第20刑 満たされない一角獣―A
足りない。喉が一向に潤わない。
この渇きは、かつてよくやっていたように、人間を
「まずはあの小娘だ……! オレが失敗するはずがない。殺し損ねるなんて、以ての外だ。今度こそ必ず仕留めてやるよ――」
彼の頭に浮かぶのは、戦ったばかりの少女の顔。どうやら5年前、部下と共に放火をして遊んでいた際に、彼女だけ殺すことを忘れてしまっていたらしい。
「それからあのクソババアどもだ。オレに恥を掻かせたこと、後悔させてやる」
彼が独り、部屋で不気味な笑みを浮かべていたところ、ドアがノックされた。
「誰だ」
返事の代わりに扉が開く。入室してきたのは、暴食の《臣公》
「随分と気合が入っているみたいだね、戸蔵」
「何しに来やがった。生憎、今オレは処刑人どもをどう殺すかで頭がいっぱいなんだ。女に構っている暇はねぇぞ」
「悪いが私も君と遊ぶつもりはない」
だったら茶々入れるんじゃねぇよ、と戸蔵は内心毒づく。
「結局用はあるのか、ないのか」
「あるから来た。あなた、強がってはいるけれど、まだ完全に肉体が回復していないのでしょう? 処刑人との戦いで、満足に《重罪態》にもなれないなんて。焦らないで、もっと休んでいればよかったのに」
「やりたいことは挑発か? だったら今すぐ失せろ。オレがお前に対する殺意を抑えられなくなる前にな!!」
君では私に勝てないよ、と信太は戸蔵を挑発する。
いよいよ戸蔵は爆発した。
「このクソババア!! 今すぐぶっ殺してやる!!!」
黒煙に覆われた戸蔵の身体が、要塞のような怪物、アームドライノス・ディシナへと変貌。しかし彼の繰り出した拳は、人間態のままで受け止められた。
「手負いの私相手ですらこのざまだ。君は本当に、自分が全快したと思っているのかい?」
アームドライノス・ディシナの腕を掴んだまま、信太はドラゴン・ディシナに姿を変える。彼女の背後から出現した龍のオーラが、相手の腹部を顎で捉えた。
「うぐぅあっっ!」
黒曜石のような牙に噛まれ、アームドライノス・ディシナは床に拘束される。
「この程度の力で
「放せ!! オレは強い。この世に存在する何よりも! 全てをオレの前に跪かせてやる!」
「やれやれ。君は強欲よりも傲慢に近いな。代わりの《臣公》を探した方がいいかな」
「黙れ黙れ黙れェェェェェェェェ!!! お前もこの手で叩きのめしてやる!」
盛大に吠える戸蔵だが、龍の
「今の君は実に醜い。見ていられないよ」
ようやくドラゴン・ディシナは、彼の肉体を開放した。2人は人間態に戻る。血を吐きながら悶え苦しむ戸蔵に向け、信太はある道具を差し出した。
「君に良いものをあげよう。使うといい」
「グルーガンだと? 大人しく部屋で工作でもしてろとでも言いたいのか?」
拳銃に似たそれを渡された戸蔵は、非常に腹を立てた。こんなもので一体どうしろと言うのだろうか。
「違う違う。これは新型の注射器だよ。オリヴォ博士から借りてきてあげたよ。物は試しだ、実際に使ってあげよう」
まるで本物のグルーガンのように、信太は濁った色をしたスティックを、注射器とやらに装填した。そしてそれを、はだけた戸蔵の胸に突き付ける。
「何のつもりだ」
「お薬の時間ですよ」
引き金を引くと、スティックは高速で溶けていく。そして道具の先端から流れ出した蝋が、少しだけ戸蔵の胸を這った後、彼の体内に吸収されていった。
「熱ッ! 何だこれは」
「この薬には、細胞の再生速度を上げる力がある。まだ不完全な君の肉体を、ものの数分で元通りにしてくれる、魔法の薬さ」
彼女の言葉通り、己の肉体が力を取り戻していくのを、戸蔵は体の奥底から感じた。
「成程、これはなかなか……。これなら《重罪態》になることもそう難しくない。奴らのことも簡単に捻り潰してやれる――――ッ!」
「おめでとう。だが相手が相手だ。調子に乗ったりはしないようにね」
「分かっているさ。見ていろ、オレが最強であることを証明してやる」
満面の笑みを浮かべながら部屋を出て行った戸蔵。その後ろ姿を見て、信太は舌なめずりした。
「死なない程度に頑張れよ」
× × ×
《罪人》出現の通報を受け、現場に急行した乃述加、クリスティーナ、
彼女らが目にしたのは、再び無差別に人を襲っている、アームドライノス・ディシナと、その配下であるユニコーン・ソルジャーだった。
「杏樹さんは下がっていてください」
彼女を庇うように前に出た晶だが、その手は退けられてしまう。
「私なら大丈夫。今度は恐れたりしない、ちゃんと戦う!」
その言葉が嘘だということは、誰もが即座に理解した。声が震えている。それに言葉遣いも、杏樹が自分を取り繕っている時のものだ。余裕がないことが窺える。
それでも勇気を出して立ち上がったのだ。彼女の決意を無下にはできない。
「行くぞ、お前ら。あのクソ野郎をぶっ殺す!」
クリスティーナの宣言を受けて、4人は横1列に並んだ。
『エグゼキュージョン システム ブート!』
『エグゼキュージョン システム ブート!』
『ネオ エグゼキュージョン システム ブート!』
『モア エグゼキュージョン! オーバーキル!』
十字架から照射されたホログラムを、それぞれが纏う。処刑人たちは、敵に向かっていった。《罪人》たちもこれに気が付く。
「ようやくお出ましか。待ちくたびれぞ。さぁ、今日こそ貴様らを血祭にしてやる!!」
血走ったアームドライノス・ディシナの目を見て、クリスティーナは何か異様なものを感じた。
それが具体的に何かは分からない。だが間違いなく、前回とは違う。
「お前ら気を付けろよ……。乃述加、お前が主体で動け。俺と晶は、弾が
指示を出すや否や、クリスティーナは地面を蹴った。一瞬で《罪人》に詰め寄り、その胸に拳を叩き込む。
乃述加は十字架に嵌め込まれている、コスチュームストーンを取り換えた。
『ドレスアップ! スナイパーコスチューム!』
遠距離用のライフルを構え、1弾1弾無駄にしないように、正確に相手に当てていく。
しかし――。
「どうして!? 対《罪人》用の特注弾ですわよ!」
「その程度の攻撃で、弱るオレではない!!」
格闘していた晶とクリスティーナを跳ね除け、戸蔵は力を溜め始める。
禍々しい黒煙が、彼の左腕と両肩、胸に纏わり憑く。
「『夜景に望む街灯りは、腐乱死体の焼却炉を含む』」
「ッ! まずい、晶! こいつから今すぐ離れろ!!」
クリスティーナが忠告した、その直後。
アームドライノス・ディシナの姿が変化した。両肩は、これまで以上に大きく伸び、まさしく城塞の如く。胸からも刀のような、棍棒のような、猛々しい角が生える。そして左腕は犀の頭骨を模した、超巨大な鎧に覆われていた。
「《罪状》…………。それがお前の《重罪態》か!!」
《重罪態》とは、高度な能力を所持している《罪人》が己の肉体をさらに変貌させた状態である。その力を使いこなす者は、《罪状》と呼ばれる意味を為さない詩を読み上げ、罪の感情を高ぶらせる。
嫌な予感はこれだったのだ。まだ古傷の癒えきっていなかった戸蔵永人の力が、完全に復活していた。
「ああ、これだ……。この懐かしい感覚。腕を失っていたこの5年の間は一切味わえなかった。やはり完全な肉体ほど、心地よいものはない!!」
アームドライノス・ディシナが動く。それはあまりにも一瞬だった。動いた、とは感じられない。消えた、そう思えた。
「キャアアア!!」
「乃述加ァ!」
真っ先に襲われたのは、乃述加だった。一々銃撃を仕掛けてくる彼女が、鬱陶しかったのだろう。ライフルを叩き落とし、小さな身体を宙に舞わせた。
次に晶。オーバーキルモードでも反応できないくらいの速度で、猛攻を仕掛けてきた。
「コノ…………ッ!! 負けるかぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
脚を振り上げ、踵から生えた棘で敵を傷つけようとする晶。しかし、分厚く堅い装甲に阻まれ、少しも通りはしない。
「処刑人どもの新兵器とやらも、大したことないみたいだな」
アームドライノス・ディシナの左腕が、晶の胸を叩いた。頭骨が鎧を粉砕する。
滅多なことではダメージを受けないが、装備と脳波の結び付きが強すぎるため、いざそれが通ってしまえば、想像を絶する衝撃が全身を駆け巡る。晶の意識は一瞬で失われた。
「前菜とスープはいただいた。さて、そろそろメインディッシュにするか」
その言葉が指す人物は当然、
「来るなら来い……! 返り討ちにしてやる!!」
「父さんと母さん、そして
しかし、体格差があまりにもありすぎる。杏樹の小さな身体では、アームドライノス・ディシナの巨躯から繰り出される攻撃を、受け止めることはできないだろう。
「無茶だ、逃げろ!」
クリスティーナは、杏樹を助けようと飛び出した。一方杏樹自身は、一切動こうとしていない。本気で、戸蔵永人と戦うつもりだ。
「死ね!!!」
犀の頭骨が、天を仰いだ。それだけで突風が巻き起こる。杏樹の華奢な身体は、それを受け止めきれなかった。
「キャッッ!?」
一瞬、足が浮いた。その隙に、眼前に拳が迫っていた。殺される。否、食われる。本能が一生懸命悲鳴を上げていた。逃げたい。死にたくない。こいつを殺したい。だが、今の杏樹にはどうすることもできなかった。全く動けない。空中で自由が利かない訳ではない。恐怖の念があるためだろうか。真実の方は定かではない。だが、とにかく身動きが取れなかったのだ。
「(何で。どうして。どうしてアタシに、こいつを殺させてくれないの――?)」
彼女は、運命や神を呪った。幸福を奪い、絶望ばかりを与えてくる、自分の生まれた星に、唾を吐きたかった。
「酷いよ、神様」
「それじゃあ、5年越しのゲームクリアだ」
刹那、噴火のような爆撃が発生した。彼女らの半径3メートル程は、煙で何も見えなくなった。だからその瞬間は、何が起きたのか、周囲にいた人物には理解できなかった。
やがて煙が晴れてくる。まずその姿を現したのは、地面に転がった腕と脚だった。本体からちぎれて落ちてしまったのか。血は飛び散っていない。その代わり、断線したコードが散乱していた。
「…………は?」
意識を取り戻したばかりの晶が、間抜けな声を上げる。だがそれも無理はない。落ちているのはどこからどう見たって、機械でできた義手、義足なのだから。
「あれは――まさか、完成していただなんて……」
乃述加は何か心当たりがあるのか、こめかみに血管を浮き出していた。
「悪いけど、俺の娘は殺させないよ」
完全に煙が晴れる。そこにあったのは、予想とは遥かにかけ離れた光景だった。まず、地面に倒れ伏すアームドライノス・ディシナと、そのすぐ前にへたり込んでいる杏樹。そしてそんな彼女を庇って抱き留めているクリスティーナだ。
「(そんな、あれが母さん!?)」
晶にとっては、目を背けたくなるような状況だ。母の右半身が吹き飛ばされているところなど、とても見れたものではない。しかもただ肉体を失っている訳ではない。千切れた肩からは、何本ものコードが伸びている。顔面は卵の殻を割ったように剥がれ、内側には機械でできたもう1つの顔が存在していた。右側の眼球も、カメラのレンズの如く、無機質に稼動する。
「クソッ。ばれちまったからには、仕方ねぇな……」
ミシミシと、クリスティーナの顎が稼働する。
「俺をここまで追い込んだのは、お前で2人目だよ。まぁ、その1人目のせいで今はこんな格好だけどよ」
キィ、とレンズの瞳で転がる腕を睨みつける。すると腕は意識を取り戻したようにピクリと動作し、機敏な動きでアームドライノス・ディシナの首へ跳びかかった。
「何だ、気持ち悪ィ! てめぇ…………。アンドロイドだったのか!?」
「言っとくけど、半分は生身だからな。こいつらはあくまで肢体不自由な俺をサポートする道具に過ぎない。俺は人間だ」
「クッ! 化け物が!!」
「そっくりそのまま返してやるよ、化け物!!」
腕を跳ね除け、戸蔵はゆらりと立ち上がる。そのまま足を引きずりながら、クリスティーナと杏樹の元へ向かった。
「メインディッシュは小娘のつもりだったが、気が変わった。お前が大目玉だ!」
半身がなくては満足に戦えない。にも関わらず、クリスティーナは気にする素振りを見せなかった。なぜか。
「お前、メインを目にすると前菜の味を忘れるタイプだろ。それどころか、食べきる前に捨てちまう」
「アァ!?」
「お残しは許しまへん、てことだよ」
刹那。
ガカガカガガカッッッ!!! っと、アームドライノス・ディシナの背中に、銃弾が食い込んだ。苛立ち、ゆっくりと振り返る。すると、地面に臥していたはずの邪庭乃述加が、サブマシンガンを構えていた。
「あの程度じゃあ、あたくしは死ななくてよ」
『ドレスアップ! マーセナリーコスチューム!』
基本形態に戻った彼女は、十字架からとある武器を実体化させる。昨晩、クリスティーナに受け取った大砲、ポインターレーザーだ。
「さっさとあの世にお逝きなさいな…………ッ!」
銃口にエネルギーが溜まっていく。だがそれを、馬鹿正直に待っている戸蔵ではない。発射される前に武器を破壊しようと、行動に出た。ただの直線的な突進だが、これなら撃たれる前に潰せるはず。しかし。
「たあっっ!!」
突如その肉体は宙に浮き、思考を停止させた。
「(何だ、今何が起きた!?)」
視界に入って来たのは、十谷晶。彼もついさっきまで倒れていたが、気付かれない内に接近し、足払いをしたのだ。
「このっ、クソガキ……」
「乃述加さん、今です!」
「ナイスアシストですわ! ――――死ね」
『エグゼキュージョン フィニッシュ!』
ポインターレーザーの先端から、眩い紫電が放出され、アームドライノス・ディシナを襲った。
《罪人》を殺す作用のあるプラズマが、戸蔵の身体を包み込む。
「アガッ、ひ、いぎゃああああ!!??」
岩が割れるような悲鳴を上げ、《罪人》は地面をのたうち回る。
左腕の頭骨や、肩の城塞が、まず初めに崩れ始めた。通常態に戻り、さらに人間態へと弱体化していく。
「何だこれは……。このオレが、こんなところで、死ぬはずが――。それ以上に、こんな、処刑人どもに傷つけられるはずがない! オレが負けるはずがねぇんだよ!!」
「残念でしたわね。あたくしたちに負けるなんて、あなたは所詮その程度の《罪人》だったという訳ですわ」
「黙れ黙れ黙れ! オレは《強欲臣公》だぞ! そんじょそこらの奴とは違うんだ。せっかくここまで上り詰めたんだぞ……。こんな所で、死ねるか!!!」
絶叫。否、咆哮。戸蔵は、気力でプラズマを振り払った。
「馬鹿な!? あれを食らって、耐えていられるはずがない!」
「腐っても《臣公》の1人、という訳ですわね」
驚きを隠せない、クリスティーナと乃述加。
そんな中、真っ先に動いたのは、晶だった。
「お前は――今ここで、僕が倒す!」
全身から蒸気が噴出する。これ程の力を解放すれば、ただでは済まない。晶の身体は兵器に蝕まれていた。
しかし戸蔵は、対抗してくることはなかった。
「(《罪人態》になれない。流石に効いたな……。これ以上戦うのはナンセンスだ)」
彼は髪を数本抜くと、息を吹きかけた。それはユニコーン・ソルジャーとなり、晶を足止めする。
「くそっ、待て!!」
もちろん、そんな呼びかけに応じるはずもなく、戸蔵永人はどこかへと姿を消してしまった。
虫の息になっているクリスティーナを抱きしめ、杏樹は強く唇を噛んだ。黒い、墨汁のような血が顎を伝う。自分の呼吸が熱を帯びているのを感じた。喉が焼けるようだ。
「何でだ…………。何で動けないんだ……」
悔しい。ただひたすらに、悔しい。今彼女の中には、その言葉だけがぐるぐると回っていた。
「次に会った時は、必ず、絶対に、ぶっ殺してやる――――!」
杏樹は、自分の中の憤怒の感情が膨らみつつあることに、気が付いていなかった。
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