ルーシェ②

 周囲の音で聞こえづらいが微かに聞こえた扉が開く音に、私は反射的に顔を上げるとそこに居たのは――


「っ!? アルス殿!」


 黒衣を身に纏った長髪の青年。


 見間違うはずもない、彼アルス殿だ――そう確信した瞬間、氷の様に冷め切っていた私の心はまるで熱に当てられた様に溶けていき、次第にドクンドクンと高鳴り始める。そしてそれはとどまる事を知らず、気付けば私は彼の下へと駆け出していた。

 あぁ、やっぱりあの時、いや、今も尚抱き続けているこの感情は間違いない――私は彼に心底惚れているのだ。


 一度そう認めてしまうと、後はそれに染まるのみと言ったところか、こんな不祥事だと言うのに私の頭は彼の事でいっぱいになってしまっている。


 そういえば、六勇者の一人である《自由の勇者》ジャック・A・ハインツ様が後世にこんな言葉を残したのを『勇者黙示録』と言う本で読んだ記憶がある。


 そう、確か――「恋はミッチ」と――因みに「ミッチ」とは勇者の居た世界で「嵐」と言う意味らしい。


 恋と嵐――全く関連性の無い2つの単語を繋げたこの言葉の意味を当時の私は理解が出来なかった。しかし今なら分かる。


 それなりに戦える力を持っていながらも、破壊を繰り返す黒い怪物の前では力及ばず、その全てを自分より歳下であろうただ一人の青年に委ね、事が済むまでこの隔離された空間で待つ事しか出来ない現状に対しての不安や憂い、そして怒り、そんな負の感情が確かに自分の中で芽生えてた筈なのに、彼を一眼見た瞬間、それがまるで嵐の如く吹き荒れていったのだ。


 成る程、確かに恋とはまさに嵐の如くそ唐突に訪れ、その勢いで余計な念を追い払い、それだけに意識が向いてしまうものであると。まさに今の私にぴったりな言葉だ。


 もしここに妹が居たなら、きっとあの子も……いや、その時になってみないと分からない事を考えるのは遠慮しておこう、ただ、あの子も私と似た所があるから、そうなる可能性は十全なくあるのは間違いないだろう。しかしそれは彼と面識する機会があればの話だが。





 それから彼の下に辿り着き最初に驚いたのは、彼の身体には傷一つ付いていない事だった。勿論、此方に向かうまでの道中で回復魔術か回復薬と言った何らかの方法で傷を癒したのでは無いかとも考えたが、よく見ると身体だけで無く、その身に纏う衣も同様に傷一つ付いていない。ただ一つ、所々に血が付着しているところを除けば。 

 ここまでで察するにその血は彼のものでは無く、彼と戦った者の物であると考えられる。

 彼と戦った者――それは正にこの街グリューセルの街に破壊をもたらした黒い怪物の他にあらず。

 つまり彼は文字通り無傷であの黒い怪物を倒した事になる。


 どうやら私は彼の実力を見誤っていたらしく、無事を祈りながらも、どこか心配や不安を抱いていた私の気持ちは杞憂であった様だ。しかしその事に悲観するは事なく、寧ろ嬉しい誤算だったと言える。



 それよりも先程から当たり前のように彼の隣にいる女性は一体誰なんだ?  


 まさか恋人なのか!?


 私は焦燥感に駆られながらも、あくまで平静を保ちつつ彼に尋ねる。


 リリムと名乗るその女性を偏に例えるなら美しい――それ以外の言葉が出て来ないほどに彼女の容姿は見事に整っており、同性である自分ですら思わず見惚れてしまう程であった。

 そうして私が彼女の事を見つめていると、それに気付いた彼女もまた見つめ返してくる。その表情は何処か私に対してある種の警戒心を抱いている様であった。


 アルス殿曰く、2人は恋仲ではないようだが、見たところ親密な関係であるのは、親しそうに戯れ合っている様子を見るに明らかであり、私は、まるで見せつけるかの様なその様に嫉妬と羨望をしながらも、同時にまだ自分にもチャンスがあるのだと分かり安堵する。


 しかしそう安堵したのも束の間――


「それよりいいのか? こんな所で俺たちと話し込んでて―― 見たところ負傷者の手当てが間に合ってないんじゃないか?」


 そう言い放ったの彼アルス殿の言葉で私は再び背けていた現実と対面する――勿論彼の言うことはもっともであり、治療出来る者より負傷者の数の方が圧倒的に多く、その結果、手当が間に合わず遅れているのが現状である。

 勿論、それを何とかしたいとは思っている。しかし、ろくに回復魔術が使えない自分に何ができるのだろうか。


 そう言えば昔、こんな話を耳にした事がある。

 それはとある村で起きた出来事。その村は土地が良かったのか、そこで育てられた作物は新鮮で美味しいと有名であった。しかしある日、村の付近で大きな地震が起きた。

 その地震はわずか1日を待たずして村を無価値にした。

 村近くの土砂が崩れ、作物はダメになり、塀が壊れた事で魔物が度々現れるようになった。そんな立て続けの不運により村は当然衰退し、退去を余儀なくされた。しかし他に行く宛の無い村人達は何とか村を立て直そうと復興作業を始めた。

 元々作物のお陰で有名だった事もあり、その出来事はあっという間に周囲の人々に伝わったのだった。多くの同情の目に晒される中、村人達は復興作業を続けていた。

 そんなある日、話を聞き付けた吟遊詩人が村にやって来た。吟遊詩人はその悲劇をもとに新しく雲外蒼天をテーマにした詩を創りたいと考え、当事者である村人達に話を聞きに回った。あらかた話を聞いた吟遊詩人は最後に作業を手伝っている1人の子供にこう尋ねた――「今、一番辛いことは何か」と。

 するとその子供はこう答えたそうだ――「頑張れと言う部外者たち」と――。

 これは中と外、当事者と部外者で見える景色の違いから起こる言葉と感情の齟齬を論じた寓話であるらしい。


 私自身、今回の件については決して傍観者で居たつもりは決して無いが、彼等負傷者達程の地獄は味わっては居ない。故に「頑張れ」や「諦めるな」などと言った何の慰めや励ましにもなら無い言葉をかけることなど出来るわけが無い。

 ああ言う励ましで使う言葉は、同じ立場、同じ境遇であればこそ、その真価を発揮するものだと私は思う。

 しかしそれでも象徴と言うものは今回の様な苦境においては、一片の心の拠り所としてはどうしても必要な存在であり、故に王女という身分である自分がやって来た事で、何もせずとも多少なりとも彼等の心を和らげてしまう。

 それが返って、己の無力さを刺激してくる様で、再び嘆いりそうになる。


 そんな思いが顔に出てしまっていたのか、彼は私の方を一眼見ると自分も手伝うと言ってきた。

 しかもそれだけじゃ無く、私がつい反射的に「いいのか?」と尋ねると彼は――


「あぁ、寧ろこの人数くらいなら俺一人で何とかなるよ」


 と、まるで自信ありげと言うか、何て事ない様な感じでそう言い返してきた。


 黒い怪物を退けて見せたその実力もさることながら、彼の言葉を疑っているわけではない。ただ、100を超える負傷者達をたった1人で一体どうやって治療するのかと純粋に疑問に思った。

 流石に一人一人順に治療していくのは時間も掛かる故に無理がある。寧ろそれだった、他の治癒士達と手分けして行った方が早い。ならばどうするのか?


「まぁ見てなって」


 戸惑う私をよそに彼はアルス殿さっそく何らかの魔術の詠唱を唱え始めた。


「《執行者となる我が命じる/癒しの力よ/慈愛の檻となりて/祝福したまえ》!」


 聞いた事のない魔術の詠唱に耳を傾けていると、やがて彼アルス殿の足下から綺麗な翠緑の魔法陣が浮かび上がり、同色の粒子を生成させる。

 粒子が宙へと舞いベール状へ姿を変えると次の瞬間には、まるで優しく包み込まれる様な暖かい風が私の、いや私達の肌を優しく撫でる。


「これは……」


 すると戦闘で負った傷口がまるで時間が巻き戻ったかの様に癒されていき、回復の予兆を見せ始める。

 勿論それは私だけではなく、周囲の負傷者達も同様であり、特に助かるのも時間の問題だと思われていた重症者達ですら、流石に欠損部分は治らずとも、それ以外の致命傷とも呼べる傷の数々をあっという間に癒し、苦悶に満ちていた表情が今では、まるで嘘であったかの様に穏やかなものへとなっていた。


 夢でも見ているのだろうか。私はその余りにも幻想的で奇跡の様な光景に思わず見惚れていた。しかしそれも長くは続かず、翠緑のベールが徐々に空気と混ざり合い消えていくと同時に私の意識も現実へと引き戻されていった。そして、我に帰った時、私はふとある可能性に気付いた。

 それは今この国が抱えている未来を左右する問題であり、未だ民の耳には届いて居ない機密事項――それを解決出来るかも知れない僅かな可能性に――。


「アルス殿!」


 そう、彼の力ならばきっとこの国を――お父様を救ってくれるかもしれない。その可能性に気付いた時には、既に彼アルス殿の下へ詰め寄り、救いを求める言葉を口にしていたのだった。





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 〜ディーティアの観察日記〜


 …………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………可笑しいですね。迷宮をから出てまだそんなに日にちは経っていない筈でしょうに、何故でしょうか、既にリリムちゃん以外の女性の気配がするのですがこれは気の所為でしょうか? ちょっと手が速くないですか? フラグ建っちゃったんですか?

 ま、まあ良いでしょう。何せ私は女神ですから! それくらいの事は寛大な心をもって受け入れましょう。

 それに、どれだけ増えようと私が正妻なのは変わらないのですから! だって私はヒロインで女神ですから! 最強なのです!


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 自由の勇者ジャック 1998年生まれ 23歳

 ルーシェ 22歳


後書き

色々と忙しくて久しぶりの投稿になってしまいました汗(言い訳)


さて、今回の話には、ある作品とある作品の元ネタをオマージュした要素が2箇所あるのですが気付いたでしょうか? 一つは「ワ」から始まる作品で、もう一つが、「カ」から始まる作品です!

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