第21刑 お前は誰だ―B

 戻って、日本。


 乃述加ののかの部屋には、先程からひっきりなしに電話がかかって来ていた。


『部長、いい加減に認めてください! あなたの部下に《罪人》側のスパイがいるんでしょう!?』


「何度も言いますが、杏樹あんじゅはそんなことをする子ではありません。これ以上の電話はお断りしますわ」


 電話の相手は、まるでローテーションを組んでいるかのように、代わる代わる動く。共通しているのは、彼らが皆、各部の幹部ということ。すなわち、杏樹の正体を知っている人物たちだ。


「全く、苛々しますわ。杏樹がどんな人間かも知らずに、《罪人》の力を持っているというだけで悪者扱いだなんて――」


 電話を切り、ぼやく乃述加。しかし口を閉じると、彼女の表情は曇っていった。


「乃述加さん、どうかしましたか?」


 不安で尋ねたしょうに乃述加は、


「いえ……。以前のあたくしだったら、同じことをしていたかもしれません。そう思うと、自分が愚かに思えてきましたわ」


「同じこと、ですか?」


「きっとあたくしも、杏樹と一緒にいなければ、全ての《罪人》は悪であると決めつけ、その人がどんな人間だったのかも考えず、ただ殺すだけでしたわ。実際、これまではそうしていましたし」


 そういえば、そうだった。晶は出会ったばかりの頃の乃述加、そして利里りり那雫夜ななよのことを思い出していた。


 あの頃は誰も、《罪人》に肩入れしたり、同情したりなんてことは、考えていなかった。晶が杏樹と闘うことを躊躇った時、利里は怒りを露わにしていた。《罪人》は絶対に許せない、殺すべき存在。そうであると、誰も疑っていなかった。


「駄目ですわね……。罪を憎んで人は憎まず、なんて甘ったれたことを言っていられない世界であることは、十分に分かっているつもりだったのに。《罪人》の全てが悪ではないなんて考えること、ありませんでしたわ」


 罪を犯していない《罪人》を、晶や乃述加は知っている。吉川きっかわ杏樹=ワスプ・ディシナ。そして千瀧ちたき那雫夜=シーエンゼル・ディシナ。以前は《罪人》へと身を落とした時点で重罪だと思っていた。それだけで、殺すに値すると。


 しかしいざ『そうではない存在』を目にしてしまうと、躊躇いが生まれてしまう。あらゆるものを手に掛けることが難しくなってしまった。


「処刑人は人々を守るための兵器。それなのに、こんな感情を持ってしまうなんて――」


 乃述加の苦悩を受けとめることは、晶にはできなかった。今の彼には荷が重すぎた。


「(僕は、誰も責めることができない――――処刑人も、《罪人》も、元は人間なのに。どうして人であることを辞めなくてはいけない?)」




 この時。少しでも彼女の重荷を持つことができていたら。


 そう、晶は後に後悔することになる。




        × × ×




 部下の見舞いに病院へ向かったクリスティーナとエリーナは、愕然としていた。


「嘘だろ、おい――。出来の悪いコメディー映画か、これは?」


 シャルロットが入院しているはずの、『E.S.B.』と協力関係にある、町の小さな病院だ。小さな、と言っても設備は十二分にあり、利用している人は多かったはずだ。


 それが炎上していた。ごうごうと炎が天に向かって伸びている。ショックのあまりエリーナは、車椅子を押す手を放してしまっていた。


「エリーナ! 逃げ遅れている奴がいないか、探すぞ!」


「はい!」


 片手で車椅子を運転するクリスティーナ。2人は真っ直ぐ病棟に向かう。


 現場には、医師や看護師、患者とみられる人が大勢いた。避難はなんとか行われているらしい。しかし、まだ中に残されている人がいるかもしれない。彼女らは救助を急いだ。


 数十分経ち、建物は崩れ落ちた。この時にはもう、クリスティーナたちは中にいた人々を救助し、外に出ていた。


 だが――――。


「おい、シャルロットはいたか!?」


 クリスティーナは声を荒らげる。


「駄目です、見つかりません!」


 エリーナも息を切らしていた。


 そう。《罪人》との交戦によって負傷し、入院していたはずのシャルロット=ロールがどこにもいないのだ。


「まさか炎に巻かれて…………」


「縁起でもないこと言うな。きっとどっかにいるだろ……」


 忌々しそうに焼け跡を眺めていた時、クリスティーナの携帯電話が音を立てた。


 番号は、連絡部のものだ。


「こちら執行部、クリスティーナ=トオヤ。何か用か? こっちは立て込んでんだ、手短にしろ」


『連絡部、チャック=パレットです。こちらも緊急事態です!』


「――――――何だと!?」


 連絡を受けたクリスティーナは、人目につかない裏道へ向かうと、そこで十字架からネオ・ポインター号を取り出した。


 ついてきたエリーナは、鬼のような形相になっている上司に尋ねる。


「どうかしましたか、部長。そんなに慌てて……」


「慌てるよ。行方知れずのオネェさまが、空港で目撃されたっていうんだからな」


 運転席を折りたたみ、車椅子のまま乗り込む。


 続いてエリーナも、助手席に座った。


「しかも行き先はどこだと思う?」


「まさか国外、なんて言いませんよね?」


「分かってるじゃねぇの。あいつ、どうやら日本行きの便に乗ったらしい」


「でもさっき言っていたじゃないですか、あいつは他の仕事が入ったらしいって」


「ああ。でもそのお仕事、もしかしたら俺らとは違うところからの命令かもしれねぇよ」


 そして彼女は、さっきの電話で言われた、ある決定事項を告げた。




「アルバートに、《罪人》側のスパイって疑いが出ている。捕縛部、執行部は、一刻も早くあいつの身柄を拘束しなくちゃなんねぇって話だ」






 空港に着くと、クリスティーナはアルバートの写真を表示したスマホを手に、アジア方面行きの窓口に詰め寄った。


「この男を見なかったか? 写真だとちょっとわかりづれぇけど、茶髪で背の高い、オネェっぽい奴だ」


 スタッフは見るからに困り顔だ。エリーナはフォローするために、政府協力職員であると伝え、捜査させてもらえるよう願い出た。空港の職員に『E.S.B.』について訊かされている者がいたらしく、その初老の男性に連れられ、2人はバックに入った。


 そこで、監視カメラの映像を見せてもらう。


「日本行の便の搭乗者だ。出せるか?」


「はい。日本ですと、今から1時間前ですね――、この辺です」


 画面に映し出された、ロビーやゲートの様子。隈なく、件の男がいないかを探す。


 ……………………。


「ヤロォ、見つけたぞ」


 しっかりと、わざわざ見つけてくださいと言わんばかりに、映っていた。


 間違いなく、アルバート=ブラック本人だ。


 クリスティーナは、画面を殴りたくなる衝動を抑えながら、答えてくれる訳のない相手に向かって問い掛ける。


「お前は今回は、どっちなんだ」




        × × ×




 時と場所は移って、日本。


 とある駅前の、ビジネスホテル。


 その女は、シャワーを浴びた後、艶めかしい肢体をさらけ出したまま、鏡台の前に座った。


「ふふっ。ようやく本来のお仕事に戻れるわ。田舎娘を演じるのって、なかなか疲れるのね」


 派手に、濃すぎるくらいのアイシャドー。まるで歌舞伎俳優の隈取だ。


 唇にも、これまた濃いルージュ。


 病人じみた青白い肌には、チークを入れることでようやく生気を見せていた。


「すっぴんにも自信はあるけど、やっぱりこうした方がしっくりくるね」


 化粧を終え、満足気に女は立ちあがる。


 そして振り返った瞬間――。


「アハハハッ! ここまで顔が変わると、もはや作品ね!」


「!!?? アンタ、どうやって入った!?」


 茶髪の大男が立っていた。気配は一切感じなかった。これまでずっと息を殺していたのか。それとも本当にたった今この部屋に入ったのか。


 女は、その男を知っていた。


「アルバート=ブラック……。まさかアタシを追って来た訳?」


 アメリカ執行部の副部長。かつては若き天才医師と呼ばれていたが、現在は真反対の殺しを生業にしている男。


「ノンノン。あたしもお仕事よ。グランド様と信太しのだ様の命令でね」


「そうか。アンタがお二方の走狗って訳ね」


「ビンゴ! でも感謝して欲しいわ。あたしのおかげで、あなたは表向き死んだことになっているのよ。シャルロットちゃん」


 そう。女の正体は、新しくクリスティーナ=トオヤの部隊に配属された、シャルロット=ロールだった。


「やめて頂戴。それは偽名。アタシにはミレディ=サンフロントっていう美しい名があるのだから。いつまでも田舎娘の名前で呼ばないで」


「あらやだ。本名超イカスじゃない」


 大きな笑い声を上げながら、アルバートはベッドに腰掛ける。


 ミレディは裸体のまま、彼の横に座った。そのまま誘惑するように、身を寄せる。


「この状況で一切取り乱さないなんて、アンタもしかしてゲイ?」


「生憎ノンケよ。でも安心して、別にあなたに魅力がないとかいう訳じゃないから」


「知ってる。アタシほど魅力的な女はそういない」


 自信有り気に言ったミレディは、その勢いのままアルバートを押し倒した。


 相手が抵抗してこないのをいいことに、唇を啄む。


「ちょっとぉ。あたし仕事前に盛る気はないんだけどぉ」


「いいじゃない。こっちはご無沙汰なの。ちょっと付き合って頂戴」


 アルバートはされるがままに、服を脱がされる。


「まぁいいわ。しながらでもいいから、グランド様からの命令を伝えるわね」


「了解。こんなに色気も何もないセックス、初めて」


 事をしながら、アルバートは命令の内容を話す。


「あたしはあくまで、あなたのサポートをするように仰せつかっているわ。明日、信太様が『E.S.B.』に潜り込ませたスパイと落ち合って、情報を貰う。そしてそのまま、《臣公》の皆様の所へ向かうわよ」


「分かった。それで、そのスパイはどこにいるの?」


湯巣鉢ゆすばち山麓の最奥にある、『E.S.B.』日本・捕縛部本部。通称・監獄街」


「聞いたことないわね」


「表には決して漏らしてはいけない、処刑人と《罪人》の街よ。多分組織の人間でも、ごく一部しか知らないはず」


「それで、アタシたちはその街へ向かえばいいの?」


 ミレディが腰を浮かせた、次の瞬間。


「その必要はないわ」


 ざぶり、と肉を裂く音がした。彼女の腹が、熱を帯び血で染まっていく。


 視線を落とすと、腹はアルバートの腕に貫かれていた。彼の肘から先が、人のものではなくなっている。まるで猛禽類の脚のような、獰猛な爪だ。


 ……猛禽類?


「成程……。アタシを病院送りにした《罪人》は、アンタって訳だ」


「あら気づいていなかったの? 言ったじゃない。『表では死んだことにしてあげた』って」


「そうすると、病院に火を放って脱出することも想定内だったの?」


「もちろん。だから予め、防火材を撒いておいて、逃げ道の確保を簡単にしておいたわ」


 ぐふっ、とミレディは口から血を零す。


「アタシは見事にアンタの掌の上で踊らされたってことね。ふざけた真似を……」


 腹部に突き立てられた爪を剥がすため、ミレディは無理矢理腰を捻った。肉が裂けてますます血が溢れる。その勢いのまま、アルバートとの交わりも解いた。


「そんな千切れかけの身体じゃあ、もう長くは持たないわね。でも安心して。一瞬であたしが殺してあげるから」


 アルバートは、完全に《罪人》へ姿を変化させた。


 それを見てミレディはほくそ笑む。


「くふふ……。このアタシを誰だと思っているの? 薔薇魔女のミレディとは、アタシのことだよ!」


 彼女が吠えるや否や、その左の乳房に、真っ赤な薔薇の刻印が浮かび上がった。するとみるみる腹部の傷は再生していった。視認はできないが、中の臓器も同様だろう。


「《重罪人の焼き印》……。それが、あなたがブラッド=O=グランドのお気に入りになった訳ね」


 例え《臣公》の器でなくとも、《重罪人》の力に上り詰める者が、稀に現れる。その者の身体に現れる模様を、《罪人》たちは《重罪人の焼き印》と呼んでいた。信太美子みこ水本みなもと作楽さくら、そしてその協力者が行おうとしていたのは、この焼き印を人工的に与えることだった。


「アタシの再生能力は、《臣公》の方々をも上回る。その上、己の肉体だけでなく、他者に霊力を与えることで他人の身体も再生させることができる。まさに最高の癒しの力ってやつよ」


「あなた本当に《傲慢》の眷属? 《色欲》の間違いではなくって?」


「アタシをただの娼婦と思うなよ! 己の色香は道具でしかない。自分の身体も、精神も、運動神経も! 全てを駆使して、アタシは己の勝ちを高めていくのさ!」


「成程、これは確かに《傲慢》の眷属だ」


 ゴガァァン! 肉体の再生を終えたミレディは、生身のままイーグル・ディシナの懐に飛び込んだ。まだ《罪人》の姿へ変化していないにも関わらず、ものすごい力だ。


だが――。


「その力に選ばれたのが、あなただけと思わないことね」


 イーグル・ディシナの額に、青い薔薇の刻印が浮かぶ。


「青い薔薇!? そんな、まさか――」


「最上級のグレード。あたしの前では、赤い薔薇なんて無力に等しい」


「何なんだよ……一体、お前は誰だ!!??」


 相手の力が危険と判断したミレディは、アルバートから距離を取る。そして全身を暗黒の毛で覆われたレパード・ディシナに変化させた。


「誰って、あたしはアルバート=ブラックさ。それ以上でも以下でもない」


「ふざけんな! そういうことが聞きたいんじゃねぇ! 青い薔薇の持ち主なんて、十谷・・達哉・・以外に聞いたことがねぇぞ!?」


 その名を耳にした瞬間、イーグル・ディシナは全身の毛をピクン! と逆立たせた。瞳が揺れ動き、焦点がぶれる。


十谷とおや達哉たつなりですって……?」


 彼の様子を見て、レパード・ディシナは「しまった」と口元を抑える。


「あっちゃぁ。もしかしてこれ、誰にもばれていなかった? 後でブラッド様のお仕置きは免れないなァ」


 口調は嫌そうなのに、恍惚の表情をしているのだから、矛盾している。きっと表情の方が本音だろう。


「ちょっと。その話、もう少し詳しく教えてもらえるかしら」


 詰め寄ろうとするアルバートだが、動揺が大きいため、脚が震えて上手く踏み出せない。


 その隙を見たミレディは、


「ふふっ。信太さまの走狗は、監獄街にいるって話だったわね。それじゃあね、アルバート=ブラックさん。アデュー」


 窓を蹴破り、どこかへと姿をくらましてしまった。


 1人部屋に残されたアルバートは、姿を元に戻すと、さっきの彼女の言葉を反芻する。


「十谷達哉ですって……? まさか、そんなことがあり得るはずないわ……」


 そう繰り返し己に刻み込んだ。しかし、どうしても受け入れることはできない。


 だってそれなら、十谷クリスティーナが知らないはずがない。


 十谷達哉が《罪人》だったということを。


「冗談じゃない。すぐに乃述加ちゃんたちと合流しましょう」


 衣装を整えると、アルバートはすぐに、ホテルの部屋から飛び出した。

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