第23話 ロード―A
事件の翌日。登校しようと準備をしていた
「やめておけ。まだ外は物騒だ。出歩かない方がいい」
「ですが、登校しないという訳にもいきませんわ」
「そういうところが、日本人の悪いところだ。危険を伴わなければ全うできないことなど、するべきではない」
「こちらと日本、どちらの学校にも迷惑がかかりますわ。せっかくお金を出して、あたくしを留学させてくださっているのに……」
「怪我をしたり、死んだりすれば、もっと迷惑がかかる。何より、俺が悲しむ」
「シルヴェール……」
乃述加は彼の言いつけを守り、その日は登校を諦めた。
その日。町は静寂に包まれていた。
だがこのままでは、捜査は進展しない。また、警察が知りたいのは犯行の方法だ。どうすれば胸に綺麗な穴を空け、心臓をくり抜けるのか。そんなことに利用できる道具など、聞いたことがない。
「くそォ! 町全体が疑心暗鬼になっていやがる。これじゃどうにもこうにも進められねぇ!」
噴水広場で吠える警部。そこへ若い警官が小走りでやって来た。
「警部。もう一度被害者の交友関係から洗ってみますか?」
「無駄だ。あの子は留学生、こっちにそれ程深い関わりのある人間はいない。大学の方はすっかり調べたし、これ以上何を聞こうっていうんだ」
「だったら、警部はこの事件が通り魔的犯行だとでも言うんですか!?」
「そうだ」
「あんな複雑な殺し方を、気分で行うと!?」
「そうだと言っているだろう。再度目撃情報がないかあたれ」
叱責され、再び民家に聞き込みに行こうとする若手刑事。だがその時、背後から「うぎゃあああああ!!」と、野太い悲鳴が聞こえた。
恐る恐る振り返ると、そこには胸に風穴を空け、心臓をくり抜かれた警部の遺体が転がっていた。
「う、う、う、うわあああああああああああああ!!!!!!!!!」
今すぐ逃げ出したいが、腰が抜けてその場から動くことができない。
若手刑事は涙目で辺りを見渡した。どこだ、どこにいる。だが見つけてどうする? あんな一瞬で警部の心臓をくり抜いた犯人を見つけて、どうする?
「いい顔だ」
どこかからか声が聞こえた。前には警部の遺体だけ。左右を確認するが、数羽の鳩が歩いているだけだ。それでは後ろ? しかし振り返っても誰もいない。
「どこを見ている」
再び声がする。まさか、と刑事は息を飲んだ。前後左右は全て確認した。それではもう、あと1か所しかないではないか。
ぎしぎしと、壊れたからくりのように音を立てながら、首を上に向ける。
そこには、細長い
「ああ、あっ、あぁぁ」
言葉が出ない。常識を逸脱している。殺人事件の犯人が、人ですらなかったなんて!!
そう、人ではない。それではこいつは何だ?
「もう一度言う、いい顔だ。僕は君のように、絶望に満ちた顔をする人間が大好きなんだ」
鳥男は、ゆっくり刑事に歩み寄る。
「大丈夫。一瞬で終わるからね」
刑事の頭を両手で抱え、身体ごと持ち上げる鳥男。長い嘴を彼の胸に当てる。
そうか、と刑事は理解した。留学生や警部は、心臓をくり抜かれたのではない。まるまる貫かれ、破裂させられたのだ。
気付いた時にはもう遅かった。
ぱぁぁん!
鳥男――ペッカー・ディシナは、刑事らの遺体を広場に放置し、飛び立とうとした。
しかしそこへ、
「ダメじゃない、カロン。死体の始末はきちんとやらなくちゃ。あんまり調子に乗っていると、足元掬われるわよォ」
「ミレディか。君こそ最近調子に乗りすぎじゃないかい? いくら《臣公》のお気に入りだからと言って、好き放題していると、いつか痛い目見るよ」
拍手をしながら現れたのは、大胆に肩と胸元を露出させた女。髪と同じく真っ赤なカットソーが、白い肌に生える。
ミレディ=サンフロントは、ペッカー・ディシナのすぐ隣まで移動すると、彼の羽に指を這わせた。
「この羽、固すぎるわぁ。布団には向かない」
「お前の布団になる気はない」
「もちろん、あたしだってあなたに抱かれる気はないわ。それともあなたは、布団の意味を履き違えた愚か者?」
「どういう意味だい」
「だってぇ今ここであなたは、鳥肉と羽毛にバラされるんですもの」
刹那。ミレディは肘から先だけを《罪人》化させ、ペッカー・ディシナを前後から爪で引き裂いた。悲鳴はなかった。あまりにも一瞬の出来事で、彼は己が崇拝していた絶望の表情を、自分で浮かべることなく絶命したのだ。
「あんまり派手に動く子はァ、上司から嫌われるゾ」
ペッカー・ディシナ――カロンは、そのまま塵芥と化して消えた。
計画の邪魔者を消したミレディは、ある人物に電話をかける。
「こちらミレディ=サンフロント。準備は整ったわ」
『ご苦労。早速明朝、実行に移す』
「了解~。でも本当に、この町にロードがいるの?」
『間違いない。あの人と同じ霊力が、その地から感じられる。あぶり出すぞ』
「怖~い。あんまり乱暴な男は嫌われるわよォ」
『だが、お前は嫌わないだろう?』
「分かってるわね、グランド様。チュッ」
キスの擬音を出すや否や、電話を切られた。連れない相手だ。
「さて、いつまでも家に籠っていなさい。全員纏めて消し炭にしてあげるから」
× × ×
その晩。乃述加はシルヴェールの部屋を訪ねていた。
「どうした。もう消灯時間だぞ」
彼女は扉を閉め、鍵をかけると、シルヴェールの胸に抱きついた。
「大学から連絡が来ましたの。明日、すぐに帰国するようにって」
当然のことだった。留学生が1人、何者かに殺害されたのだ。留学自体が中止にならないはずがない。
「これっきり、あなたと離れ離れになって、もう会えないかもしれないと思うと、怖いんです」
「だがそれが正しいのかもしれない。この地での生活は、君にとって忌まわしい記憶になってしまった」
「そんなことない! あなたがいてくれるだけで、ここでの想い出は、あたくしにとってかけがえのないものになりましたわ!」
乃述加は寝間着のボタンを外していく。何にも覆われていない、小振りな乳房が露わになった。
「抱いてください」
率直に告げる。
「あたくしは、あなたが好きです。想いも、操も、全てあなたに捧げたい」
「乃述加、駄目だ。もっと自分を大切に――」
「あたくしにとって、自分の身体よりも、あなたへの想いの方がずっとずっと、大切なんです」
涙目で懇願する彼女に、シルヴェールは折れた。乃述加の小さな肩に腕を回す。
「今日が永遠に続けばいいのに……」
「あたくしもそう思います。このまま時間が制止すればいい、なんて……」
そんなことを口にしてしまったからだろうか。
この時を最後に、乃述加の時間は動かなくなってしまった。
窓の外から侵入してきた明かりに顔を照らされ、乃述加は目を覚ました。一糸纏わぬ姿で、シルヴェールと同じベッドに寝ている。お腹の奥には、まだ彼の温もりが残っていた。
しかし、どうにも熱い。そして気付いた。外が明るいのは、日が出てきたせいではない。どこかからか、火の手が上がっている。慌てて上着を羽織りながら、窓から覗くと、町が火に包まれているのが見えた。
「シルヴェール!! 火事です、逃げましょう!」
乃述加に揺さぶられ、シルヴェールは目を覚ます。
「まずいな、これは。消防は何をやっている!」
彼は急速に寮生たちを集めると、町外れにある教会まで避難するよう指示した。そこならば多くの人が入るはずだし、木を多く使っている寮に比べれば、燃えないはずだ。
「急げ! 煙を吸わないようにしろ!」
乃述加は彼と手を繋ぎ、教会に向かって走る。思った通り、そこは町のほとんどの人が避難してきていた。
シルヴェールは町長の姿を見つけ、問い詰める。
「何があったんですか!? こんなに火が激しいのに、消防は何をしている!?」
「分からない。電話が繋がらないんだ。まるで誰もそこにいないかのように」
「全員ばっくれたとでも言うのか?」
消火が行われるのか分からない以上、いつまでここにいればよいのだろう。今日は彼と一緒に過ごす最後の日なのに。乃述加は繋いだ手の温もりを感じていた。
「――――最悪だ」
シルヴェールが呟く。彼も乃述加と同じ気持ちなのだろうか。
カーンカーンカーン。どこかからか、そう、鐘を叩くような音が聞こえた。人影が見えたことで、それは足音であったことに気がつく。
「さて……。町のみなさんは、全員お集まり?」
聞き覚えのない、女の声だった。口調がどことなく訛っている。フランス語ではなく、一部英語混じりだ。
この辺の人物じゃない。
乃述加は直感した。
現れたのは、病的な程白い肌をした赤毛の女。
「ボンジュール。あたしはミレディ=サンフロント。あなたたちの中に《ロード》がいるって聞いたから、確かめに来たの」
露出された彼女の胸元に、真っ赤な薔薇の焼き印が光った。
「あたし如きに殺される子は、《ロード》じゃないって判断するわぁ」
その発言を皮切りに、殺戮が始まった。
黒い獣の姿となったミレディは、手あたり次第に、教会に集まった人に手をかける。あちらこちらで血飛沫が上がった。
「ヒィィ!!??」
何が何だか分からない。怯える乃述加を、シルヴェールは抱き締めた。
「大丈夫だ、俺が付いている」
そうだ。彼がいる。だから怖がることはない。
そんなことを考えたのが、悪かったのだろう。
「『打ち』と『斬り』を掛け合わせよ。『我』に背く全てに断罪を。『神の子』殺しの『
シルヴェールの身体から、急に力が抜けた。乃述加を抱き締めていた両腕はだらりと垂れ下がり、彼女に伸し掛かるように倒れる。
「しる、ベぇー……ル?」
返事はなかった。その身体が温かく感じるのは、建物自体が熱せられ、空気が温かくなっているからだ。
あまりにもあっさりとした別れだった。
「イヤ、イヤアアアアアアアア!!!!!!!!」
彼の肩越しに見たのは、巨大な斧と杭を持った、黒い人型の獣。
その瞬間、彼女の中で何かが弾けた。怒りに任せ、自分の身体がどうなろうとお構いなしに、化け物に向かっていく。視界が一転した。気付けば天井を向いている。
「なぁに、まさかこの子が?」
薔薇の焼き印の獣。ミレディが乃述加の顔を覗き込んだ。
「あ、あ、あ。ウギャアアアアアアアアアアア!!!!!」
ミレディの身体が弾けた。
「はァ。何コレ……」
訳も分からないまま倒れていく。
意識が飛んでいた。乃述加は床に倒れたミレディを見下す姿勢になっている。
理解が追い付かない。
ふっと、意識が途絶えた。何も分からないまま、火の海に伏すしかできなかった。
× × ×
一命を取り留めた乃述加は日本『E.S.B.』へ送られ、
「あたくし、これからどうすればよいのですか」
気の抜けた、機械音のような吐露。日本『E.S.B.』本部の総長室にて、彼女は新嶋に問いかけた。
「今更あの事件を忘れろとは言わん。それは無理だろう」
「でも、あなた方はあの化け物のことを世間から隠したいのでしょう?」
そう。対《罪人》研究迎撃機構(『E.S.B.』)や《罪人》については、一般には非公開となっていた。もちろん、事件を全てなかったことにはできない。しかしできる限り内密に処理するよう、政府から指示されていた。表向きは一般人に混乱が生じることを避けるためと言うが、真意は分からない。
「あなた方は守秘義務のために、あの町を歴史から消すおつもりですの!?」
乃述加の怒号に、新嶋は言い返さない。彼女の怒りはもっともだと思ったからだ。
しかし立場上、事件が公になることは避けなければいけない。乃述加には「秘密にしてくれ」と言うのが精いっぱいだった。
そんな時だ。
「なあ嬢ちゃん。俺と一緒に来るか?」
そう提案したのは、総長のデスク脇に控えていた外国人女性。
「例の噂もある。下手な監視を付けるより、俺が育てる方が安全でしょ?」
彼女はそっと、総長にだけ聞こえるように耳打ちした。
「そうだな、それが一番確実かもしれんな」
おしっ、とクリスティーナは手を打つ。
「乃述加ちゃん、だっけ。苦しいだろ。何もかも押し殺して黙っているのは、辛いだろ」
「何を分かったようなこと……」
「乃述加ちゃん。処刑人になれ」
クリスティーナはすっぱりと言い放った。
「は? ……処刑、人?」
「そうだ。俺たちはそう呼ばれている。《罪人》を狩る存在としてな。処刑人になったら、奴らのことをもっとよく知ることができる。それにいつか、仇に辿り着くかもしれない。どうだ」
彼女の提案に乃述加は、
「はい」
迷わず決断した。
「あたくしも処刑人になります。そして、あたくしと同じような思いをする方が生まれないよう、片っ端から《罪人》を処刑します」
クリスティーナは高笑いしながら乃述加に歩み寄り、彼女の頭を撫でた。
「よく言った! 新嶋のオッサン。この子もらってくぜ」
「ああ。君に任せれば間違いないだろう。よろしく頼む」
「おう。乃述加ちゃん、ようこそ闇の稼業に」
乃述加は、表社会と縁を切った。両親にも、自分が生きていることを伝えていない。
この日から彼女は
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