第17刑 母からの贈り物―A

『ステンカ=デスデローサ、並びに十谷とおや達哉たつなりの遺産を探せ。資料はおそらく、アメリカと日本に保管されている。そちらでいくらかの情報を掴んだら日本に渡り、同僚と合流せよ。くれぐれも「E.S.B.」の連中には気取られるな』


 ――――――――ピッ。


「了解♪」




        × × ×




 十谷しょうは朝から落ち着かなかった。テレビをつけたり消したり、リビングとキッチンを行ったり来たり、腕立て伏せが終わったら拳立てを始めたり。


「56……57……58…………」


「がんばれっ、がんばれっ。目指せ100回!」


 トレーニングに励む彼の隣で、なぜかポンポンを持って応援しているのは吉川きっかわ杏樹あんじゅ。そしてこの部屋の家主である邪庭やにわ乃述加ののかは、ソファで昼間からハイボールを飲みながらファッション雑誌をめくっていた。


 何故に彼らがこれほどまでに平常心を保てていないのかと言うと、この日は晶の母で乃述加の元上司である十谷クリスティーナが、アメリカからやって来ることになっているからだ。


「母さん……本当に今日来るのですかね?」


「さあ。時間に無頓着な人ですから。もしかしたら、何の連絡も寄越さずに明日に延期なんてこともあり得ますわ」


 彼女を良く知る2人は、そうやって不安を抱いていた。


 唯一別の理由で浮足立っているのが杏樹だ。


「きちんと挨拶できるかな……。アタシなんかが、晶との仲を認めてもらえる……? お母さんにどんな風に思われるかな……」


「杏樹さん、それ全部僕の前で言っていいのですか? あんまり聞いてはいけないような」


「大丈夫。だって晶は、どんなことがあってもアタシを見捨てないでしょう?」


 若干引き気味になりながら、拳立てが70回を突破した時、玄関のベルが鳴った。煙草を灰皿に押し付け、乃述加はカメラを確認する。


『俺だー、クリスティーナだ。開けてくれ』


 見るからに怪しい人物だった。サングラスに黒いマスク。まだ残暑の厳しい時期だというのに、ニット帽を目深に被っている。そしてなぜかゆったりとしたマタニティドレスを着用している。できればこんな輩を部屋に上げたくはない。


「あの……。お引き取り願えます?」


『おい! 冗談きついぞ乃述加チャン! 何か色々お土産買って来たからさ、入れてくれよぉ』


 2秒以上の長いため息を吐き、乃述加は玄関の戸を開けに行く。


 すると即座に、騒がしい声がリビングまで響いてきた。


「よぉ、晶!! 元気にしてたかぁ!?」


「母さん……。お久しぶりです、僕は元気ですよ」


 両手いっぱいに紙袋をぶら下げ、いかにもリゾート地から帰って来た奥さまといった感じだ。


 この奇抜という言葉すら間に合っていない母に、晶は呆れながら訪ねる。


「僕の弟か妹ですか、それは」


 やや膨らんだ腹部を指差されたクリスティーナは、呵呵大笑する。


「バカ言うな! ウエストポーチをいっぱい付けてるだけだ。それにこの服着てると、電車とかで席譲ってもらえるんだよ、得だよな。それと! 残念だがお前に弟妹はできないぞ。俺は純潔を死ぬまで守り通すつもりだ」


「だったら僕はどうやって生まれたの?」


「実はな――――お前は、人間じゃない。水槽の中で作られた、クローン人間なんだよ」


「そして本当のことを言うと?」


「俺が腹を痛めて生んだ子供だ」


 相変わらず、豪快で掴みどころのない母だった。


 クリスティーナは、袋を床に置いて帽子やら眼鏡やらを外すと、杏樹に気づいて寄って行った。


「お前が吉川杏樹ちゃんだな」


「う、うん……。アタシが、吉川杏樹」


 どうやらクリスティーナのキャラに飲まれてしまっているらしい。どことなく挙動不審だった。


「十谷クリスティーナだ。よろしくな」


「よろしく、お義母さん」


「晶……、お前こそ既に入籍済みだったか?」


「僕はまだ15歳です! 結婚できません!」


「アタシは16だから、できるよ?」


「杏樹さんも、変なノリにならないでください!」


「まったく。一気に騒がしくなりましたわね……。まぁ、暗いよりはよっぽど良いですけれど」


「そうだよ。明るく馬鹿みたいに笑える。良いことじゃねぇか」


「だからと言って、騒ぎすぎもやめてくださいな。あと杏樹さん。少し前に、女性も18歳結婚になりましたわよ」


「え、知らない。教科書には16歳だって――」


「教科書が古いんじゃないかしら」


 繰り広げられたのは、本当に馬鹿みたいで、中身のない。それでも楽しく明るい会話だった。




        × × ×




 とある高級レストラン。店内には優雅なクラシック音楽が流れ、まだ真昼だというのに食事に勤しむ上流階級の人々で溢れていた。


 いかにも金持ちのマダムといった客が多い中、1つだけ異彩を放つテーブルがあった。四人掛けの内、埋まっている座席は1つ。他の3つの内2つには『予約』の札が。


 そのテーブルに近づく女性が2人。


「遅くなったね」


「いえ。お待ちしておりました、信太しのだ様」


 既に席に着いていた初老の強面の男は、2人の姿を見るや否や、立ち上がり仰々しくお辞儀した。口を開いた茶髪の女は、椅子を引きながら店員にワインを注文する。連れの女も、同様にしていた。


「本日はどのようなご用件でしょうか」


 再び食事に戻った男は、ステーキを切り分けながら訪ねる。


「走狗からの情報だ。どうやら今、あの十谷クリスティーナが日本に来ているらしい」


 茶髪の女が咥える煙草からは、柑橘系の香りが漂っている。


「その女を、わたくしめに始末しろ、と?」


「いいや。そこまで期待はしていないよ。ただ奴の動向を調べて欲しいのさ。本当なら私自ら行きたいが、生憎この前の傷がまだ癒えていない」


「代わりにアタシがサポートするわぁ。よろしくネ」


水本みなもと様がいらっしゃれば、100人力にございます」


「まぁ《臣公》と言えど、相手はあの十谷クリスティーナ。それにきっと、邪庭乃述加も出て来る。油断はできないわねぇ」


「いざとなれば、傭兵くらいは貸そう。それにこちらだって、そろそろグランドが来る頃だ。彼がいれば、簡単に事が運ぶ」


 連れの黒髪の女は、運ばれてきた食事に見向きもせずにワインを掻っ食らっている。一方の茶髪も、厚切りのステーキを切り分けることもせず、中心をフォークで刺してそのまま齧り付いた。


「お2人とも、お言葉かもしれませぬが、マナーが悪うございます」


「馬鹿野郎。食事ってのはな、本能にしたがって行うものだ。マナーなんてのは、場の空気を楽しむためのものであって、食事を楽しむためのものじゃない。私は食事を楽しみたいんだ」


 豪快な食べっぷりと、やや大きい咀嚼音に、周囲の客は不快感を示す。


美子みこ。変な目で見られてるわよォ?」


「ケチつけるような輩は胃袋行き。それだけさ」




        × × ×




 着替え終えたクリスティーナへ、不審な視線を送る乃述加。


「どうしてまた、あのようなおかしな格好をしていたのですか?」


「仕方ねぇだろ。俺みたいにさ、色んな手配書やブラックリストに載ってる人間は変装が必須なのよ。普通の格好でここまで来て、それを悪いヤツに見られていたらどうする? お前らも巻添えだ。だからあえて、あり得ないくらい馬鹿な格好をして、何人も近づけないようにしたのよ」


 理屈は分かるが、他にもやり方があったのではないだろうか。


 これ以上のツッコミは野暮なので、誰もしなかった。


「それで早速なんだがさ。乃述加、頼みがある」


「何ですの、どうせ碌なことではないでしょうけど」


「物わかりが良くて助かるよ。実は、この2人を俺に引き取らせてほしい」


 その発言に疑問符を浮かべたのは、当然晶と杏樹だ。


「母さん、引き取るってどういうことですか?」


「そのまんまだ。お前ら、俺がこっちにいる間だけでいいから、俺の家に来い」


「家って、どこにあるんですか?」


「お前も良く知ってるだろ。渡米する前に住んでいたあそこだよ」


「あの家売っていなかったんですか!?」


「そうだよ。あそこはまだ俺のモンだ。ちゅーか、そのままお前ら使ってもいいぞ」


 当たり前のように息子たちに同棲を勧めるクリスティーナ。


 晶は困惑した表情を浮かべていたが、杏樹は反対に瞳を輝かせていた。


「ありがとう、お義母さん」


「おう。話の早い娘で助かるぜ」


「僕は全く助かりませんよ……」


 しかし、そんな奇妙な計画が練られている最中に、乃述加の携帯が着信音を鳴らした。


「生憎ですが、そのお話はまた後でお願いしますわ」


「《罪人》か?」


「ええ。高級ホテルに入っているレストランにて、客が皆殺しにされたそうですわ」




        × × ×




 短い茶髪を振り乱して、その女――信太美子は食事を楽しんだ。口にしたのはただの料理ではない。同じレストランで食事をとっていた客たちだ。


「腹は膨れた?」


 その光景を楽しそうに見ていた水本作楽さくらは、ケタケタと楽しそうに笑っている。


「この程度で、アタシの空腹は満たせない。お前、ビーフジャーキーと鮭とばをメインディッシュにできるか?」


「ハハッ。そりゃ無理だわァ」


 しゃぶっていた初老の女の腕を床に捨てると、信太は血で汚れた口を拭い、店を出ようとする。


「それじゃあお2人さん。後はヨロシク。――これだけの騒ぎを起こせば、連中も嗅ぎ付けるだろう」


「任せて。処刑人どもの精気を吸い尽くしてあげる」


「信太様。お気をつけて……」


 強面の男は深々と頭を下げ、信太を見送った。


 罠は、仕掛けられた。




        × × ×




 市内某所の高級ホテル。邪庭班が到着した時には、既に野次馬と警察とで溢れかえっていた。その中に、『E.S.B.』の捕縛部、並びに連絡部の構成員の姿を見つける。


「状況はどうなっていますの?」


 乃述加が尋ねると、連絡部の男性が手に持ったタブレットを見せて来た。そこにはホテルの見取り図がある。


「現場がこの、2階にあるレストラン『オール』です。13時頃、この店を訪れていた客は16人。その時間働いていた職員が8人。その内21人が殺害されています」


 連絡部員は、新しくページを表示する。それはレストランの予約者リストだった。


「この店は完全予約制でしたので、正確な利用者数が割り出せました。そして被害者の身元を確認した結果、遺体がなかったのはこの塚井つかいという人物と、その連れのようです」


「なるほど……。この塚井御一行が容疑者ということですわね」


「それで。被害者はどんな殺され方をしていたんだ? 《罪人》絡みと判断したってことは、相当エグい死に様だったんだろ」


 横から画面を覗き込みながら、クリスティーナが口を挿んだ。サングラスをかけて変装紛いのことをしているものの、これほどまで至近距離にいれば、連絡部の彼も気が付く。


 驚いて何か言いたげにしている彼の口を、クリスティーナは立てた右手の人差し指で塞ぐ。


「今はお忍びで来日してるから。俺のことは内緒にな」


 咳払いと深呼吸をして己を落ち着かせると、連絡部員は新しく写真を表示した。凄惨な事件現場だ。ほんの数秒前まで生きていたはずの人々が、肉塊となって転がっている。四肢がもがれているのはまだましだ。頭部をねじ切られている人もいる。悪趣味なスプラッタ映画とは似ても似つかない光景だ。


「まるで肉食獣の食べ残しだな……」


「このお店、カメラは付いていませんの?」


「それが、ないんです。どうもこの店、役人や企業のお偉方の御用達の場所らしく、密会なんかに利用されていたそうなんです」


「ふぅん。わざわざカメラのない店を探したのか。とりあえず、当てになりそうな映像はないってことだな」


 そしてそのまま、クリスティーナはホテルの入り口の方へ視線をやる。


「宿泊客はどうしている?」


「事件が起きてからチェックアウトした者はいないそうです。異変に気付いたスタッフがすぐに警察を呼んで、入り口を封鎖したため、外出した人もいないはずです」


「つまり犯人はまだこの中にいるってことか」


「この塚井という人物の部屋に、先程警察と捕縛部の何名かが向かいました」


「まずは偵察だな……」


 丁度その時、『E.S.B.』のテントに設置された通信機が鳴った。


『こちら捕縛部、村上。塚井が宿泊していた503号室に突入しましたが、誰もいません』


 周りの職員を押しのけ、乃述加が通信を取る。


「こちら執行部、邪庭。容疑者の痕跡はありますか?」


『いえ。そういったものは一切ありません。まるで帰り支度を済ませて、出て行ったような――』


「しかしフロントと警察の話が正しければ、まだホテルの中にいるはずですわ。気を付けて」


『了解――――!? ぐぁ、何だ、貴様――うわあああぁぁ!!?』


 スピーカーから聞こえてきた悲鳴に、現場の者たちは一斉に凍りつく。何やら争うような物音がした後、キィン! と甲高い音を響かせて、通信機は何も言わなくなった。


「(犯人がどこかで待ち伏せていた!? まずい、今すぐ応援に――)」


「乃述加さん! 晶とお義母さんが、ホテルに入って行きました!!」


 杏樹は通信機の前で唇を噛んでいる乃述加の手を引き、走った。前方には十谷親子の姿が見える。


 そうだ。こんな時に、あれこれ考える必要はない。少しでも多くの人の安全を守るため、いち早く《罪人》を処刑すればいい。それだけだ。


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