着地すると、一息つきシノアに話しかける。


「おい!大丈夫か?狂ってねぇだろうな?」


それに対するシノアの答えは非常にシンプルだ。


「…っ…」

「…ほう?」


最上級の殺意の込められた斬撃。

しかしそれは、いとも簡単にプライドの右手に受け止められ二人は間近で顔を合わせることとなる。


「なるほどな、ソリスが気に入るわけだ。お前ずいぶんいい貌してんな」


口元を三日月型に開き、心底面白そうにプライドがつぶやいた。

それに対しシノアは無言。桜小町に完全に身体を乗っ取られ、意識を失っている状態では返答など不可能だろう。


余談だが、プライドは別にシノアの外見的な顔を褒めたわけではない。


天使と悪魔、双方の属性を兼ね備えた彼は人の内面を見ることを得意とする。

その者が積み重ねた経験、心理的障害ストレス、負の感情、それらが作用し形造られる人の貌…すなわち心の表情。

それは器の強弱、大小、性質を表し、シノアは驚くべきほど見事だったのだ。思わず口に出すほどには。


神が宿る器として。


「さて、俺もイライラしてんだ。軽く憂さ晴らしに付き合えよ」


そういうと彼は自らの翼から羽根を一本引き抜き、右手で握りつぶした。

彼が手を開くとそこには、大振りの鎌が存在していた。


黒いオーラを放ちながらもなぜか神聖的な力を感じさせるそれは、神々の戦いでも用いられたとされる神鎌タナトスだ。

死を司っていたとされる死の番人タナトス、彼の忘れ形見であるそれは彼亡き今でも紅く輝き続けている。

まるでその主人を待ち続けているように。


「いくぜ。少しは楽しませろよ?」


その言葉を置き去りにプライドは動く。


全方向から変幻自在の振り下ろしを行い、さらには回し蹴りまで放つ。

かすめただけで首どころか魂そのものを刈り取られそうな猛攻を、シノアはギリギリのところで躱していく。


上段からの振り下ろしは横に薙ぎ払い、その勢いを利用した回し蹴りは最小限のバックステップで回避、さらには攻撃を捌くついでに若干ではあるが反撃も行っている。

以前のシノアでは考えられないほど洗練された動きだ。

これが彼の実力であればの話だが。


「なーんかおかしいな、てめぇ。まるで動きがなっちゃいねぇ…まるで慣れない器で戦闘ごっこしてる天使みてぇだ」


プライドの言葉通り、シノアの動きは先ほどから覚束ない。

だがそれは、プライドのように達人という領域をはるかに凌駕しているからこそ気付ける、ごくほんの少しの差異だ。

常人ならばそもそもこの戦いを観測すらできないだろう。


しかし、プライドの憶測はシノアと再び刃と合わせたことで確信に変わる。


「っ…」

「なるほどな。わかったぜ、てめぇの正体」


そういうとプライドは持っていた鎌の刃付近の部分を持ち、今までの動きが児戯に思えるほどの速度でシノアに接近し、持ち手の部分をその腹部に突き刺した。


「っ!…」


通常ならば意識を失いかけるほどの痛みに悶絶し、その場に倒れ伏すのだろうがシノアは違った。

なんと、自分の腹に突き刺さった鎌を力いっぱい握りしめると、プライドに喰らいついたのだ。


喰らいつかれたほうのプライドは余裕の表情でシノアの首根っこを掴み、腹から鎌を引き抜くと近くの家に投げ飛ばした。


「ふっ…やっぱりな。てめぇ誰の器に憑依してんのかわかってんのか?」


血の滴る肩を気にも留めず、プライドは投げ飛ばしたシノアに話しかける。

一方シノアは、終始無言だったのがウソのように流暢にしゃべり始めた。


「ふふふ…まさか、貴方とまた会うことになるなんてね」


シノアの顔に合わぬ女言葉、普段優しさを点しているその瞳は今は鋭く氷のような冷たさを含んでいる。

それはかつてシノアと対峙した紅桜を彷彿とさせ、纏う殺気とオーラは彼女に瓜二つだ。


「あぁ、久しいな村正ムラマサ。俺が人間だったころ以来か?」


プライドの言葉にシノアのようなもの―村正はその笑みを深めた。

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