第22刑 銀飾りの秘密―B

 邪庭やにわ乃述加ののかは、アルバート=ブラックの厚い胸板を殴りつけた。


「ふざけるな……。何であの女が!!」


「生憎、おふざけは一切ナシ。先日クリスの部隊に配属された、シャルロット=ロールって女の子、その子の正体が、ミレディ=サンフロントだった。ごめんね、あたしも気づかなくって」


 乃述加は全身から力が抜け、へなへなと床に座り込んだ。


 精気のない彼女を、しょう杏樹あんじゅは心配そうに見つめる。


「どうしてあいつが生きている……。あの時確かに、殺したはずだ!」


「シッ。それ以上は機密事項よ。この子たちの前で、言っちゃダメ」


 乃述加を嗜めるアルバート。


 晶はその『機密事項』について気になったが、きっと組織の末端である自分には教えてもらえないだろう、と口を噤んだ。


 だが、空気を読まない杏樹が、


「何かあったんですか、そのミレディ=サンフロントって女と」


 即座に晶は、彼女を押さえ込んだ。


「ダメですって! そんなこと、教えてくれませんよ」


「だって知りたいし。それに、アタシも晶も、邪庭班なんだよ。知る権利はあると思うな」


 杏樹の意思は強そうだ。


 だがアルバートは、首を横に振る。


「あのね、杏樹ちゃん。この世界には知っていいことと知ってはいけないことがあるの。これはいけないこと……知らない方がいいことよ。やめておきなさい、今の言葉は聞かなかったことにして。何もなかった、いいわね?」


 もちろん、そんなことを言われて引き下がる杏樹ではない。


「聞いたことを聞かなかったことにはできないよ。『あの時』に何があったの?」


 2人が言い合っている間、晶は乃述加が指を押さえていることに気がついた。彼女は何かあると、そうする癖がある。利里りりが死んだ時もそうだった。


 乃述加の左手の薬指には、銀色の指輪が嵌っている。普通ならば、結婚指輪を付ける指だが、彼女はもちろん独身だ。しかし度々、話の中に『彼』と呼ぶ人がいるのは知っている。


 そういえば……。


「(どうして乃述加さんは、あんなにアクセサリーをしているのでしょうか?)」


 晶の中では、そのことに対する疑問の方が膨らんでいた。


 乃述加が全身を銀ずくめにしている理由。聞いたことがなかった。物腰穏やかな彼女とは裏腹な、パンクな格好。幼い外見に反して、どこか不良染みたところがある。


「(その理由くらいは、訊いてみてもいいでしょうか……)」




        × × ×




「その話、乗った」


 部屋の扉が突然開いた。信太しのだ水本みなもとの視線は、そちらへ向けられる。


 乱暴に入室してきたのは、《強欲臣公》戸蔵とくら永人ながとだった。


「前回は暴れたりなかったからな。今度こそ、俺にやらせろよ」


 身体が鈍って仕方ないんだ、と彼はぼやく。


 しかし、信太はそれに反対した。


「駄目だ。お前が動けば、かなり波が立つ。当然、処刑人の頭共も一緒に動く。ロードが見つかっていない今、奴らとの全面戦争は避けるべきだ」


「ハッ! 《暴食臣公》ともあろうお方が、情けねぇ。もう半世紀以上、処刑人とは、やりあっているんだろ? 今さら怖気づいたのか」


「ああ。この私をも恐怖させる人間に出会ってしまったからね。その彼女も、今はもういないが……」


 信太は、百波ももなみ利里のことを、大いに評価していた。


 あれほど血沸き、肉踊った経験はない。だがもったいないことに、最高級のメインディッシュは、既に食べ終えてしまった。


「だが、千瀧ちたき那雫夜ななよに、十谷とおや晶。彼女の遺志を受け継ぐ者は、大勢いる。それらがいつ、我々の力を上回るか分からない。油断はできないさ」


「怖いのか、死ぬのが」


「否定しない。これまでは、死なんてどうでもいいことだと思っていた。当たり前だと……。何人も食い殺した。死ぬこと、殺すことに、意味なんてないと思っていた。だが、いざ自分が死ぬかもしれない立場になった時、初めてそれを怖いと思った。それまで私は無敵の存在だった。その驕りが崩れた今、私は最強ではなくなった」


「しらけるぜ。いつから《罪人》は、人の道を踏み外せなくなった?」


 戸蔵の問いに、信太はもちろん、水本も答えられなかった。




        × × ×




 アルバートの口添えにより、騒動は急速に鎮静した。杏樹に掛けられていたスパイ容疑は晴らされ、ミレディ=サンフロントの全世界指名手配が行われた。


「ふう。こんなものかしらね」


 一仕事終えた彼は、日本に滞在するため、ホテルを探しに行った。乃述加は家に泊まればいいと申し出たが、アルバートはそれを断った。


「あたしは処刑人と《罪人》、双方のスパイだもの。下手にあなたたちと仲良くしていちゃ、どっちに肩入れしているかばれちゃうわ」


「そうですか。確かに、あなたの立場であれば不用意な馴れ合いは危険かもしれませんわね」


「ええ。でも何かあった時は呼んでね。この状況でまともに動けるのは、あたしくらいだもの」


「頼りにしていますわ」


 部屋には再び、乃述加、晶、杏樹の3人になった。


 だが各々ソファに座ったまま、だんまりを決め込んでいる。


 初めに話題を切り出したのは、晶だった。


「乃述加さん、お聞きしたいことがあるのですが……」


「何でしょうか? あたくしの、答えられる範囲であれば」


 彼女は、先程のアルバートとの会話に、晶と杏樹が興味を抱いていることを見抜いていた。知らない方がいいこと。そこに踏み込もうとしている、無謀な好奇心に。


「あの、乃述加さんて、いっぱいアクセサリーを付けているじゃないですか。何か理由があるのかなって」


 どうやら、その質問が飛んでくることは予想外だったらしい。乃述加はくいと首を傾げた。


 その話題に杏樹も身を乗り出す。


「確かに、気になっていました。どうして外見はロリなのに、格好はパンクなんです?」


「えっと……これは話しても良いのでしょうか」


 乃述加が見せた素振りは、決して恥ずかしそうなものではなく、むしろ何かを恐れているようだった。


 なぜなら――


「この銀飾りの秘密を話すには、先程のミレディ=サンフロントのことは避けては通れませんから」


 そう。彼女の過去に、ミレディは密接に関わっていた。


 しばらく目を伏せて思案した後、乃述加は意を決めた。


「やはりあなた方には話しておくべきでしょう。あたくしの、大切な部下ですから」


 晶も杏樹も、身体を彼女の方へ向けた。


 そして昔話に、耳を傾ける――――。




        × × ×




 10年前。フランス。


 当時大学生だった乃述加は、その1地方に留学していた。


「今日からここでお世話になります。市鉢いちはち乃述加です、よろしくお願いいたしますわ」


 深々と頭を下げる。すると、大荷物を抱えた小柄な身体はバランスを崩し、前のめりに転びそうになってしまった。


「おっと」


 そんな彼女を抱きとめたのが、入寮する寮の管理人である、シルヴェール=ヴァスールだった。ヨーロッパ系にしては、少し小柄だ。日本の男性と体格的にそこまで変わりはない。色の抜けた髪と、それと同色のアクセサリーを全身に付けている。外見だけで判断するなら、柄が悪そうだが、実に紳士的な男性だった。


「大丈夫ですか?」


「え、ええ……。ごめんなさい、さっそくこんなお恥ずかしい姿を」


「謝るようなことではないよ。見知らぬ土地に来て、緊張しているんだろう。部屋まで案内しよう」


 シルヴェールが寮内を先導する。


 彼の言う通り、乃述加は慣れない異国の地に圧倒されていた。


 何もかもが新鮮で、何もかもが未知。楽しくもあるし、怖くもある。


「ここが君の部屋だ」


 3階の南側。日当たりのいい、真っ白で小綺麗な部屋だった。


「調度品は1通り揃っている。食事は朝、夕はこちらで準備する。あとは君の自由だ」


「ありがとうございます。何から何までお世話していただいて……!」


「まだ何も始まっていないよ。今日の夕飯は6時から、1階の食堂で。それじゃあ、フランスの生活を楽しんで!」


 1人きりになった部屋で、乃述加は期待に胸を高鳴らせていた。


「あぁ――――。素敵な男性でしたわ」


 当時の彼女はまだ、恋に恋する乙女であった。


 まだ出合ったばかりのシルヴェールに、早くも想いを寄せ始めていた。


「1か月だけのフランス生活。あたくしにとっては、薔薇色の時間になりそうですわーっ!」


 荷物を下ろすと、彼女は「オホホホ!」と奇声を上げながら、踊り狂った。もちろん、他の寮生が何事かと部屋の前に群がっていることになど、気づきはしなかった。




 この寮で生活する日本人留学生は、乃述加だけではなかった。他にも3人いる。しかし彼女は、日本人同士で固まろうとはしなかった。学校から帰ってきてからは、いつもシルヴェールに付き添い、彼の手伝いをしていた。


「乃述加。俺にばかり構っていないで、他の学生とも交流したらどうだ?」


「いいえ。あたくしがいるべきなのは、あなたの隣なのですわっ」


 話を聞かない我がまま娘に、シルヴェールは手を焼いた。しかし次第に、彼の方も乃述加に気持ちを寄せていった。


 留学が終わる1週間前。ついにシルヴェールは、乃述加にプレゼントを渡した。


「これは何ですの?」


「……いいから、開けてみてくれ」


 箱の中に入っていたのは、銀の指輪。


「もしかしてこれは、エンゲージリング!?」


「声が大きい。別にエンゲージでもない。だが――貰ってくれるか」


「もちろんですわ。ねぇ、嵌めてくださる?」


 そう言って、左手を差し出す乃述加。


 シルヴェールは指輪を手に取り、彼女の薬指に嵌める。


「ありがとう。愛していますわ」


 跪いたシルヴェールは、指輪に、乃述加の手に、口づけをした。


「俺もだ。離れていても、君を想おう」


 まるで三文芝居のような、古めかしいシチュエーション。そんなものでも、若い2人を酔わせるには十分だった。




 事件が起きたのは、その翌日だった。その日は学校が休みで、学生たちは好きに町へ出ていた。そんな中、1人が遺体で見つかったのだ。乃述加と同じ大学から来ていた女性だった。


 遺体はどうも様子がおかしい。事故死でないことは明らかだった。しかし、どうやったら心臓だけをくり抜くことができるのだろうか。胸にぽっかりと空いた穴を見つめながら、警察は頭を抱えていた。


 この不可思議殺人が、乃述加の今後の運命を狂わせるきっかけになるとは、彼女自身、気付くはずがなかった。

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