第18刑 強化、OK!―A

 いかにも昔ながらの日本家屋といったクリスティーナの家には、しょう杏樹あんじゅが使うものが一通り揃えてあった。


「準備がいいですね、母さん」


 まるで昨日まで誰かが住んでいたみたいに整っている。この家に来るのは3年ぶりだというのに、埃も見当たらないということには、流石に違和感を覚えた。


「知り合いに使ってもいいぞって言っておいたからな、この家。生活用品も揃えて置いてくれってメールしたら、この通りやっておいてくれたみたいだな」


「知り合い、とは?」


「お前も面識あるだろ。研究部長の武部たけべだよ」


 驚いた。確かに武部荘也そうやには世話になっているが、彼と会う時は大抵研究部の事務所か、研究室だった。まさかこの家を利用していたとは。


「追い出すみたいな形になって悪かったかなぁ。まぁわざわざ頼みを聞いてくれている辺り、そこまで拒否してはいないんだろうぜ」


 乃述加ののかの家から持ち出した私物を適当に置いていく3人。


 ひとまず自室を整えると、茶の間に集合した。


「母さん。ごめんなさい」


 開口一番、晶は頭を下げる。


「どうした。何謝ってんだ」


「僕がこれを使うことを躊躇ったせいで、《罪人》に逃げられてしまって……」


「そいつは関係ねぇよ。使おうが使うまいが、きっと逃げられていたぜ。あいつら俺たちと戦うことが第一の目的じゃなかったみたいだしな」


 ちょっと空気が籠っているな、と窓を開けるクリスティーナ。差し込む紅蓮の夕日が目に痛い。まだ残暑の厳しい季節だが、庭のどこかからか虫の声が聞こえてくる。


「逃げることを前提にした連中との戦いは、追う方が不利だ。こっちは向こうがどう出るか分からない。向こうはこっちを振り切りさえすればいいんだからな」


 彼女は縁側に座り、煙草に火を着ける。乃述加のものとは違った香りが漂ってきた。


 だがな、と振り返るクリスティーナ。


「次はそうはいかない。今日逃げられたことは、俺にも落ち度がある。お前だけの責任じゃないから気にするな。でも2度と逃がす訳にはいかない。また奴らと戦うことになった時は、迷わずにそのモアバングルを使え。そして必ず《罪人》を処刑しろ」


「……分かりました」


「そんな自信なさげにするんじゃねぇよ。お前は間違いなく成長している。アメリカの家を出る前は、他人と話すだけで緊張していたお前が、あれだけ立派に戦えるようになっていた。俺は、そんな強くなったお前を信じるよ」


 己の成長度合いというものは、自分が一番理解しているつもりだった。確かに前に比べて行動的になった。戦うことに対する恐怖心も減った。しかしだからと言って強くなったとは言い切れない。心のどこかで、成功したことはただの偶然だ、と思い込んでしまっていた。だから積み重ねたものが、自信に直結してはいなかった。


 だがこうして母に評価され、信じていると言ってもらえたことで、小さな自信が生まれてきたのだった。


「母さん、僕……」


「おう」


「僕、やってみせます。この力を使ってみます」


「やったれ、晶」


 日は大分傾き、塀の向こうに隠れてしまった。家は夕闇に包まれ始めていた。




        × × ×




 夕食を終え、入浴も済ませ、皆寝静まったはずだった。


 ふと目を覚ました杏樹は、木製の階段を降りて茶の間へ向かう。特に理由はない。トイレに行きたいだとか、喉が渇いただとか、何か目的があって行くのではない。しかし今からそこへ行かなければならない。そんな気がしたのだ。


「? お義母さん?」


 そこには、座椅子にもたれかかって缶ビールを飲んでいるクリスティーナの姿があった。


「杏樹ちゃんか。隣、来るか?」


 ポンポンと傍にある座布団を叩くクリスティーナ。杏樹は無言のままそれに従った。


「眠らないの?」


「寝たらビールは飲めねえからな」


 杏樹は先程の2人のやり取りを見ていて、疑問に思ったことを口にする。


「お義母さんは、初めは晶が処刑人になったり、《罪人》に関わることには反対だったんだよね? なのにどうして、今は協力しているの?」


 缶を卓袱台に置くと、クリスティーナは嬉しそうに、そして僅かに寂しそうに笑った。


「そりゃあ、俺の出る幕じゃないからさ。親に子供の決意を否定する権利はねぇんだよ。そいつの進みたい道を進ませてやって、時折支えてやるっていうのが、大人の役割なのさ」


「親の役割…………」


 この時杏樹の頭には、両親の姿が浮かんでいた。


 暗くなった彼女の表情を見て、クリスティーナも何かを察する。


「ごめんよ、杏樹ちゃんてば、家族を――」


「大丈夫です。今の私には晶がいますから」


「まったく。こんな可愛い子に惚れられて、俺の息子も幸せ者だな。ほら、明日からは警戒態勢で過ごさなくちゃなんねぇんだ。しっかり寝とけよ」


「うん、分かった。おやすみ」


「ああ、おやすみ」


 立ち上がり自室に戻る杏樹。


 夜はどんどん更けていく。虫たちの歌声も一層にぎやかになってきた。




        × × ×




 所変わって、『E.S.B.』アメリカ。その執行部の事務所にて。


 エリーナ=カルマスは頭を抱えていた。あの『処刑人の代替機械』の資料のせいである。


「(こんなこと、誰かに言えるはずもない……。部長が帰ってきたら問い詰める? それも、何だか怖い。うう……こんなことを知ってしまった自分はどうすれば……)」


 仕事も手に付かず悶々としていると、突然背後から


「だーれだ?」


 両目を覆われた。


「止めてください、アルバート。眼鏡に傷が付きます」


「もう、エリーナちゃんたら。つまらないわね」


 視界と奪っていた大きな掌が退けられ、やや明るめの蛍光灯の灯りが目を刺激する。


 そして振り返ると、そこには執行部副部長のアルバート=ブラックが立っていた。


「せっかく和ませてあげようと思ったのに。あたしの気持ち伝わらなかった?」


 不満そうな口調だが、アルバートは至って笑顔だ。サーバーで淹れてきたコーヒーをデスクに置いてくれる。


「別に。何も問題はないです。自分は常に平常心です」


「それにしてはおかしいんじゃない? 働き者のエリーナちゃんが、部長に頼まれた仕事を放り出して考え事なんて」


 ぎくりと背筋が凍った。ここは何と返すのが正解なのだ? 心が乱れていることは既に見抜かれている。ならばこれ以上平常を装っても、疑惑を抱かれるだろう。しかし正直に本当のことを話すこともできない。


「その、自分は……」


 ここでエリーナの頭に、1つの可能性が浮かんだ。アルバートは自分以上にクリスティーナとの付き合いが長いし、地位も執行部副部長というそれなりのものを持っている。もしかすると彼も『処刑人の代替機械』について知っているのではないだろうか?


 エリーナはその可能性にかけてみることにした。


「実は昨日、こんなものを見つけてしまったんです」


 クリスティーナのデスクの奥に入れておいたそれを、アルバートに見せる。


「これは…………」


 普段穏やかな彼の表情が、一瞬にして険しくなった。眉間に皺を寄せ、青い目を細めている。どうやらこの資料の存在は知らなかったようだ。


 まずいな、とエリーナも顔を渋くする。


「エリーナちゃん。このファイル、他の誰かに見せた?」


「いえ。あなたが初めてです」


「あたし以外には言っちゃダメよ。それに、このことは早く忘れなさい」


「忘れろって、やはり危険なものですか」


「この手のものは、危険で済めばいいのだけれどね。これは『E.S.B.』の中でも極秘中の極秘だわ。クリスもどうしてこんな所に置いているのかしらね」


 言っていることに対して、彼は全く取り乱していない。エリーナがこの資料を見つけた時は、非常に緊張した、否、怯えたものだ。なのにアルバートは落ち着いている。


 まさか、やっぱり知っていた?


 エリーナの疑念がアルバートに向き始めたその時、事務所の扉が開いた。


「おはようございます」


 先日こちらの支部に派遣されて来た、調査部のシャルロット=ロールだ。名目の上では調査部所属になっているエリーナの、部下に当たる。


「難しそうな顔をしていますが、どうかしましたか?」


「そうなのよぉ」と、明るく返事をするアルバート。エリーナは一瞬、彼がさっそくこのことを漏らすのではないかと疑ってしまったが、


「この前駅の近くに、新しいハンバーガーショップができたじゃない。あそこ美味しいって評判だけど、いつも混んでいるし、カロリー凄そうだし、何より値段が高いし。食べてみたいのだけど、手を出すにはちょっとねぇ、って話をしてたのよ」


 とっさの判断で話を隠してくれた。


 そして一瞬エリーナへ視線を送る。


「(さっきのことは他言無用よ、いいわね)」


「(はい。肝に銘じます)」


 アイコンタクトで2人は通じ合う。


「それじゃあ、今日も1日頑張りましょうか」


「はい!」


「よろしくお願いします。」


 秘密を抱えたまま、仕事が始まる。




        × × ×




 数時間後。


「『処刑人の代替機械』、存在確認できました」


『よくやった、ミレディ。引き続き探りを入れろ。そして俺が支持したら日本へ向かい、信太しのだの走狗と合流しろ』


「了解。じゃあね、ブラッド。chu♪」


 その人物は電話を切ると、キスのためにではなく、不満を表すために唇を尖らせた。


「その監視対象になる十谷とおやクリスティーナが日本にいるのだから、ワタシの仕事なんてないようなものじゃない」


 それでもあの男には逆らえない。それが《罪人》の性だから。


「さて。問題は、どうやってこっちの連中を出し抜くかね」


 ミレディは顎に指を添えて考える。


「皆殺しにする? いや、それじゃ目立ち過ぎる……。いっそのこと、ワタシが死んだことにすればいい? どれもこれもピンと来ないわね」


 やがて彼女は、思考を放棄してしまう。


「まぁいいわ。ワタシが得をすれば、どんな過程でも問題はない」




        × × ×




 戻って日本。


 信太美子みこの自宅。


「あぐっ、ああ! ウギャアアアアア!!! えぅぐぇっ、ひぎぃぃ!!」


 広いバスルームにて、信太は塚井つかいに薬湯を掛けてもらっていた。部位は背中。肩から腰にかけて。百波ももなみ利里りりにやられた翼とリンクしている部分だ。そこには黒く焼けただれた痕がある。エグゼブラスターの攻撃を受けた時のものだ。あれから半月程経つが、一向に回復する気配がない。


 傷は背中だけではなかった。胸や腹、手足にだって、火傷の痕や切り傷などが、無数に存在する。


「1月はかかると想像したが、まさかここまで治るのが遅いなんて……」


「信太さま。ご無理はなさらぬよう、お願いします」


「分かっているさ。無理なんてしていない。――つもりだが、正直これはキツイな」


 薬湯を注ぐ手を止め、軟膏を塗り始める塚井。


「失礼いたします」


「クッッ……。オリヴォの作った薬でも、こんなに回復しないとはね。あの女、やはり殺すべきじゃなかったな」


 あの女とは当然、利里のことだ。


「これほど私を追い詰め、同時に楽しませてくれる奴など、後にも先にも奴だけだろう。もう戦えないのが残念だ――」


 信太は彼女の実力を、大いに評価していた。


「ああ。苛々が治まらない! 私を最も楽しませてくれた奴が、私を苛立たせるきっかけとは、なんと皮肉なものだ」


「信太さま、落ち着きください。もう少しで終わりますから」


「ああ、すまないな。せっかく薬をつけてもらっているのに、一々煩くて」


「いえ。貴方さまの心はよく存じております」


 その日の分量を塗り終え、塚井は手を離す。信太はすかさずバスローブを纏い、彼に質問した。


「十谷クリスティーナ、並びに邪庭やにわ乃述加の対策は立てられそうか?」


「はい。しかしながら、やはりわたくし1人では厳しいかと」


「だろうな。何度も言うが、私でもキツい」


「ですが先程の戦いで、彼奴らの弱点ならば発見いたしました」


「息子……十谷晶か」


「はい。あの小僧さえ消すことができれば、他の連中も平常心を保てますまい」


「それにあいつがあの中では最弱だ。殺すことも容易い」


 明日早速実行しろ、と信太は不敵に笑った。


《罪人》らの狙いは、十谷晶。

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