第10話 ミナミんガールズ
あれから自宅警備員として団地内をくまなく調査する日が続いた。特に石柱のオブジェは夜になると全部登ってみたが、結果は空振り。ただの長い石のように見えた。そもそも階段状ではない。昼間に団地北の街灯の間隔を歩数で測ると、団地南と同じだった。つまり夜になると団地北側はシーツを伸ばすように空間が伸びていると思われる。そのしわ寄せはどこかに出るんだろうか。
警備の仕事とともにテニスコーチも休まず続けているが、こちらはだんだん忙しくなってきた。特にこの数日、入会申し込みが増えて、4面しかないテニスコートではもう間に合わなくなりつつある。ローテーションを組んでなるべく平等に使えるようにしているがそろそろ限界だ。しかたがないので入会をしばらく断ることにした。
しかもテニスを終えたほぼ全員が俺のマッサージを求めてくる。コートを使えなくても、基礎トレーニングだけやりに来て、マッサージしてくれというので、俺はほとんど按摩さん状態だ。
俺がローテーション表を悩みつつ作っていると、主婦の一人が事務室にふらふらと入ってきた。
「どうしました、渡辺さん」
「やりました・・・コーチ」
「はい?」
「わたし・・・痩せました」
「はい?」
「どんなにやっても痩せなかったのに。今日久々に体重を計ったら・・・」
「いや、塩谷さんたちと毎日コートをあんなに走り回ってたら当然痩せますって」
たしかに前はぽっちゃりしてドスドス走っていたが、この数日で見た目も変わったし、動きもよくなった。この四人はコートに入ると本気のダブルスやってるからな。あの塩谷さんの動きにどんどんついていけるようになっているのが恐ろしい。
「コーチのマッサージのおかげだと思うんです」
「そんなわけあるかい!」
思わず突っ込んでしまった。
「時間があると体を動かすし、食欲はあるのですが、前みたいに無駄におやつをバクバク食うとかはなくなって」
「ああ、暇でゴロゴロしてる方が口寂しくなって、なんか食ったりしますね」
「三度の食事以外は欲しくないってゆーか」
「いいことです」
「マッサージのおかげです」
「なんでだよ」
また突っ込んじゃった。
「あ、あ、、ありがとうございます」
あ、泣き出した。そんなに痩せたかったんだ。
「それは全部渡辺さんが頑張ったからでしょう。マッサージはただの筋肉痛の予防です」
「コーチは知らないからそんなこと言うんです。わたしは昔から太ってて、運動が苦手で、逆上がりもできなかったんですぅ、えぐっ、えぐっ」
「太ってるってほどではなかったですよ。ぽっちゃりくらいで」
「男子達から『デブ、デブ』って言われて、えぐっ、えぐっ」
「あーもう、なんかすいません。元男子で」
「体動かすのが好きになって、体調はいいし、テレビのワイドショーとか嫌いになって、なんであんな頭の悪いもん見て人生を無駄にしてたんだろうってぞっとしたり、えぐっ、えぐっ」
「いや、今まで楽しんでたんなら、テレビに悪いでしょう」
「コーチのおかげで、体も、心も浄化されましたぁ」
あー、こりゃアレだ。塩谷さんと同じちょっと宗教がかった方にいっちゃってるぞ。
でもたしかに一週間かそこらで体形が変わるのは異常ともいえる。俺に言わせると運動量が異常で、そっちのほうが変なんだけど。もともと運動好きってわけでもなさそうだが、なんでそうなった?
「えーと、いま言ったことを誰かに話されました?」
「はい、みんなにどうやって痩せたか訊かれるので、南山コーチのマッサージのおかげですと」
涙を流しながら満面の笑みで答える渡辺さん。
「あんたのせいか!ここんとこ新規会員が増えて、テニスコートのキャパ越えてるんですよ」
俺がローテーション表を示しつつ言うと、渡辺さんは急に真剣な顔になってひざまずき、座っている俺にすがりついた。
「コーチは自分の素晴らしさをちっともわかっていらっしゃらない。コーチのすごさはあまねく世界に知られるべきなのです。こんな4面のコートとか、ローテーション表にしばられるなんて、テレビのワイドショーより愚の骨頂です」
渡辺さんがローテーション表を掴みびりびりと破り捨てた。
「わーーひどい!なにするんですか。すっごい考えて作ったのに」
「こんなもん、いつでも私が作ります。コーチはもっと大事なことをおやりください」
「大事なことって何ですか?」
「布教活動です」
やっばい。もうオブラートも歯に衣もなくなって、宗教色丸出しじゃねーか。
こいつと塩谷さんに教祖にされちゃうぞ。
「・・・嫌です」
「そう言うと思ってました。でもコーチは何もする必要ないんです。私たちが勝手に広めますから。あの素晴らしいマッサージを」
「もう忙しくて、これ以上広められても対応できませんよ」
「だから、わたしたち四人にアレを教えてください」
「ウェーブパンチを?」
「パンチ??」
「あ、いや、その名前はとくにつけていません。波動だと思うのでとりあえず、ウェーブなんとかかなあ、、、と」
さすがに主婦相手にパンチを入れてたというのはDVみたいで外聞が悪い。
「そうですか、名前はあった方がいいですね。では『カタルシス(浄化)ウェーブ』というのはどうでしょう」
「いや、その言葉はマシンマンっていう特撮番組で使ってました。苦情が来ます」
バンッとドアが開いて塩谷さんを先頭にダブルス四人組の三人の主婦が入ってきた。
「大事なお話のようなので参加させていただきますわ」
どうやら外で聞いていたらしい。
入って来るや、塩谷さんは渡辺さんに手を差し出した。
「おめでとう、渡辺さん。あなたは美しくなられた。そして南山様の偉大さを理解できるまでに成長なさったのね」
「ありがとう、塩谷さん」
目を潤ませて二人の主婦が手を握る。
うーん、なんだろう、この置いて行かれた感じ。俺は絶対に自分の偉大さを理解できないから、誉めてもらえることはないな。
「それはそうと、名前ね。・・・ウェーブヒールというのはどうかしら」
「それはいいですわ」
「わたしも賛成です」
塩谷さんの意見にみんなが乗った。
うーんさらに置いて行かれた感じがするぞ。
「あとは私たちのグループ名ね」
グループ名?塩谷さんは何を言ってるんだろう。
「南山様をキリストに見立てて、その偉大さを広める『12使徒』ではどうでしょう」と渡辺さん
おい、ちょっとまて。
突っ込みどころ多すぎだろ。あんたら4人だし、俺キリストじゃないし。
「そうね、12人くらいすぐに集まると思うけど・・・」
そうなのか?
でも12人の中にユダとかも入ってたよね。俺、裏切られて磔になるの嫌だぞ。
「もっとポップでキュートなのがよくない?コーチはアニメ好きだし」
4人の中ではイケイケな感じの主婦の太田さんが口をはさんだ。
「なるほど、南山様はどういった名前がお好きですか」
塩谷さんに急に尋ねられてテンパってしまった俺は思わず
「ア、、、アイアンエンジェルズ・・・」
と言ってしまった。
言った瞬間、まずい!もしこの主婦たちがアイアンエンジェルズを名乗ったら、本物に不敬だ!と思ってしまった俺も何か宗教っぽい思考に取りつかれているのかもしれない。
幸いなことに、俺の返事を聞いた主婦たちは微妙な顔だった。
そこに癒し系主婦の桂木さんが
「では南山様の名前をとって『ミナミんガールズ』でどうでしょう」
と提案。その場にいた全員が賛成した。
よかった!俺の意見は一切参考にされなかった。ちょっと泣いていいかな。
あと、心の中の「君たちはガールではない」という意見は墓場まで持って行くことにしよう。
(名前も含めて)認めたくないが、ミナミんガールズは有能だった。
俺がウンウンと1時間以上考えて作ったローテーション表をものの15分で作り上げた。しかも文句のつけようのないものを。最初は
「こいつら、自分たちに都合のいいローテーションを組むのでは」
と危惧したが、出来上がったものを見ればだれがどう見ても平等。しかも、個人の志向まで考慮されている。うん、こういうのを作りたかったんだ。
認めるしかないな。
俺は四人に笑顔を向けて「完璧です」と賛辞を贈った。
四人はにっこり笑って、もう一枚作成された予定表を出した。
なんだろう。
「カルチャー講座『ウェーブヒールについて』
今日の夜9時から10時まで第一集会場にて
あなたもウェーブヒールができるようになる」
ほほう、こんな講座があるのか。初耳だ。
「講師 南山友樹
受講料 一万円」
いちまんえーん
高くない?めっちゃ高くないすか、これ。いいとこ千円、いや五百円だろ。
「・・・すこし値段が高いように思うのですが」
「コーチはご自分の価値を全く分かっていらっしゃらない!一万円なんて大安売りのバーゲンセールです。本来10万円でもいいのです」
「・・・でも教えたからといってウェーブヒールができるとは思えないのですが」
「コーチは女の美に対する執着を舐めておられます」
なんか言うたびに説教されるんですけど。
「できないのは、できない人に責任あるってことで」
「できなくても、出来るまでやるのです」
「やり方さえ教えてもらえばあとは私たちが何とかします」
あとで金返せって言われたら、こいつらに苦情を押し付けようかな。
「・・・これを今晩やるっていうことですか?」
「集会所が空いているのは確認済みです。コーチが了承さえしてくださればこのままの文面をテニス会員全員に送り、掲示板に告知を貼ります。受講料はそのまま全部コーチにお渡ししますわ」
まじか。少なくともこの四人は参加するから4万円もらえるわけじゃん。すっごい。
ミナミんガールスありがとう。
俺はしばらく考えて
「動きやすい恰好で(ジャージ等)、洗面器持参のこと」
と紙に書き加えた。
午後のテニス指導の時には何人かの主婦たちから「今夜お願いしますね」と声をかけられた。ええ~、一万円出して来る気なの?講座が終わっても、その笑顔でいてくれるといいんだけど、無理だろうなあ。それにしてもみんなよく運動するようになった。社交場を求めてテニスに来ていると思った生徒たちまで、コートが詰まっている時は、柔軟やジョギングをしている。誰もが渡辺さんを見て、自分も痩せようと思ったんだろうか。俺は今夜の講座の宣伝かわりに、マッサージ希望の生徒に次々とウェーブパンチあらためウェーブヒールをかけていく。
「はおうう」
「こ、これえぇえ」
「きくうぅう」
「ア、アンッ」
「いいのぉ」
「おほほ、曲がるぅ、曲がるわぁ」
最近はストレッチも組み込んで、前屈や腕の曲げ伸ばしをしながらウェーブヒールを打ち込んでいる。そうすると、筋肉がほぐれるのか、力が抜けるのか、体の堅い人でもくたっと身体が曲がってしまうのだ。柔軟運動が基礎代謝を上げることから、体の柔らかい人は太りにくいと言う人もいるので、まあ、なんとなくしてあげているのだ。
結局いつものように全員がマッサージ希望だったので、後半はテニスコーチという肩書の按摩さんだった。このうち何人が講座に来るのかなぁ。
夜8時半、夕食を済ませジャージに洗面器を持って集会所に行くとテニスサークルの会員の全員が来ていた。
うわ、予想外の盛況。サークルじゃない人も何人かいる。ざっと50人だ。集会所に入りきらないので、明日もやることにして半分の25人は帰ってもらった。あっさり帰ったのは、少人数で細かい指導を受けたいためと、今日の講座の評判を聞いて、様子をさぐるためだろう。なんといっても一万円はおいそれと出せる金額ではない。俺は嬉しいと言うより、50人から「金返せ」と詰め寄られる自分を想像して少し震えた。
「この肩甲骨をぐるぐる回すのが重要です。腕を伸ばしてぐるぐるよりも、服の肩をつまんだままぐるぐるすると、肩甲骨の奥の筋肉が動きますので。これをやると四十肩の予防にもなります。使っている筋肉を実感できましたか?ではその肩甲骨を動かし、腕から手に力を伝えましょう。」
少なくとも俺が習ったクレイジー先輩の
「こうグワっときて、ヒュっとなって、ボウッだ」
よりは100倍わかりやすく伝えている。
洗面器に水を張り、そこに手のひらをかざしウェーブパンチ改めウェーブヒールを当てる。
ボウッ
瞬間水面に波紋が広がり、細かい水しぶきが上がったかと思うと、振動を含んだしぶきはさらに細かく分かれ、ブワッと霧のような白い煙が手首を包んだ。
オオーッと歓声が上がる。
「それでは皆さん、自分たちの洗面器で試してみてください」
真剣に生徒たちが取り組んでいるのを見るのは気持ちがいい、、、わけがない。
こっちは誰か一人くらい成功してくれないと「金返せ」コールが起こるんじゃないかと気が気じゃない。クレイジー先輩が指導した60人の中でウェーブパンチを身につけたのは結局俺一人だった。
祈るような気持ちで見回りながら個人指導をする。
「そこはこんな感じで」
「もう少し肩を動かして」
全員が集中して洗面器にウェーブヒールを当てている。
なにこの異様な光景。異様な集中力。
集会所の空気が歪んで見えるんだけど。
その時一人の生徒が手を当てた洗面器の水が一瞬蒼く光り、ブワッと水蒸気のような白煙が吹き上がった。
「やったぁ、できました。コーチ!」
え?いま、、水が蒼く光らなかった?
「すごぉーい。どうやったの?」
「えー、なんかグワっとやって、ヒュっときて、ボウッって感じ」
「グワッ、ヒュッ、ボウッね!わかった。やってみる」
おい、それクレイジー先輩の指導じゃないか。そんなんで出来たら苦労は
ピカッ
「できたぁー」
また光った。こんどは黄色い光だ。
おかしい、今までウェーブパンチに色がつくなんてことはなかった。
これも古平団地に働く不思議な力のせいだろうか。
いや、だったら俺にも働くはずだ。
悩んでいると主婦たちが次々とウェーブヒール(カラー)を打ち始めた。
お互いにどうやるか教えあっている。
だいたい「グワッ」「ヒュ」「ボワッ」みたいな言葉で通じているようだ。
そうか、女の人にはクレイジー先輩の説明のほうが通じたのかもしれない。
反省は明日の講座で生かそう。
もう一度自分の洗面器に戻り、ウェーブヒールを放つ。
たしかグワッ、ヒュッ、ボウッだったな。
ボワッ
無色透明の水煙が上がる。
なんだろう。この悲しさは。
もしかしたら無職だから無色とか・・・
ミナミんガールズを見ると塩谷さんが赤い光のウェーブヒールを放って感動している。
「できたあ!南山様と同じことができましたわぁ」
いや、同じではないぞ。俺のは無色だから・・・
あ、渡辺さんが黄色いのを出した。
・・・無色でよかったのかもしれない
これで俺が緑に光ったりしたら、塩谷さんが主役で俺がわき役みたいじゃないか。
だから全然寂しくない。
ないったらない。
結局1時間の講座の中で全員が何かを出していた。うまく出せない人も1度か2度は成功していた。
俺は彼女たちに口が酸っぱくなるほど注意した。
「それがウェーブヒールなのか何なのか自信がないので、人にやるときはくれぐれも注意するように。できればどうなっても構わない人で確かめてから使ってください。あとこの団地の外では効果がないかもしれないと思ってください」
みんな「よくわからないけど、とりあえず了解」みたいにうなずいている。全員がご満悦で帰っていったのには胸をなでおろした。
この成功率はやはり異常だ。団地の力と、集会場に満ちたあの主婦たちの妄念みたいなのが関係している気がする。
みんなが帰ると塩谷さんがやってきて25万円の入った封筒を渡した。
「これ・・・もらっていいんでしょうか」
「当たり前です。私も含めてみんな大喜びでした」
「でも、俺、無色でしたし」
「何をおっしゃるんです。南山コーチあってのカラーヒールです」
「そうです、無色はいわばプレーンです。何味にでもなるんです」
「コーチ、わたしのピンクヒール見てくれたー?」
「わたしのは青でしたわ」
「えーと、では明日は皆さんも指導員として働いてください。収益は山分けにしましょう」
ちょっと自信がなくなったのでミナミんガールズに頼み込む。
お手本は絶対色付きのほうが盛り上がるもんな。うん。
(山分け)と聞いて「やったー」と盛り上がるミナミんガールズ。
やっぱり俺も色が欲しいなあ。
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