第19刑 理由なき戦い―A
某所。洋館の中。テーブルにある椅子は7つ。座っているのは4人。
《暴食臣公》・
《色欲臣公》・
《憤怒臣公》・
《怠惰臣公》・
無言のまま、4人は晩餐を嗜んでいた。広間にはカチコチと時計の針が進む音だけが、規則的に自己を主張している。たまに使用人が空いた皿を下げたり、新しい料理を運んでくるために、部屋に出入りしている。
沈黙に飽きたのか、水本が声を上げた。
「で、結局まだこちらに分があると考えていいのかしらぁ?」
他の3人の倍、皿を重ねた信太は、水本の質問に苛々しながら答える。
「一番簡単に倒せると思っていた
それでもまだ、こちらに分があると言いたいがな。と、さらに皿を積んでいく信太。
「それより問題なのは、
「そもそも、ロードが日本にいるという確証はあるの? あくまでグランドの推測に過ぎないのでしょう?」
「いや、日本にいるという話は、事実と見て間違いないだろう。ここ最近、《臣公》クラスの強大な霊力を持った《罪人》が国内で生まれてきているのも、ロードをお守りするためだよ」
「つまり、アタシらみたいに強い奴らは、みんなその誰かを守るため、目覚めたってことか?」
弥希も会話に参加しようと、発言する。
しかしそこに、5人目が現れた。
「オイオイオイオイ。オレが来る前に楽しそうなこと話してんじゃねぇよ。ぶっ殺すぞ」
碌に手入れされていないのが丸分かりの、ボサボサの長髪。しばらく着替えていないのが丸分かりの、よれよれになったスウェットに身を包んでいる。手足の細さは、美的ではなく病的。まるで動く死体のような男だ。
彼の姿を見るや否や、信太はスープを啜る手を止めた。
「
「ああ。グランドの旦那、本気でぶった切りやがって……。完全再生まで5年もかかったぞ」
信太は隣の椅子を引き、戸蔵をそこへ誘った。続けて使用人に、食事を持ってくるよう指示する。
「まともな食事はいつぶりだ?」
「それも5年だ。あれ以来、ずっと部屋で霊力を高めていたからな」
運ばれてきた料理を、戸蔵は一瞬で平らげる。そしてすぐに次の皿を持ってくるように、使用人を怒鳴りつけた。
突然登場した彼の存在に戸惑っているのは、弥希と静孔だった。
「アンタ誰だ? 姐さんの口ぶりからして、馴染みみたいだけど」
弥希の質問に、信太が仲介する。
「そうだ。お互い初対面だね。暮内。明外。彼は戸蔵
それを聞いた戸蔵は、舐め回すように2人を観察した。
「へぇ……。こんな小娘どもが、ね。つーか、ちょっと待て。バーズリーのおっさんは知ってたが、デスデローサのおっさんも死んだのか!?」
「死んではいない、と思う。あくまで消息不明だ。今頃どこかで死んでいる可能性も、なくはないがな」
「まったく。《臣公》てのは、どいつもこいつも我儘だねぇ」
「もちろん、お前や私も入れてな」
満足のいくまで食事を楽しんだ戸蔵は、椅子を乱暴に扱って立ち上がり、玄関へ向かう。
そんな彼を、水本が引き留めた。
「どこへいくつもり? まさかまた無意味に暴れ回るんじゃないでしょうね」
「意味はあるだろう。5年間も引き籠っていたんだ。身体が鈍ってしょうがない。暴れまわれば、運動不足の解消にもなり、人間も殺せる。一石二鳥というやつだ」
止まりなさい! と一喝する水本。
彼女の持つ声の力が働き、戸蔵は動きを止める。
「今日本には
「黙ってろよババア。そんなに処刑人が怖いか? オレはむしろ楽しみだぞ。奴らと本気で殺し合うことほど、面白い娯楽はなかなかない。24時間味わっていたいぜ」
私より欲深い奴だな、と信太は笑う。
気力で押し勝った戸蔵は、水本の術を解くと、玄関の戸を開いた。
最悪の存在が、野に放たれた。
× × ×
どうしてだろう。心が曇りっぱなしだ。
杏樹本人は、何となくであるが、その原因に気づいていた。
それはズバリ、十谷親子である。
「(どうしてアタシには家族がいないんだろう)」
仲睦まじい2人の姿を見ていると、存命だったころの家族を思い出す。父、母、妹。家族仲は良好だった。彼らとの日常が消え去るだなんて、考えたことがなかった。
逃げ出した後にニュースで聞いたのは、死亡者名として読み上げられる、家族の名前だった。そこに自分はいない。まるで消えてしまったのは自分だけのように。
「(敵討ちに成功したはずなのに――嫌な気持ちが消えない。まだもやもやしている)」
皆、どれだけ苦しい思いをしたのだろう。想像するだけで吐き気が込み上げてくる。なぜ1人だけ生き残ってしまったのか。もっと早くに帰っていれば、皆と一緒に死ねたかもしれないのに。
「ううぅ……。くそっ、うう、……」
畳にうつ伏せになって、涙を堪える。しかし次から次へと、嗚咽が零れていく。止まることを知らない滝のようだ。
そんな時、襖の向こう側から声をかけられた。
「大丈夫ですか、杏樹さん? 先ほどから、何やら苦しそうですけど」
十谷晶の声。現時点で杏樹が、最も心を寄せている人物である。
「杏樹さん。何かあったら、すぐに言ってくださいね。僕や母さんが力になりますから」
「ありがとう。今は大丈夫だよ。1人でしていただけだから」
彼は初めその発言の意味が分からなかったようだが、理解したのか、動揺した声で「それじゃあ、僕は、自分の部屋にもじょ、戻りますから!」と言って、襖の前から離れた。
「ふん、晶のエッチ。――――」
別に杏樹は、晶に冗談を言って楽しんでいる訳ではない。今彼に泣き顔を見せたくないのだ。彼の前では、強い自分でありたい。弱みを見せたくない。家族のことを思うだけで、こんなにも心が折れそうになるなんて、これまでは思ってもみなかった。
「(
変事がある訳でもないのに、そう訊かずにがいられない。
時計の針の音が、虚しさをさらに際立たせた。
× × ×
9月も半分を過ぎた。そろそろ秋が顔を覗かせてもいい頃だが、まだ残暑の厳しい日が続いていた。人々が往来する場所は、熱気と冷気が入り乱れている。あちらではクーラーがついていて涼しいかと思えば、こちらでは人が密集していて暑苦しい。どこにも逃げ場はなかった。
「ありがとうございました」
その男性は、コンビニで大き目の、スポーツドリンクのボトルを購入した。こう暑くては敵わない。キャップを回し、飲み口を唇に近づける――。
その時、喉の奥から出て来た別の液体が、彼の口内を満たした。鉄臭くて暖かい。だがこんなものを味わったことのない男性は、その正体を最期まで知ることはなかった。
胸に大きな穴を空けて、真顔のまま倒れていく男性。蓋の開いたペットボトルが、虚しく地面に転がる。目撃した人々は、あまりにも唐突だったために悲鳴を上げることを忘れていた。そしてハッと我に返った頃には、もう手遅れになっている。
次々に人間が襲われていた。
趣味の悪いスプラッター映画のような光景の中心を、戸蔵永人は悠々と歩いていた。彼の周りには、額に1本の角を持った、馬に似た怪物が飛び跳ねたり人間を襲ったりしている。
「愉快だ――。5年経っても、シャバの空気は変わらない」
戸蔵は、コンビニで買ったコーヒーに口をつけながら、鼻歌を漏らしている。
「人間の悲鳴は、何にも代えがたい、最高の音楽だ」
上機嫌な戸蔵だが、直後、彼の機嫌を損ねるものが飛来した。
「――――――あぁん?」
背中に何かがめり込んでいる。肉はやや抉られ、熱を持っている。だが彼にとってそれは、人間が蚊に刺されたことと同じような感覚だった。痛くないが、煩わしさや不快感は覚える。
振り返るとそこには、銀髪でじゃらじゃらとアクセサリーを付けた、小柄な少女。
「てめぇは確か……」
見覚えがある。そうだ、と戸蔵の記憶から靄が晴れてきた。5年前。何の気なしに行った人間狩り。その際に遭遇した女だ。
「お前、邪庭乃述加か」
「あたくしの名前も、随分大きくなったものですわ。こんな《罪人》たちの間にも流布されているようですが、良いことなのでしょうかね」
彼女の登場にやや遅れて、『E.S.B.』米国で開発された自動車型兵器、ネオポインター号が現場に到着した。中に乗っているのは、クリスティーナ、晶、そして杏樹。
運転手が車から降りてくるのを見た戸蔵は、眉を寄せて口角を上げるという、ちぐはぐな表情になった。
「おう。てめぇの面にも覚えがあるぜ。5年前にオレの舎弟が世話になったな」
唐突にそんな話を振られても、とクリスティーナは首を傾げる。
「生憎だが、この5年間で何体もの《罪人》を殺してきた。お前の舎弟が分からん」
「別に覚えているとか期待はしていないさ。オレがやりたいのは敵討ちでも何でもねぇ。ただ暴れることさ!」
咆哮。戸蔵の姿が歪む。細身の人間態からは想像もつかない巨漢だった。それは鎧にも拘束具にも見える。それは要塞にも収容所にも見える。だが基本的な形は人間で、それが生き物であることを思い出させる。
一言で例えるならば、歩く小型要塞だ。長い角の生えた兜からは、僅かに炯々とした眼光が覗いている。そして口元にはギザギザとしたヤスリのような歯が多々生えていた。
「……前言撤回だ。そうか、《罪人》の姿は知っていたが、人間だと誰だか分からなかったよ」
クリスティーナは一歩前に出る。晶と杏樹を敵から庇うように。
そして反対に、杏樹に異常な様子が現れていた。
カッと双眸を見開き、歯をガチガチと鳴らし、非常に怯えている。その視線は真っ直ぐ戸蔵へと向けられていた。
彼女の様子があまりに異様だったため、晶は肩を抱き、背中を擦って落ち着くように促した。しかし杏樹は息を荒くしたままだ。
「杏樹さん、どうかしましたか?」
「分からない……。でもあの《罪人》、怖い。どうしようもなく怖いの…………」
彼女の身体は震えが止まらなくなっていた。いつでも余裕有り気な態度であったがために、この様子は周囲を不安にさせる。
ただ1人、その理由に気がついている者がいた。
「晶。杏樹ちゃんを守りながら、後方で控えていろ」
十谷クリスティーナは、5年前に戸蔵と――アームドライノス・ディシナと戦ったことがあった。その任務は戸蔵と組んでいた《罪人》を乃述加が処刑したことで解決したとされていたが、やはりまだ終わっていなかった。
「また遊び感覚で人の命を奪う気か?」
「お遊びなどではない。この《強欲臣公》戸蔵永人が直々に殺してあげているのだぞ。有難く思って欲しいな」
「ふざけるな! お前が殺していい命なんて、1つも存在しねぇんだよ!!」
「ならば5年前、お前がオレの眷属を処刑したことについては、どう言い訳する!?」
この発言に、クリスティーナは言い返せなかった。自分はただ仕事をしただけ。そう言い切ってしまうことは容易い。しかしそういう問題ではない。
処刑人も《罪人》も他者を傷つけ、時に殺す。そこに何の違いもありはしないことを、彼女は分かっていたのだ。
「テメェらだって所詮は人殺しだ。他人の命を奪って生活している悪魔じゃねえか!」
「ハッ! そんなことは分かってるんだよ。でもそれは俺たちだけじゃねぇ。この世界の生きとし生けるものは皆、他の命を奪わなくちゃ生きていけないんだよ!」
激昂した2人は、強く地面を蹴り、衝突した。たった一発拳を交えただけで、空気が震える。
その衝撃を受けた杏樹は、更に怯えた。
「父さん――母さん――桃葉――。ごめんなさい、ごめんなさい…………」
突如
クリスティーナと乃述加が戸蔵と戦ったのは、5年前。そして杏樹が家族を《罪人》に奪われたのも5年前。まさか戸蔵は――。
「気づきましたか、晶」
銃撃でクリスティーナを援護していた乃述加が、晶の隣にやって来た。
「あの《罪人》、もしかして杏樹さんのご家族の仇ですか」
「ええ。当時はもう1人、先程彼が言っていた眷属の方が犯人とされていました。そして我々がその男を処刑して、一応事件は解決ということに。しかしやはり、真犯人はあの戸蔵永人! 彼は自分の部下に全ての罪をなすりつけて、身代わりにして処刑させたのですわ」
そんな奴が命を語るなんて、と晶は奥歯を噛み締めた。
「ふざけるな――――」
興奮して殴りかかりそうになるが、乃述加が彼の手首を掴んで止めた。
「今のあなたでは危険すぎる。いくら『O.K.モード』があるからといって、危険なことに変わりはありません。今回あなたは、杏樹さんを守ることを第一に考えてください」
「分かりました」
地面に膝を突き、泣き続けている杏樹。そんな彼女に寄り添い、晶は護衛をする。
右腕にもう1つの腕輪を装着。母にもらった、処刑人をさらに強化された肉体へと変化させる『モアバングル』だ。これを使えば大幅に力を上昇させられるが、その分身体への負担も大きい。なにせ肉体を強制的に《罪人》と同質のものにするのだから。
しかし怖がっていては、仲間を守ることはできない。1度大きく深呼吸をすると、晶はモアバングルを左腕の腕章と十字架に重ねた。
『モア エグゼキュージョン!! オーバーキル! デッド アンド デッド!!』
全身が沸騰するように熱い。毛穴1箇所1箇所から蒸気が発生しているような錯覚をする。角を生やし、外殻を纏った姿。十谷晶のオーバーキルモードである。
「彼女には……指1本触れさせない」
しかし、あまりにも杏樹を気に掛け過ぎていたため、反って戸蔵に気づかせることになってしまった。彼女が彼の行った人間狩りの生き残りである、ということに。
「そうかそのガキ……オレも撃ち漏らすことがあったか」
クリスティーナと戦っていたはずのアームドライノス・ディシナが、突如姿を消した。そしてどこに行ったかを探す間もなく、その巨体は晶の前に現れた。
「!!!」
何の抵抗もできないまま、晶は敵の剛腕によって吹き飛ばされる。オーバーキルモードであったにも関わらず。否、O.K.モードだったからこそ、ただ吹き飛ばされただけで済んだのかもしれない。これが通常の状態であったならば、四肢が繋がっていなかった可能性もある。
「(こんな所で転んでいる訳には……杏樹さんを、守らなくちゃ)」
頭では分かっているが、全身が痺れていて、上手く立ち上がることができない。
そして戸蔵は、杏樹のすぐ傍に立っている。非常に不味い状況だ。
「あぐっぅっっ!」
アームドライノス・ディシナは杏樹の首を掴むと、宙に掲げた。指先に力が籠められ、少女の首はミシミシと気持ちの悪い音を立てる。
「やめろォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!」
辛うじて口と喉は動いたため、晶は絶叫した。
すると戸蔵は首を傾げ、ぽいと杏樹の身体を放ってしまった。
「そうだな……。一気に殺してしまうのもつまらん。どうせだったら、殺されるまでの時間をゆっくり噛み締めさせた方がよさそうだ」
その後彼は、乃述加からの射撃を叩き落とすようにあしらい、辺りで待機していた雑兵――ユニコーン・ソルジャーを己の周りに集めた。
「じゃあな。お前を殺す、その日まで」
一瞬、空間が陽炎のように揺らいだ。処刑人たちの視覚が狂う。そしてものがはっきり見えるようになった頃には、アームドライノス・ディシナは姿を消していた。
《強欲臣公》戸蔵永人。彼の処刑には失敗した。さらに現場に来るまでに、多くの市民が襲われて命を落としてしまった。
処刑しきれなかった、任務を達成できなかっただけならば、まだいい。次確実に仕留めればいいからだ。しかし、失われた命に次はない。多量の犠牲を出してしまったことが、今回彼らの心に薄靄を掛けた。
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