第17刑 母からの贈り物―B

 4人が503号室に着くと、部屋の中で警察官3人と捕縛部員2人が、血を流して倒れていた。幸い息はあるようだが、怪我の程度を見るに安心はできない。


「どこにいやがる……」


 室内に《罪人》の姿は見えない。彼らを襲ってすぐに逃げてしまったのか。それともどこかに潜んでいるのか。


 誰の気配も感じられない。あるのは自分たちの殺気だけだ。


 こんな時、真っ先に反応するのは杏樹あんじゅだった。

「!! 上だ!!!」


 彼女の言う通り、天井から急襲があった。細身の、礼服を着た強面の男が、しょうに向かって跳びかかったのだ。


床を転がりながら、十字架を腕輪に嵌める。


『エグゼキュージョン システム ブート!』

杏樹、乃述加ののか、クリスティーナも続いた。


「あなた方、処刑人ですね」


「ええ。そういうあなたは、《罪人》の塚井つかいさんでよろしくて?」


 男は鼻を鳴らすと、その身を変化させた。


「はい。わたくし塚井正治しょうじと申します。本日はあなた方の力量を計るため、お招きいたしました」


 額から生えた2本の角。ギザギザの歯。燕尾服に似たシルエット。そして前腕から伸びる鋭い刃。


「マンティス・ディシナ……。先月、アメリカこっちで出たのと同種か」


「姿形は似ていようと、侮ってはなりませぬ。わたくしはその辺の連中とは格が違います故」


「随分と強気ですわね? 何か根拠がお有りで?」


「もちろん。わたくしは《重罪人》。そして《暴食臣公》信太しのだ美子みこ様の直属の僕にございます」


 その名を耳にした瞬間、晶は背筋が凍るのを感じた。


 信太美子。先輩であり目標だった百波ももなみ利里りりの命を奪った《罪人》だ。


 あの女の僕となると、自然と怒りが湧いて来てしまう。


「晶。気持ちは分かるが、まだ押さえろよ。不意打ちとは言え、5人を纏めて倒した奴だ。まともな戦い方じゃ勝てん」


「でも母さん。母さんと乃述加さんなら、こんな奴――」


「俺と乃述加だから危ないんだよ。こいつは俺たちの力量を計ると宣言した。つまり俺たちと戦って、生きて帰る自信があるってことだ。そんな奴に、迂闊に手の内は見せられない」


 クリスティーナがもたついている間に、マンティス・ディシナが動く。


「戦わないのであれば、戦わざるを得ない状況にしてあげましょう!!」


 咄嗟に対応したのは、またもや杏樹だ。


「晶には指一本触れさせない」


「生憎だが、小僧には興味がない。そこの女二人が、今回の対象だ」


 腕の鎌を振り上げ、杏樹の胸を切り裂く。墨のような血が噴き出すが、杏樹はまるでお構いなしだ。


「それがどうした。お前さっき晶を傷つけただろ。あれだけで、お前を殺す理由は十分なんだよ!!!」


 彼女の左手にある金色の針が光る。毒を纏った拳が繰り出された。だがそれが当たるよりも早く、マンティス・ディシナは彼女から距離を取ったため、空振りに終わる。


 すかさず乃述加が、アサルトライフルを構えたが、その瞬間、もう1人が現れた。


「早くもハッスルしちゃってるわねぇ。アタシも混ぜて頂戴」


水本みなもと作楽さくら……。あなたもいましたの」


 舞踏会の参加者のような、仮面をつけた《罪人》。セイレーン・ディシナこと、《色欲臣公》水本作楽。これまた厄介な相手である。


 セイレーン・ディシナは、部屋に立っている4人の処刑人それぞれに視線をやり、舌打ちした。


「気安く引き受けたけど、美子の奴……。随分厄介な仕事を押し付けてきたわねェ。怖くてちびっちゃいそうだわ」


「今すぐ下半身吹き飛ばして、何もかも垂れ流しにしてさしあげましょうか?」


「ごめんなさいね。アタシ、気持ちいいことは好きだけどあんまり痛いのは嫌いなの。SMは好まないわ」


「あら? あたくしは好きですわよ、スプラッタ&マーダー」


 乃述加と水本、杏樹と塚井がにらみ合っている間、クリスティーナはとあるものを晶に渡した。


「こいつを使え。お前の能力を伸ばしてくれる」


「これは――――?」


 腕輪だ。『E.S.B.』の腕章にそっくりのもの。違っている点は、十字架を嵌め込むのではなく、十字架に被せるような窪みがあること。


「モアバングル。処刑人の装備を極限まで強化するアイテムだ。装備だけじゃなく、装着者本人の神経も刺激して、身体能力を高めてくれる。あんまり長時間使うと、反って身体を痛めてしまうがな」


「どうしてこんなものを僕に?」


「俺にそいつは使えない。だけどお前なら、きっと使えるはずだ」


「何を根拠にそんなこと――」


「俺の息子だから。それ以外の理由が欲しいなら、1週間待て。それまでに出してやる」


 母の真っ直ぐな瞳に、晶は圧倒される。だが、本当にこんなものを受け取っていいのだろうか。他に相応しい人物がいるのではないだろうか。


 使うことを躊躇っている間に、戦闘に動きがあった。


「晶! お義母さん!!」


 杏樹の悲鳴。彼女の身体は反り返り、その上をマンティス・ディシナが跳んで来た。


「ウギャゥゥゥ!!!」


 獣のような唸り声と共に、《罪人》は晶の肩に爪を立てる。抵抗し、振り払おうとするが、なかなか解けない。もう1つの腕輪を装着する余裕もなかった。


「――動くなよ」


 背後から母の囁き。返事をする間もなく、晶の耳元に彼女の掌が添えられた。指先を横目で見た晶は、ギョッとする。先端はまるで銃口のように、穴が開いているではないか。否、もしかするとこれは、ようにではなく。


「BANG」


 指先から銃弾。それはマンティス・ディシナの頬を抉った。


「ウグゥゥゥ! 貴様、まさか――」


「何を連想したかは知らないけど、そこまでだ。次は頭丸ごと吹き飛ばしてやる」


 クリスティーナの指が怪しく光る。そこへ乱入してきたのが、乃述加に追い詰められていた水本――セイレーン・ディシナだった。


「わずかだが、邪庭乃述加と十谷クリスティーナの戦闘データは取れた! これ以上はこっちがやられる、行くよ!」


 セイレーン・ディシナは自身の羽を何枚か毟り、ばら撒く。羽はマーメイド・ソルジャーへと姿を変えて、処刑人たちを足止めした。


「待ちなさい!!」


 乃述加は銃を乱射するが、敵を捉えることができない。結局は2体とも逃がしてしまった。


「まぁいい。今は怪我人を運び出すことを優先しよう」


 興奮状態にある乃述加を宥めるクリスティーナ。彼女は下で待機している『E.S.B.』職員に応援を頼むと、今の今まで戦闘が行われていた部屋のベッドに寝転んだ。


 その時、部屋の扉が叩かれる。応じたのは晶だ。


「はい。どちらさま――」


 扉を開けると、そこに立っていたのは、恰幅の良い、化粧の濃い女性だった。


「やっと治まった……。あなたたち! 一体何を騒いでいたの!? レストランで殺人事件があったとか、警察や民間警備が来ているやらで、こっちは気が立っているのよ!?」


 女性は今にも晶に殴りかかる勢いで、激しく怒鳴り立てた。


「何ソレ――? アタシたちはせっかくアンタらの安全の為戦ってやったていうのに、その態度!? 自分の立場分かって――」


 女性の態度に腹を立てた杏樹が声を荒らげる。そこへ割って入ったのがクリスティーナだ。


「はいはいはい。奥さま、大変申し訳ありません。ご迷惑をおかけいたしました。実はこの部屋にいたのではですね、非常に危険な犯罪者でして。私ども、皆さまの安全を守るべく行動しましたが、それが反って奥さまを不快にさせてしまうとは――。申し訳ない!」


 深々と頭を下げる彼女が、杏樹には不思議だったようだ。


「お義母さん。どうして謝るの? アタシたちは何も間違っていない」


「人の間近で危険なことしてんだ。頭を下げるのは当然だよ」


 納得がいかないといった表情で舌打ちをする杏樹。彼女を自分の後ろに回らせて、クリスティーナは女声に何度も謝る。


「本当に申し訳ありませんでした。しかしその犯罪者もね、捕らえることに成功しましたから。もう安心ですよ」


「そんなこと知らないわよ! ――もういいわ。こんな騒ぎに巻き込んだのだもの。当然宿泊費はタダよね!?」


「ちょっとおばさん。図々しいにも程があるんじゃないの!?」


「もちろん、私どもの方で、ホテルに掛け合ってみます。それでは、お部屋に戻

ってお待ちになってください」


 杏樹を抑えながら、クリスティーナは女性を部屋に帰した。


 そして疲れたように「ふぅ」とため息を吐くと、


「おーっし、お前ら。さっさと撤収するぞ」


「母さん。本当にホテル代について放し合うのですか?」


「建前だよ。ああでも言わないと、あのおばちゃんずっと俺らに付きまとうだろ。それに『E.S.B.』の名前を公にする訳にもいかないから、ああやって追っ払うのがベストだよ」


 処刑人たちは十字架を外し、息のある人々の様子を窺う。


「医療班の手配は?」


「済ませてあります。それにしてもあの2人……いや、3人。あたくしたちの戦闘データを取って、一体何をするつもりなのでしょう?」


 言いながら煙草を取り出す乃述加を、止めようとする晶。


「ここ禁煙ですよ。煙探知機もありますし」


「さっきの戦闘で壊れているようですわ。大丈夫でしょう」


 しかし聞かずに火を着けた。彼女、真面目そうに見えてどこか欠けている感じがする。


「俺も乃述加も、連中からすれば相当な脅威だし、賞金首にまでなっている。本腰入れて対策立てるつもりなんじゃねぇの」


 本当にそうだろうか。晶はその話を聞いて、何か引っかかるものを感じた。


「それより問題は、奴らが俺が日本に来てることを知っていたってことだ。これはお前らと直属の部下数名にしか話していないし、漏れるような隙間はないぞ」


「電話は両方とも『E.S.B.』で管理しているものでしたし、盗聴された可能性も低い――――」


 そうだとすれば。


「どこかに俺の行動を漏らした裏切り者がいるってことが考えられるな。考えたくないけど」


 そういう話になってしまう。もちろん、晶に杏樹、乃述加はそんなことしていない。それに晶は、アメリカでクリスティーナの部下(当時は『E.S.B.』については知らなかったため、普通の仕事をしていると思っていた)に会ったことがあるが、皆気さくで良い人ばかりだった。《罪人》と通じているなんて思えない。


「母さん。最近身近に怪しい人が現れたりとか、していない?」


「他の支部から移って来た奴はいるが、そんな連中に話してはいねぇよ」


 だとするとますます分からない。一体どこから情報が漏れたのだろうか。


 考えても仕方ねぇ! と、クリスティーナは頭を掻き毟りながら叫んだ。


「一旦引き上げるぞ。晶。杏樹ちゃん。2人は俺の家に来い。乃述加。くれぐれも気をつけろよ」


「もちろんですわ」


 そうして4人はホテルを後にした。


 事後処理や情報操作は、連絡部に任せればよい。




        × × ×




 ホテルを抜け出した水本と塚井は、人目に付かない路地裏へ入って行った。


「あの女……まさか既に、己を実験台に使っていたとはな……」


 声を震わせながら言葉を漏らす塚井に、水本は怪訝そうな顔をする。


「実験台? あなた何を見たの?」


 塚井は頬の傷を撫でる。黒い血がべっとりと掌に付いた。


 そこへ信太美子が現れる。


「お2人とも、ご苦労さまです。奴らの情報は取れた?」


「信太様。十谷クリスティーナ――あの女、デスデローサ様の遺産を持っています」


「……何だと? あれが完成していたのか? そもそもあれは、デスデローサが自分を含めた研究者と共に全て葬り去ったはずだ」


「どうやら十谷クリスティーナは知っていたようですね、例の研究を。そしてその一部を十谷達哉たつなりから受け取っていた……」


 信太は鋭く尖った犬歯をむき出しにして、近くの建物の壁を殴りつけた。


「――――もう流れてしまったものは仕方がない。それなら、いかにこちらが先手を取れるかで勝負するさ」


 そう言って彼女は、懐から自分のスマートフォンを取り出す。


「グランドから連絡があった。アメリカにいる奴の飼い猫が動き始めたらしい。情報を掴み次第、私が放った犬と合流させて動かすそうだ」


「向こうで嗅ぎ回るには絶好の機会ねぇ。アタシたちにも、まだ勝機はあるってことかしらァ?」


「ああ。運はこちらに傾いている。後は――ロードの顕現を待つだけだ」




        × × ×




 クリスティーナがアメリカを立った、少し後のこと。


 事務所のことを任された彼女の秘書、エリーナ=カルマスは、散らばったファイルを片づけていた。


「まったく。部長も腕っ節だけでなく、身の回りの仕事もできるようになってくださいよ……」


 ぶつくさ文句を言いながらも、丁寧に整理していく。こういった雑用は嫌いではなかった。


 デスクから落ちたファイルを拾い上げ、埃を掃う。


「これは……?」


 表紙には小さくこう書かれていた。


『代替案』と。


 一体何の代えなのかと、それほど深くは考えずにファイルを開く。そこでエリーナは、驚くべきものを発見してしまった。


「何これ…………。部長、自分こんなこと聞いていないです」


 エリーナは自分の呼吸が荒くなり、心臓が早鐘を打っているのを感じた。腕は鳥肌になり、歯もガチガチと鳴る。


『処刑人の代替機械開発計画』


『人口知能を用いたロボットの制作』


『機械の肉体へ脳を移植』


『人造人間を造り、戦闘用に調教』


 見てはいけない物のような気がする。それでも目を通さずにはいられない。


 そして最後のページにある名前を呼んだ瞬間、悲鳴を上げた。


『企画者:十谷達哉』


『被験者:十谷クリスティーナ』


「部長――――あなたは何を企んでいるの?」

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