第16刑 地図にない街―A

 木々が背中に回り、正面には青空が現れた。標高はそれなりにあるようで、空気は冷たく、息は荒くなっている。


「凄い…………」


 十谷とおやしょうは、口をあんぐりと開けたまま、しばらく動けなかった。とてもこの世の光景とは思えない。無慈悲でありながら、切なさや美しさを感じさせるものがあった。

 眼下のカルデラには、1つの街がすっぽりと収まっていた。


「あれが、監獄街……」


 監獄。そう呼ばれているからには、もっと無骨な施設だと勝手に想像していた。灰色の塀に囲まれ、中での生活は全て管理されているような場所だと。だがここから眺める限り、そうは見えない。窪みに造られているからか、場所によって高低差が確認できる。坂や階段が多そうだ。建物の高さもまちまちで、高い位置のものが低い土地のものに抜かれているものもある。どこか普通とは異なっているように思えるが、それほどおかしな点はない。


 ただ一か所だけ、目を引くものがあった。街の中心にある、一際高い塔だ。城、教会、時計塔、電波塔――――。それを見て連想するものはいくらでも出てきそうだ。


 そんな晶の視線に気づいたのか、邪庭やにわ乃述加ののかはその塔について述べる。


「あの街の中心にあるのが、日本・対《罪人》研究迎撃機構/捕縛部本部ですわ」


 彼女は晶、杏樹あんじゅ那雫夜ななよに目配せすると、行きましょう、とカルデラの縁を歩き始めた。


 少し進んだ所に、地下鉄の入り口のような階段口がある。そこから下へ降りていくのだ。


 ――長い。とにかく、階段が長い。もう10分は下っているだろう。だが一向に到着する気配がない。


「乃述加さん。これ、どこまで続いているんですか?」


 螺旋階段だったり、まっすぐの道だったり、通路が暗いせいもあり、距離感がつかめなくなってくる。


「エレベーターはないんですか」


 杏樹も疲れて来たのか、愚痴を言い始めた。大人しく歩いているのは、連行されている千瀧ちたき那雫夜だけだ。


「監獄街への道はここだけ。ここを歩くこと自体が、もう実刑のようなものですわ」


「裁く側の人間まで刑に処されていては、意味がありませんよ。それにあの険しい山道に、この長い階段。こちらの体力が落ちたところを見計らって《罪人》が逃亡しようとしたら、どうするのですか」


 杏樹の言い分はもっともだ。この道のりは、まるで逃げてくれと言っているようなものだった。


 しかし乃述加はその意見を笑い飛ばす。


「あの街に収容されることになる人は、逃げようなんて考えないものですわ。那雫夜だって、あんな戦いに巻き込まれて、いつでも逃げるチャンスがあったのに、ずっと一緒にいたでしょう」


 それは那雫夜だからなのではないか。晶も杏樹もそう突っ込みたかったが、無駄な体力を使う気がしてやめた。


 それにしても、外の景色すら見えないというのは、辛いものだ。現在どの辺りを歩いているのかも分かりはしない。


「僕たちは、本当に街に向かっているのですか?」


 もしかすると、永遠にこの闇の道を歩き続けるのではないかと、不安になってくる。乃述加は「直に着きますわ」としか答えてくれない。人間不信になりそうな空間だった。


 だが、どうやら本当に出口はあったようだ。見えてきた光に、懐かしさを覚える。暗闇に慣れていたせいで、その光は目を潰すほど眩しかった。通路を抜けた瞬間、晶は瞼をぐっと瞑った。やがてゆっくりと開いていくと、目の前には灰色の街が広がっていた。


「ここが――――――」


 天然の壁に周囲を覆われ、外界と繋がっている道もこの1本だけ。まさに、1度入ったが最後の、監獄だ。階段の出口のすぐそばにゲートがあり、そこで捕縛部員に腕章を読み取ってもらう。これで入場手続きは完了だ。


「お疲れ様です、邪庭執行部長」


「お疲れ様ですわ。守術もりすべ捕縛部長は、中央塔にいらっしゃるのかしら?」


「はい。皆さまのご到着をお待ちになっています」


 門番たちに確認を取ると、乃述加は中央にそびえる塔――捕縛部本部を指す。


「行きましょう。この地獄の管理人に会いに」



        × × ×



 ゲートから塔まで、また遠かった。晶は事務所のソファに横になると、パンパンに張っているふくらはぎを擦った。


「どうして杏樹さんは平気なんですか……?」


 疑問符を浮かべられた杏樹はと言うと、同じソファに腰かけ、膝に晶の足を乗せて愛おしそうに撫でている。


「アタシは《罪人》だから、普通の人間の晶とは体力が違うんだよ」


「僕も鍛えているつもりなんですけどね……」


「でも流石に、山登りに戦闘にあんな長い階段じゃ、疲れちゃうよね。よしよし」


 杏樹は晶のズボンの裾を捲ると、マッサージを始めた。


「《罪人》と人間では体力が違う――。それなら千瀧先輩が問題なさそうなのは分かりますが、乃述加さんは……?」


「あの人は多分、もっと凄い力の持ち主なんだと思うよ」


 あの小さな身体のどこにそんな力が収納されているのだろう。パソコンと同等の機能を搭載した腕時計のようなものだろうか。


 コンコン、と扉がノックされる。この体勢のままでは失礼だと、晶は跳ね起きる。


「ご苦労さま、執行部の諸君」


 入室してきたのは、『E.S.B.』のお偉方である守術久郎ひさおだ。初対面であるが、晶は彼の纏う雰囲気を、少し意外に思った。以前総長の新嶋にいしまと会っているせいかもしれない。あのような仙人のような風貌に、独特の威圧感を持った人物の後に見ては、どれだけ偉大な人であろうと霞んで見えてしまうだろう。守術氏は、まだまだ生えそろっている黒髪をオールバックに固めて、角ばった顔の輪郭をしているが、口角を上げて柔和な笑みを浮かべているあたり、穏やかな人格をしているようだ。


「君が、千瀧那雫夜さんだね」


「はい」


 彼は那雫夜の傍まで歩み寄ると、彼女の手首に付けられていた拘束具をはずした。


「この街ではこんなもの必要ない。これまでと同じ――とはいかないだろうが、それなりの生活を送って欲しい」


「ありがとうございます」


 深々と頭を下げる那雫夜。彼女に続き、乃述加と晶も頭を下げる。杏樹は軽く会釈する程度だった。


「そんな大げさにしないでくれ。俺はただ、望まず《罪人》になった人々に居場所を与えたいだけだ」


 謙遜するように守術は言うが、これでも感謝の気持ちを、ほんの少ししか伝えられない。

 ありがとう。そんな簡単な感謝の言葉を、延々と繰り返す那雫夜の姿は、晶の脳裏に焼き付いた。



        × × ×



 乃述加と那雫夜が手続きをしている間、晶と杏樹は街を見学させてもらうことになった。


『お願いします。この街で暮らしている人がどんな様子なのか、知りたいんです』


『分かったよ。ただ、時間は2時間以内だ。それまでにここに戻って来てくれ』


 制限はあるものの、視察を許された2人は、適当な道を歩く。


 改めて見ると、どこも自分たちの生活と変わらない。住居があり、店舗があり、人がいる。外の世界と寸分違わない営みが、ここにはあった。


 道行く人が皆、人間ではなくなってしまっているとは思えない。どこからどう見てもただの人ではないか。


「そこの兄ちゃん姉ちゃん。新しい品が入ったんだ、ちょっと見て行ってくれよ」


 道端で金物を売っていた中年の男が、晶たちに声を掛けてきた。拒否する理由もないため、2人は店先に並べられたものを見に行く。


「この辺じゃあまり見ない顔だな。新入りか?」


 その言葉で、この街の中でもコミュニティが作られていることを察する2人。囚人たちにも、それぞれの生活空間があり、その空間の中で集団を結成している。ここまで外界とは変わらない仕組みだ。


「僕たちは、その――」


 しかし、返事に困る。まさか《罪人》ばかりの街の中で、自分は処刑人であるとも言えない。だがここはさっぱりしている杏樹が先に言ってしまった。


「私たちは『E.S.B.』の人間。上司が中央塔で収容手続きをしている間、この辺をぶらついているだけ」


 これには晶も慌ててしまう。


「杏樹さん!? どうしてそんなあっさり言ってしまうんですか? この人たちが気を悪くしてしまったら……」


 冷や汗を飛ばす晶を、店の男が宥めた。


「兄ちゃん、落ち着いてくれ。俺らはそんな処刑人が来たところで、騒ぎはしないよ」


 その言葉に賛同しながら、往来していた人々も寄ってくる。


「そうだ。むしろ『E.S.B.』の人は、私たちの恩人でもある。警戒なんてするものか」


「普通の生活に戻れなくなった私を、人扱いしてくれた。感謝してもしきれないんだ」


 人々は口を揃えて、『E.S.B.』への感謝を述べる。


 しかしまた杏樹は、首を傾げながら言い放った。


「でも、ここに入ったらもう外へは出られないんでしょ? 終身刑じゃない。嫌じゃないの? 私は嫌だ」


「だから杏樹さん! もう少し柔らかい言い方をしてください!」


「分かった。晶がそう言うなら、気を付ける」


 彼女はどうも晶の頼みなら何でも受け入れるようだ。扱いやすいのか扱いにくいのか分からない。


 また、住人たちは彼女の言葉に、首を横に振っていた。


「確かにそうかもしれない。だが、外界で思われているより、ここでの生活はずっといい。不自由なことは少なく、仕事や娯楽もそれなりにある。住人同士の諍いも少ない。住めば都という奴だよ」


 彼らがそう言うのなら、そうなのだろう。晶は乃述加と新嶋の会話から、誤解をしていたかもしれない。監獄街は入ったが最後の生き地獄のようだと、勝手に思っていた。あまりいい印象をいだいていなかったのだ。だが実際に目にすることで分かった。この街に住んでいるのは、人間だ。那雫夜にとっても、決して息苦しい場所にはならないだろう。街の実態を知って安堵した。


 しかし彼らの様子を見たことで、晶の中では別の不安が湧きだした。


「本当に、《罪人》を処刑することが正しいのでしょうか――――」


 負の感情に飲まれて道理を外れた者たちを生かしておく訳にはいかない。それは理解できないこともない。だがこの街の人々のように、罪に身を堕としても変わらず生きている者もいる。見境なく手に掛けてもいいのだろうか。救いの手を差し伸べなくても良いのだろうか……。


 そんな晶の不安を読み取ったのか、杏樹は彼の肩に手を置いた。


「晶。あなたがしてきたことは、間違っていない」


 2人の頭の中に浮かんでいるのは、いつか本気で殺し合った時の光景だ。


「処刑されることで、裁きを受けることで救われることだって、あるんだよ」


 それは《罪人》として処刑されたことのある、杏樹ならではの言葉。


「少なくとも、私はあなたに殺されることで、救われたと思っている。だからあなたは、自分のやってきたことを恥じなくていい」


 彼女の言葉は、迷っている晶の心を、少しだけ真っ直ぐに矯正してくれる。


「そう言ってもらえると、僕も救われます」


 処刑人と《罪人》の関係は、思っていたよりも深いのかもしれない。

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