第21刑 お前は誰だ―A
あれからまだ1週間も経っていないはずなのに、もう半年は経過しているかのように思える。
《強欲臣公》
あれから、《罪人》は出現していない。パタリと途絶えてしまった。
従って、あの日から1度も、晶は戦っていない。それは彼にとって幸運なことだった。1日の大半を放心状態で過ごしており、このようなコンディションで戦闘になったとしても、仲間の足を引っ張るだけだ。
「母さん、もう直ったでしょうか……」
ベランダから空を仰いで、つぶやく晶。
「そんな簡単に直ったりはしないでしょう。きっと、人間の身体よりも繊細で脆いですわよ、アレ」
隣で煙草を吸っていた乃述加も、どこか心ここに在らず、といった感じだった。
「アメリカにどのような技術があるかは分かりませんが、彼女も言っていた通り、アレは本来外に出回ってはいけない、超厳重秘密なもの。そう易々と直る訳がありませんわ。それに――」
それに? と晶はオウム返しで問う。
「この前の戦いにより、あの技術は、処刑人の代替機械の存在は、《罪人》側にも知られてしまいました。これ以上の流出を防ぐ、また失態を犯したクリスを咎めるといった意味で、修理が行われない可能性もあります」
乃述加の無慈悲な推測に、晶は声を張り上げた。
「そんな、酷いです! 母さんは自分の身体を省みることなく、必死に戦ったのですよ! それなのにそんな仕打ち、あんまりです」
「何もあのまま生きろ、ということはないでしょう。身体が半分ないあの状態では、戦闘はおろか普通の生活すらままなりません。通常の義手、義足程度ならつけてもらえるはずですわ。それに、『E.S.B.』の方だって、彼女ほどの人材をそう簡単に手放したりはしないはずですわ」
それは結局、クリスティーナを道具としか見ていないのではないか、と晶は反論したくなった。しかし乃述加も、そう返ってくることは読めていたのだろう。答えを先回りした。
「所詮、あたくしたち処刑人は、皆道具。《罪人》を駆除するための、意思を持った武器にすぎない。個々人の人権を尊重しろというのは、無理な話よ」
「でも、
「あれは、例外中の例外ですわ。まぁ、同級生が来たことは驚くようなことではありませんが、あんな『E.S.B.』の幹部が、1執行部員の葬儀に顔を出すなんて、とても珍しいことですのよ」
「どうして、先輩はあんなに慕われていたのですか?」
まだ長い煙草を床に押し付け、新しいものに火をつける乃述加。
「あなたも聞いたでしょうが、あの子は幼い頃『E.S.B.』に保護され、以来ここで育ってきた。局長らも、自分の娘のように可愛がっていましたからね。それに、あの若さで《罪人》の討伐回数は世界トップレベル。さらには先日行った監獄街の創立にも関わっていますから、功績が大きすぎたのですわ」
そう聞くと、改めてあの時失われたものが、大きいものであったのだと気づかされる。今更になって尊敬したところで、意味はないのだが。
ガラリ。ベランダの戸が開いて、そこに背をもたれていた晶は、後ろに転がった。
「痛いっ。……杏樹さん、どうかしたのですか?」
戸を開いたのは、吉川杏樹だ。彼女は一瞬、晶へ向かって恍惚の表情を浮かべた。しかしすぐに乃述加の方へ向き直り、右手に持っていた電話の子機を差し出した。
「局長さんからです。大事な話があるとか」
「ありがとうございます」乃述加は受話器を受け取り「お電話変わりました。邪庭乃述加ですわ。――はい、ええ……。えっ? はい――分かりましたわ。十分に注意します」
電話を切ると、彼女は何か焦ったように立ち上がり、家の戸締りを確認しに行った。
「何を話したのでしょうか?」
「分からないけれど、焦っているみたいだったね」
リビングに戻ってきた乃述加は、2人に中に入るよう言う。
3人はソファに腰かけ、向かい合うと、今の電話について話し始めた。
「どうやら、我々は1本取られたようですわね」
「どういうことですか?」
「局長が言うには、確かな情報筋から入った情報で、この『E.S.B.』内に裏切り者が存在する、ということらしいですわ」
「裏切り者!? どうして、そんなことを……」
乃述加は、吸い始めたばかりの煙草を捨て、新しいものを咥えないでいる。本当に緊急の話なのだろう。
「彼が頼みにしている、情報屋から持ち寄られたそうです。なので、かなり信憑性は高いかと」
「そんなに有能な奴なんですか?」
「ええ。あたくしも詳しくは知りませんが、世界各国の『E.S.B.』重役から頼られているそうですわ」
ただし、これも漏らしてはならない、重要な機密だそうですわ、と乃述加は付け加える。外部どころか、内部の人間にも知らされることのない存在。晶や杏樹のような下っ端には知り得ることのない人物だった。
「それで。その裏切り者っていうのの、検討はついているのですか?」
杏樹は怪訝そうな顔で尋ねる。
途端に、乃述加の表情が曇った。
「杏樹さん……。実は、あなたにもその疑惑がかけられています。これからはなるべく、活動を控えてくださいませ」
その話を聞いた瞬間、杏樹の顔の筋肉が強張った。いかにも、納得できない、といった表情だ。
「どういうことですか、どうしてアタシが疑われなくちゃいけないんですか!?」
「もちろん、あなたが《罪人》だからですわ」
反対に、乃述加は無表情に近く、淡々と述べていく。
「局長はあなたを信頼し、あたくしに預けてくださいました。しかし、あなたのことを快く思っていない局員が多数いる、というのも事実ですわ」
「待ってください。杏樹さんが《罪人》だということは、『E.S.B.』に知れ渡っているのですか?」
挙手して質問をする晶。
「当然ですわ。あなたたちのような下級局員ならまだしも、幹部には説明がされています。万が一この子が敵に回ったら、責任を取らなくてはいけませんから」
それはつまり、杏樹を処刑するということ。
彼女自身は、その説明で合点がいったようだった。
「なるほどね……。アタシはまだ完全に信頼を得られていないって訳だ。むしろ、獅子身中の虫って思われてたんだ」
口元や声は笑っているが、瞳には闇が宿っている。人間とは異なる、漆黒が渦巻く。
晶は改めて、彼女が人ではないのだと感じた。《罪人》に身を落とした杏樹には、どうしてもズレが生じる。
「安心してください。杏樹さん、あなたは必ずあたくしと晶が守ります。可愛い部下を、絶対に傷つけさせやしません」
「別に傷つくことは怖くないです。死にたくはないけれど……。ただ、これだけは言わせてください。アタシは裏切ってなんかいない」
「そんなこと、あたくしたちが一番分かっていますわ。あなたは、『E.S.B.』を裏切って《罪人》側に付くような子じゃない。ただ、そうなってしまうと――――」
乃述加の額には、脂汗が浮かんでいる。それだけの緊急事態ということだ。
彼女の言葉を、晶が引き継ぐ。
「『E.S.B.』の中に、他に《罪人》が潜んでいる、ということですか?」
「その通りですわ。まったく、上層部は何をしているのかしら。《罪人》を複数人、組織の中に招き入れてしまうなんて――――」
晶と杏樹は、眉を上げた。複数人? 裏切り者が?
「どういうことです? 1人じゃなかったんですか!?」
「ええ。情報屋によると、最低でも2人はいるそうですわ。同じ国なのか、別々なのか、そこまでは分かりませんが…………」
「ちょっと待ってください。その連中が《罪人》であるのは、先天的ですか? それとも後天的?」
つまり、杏樹と同様に《罪人》として覚醒してから『E.S.B.』に入ったのか、『E.S.B.』に入ってから《罪人》として覚醒したのか。それで表現の仕方が変わるだろう、というのが彼女の指摘だった。
「そこまでは分かりません。ですが先天的だった場合、裏切り者というよりもスパイですわね」
「だったら厄介ですよ。ただの下っ端クラスが、そんな大役を任されるはずがない。少なくとも、先日の男と同じくらいの実力はある」
マンティス・ディシナ=
「警戒態勢は解けませんね」
「うん。私も、疑いを晴らさなくちゃ」
「ですが2人とも。ここから先はあなたたちの領域外になるかもしれませんわ。あまり言いたくはありませんが、下っ端の出てくる枠ではないですから」
乃述加は上司として、冷たい言葉を放った。晶と杏樹の実力は、誰よりも分かっている。2人は強い。処刑人になって半年とは思えないくらいの力を身につけている。だがそれでも、この問題に関わらせる訳にはいかなかった。ここから先は『E.S.B.』の深部に関係することになる。そこまで踏み込ませることはできない。
だからこそ。もしもの時は、深部に関わることのできる自分が、全ての泥を被るつもりだ。
大切な部下を、これ以上失いたくないから。
× × ×
場所は移って、アメリカ。『E.S.B.』執行部のオフィス。
車椅子を片手で器用に運転しながら、十谷クリスティーナは口調を荒げていた。彼女の身体はまだ完全に直っていないが、最低限の日常生活ができるように、義肢で補助されている。
「帰って早々に大忙しだな! ったく……俺がいない間にこんなことになるなんて……」
報告書や写真をデスクに並べ、実際に現場にいたエリーナ=カルマスに確認を取る。
「本当にその敵は、猛禽系だったんだな!?」
「はい。形状から推測するに、イーグル・ディシナと見て間違いなさそうです」
イーグル・ディシナ。その名前を聞いて、クリスティーナは頭を抱える。
「あのヤロォ……まさかこんな手に出るとはな。流石に強引すぎるだろうが」
「部長? もしかして《罪人》の正体をご存知なのですか?」
「いいや、知らねぇよ。でも死人が出ていないってこたぁ、そっか……」
唇を噛み締める部長を、エリーナは怪訝そうに見つめる。
「それで。病院送りになったのは、シャルロットだけでいいのか?」
「はい。他は全員退院。――というより、傷の割に重症者がいなかったんです」
その話を聞いた瞬間、クリスティーナは「なるほど」と呟いた。彼女の一言に、エリーナは首を傾げる。
「あの、部長――」
エリーナが尋ねようとした、その時だった。ピロリン、とクリスティーナの携帯電話が音を鳴らした。画面を点けると、メールが1通届いている。内容を確認し、彼女はニヤリと口角を上げた。
「笑わせてくれるな……」
「何か、書いてあったんですか?」
不安げな顔をしている秘書に、執行部長は画面を見せる。そこには、簡素な文字が並んでいた。
『CR=MS kill』
何かを殺せ、それだけだ。
「送り主不明のメールだ。どうだ、面白いだろ?」
「こんなものを面白がるのは、あなたとアルバートくらいです」
「そのアルバートはどこ行きやがった?」
「分かりません……。彼、しばらく姿を見せていなくて」
部下の近況を聞き、クリスティーナは鼻で笑った。
「なるほどぉ。あのオネェ野郎、別のお仕事が入ったって訳か」
「別の仕事、ですか?」
上司の言っていることにピンと来ず、エリーナはますます不安になった。
それにしても、クリスティーナの笑顔は凶悪だった。《罪人》たちをも怯えさせる、最強の処刑人の1人。にも関わらず、今の彼女の表情は、悪魔そのものだ。
「エリーナ。病院に行くぞ」
「えっ?」
「え、じゃねぇよ。シャルロットの見舞いだ。怪我をした、可哀そうな御嬢さんのな」
彼女自身が最も入院するべき身体なのではないか。エリーナはそう言いたかったが、今下手な口を利くと殺されるような気がして、黙っていた。
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