第16話 異世界からの帰還

午前6時になった瞬間、岩の中央にごそっと音がして穴が開いた。

さすが塩谷さん、時間に正確だ。俺と大佐はその穴に入って進んだ。

「おかしいです、大佐。来るとき確か最初下りでそのあと登ったはずです。だのになんでいきなり登ってるんでしょう?」

「たしかに。それに傾斜がどんどんきつくなっていますな」

「岩が磨いたようにつるつるで掴みどころがないし、これ以上傾斜がきついとのぼれませんよ」

本当にすぐに登れなくなった。

「困ったな。帰れない」

穴を見あげていると、向こうから声がして塩谷さんがやってきた。

「コーチ、先生ー」

塩谷さんは、懐中電灯で照らしつつ、急こう配の斜面をいともたやすく歩ている。

「ああ、無事だったんですね。どうしました」

「坂がきつくて登れないんです」

「え?何言ってるんです。わたしが登ってるんだから、コーチは下っているんでしょう」

「ちょっとそこでUターンして戻ってみてください」

「はい。・・・え?あら、なんで上り坂?あら?きゃああああ」

塩谷さんが背中から滑り落ちてきた。

俺と大佐にぶつかって、三人は転げ滑り、岩の穴から飛び出した。

「あいたた、玉突き事故だ」

ぶうううん

「あ、大佐、穴が消えちゃいました」

「どうやらこの穴はこっちの世界に来る一方通行みたいですな」

「帰れないんですか。でも鍵屋弥四郎は穴から鬼が出てきたと言ったそうですよ」

「この穴を逆走できるくらい強力なやつか、はたまたどこかに別の穴があるんじゃないですか」

塩谷さんがきょろきょろ見回してる。

「なんですか、ここは。まるで団地みたいな・・・まさか異世界?・・・あら、かわいい」

フェル達が集まってきた。

「また穴からきたの?」

「しゃべった!」

「ここに住んでるフェルという種族ですよ」

「おねーさんもお兄ちゃんたちの仲間?」

「おねーさんはきれいで優しそうだから僕たちを食べないよね」

塩谷さんが慈愛に満ちた笑顔で

「もちろん、あなたたちみたいないい子を食べたりしないわよ」

「きれい」と「おねーさん」でフェル達の印象は塩谷さんの中でバク上がりだろう。

しばらく言葉を交わしてフェル達は塩谷さんに早くもなついている。女性のほうが動物を手なずけるのがうまいというのは本当のようだ。ちーちゃんも飼っているからな。


 俺はフェルに話しかけた。

「ここから帰れなさそうだけど、ほかに穴はないかな?」

フェル達は顔を見合わせる。

「えと、教えたらダメなの」

「ダメ?」

「僕たちの役目はここを守ることだから」

なるほど。門番みたいなものか。

「だれに命令されたの?」

「ずーっと昔から。神様から」

俺は大佐にささやいた。

「たぶんあの神話でしょう」

「ふむ、でもあの言い方だと『ある』と言ってるのと同じです。自分たちで探しましょう」

「大佐、お柱公園にはスライムが何匹かいましたね」

「たしかに。あそこに出口があるから、、、と考えられますな。行きましょう」

塩谷さんはフェル達から赤い木の実をいくつももらっていた。

「おいしいよ」「食べて」

さすがに動物にもらったものなので躊躇している。

「塩谷さん、帰れるかもしれません。こっちです」

俺たちはフェルの巣を北に向かった。

フェル達もぞろぞろついてくる。

思った通り、そこは広場で石柱の集まりがあった。

「ここは?お柱公園?本当に古平団地みたいですのね」

「ええ、あっちの世界のコピーみたいなんです」

「たしかお柱公園のスライムはこのへんから湧いてましたな」

六本の石柱に囲まれた場所が石畳になっている。二畳ほどの広さだ。

見ていると一匹のスライムが石畳の隙間にしみこんでいった。

「あそこですかな」

「あの隙間の向こうが僕らの世界ですか?あんな隙間入れませんよ」


 その時広場の向こうで何かが動いた。

「危ない」

俺は塩谷さんを抱き寄せて石柱の影に隠れた。

「ちょっ、コーチ」

塩谷さんが赤面する間もなく何本もの矢が俺たちをかすめる。

大佐もフェル達もあわてて柱のかげに隠れる。

ばばばっと数本が地面に突き刺さった。

一匹のフェルが血を流して倒れている。

顔を出して覗くと広場の端に10人の半裸の男たちがいた。腰に毛皮を巻き、弓に矢をつがえようとしている。あれはゴブリンだろう。

「むううっ」

塩谷さんが怒りの表情で火炎弾を放った。

三発、四発、

同時に俺は地を蹴り、火炎弾と同じ速度でゴブリンたちに向かって走った。

ゴブリンの驚愕に満ちた顔がみるみる近づく。

その最初の顔にパンチを入れると、鼻から上が吹き飛んだ。

火炎弾も同時に到着し5人のゴブリンを巻き込んで破裂し、彼らを火だるまにする。

逃げ出そうとする奴の背中を突き飛ばし、他の奴にぶつかって転んだ二人の頭を蹴ると首があらぬ方向を向いた。

あと二人だ。

塩谷さんも来たので二人で追いかける。

ゴブリンが二手に分かれた。

「左はまかせます」

「はい」

俺が追っているゴブリンは柵を飛び越え北に走る。俺も飛び越えると、平地が広がっていた。水路に畑と森、あちこちに奇妙な形の岩が見える。この辺は俺たちの世界では住宅街だ。畑にはちらほら人間に近いが全身毛におおわれている生き物がいて、こっちを見ていた。ファンタジー小説に出てくる獣人だ。

あまり知らない土地に入り込むのはマズイ。俺は加速して逃げるゴブリンを殴り飛ばした。

「ぎゃ」と叫んでゴブリンが転がった。血を吐いてヒクヒクしている。

俺たちが止まった目の前には石造り平屋の建物があり、毛むくじゃらの獣人たちが集まっていた。小屋の前には箒や籠などの日用品が置いてある。どうやら商店らしい。

「なんだあれ?」

「ゴブリン同士のケンカみたいよ」

フェルと同じく日本語を話している。俺もゴブリンと思われたみたいだ。

「いい服を着たゴブリンだな。どこでその服を手に入れたね?」

ひとりの獣人が訊いてきた。麻の服を着て顔は人間に近いが、顔も手もつやつやの毛なみで覆われ、耳がぴんと頭の上に立っている。なんとなく犬っぽい。

「ええと、あっちです」

俺は来た方向を指さした。

「フェルから?フェル達は服を着ないのに」

なんか面倒くさいことになりそうだ。

「お騒がせしましたー」

俺は痙攣しているゴブリンを抱えてその場を去った。

うしろで

「よくゴブリンなんかに話しかけるわねえ」

「あのゴブリンは知的じゃないか」

と声がする。

ゴブリンは好かれてはいないようだ。いきなり矢を撃つ連中だしな。


 石柱の広場に戻ると塩谷さんもちょうど戻ったところだった。

「どうでした?」

「川に飛び込んだので、火炎弾を浴びせたら川の水が沸騰して、茹でガエルになりました。死んだと思います。それで流れていきました」

こわい。火の玉の威力が上がってる気がする。


 大佐は矢を受けたフェルを治療していた。

リュックに医療道具を入れて来たらしい。

「たすけて」「たすけて」

フェル達が大佐に懇願している。

「矢に毒らしいのが塗ってあるなあ。どんな毒かわからんかね?」

「たぶん黒いヤドクソウの毒」

「ケイレンして死ぬの」

「赤い実でも助からないの」

「うーむ、わからんからこれで」

と言って、フェルにウェーブヒールをかけだした。

「では僕も」

と言って二人でウェーブヒールをかける。

フェル達が「おおー」と声をあげる。

「この人たち旧神だったよ」



しばらくすると、苦しそうにしていたフェルが、やすらかな寝息をたて始めた。

「これ、治ったんですかね?」

「そんな感じですかな」

フェル達が寄ってきて小さな手でぺたぺた触る。

「ありがとう、ありがとう」

感激しているようだ。


 「この盗賊ゴブリンたちには困ってたんだ」

振り返ると俺が抱えてきたゴブリンや他の死体はもう首を斬られ、解体され始めていた。

「おえっ」

塩谷さんがひいている。

ゴブリンは見た目が人間だから、なかなか強烈だ。

「食べるんでしょうか?」塩谷さんが訊いてきた。

「そうみたいです。彼らは肉食獣ですから」

「木の実をくれたのに、、、まあ、無駄なく暮らしてるんでしょうね」



俺たちはさっきの六本の石柱の中に入った。

ゴブリンたちが手を振っている。

サヨウナラの意味ならここが出口で正解なんだろう。

「やりますか?」

「やってみましょう」

そのうちの一本にウェーブパンチを打ち込むと、ブウウウンと羽音がして柱が光った。やっぱりここか。

三人で六本すべての柱にウェーブパンチを打ち込む。

ブワアアアアン

ひときわ高い羽音になった瞬間、足元の石畳が消えた。

「うわ」「きゃ」「おおっ」

吸い込まれるような速さで俺たちは落下した、と思った瞬間着地した。


 そこはお柱公園の石柱の間だった。

朝の清浄な空気がきもちいい。体操をしているおじいさんが一人いる。


「戻った」

「そうみたいですね」

大佐が時計を見る。

「朝の6時40分です」

「あら、急ぎましょう」

ばたばた走り出す塩谷さん。やはり主婦は朝が忙しいのだろう。

お山公園に行くとミナミんガールズたちが富士岩に穴をあけて覗いていた。

「みんなー」

塩谷さんが彼女たちの背後から話しかける。

「あれ、レッドもコーチも先生も。どっからもどってきたの?」

「あとで話すわ。朝食つくらないと」

「安心しました。あたしも会社行く準備します」

「じゃあ、あとでねー」

みんなこちらに手を振って解散してゆく。


「女の人は日常に戻るスピードが早いですね。今まで異世界に行ってたっていうのに」

俺が半ば呆れながら言うと、大佐が

「地に足がついている。悪く言えば非常時でも日常の行動をとってしまう」

「政府に報告すべきでしょうか」

「常識的には、すべきでしょうが、私はもっと探索したい。あなたはどうです?」

「確かに面白そうです。僕が好きなアニメや漫画の世界ですから」

「では常識は捨てて、報告は後回しです。調べるものもある」

大佐はスライムと赤い植物が入ったリュックをポンと叩いた。


家に帰るとお袋が出社するところだった。

「ちょっと、朝帰り?どこ行ってたのよ」

「・・・異世界」

「なに馬鹿言ってんの。色気づいて」

「いや、女とかじゃないよ」

「ちゃんと洗濯しなさいよ」

「・・・はい、いってらっしゃい」

事情を説明するだけあほくさい。どうせ信じてくれない。

玄関をあがろうとすると目の前に舞が現れた。どうせいると思ったが。

「色気づいてどこ行ってたの?」

「異世界だよ。お前は学校に行け」

「わたしも異世界に連れて行って」

「今度な」

舞を送り出し、洗濯をしながら朝食を作る。

冷蔵庫の残り物の野菜を全部切って塩コショウをかけ、ハムとチーズと一緒に少量の水で蒸し焼きにする。

ひとりだと、気兼ねなく男の料理ができる。しかも旨い。

食っていると塩谷さんが言った「茹でガエル」という言葉を思い出した。

茹でたカエルは旨いんだろうか。


午後、お柱公園へ来た俺は石柱にウェーブヒールを打ってみた。

端から順に一本づつ。

うんともすんとも言わない。

やはりここのゲートも一方通行らしい。

でもこれで異世界の行き方と帰り方がわかった。

何人かの主婦がこちらを見ている。テニスサークルの会員だ。俺は頭を下げて挨拶した。

「やあこんにちは、お柱公園は人が少ないと思ったら、今日は結構いますね」

ベンチに座っている人たちを見回して言うと

「昨日からですよ。この先にコンビニができたんです。ドーソンだからパンとスイーツがおいしいですよ」

「ほう、便利になりましたね」

見るとベンチの人たちはコンビニ袋からパンやおにぎりを出して食べている。

うん、ここからでも高い看板が見える。だが俺はこの団地から出られないから関係ないな。スイーツはお袋か舞に買ってきてもらおう。

・・・いや、待てよ。


俺は恐るおそる足を踏み出した。

団地の外に一歩踏み出したが、パニック障害は起きなかった。

俺はドーソンに向かって歩き始めた。

頭の中でかちゃりと鍵の音がした。


おお、団地の外も歩ける!

ここは異世界でゴブリンを追いかけた道だろう。


畑と住宅を横目に見ながら歩き、ついにドーソンの前に立った。

思った通りそこは獣人たちが日用品を買っていたあの店と同じ場所だ。

すごい、新たな攻略法を発見したぞ。

雀躍して俺はスイーツを買うべくドーソンに入り、その瞬間店の中に崩れ落ちた。


「どうしました?」

「だいじょうぶですか?」

昼時なので客が多い。いかん、店に迷惑をかけてしまう。

「救急車を呼びますか?」

「だ、大丈夫ですから、、店の外に出してください。ただのパニック障害です・・・」幻の炎にあぶられながらなんとか声を出す。

店員と客の一人に外に出されてやっと落ちついた。

「あ、ありがとうございます」

男の店員は、混んでる客の対応をするため慌てて店に戻った。

もう一人の女性客を見上げる。

そこに天使がいた。

青い空をバックに心配そうに見下ろしている切れ長の目、長いまつげ、黒い瞳、細くまっすぐな鼻筋に小さな唇。

そして純白のジャケットの下にみえるTシャツ。青地に黒で鉄腕アトムのシルエットが描いてあるが、バストサイズがやばすぎて横長のシルエットになっている。

天使じゃなく女神かよ。

「あ、、もう、、落ち着きました・・・」

うまく言葉が出ない。なぜかその女性の顔に見覚えがあった。

だがこんな美人と会って忘れるなんてあるんだろうか。

今俺はパニック障害とは別のパニックになっている。

顔が赤くなり、手に汗がにじむ。

俺はなんでジャージなんだ。

なんで店でひっくり返ってこの人と出会ったんだ。

恥ずかしい!

「そう、よかった。気を付けて」

彼女はにっこり笑って歩いて行った。俺が行けない『自宅』の外へ向かって。

心の中で、追いかけて名前を聞けと声がする。

いやいや、まずいだろ。いきなりそれは警戒される。

この辺に住んでいるんだろうか?見たことがない。

だが俺は彼女を知っている。

どういうことだ?

また会えるんだろうか?

俺は彼女の後姿が見えなくなるまでそこにいた。

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