第17話 種をまく主婦

 テニスサークルに行く前に俺は大佐内科へ立ち寄った。


「なるほど、つまりこういうことですな。異世界で同じような道を通れたんだから、現実世界でも通れるようになったと。」

大佐の言葉に俺は頷いた。

「南山さんは義手の実験を知っていますか?机の上に自分の右手と右手の義手を並べて置くんです。本物の手は垂れ幕で隠して見えないようにする。そうして本物の手と義手を同時に同じように触ったりつついたりする。すると理性では目の前にあるのは義手だと分かっていても、義手を自分の手だと錯覚するんです。目で見た情報と感覚がシンクロしますからな。そのあと義手をトンカチで叩くと悲鳴を上げる。痛みまで感じた気がする」

「僕の場合、炎が襲ってくるパニック障害がそもそも錯覚みたいなもんですから、錯覚で消えても不思議じゃないですね」

「南山さんは暗示にかかりやすいんでしょうなあ。何にしろこれで解決の糸口がつかめましたな。異世界であなたは立川でコンサートが開かれる会場まで行ってくればいいのです。そうすればこちらの世界でも行ける」

「ええ、役所に知らせなくて正解でした。出入口を政府に管理されたら、この手段が使えなくなるところでした」

「こっちは赤い実を調べましたよ。アンフェタミンに似た物質が含まれています。いわば覚せい剤ですが、常習性とか毒性は不明です。アンフェタミンは刺激に対して体に耐性ができて、使う量がどんどん増えていくんですが、フェル達は日常的に食っているようでした」

「毒性や常習性がないんでしたら・・・」

「売ればもうかりますよ。なんせ未知の物質なので違法ドラッグではない」

大佐がほくほく顔で言う。

「売る前によく調べてください」

「ええ、誰かで試します」

人体実験するのか。まあそれが一番手っ取り早いけど。

「それでスライムは?」

「水槽で飼ってます」


テニスサークルに行くと事務所にミナミんガールズたちがいた。

いつの間にか椅子が増えてみんなで談笑している。

みんながつまんでいるボール一杯に赤い実があった。

え?

「あの、塩谷さん、それ食ってるんですか?」

「はい、おいしいですよ」

「コーチも食べなよ、めっちゃ元気出るよ」

「いや、動物にもらったモノだから食べるのを躊躇してたでしょう」

「ええ、ばい菌が付いていそうで、だから家に帰ってよく洗いました」

「その実が毒かもしれませんよ。コアラが食ってるユーカリだって毒があるんですから」

「ちーちゃんに食べさせたら大丈夫でした。それどころかすごく元気になって」

塩谷さんのちーちゃんに対する扱いがひどい件。

「・・・それにしても、そんなにたくさん赤い実をもらってましたっけ?」

「いえ、もらったやつは食べ終わったので、さっきミナミんガールズのみんなと行って採ってきました」

「フェル達かわいかったねーー」

「ええっ?!さっき?行ってきた?まじで!あんな危ない目に遭ったのに」

「たいしたことないですよ。交通事故の方がこわいです」

「これ美味しいから花壇に撒こうよ」

「あたし鉢で育てよう」

「団地の空き地いっぱいあるからいいよね」

「あのお、みなさん、特定外来種って知ってますか?」と一応訊いてみる。

「美味しいからいいんです」

「ヒアリとかセアカゴケグモと一緒にしないでよ、ねえ」

団地の主婦の俺ルール、半端ねえ!

「そういえば今日はちーちゃんはどうしました?」

「ここに繋いで異世界に行って戻ってきたらいませんでした。そのうち戻ってきますよ」

「木の実を食って元気になったから、首輪ロープを引きちぎったみたいね」

残っているロープを見た。

ロープは引きちぎられておらず、端が焼け焦げていた。



サンダー(団地近所で飼われているドーベルマン)


気にいらない。

相変わらず少年は俺がつけた小便の後を洗い流す。

だから今日、俺は首輪に付いたロープを噛み切ってひとりで散歩している。

自由だ。

いろんなところに小便をかけて回っている。

道行く人間が俺に出くわすと「はっ」と息をのむ。

俺が恐いらしい。すこし愉快な気分になった。

こうあるべきなのだ。俺は強者だ。

あの団地で俺は変な男に首を絞められた。

今思うと油断していたからだ。あんなことは二度と起きない。

できればあの男と再会して噛み殺したい。

そうするべきなんだ。

俺は団地に向かった。

ただ、どんな男だったかよく憶えていない。匂いを嗅げば思い出すかもしれないが。

まあいい、この団地の奴を2、3人襲えば俺の気も晴れるだろう。


前方に猫がいた。

まだら模様の年寄りだ。

俺はすぐに襲いかかった。後ろ足にかみつく。

じたばた暴れて逃げようとしている。

逃れられると思っているのか、くそ猫。

噛み殺そうとすると、近くでうなり声。

犬がいた。

お座敷犬とかいう、犬仲間では一番馬鹿にされている奴だ。

人間に媚びて、いい暮らしをしてやがるチビだ。

何の力もないくせに、つんと澄ましているのがむかつく。

殺してやろう。いや、半殺しにして犯すか。

想像して俺はちょっとうれしくなった。

強いものが弱い奴を殺す。

これが正しいことだとおれの本能が言う。

俺は猫を離し、チビ犬に跳びかかった。

瞬間チビ犬は消えた。

同時に俺の右耳に激痛が走った。

痛い!痛い!

俺は自分でも聞いたことのない悲鳴を上げた。

振り返るとお座敷犬が何かを咥えている。

あれは・・・俺の耳か。

奴の口からポタリと耳が落ち、そして、、、燃え上がった。

あれは火だ。

人間が使う、怖くて痛い、いろんなものを飲み込んで大きくなる奴だ。

前に家を丸ごと食っている火を見たことがある。

空を赤く染めて怒り狂っているようだった。

人間も大騒ぎしていた。恐ろしかった。

なんでこいつは火を使えるんだ??

めらめらと燃えてケシズミになる耳を見て俺は小便を漏らした。

目の前にいるのはお座敷犬じゃない。火の化身だ。

こいつの動きは見えないほど速い。逃げられるわけがない。

俺は地面に顔を擦り付け命乞いした。

クウーン、クウーンと媚を売った。

どんなに情けないことをしても死にたくない。

殺さないでください。お願いします。

あなたの下僕になって何でもします。



南山友樹(自宅警備員)


「あー、ほら、ちーちゃん戻ってきましたよ」

「ね、大丈夫だったでしょう」

テニスが終わってみんなでネットを片付けていると、やたら姿勢が正しいモップみたいな犬がゆっくりとこちらに歩いてきた。なんでこのモップ犬は強者の風格を出してるんだろう。

ちーちゃんはこちらに来ると俺をじっと見た。

なんだろう、シンパシーを感じる。

もしかしてお前もここを警備していたのか?


 テニスが終わるとミナミんガールズたちは団地の空き地に赤い実を撒いていた。

「その実、種がありませんけど」

「いえ、硬い殻がないだけで種はあるとフェル達が言ってます。消化されにくく、動物や植物が食べると果肉が消化されて種と糞が混じって発芽するそうです」

そういえば中に小さなグミみたいなのがあった気がする。おいしかった。

「ちーちゃんの糞も埋めようっと」

いつか赤い木が団地に繁茂するんだろうか。

こうして大佐が考えていた生体実験は期せずして彼女たちが引き受けることになった。


俺は図書館に本を返しに行った。

カウンターには卵のような頭をした大杉がいた。

俺は借りていた「アニメにおける失恋研究本」を置く。

「いい本でした・・・あなたが書いたんですか。なんで失恋ばかりを扱うんですか?」

「失恋は完成しているからです。シンデレラや白雪姫は王子と結婚してめでたしめでたしですか?彼女たちはあの後、いやな親戚付き合いをして、まわりから『平民の女が』と見下され、子供が生まれ、夫を気にしなくなり、恋愛感情は時とともに死んでゆくんですよ」

「いやなリアルを言いますね」

「一方失恋のリアルは一つの思いをあきらめることで、前に進むことができるんです。そしてかっての恋愛感情は色あせない一枚の絵になります。ポジティブです」

「あなたはそういう恋愛感情とは無縁の人に見えますが。」

「そんなわけないでしょう」

大杉の頭とメガネがきらりと光る。

「一目ぼれ、というのは結局相手の容姿を気に入ったということですよね。主人公の恋愛の始まりとしては、どう思いますか?」

「導入は何でもいいのです。靴に性欲を覚える人もいる。しょせん繁殖行為のきっかけですから」

「あんた恋愛にロマンを感じてるんじゃないのか」

「恋愛を崇高なものとして性欲と分けるのはよくないです。『恋』は『請う』、相手の肉体を欲することからきた言葉です。日本人はもともと『愛』なんて言葉は使わず自然の欲求のまま『恋』していたんです。綺麗なものを好きになって何が悪いんです?花を愛する人間は低次元ですか?むしろ愛さない人間がこわい。・・・誰かに一目ぼれしたんですか?」

「うっ、、、まあ、そうです」

「よい失恋を」

「いやです!」

「くよくよ考えるよりアタックです」

俺はカウンターを離れながら考える。

俺は彼女の顔と横に広がったアトムTシャツにやられたのだ。

これは性欲であって、愛とは呼べないかもと思ったが、大杉によるとどうでもいいらしい。

また会いたいな。会いたいな。会いたいな。



大杉文明(図書館職員)


どうやら南山というあの男は恋をしているらしい。

だが男の失恋はつまらない。

性欲に振り回されている生き物だ。ひっくり返ってじたばたしても、すぐにまた次の女に目が行く。いや、女をゲットしても次の女に目が行く。あなたはいつでもキョロキョロ♪

それよりも女だ。

好きな男にフラれ、目に涙をためて何とか諦めようとするそのけなげな姿を俺は見たい。それを見て、俺も涙したい。その手を取って、

「大丈夫だから!きみにもいずれいい人が現れるから!」

と慰めたい。


だから南山の恋愛対象にはあまり興味がない。

俺が見たいのは、いま南山に思いを寄せている女だ。

いるんだろうか。どんな女だろう。

頭の中をぐるぐる妄想が回る。

書庫の本を整理しながら、デスクの上を見て手が止まった。

そこに緑色の本がある。

あの不思議なバベルの図書館から取って来た本だ。

表紙には意味のないひらがな・・・のはずだった。

「え・・・?」

その文字列は日本語のようだった。

最初からこうだったろうか?憶えていない。

だがその文字が意味するものは、あまりにも今の自分の思考と一致して偶然とは思えない。


「みなみやまともきをめぐるおんなたち」


・・・南山友樹をめぐる女たち・・・だと。

俺は震える手で本を手に取り、めくった。



南山友樹(自宅警備員)


図書館を出てコダマートで買い物をしていると舞がやってきた。

「私を異世界に連れてって」

「えーと、けっこう危険だからなあ」

舞が買い物かごをのぞき込む。

「保存食が多い。行く気」

鋭いな。

「あたしのお金預けてあるから、あたしも買う」

同じものを俺のかごに入れだした。

「わかった、連れて行くよ」

しかたない。俺が知らない間にこっそりついてきて、向こうで行方不明にでもなったら大変だ。まだ俺が監視していた方がいい。

家に帰ると舞にウェーブヒールのマッサージをする。

「んほおおおお、しゅごい」

「変な声だすな、誤解される」

異世界に行く前にちょっとでも強化しておこう。

「お前は寮で晩飯だろう。7時にお山公園で落ち合おう」

「わかった」

舞を帰して、夕食の準備をし、押し入れから裁断機を引っ張り出した。

もう何年も使っていないから必要ないだろう。

ためしにそのへんの広告紙を四つ折にし、裁断機に置いて鉄製のレバーを押し当てぐっと押すと、スパッと切れた。

いい切れ味だ。ゴム製の握り手のフィット感もいい。

俺はドライバーで裁断機を分解し、レバーだけをとりだし。側面にマジックで「虎徹」と書いた。

・・・異世界で使う武器だからエクスカリバーのほうが良かっただろうか。

お袋が帰ってきて、一緒に食事しながら

「今夜異世界に行ってくる」と言うと

「あんたまだゲームとかやってんの」とあきれられた。


午後7時。

公園族のおじさんはまだいない。

飲み物と携帯食と虎徹の入ったリュックを背負った俺は舞と落ち合う。

舞も小さなリュックを背負っている。

俺の頭にはライト付きヘルメット。

「ここから異世界に行くの?」

「うん、ちょっと入り口を開けてくる」

二つの石にパンチを入れ、富士岩の中央に穴をあける。

俺と舞は異世界へと旅立った。

洞窟の中を「おおー」と感心しながら見回す舞。

二人で穴を下る途中、俺は後ろを振り返ってみた。

その瞬間俺は急こう配の傾斜を見上げており、洞窟は滑り台と化した。

「うわあああああああああ」

「なにしてるの?」

舞が走って追いかけてくる。

上り坂を滑り降りる俺は、彼女の目にシュールに映っているんだろうな。

広場まで滑ってごろごろ転がって止まる。

下が草でよかった。公園と同じ土なら泥だらけだ。


「おお、また神様がきた」

フェル達が数匹寄ってくる。俺と舞に赤い実を差し出す。

舞が「すごい、しゃべった」と言いながら赤い実を食べる。「おいしい」

とりあえず挨拶代わりにあの実を出す習慣があるようだ。もう止めるのも馬鹿らしい気がしてきた。

俺も一粒食べる。

うまい、疲れが取れて、感覚が冴える。

フェルの中から一匹が進み出た。腹に包帯を巻いている。

「毒矢を受けて死ぬところを治くれてありがとー。ぼくはレレ」

「あ、元気になったかな」

「もう大丈夫だよ。まだちょっと痛むけど」

完治ではないようだ。

「僕は南山友樹。ここの名前は短いようだからトモと呼んでくれ。友達のトモだ。この子は舞だ」

舞が寄ってきて「トモ」と呼んだ。

お前は「友樹」と呼んでただろう!

俺はレレを寝せて10分ほどウェーブヒールをかけてあげた。

「ほむむーーー」

「どうかな」

「え?あ、、、治ったみたい」

身体を動かしてレレが確かめる。ぴょんと飛ぶと2メートル跳ね上がった。

「というか、前より調子いいよ。すごい」

「ゴブリンとか他の敵はよく来るの?」

「うん、だからみんなケガするの」

「じゃあウェーブヒールを教えてあげる。たらいに水を入れて持ってきて」


「こんなふうにするんだ」

俺がやってみせると、一個のたらいを数匹が囲んで手を入れて練習し始めた。

舞も俺に手を当てて練習している。

いや、それグイグイ押してるだけだよ。

俺はリュックから古平市の地図を出してフェルたちに訊く。

「ええとこの地図がわかるかな。このあたりの地形と似ていると思うんだけど」

フェル達が見てうなづく。

「こっちのほうに行きたいんだけど、何か問題ある?」

フェル達は顔を見合わせる。

「トモ様ならなんの問題もありません。行けます」

よしよし。

「僕たちはいけないけど」

「僕たちなら死んじゃうけど」

問題ありそうだ。

「なんで死ぬのかな?」

「敵がいるからだよ」

「旧支配者たちだよ。魔法で殺されるよ。剣やハサミでぶった切られるよ」

「問答無用で襲いかかってくるよ」

つまり武装した魔法を使える話の分からない連中がいると。

「旧支配者って君たちの神話に出てくる魔物だよね。クトゥルーとかイグなんとかとか」

「うん、クトゥルーとか大物はいないけど、小物がいっぱい」

「やっつけてー」

「おっぱらってー」

「きゅうしはいしゃこわいー」

フェル達が声を上げだした。

「小物ってこないだのマンテスみたいなやつかな」

「そう」

小物どころか中ボスくらいに見えたけど。じゃあクトゥルーってどんな奴なんだ。

「町の境界までは大丈夫だけど、その先はこわいの」

舞がいるから、冒険は控えようかな。大佐が一緒だと銃を持ってるから心強い。

「じゃあ今日は町の境界まで行ってみよう」

俺たちは町の堺をめざして歩き始めた。

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