第15刑 盲目の魔女―B

 最後の訪問から3日が経った日。暮内くれない弥希みきの携帯に電話が入った。表示された名前は、明外あけがた静子しづこ静孔しづくの妹だ。


「もしもし、静子ちゃん。珍しいな、アタシに電話なんて――」


「暮内さん…………」


 電話口から聞こえるのは、涙声だった。嫌な妄想が脳裏を過る。まさか、そんなことあるはずない。一瞬考えてしまったことを、必死で否定しようとする。


 しかし静子が口にしたのは、その否定したい妄想だった。



「姉さん、今朝死んじゃった…………」



 弥希の心臓は大きく撥ねた。この言葉に受けた衝撃は、ボーイフレンドを亡くした時以上かもしれない。


 電話の向こうから、静子がすすり泣く声が聞こえてくる。思わず彼女を責めそうになってしまうが、そうするのはお門違いだ。あまりにも突然のことで弥希は混乱するが、それは静孔の家族も皆そうだろう。


「静子ちゃん……。何があったんだ? 説明――できるかな」


 うん。と、今にも消えてしまいそうな小さな返事があった。


「昨日の晩にね、病院から電話がかかってきて――そして、あの、姉さんが急変したって言うから……手術に、なりそうって話で……でもあの病院では、できなくって。それでもっと設備のある、所へ行くって……。でも今朝、その別の病院に、行く途中に――――なく、な…………し、なく、しんじゃ、うう、うううぅ…………」


 これ以上語らせる訳にはいかない。これ以上は、静子が悲しみに押し潰されてしまう。弥希は「もういいよ」と静子を止めると、床に置きっぱなしだった旅行雑誌を蹴り飛ばした。


 どうしてあの子が死ななくてはいけない。病を患うのは誰にでもあることだ。それでも「仕方がない」なんて割り切ることができない。回隻かいせき医師は、静孔が生きることを望んでいないのかもしれない、と言った。だが弥希は一言もそんなこと聞いていない。お互い強いところも弱いところもさらけ出してきた仲だ。隠し事なんてないと思っていた。


「まさか…………」


 半ば八つ当たりに近い考えが頭を過った。しかし1度考え始めると止まらない。


 静孔が自分に嘘を吐かないことは、自分が1番よく知っている。彼女が生きる希望を失くしてなんかいないと、断言できる。そもそもその話はあくまで回隻医師から聞いた話だ。静孔から直接伝えられたものではない。


 回隻医師が、自分や静孔や彼女の家族に嘘を吐いていたら?

 弥希は拳を握りしめる。ああ、そうだ。そうに違いない。あのヤブ医者が静孔を殺した!


「静子ちゃん。静孔が移される予定だった病院の名前、分かるか?」


「はい……。隣の区の、尾屋白おやしら総合病院だそうです」


「ありがとう。ちょっと調べたいことがあるんだ。じゃあね」


 電話を切り、それを握り潰す。これで実家の両親とも、大学の知り合いとも連絡が取れなくなった。ここから先は何が起こるか分からない。何が起こっても構わない。例え2度と世間に顔向けできなくなるとしても、怖くはない。静孔がいなくなってしまうことに比べれば。



「そうですか。お忙しいところ、すみません。ありがとうございました」


 静子に教えてもらった尾屋白総合病院。そこを訪ね、昨晩急患や他の病院からの受け入れはあったか訊いた。思った通り、そんな話はなかった。全てあの医者の芝居であると、弥希は確信した。


 三依みより市から尾屋白区へ向かう道のどこかで、別の道に入ったに違いない。


「(あのクソ野郎……。どこへ行きやがった?)」


 時間が大分経ってしまっているため、その辺を適当に歩いている程度で発見することは困難だ。それでも彼女のためなら、どんなことだってしよう。


 静孔のことを考えれば考える程、なぜか彼女を連れ去った回隻に対する憎しみが募っていく。そして憎しみが増える程、弥希の目は冴えていった。


「(どういうことだ? 視界が変だ。地平線の彼方まで見渡せるみたいだ)」


 その目は20メートル先のビルの屋上にあるアンテナを、50メートル先にあるコンビニの幟のぼりの文字を、100メートル先を走る自動車のナンバープレートを、はっきりと捉えることができた。


 あまりにも突然のことで、弥希自身理解が追いつかない。分かるのは、己の身に何か異変が起きているということだけだ。


「クッソ……。身体が熱いぞ」


 気疲れか、熱が出て来たようだ。全身が沸騰するように熱い。


 それでも諦める訳にはいかない。必ず静孔を見つける。例え本当に、命を落としていたとしても、その身だけは救わなければ。


 1キロ以上先にある山に視線を移した時、弥希の目にとあるものが映った。山道に乗り捨てられた軽自動車だ。行楽シーズンだ、登山をするために、あそこまで車を持っていくことも考えられる。だが弥希には、とてもそうとは思えなかった。あの車で静孔は攫われた。根拠のない確信が彼女の身体を貫いた。


 急かすように、暗雲が空を覆い始める。早く。早くあそこに行かなければ。



 ドォン!!


 山中に到着した弥希は、車のフロントガラスを力いっぱい殴りつけた。分かっていたことだが、車内には誰もおらず、ここからどこへ向かったのかという痕跡も周囲には見当たらなかった。だが間違いない。この車に静孔は乗っていた。かすかにだが彼女の匂いがする。


「どこだ…………。どこにいる…………?」


 もはや自分の身に起きている異変など、気にも留めなくなった弥希。異常な視力も嗅覚も、お構いなしだ。草むらを掻き分け、邪魔な木を折り、さらに山奥へ進む。


 そしてついに、何者かの気配のする小屋を見つけた。小屋と言っても、プレハブ小屋のような簡素なものではない。林の中に孤独に立っている別荘、と言った感じだ。


「ここかァ…………ッ!」


 ポツリポツリと降り始めた雨が、弥希の髪を濡らす。湿った落ち葉と土を踏みしめながら、小屋の扉の前に立つ。取り付けられていた輪を握り、ノックする。反応はない。だが弥希は確信していた。この中に静孔がいる。そして彼女を連れ去った男も。


「出てこないなら、こっちから開けさせてもらうよ」


 スゥ――――と深呼吸。そしてきつく結んだ右の拳で、力いっぱい扉を殴りつけた! 除夜の鐘も真っ青な轟音が響き、驚いた鳥たちが雨粒に濡れることも構わず、一斉に飛び立った。扉とその周辺の壁は、重機での解体工事のように粉々に吹き飛んでいる。己の人間離れした行為に、弥希は一切の疑問を持たない。もうこれが当たり前のように感じている。


「どこだァ!? 回隻俊雄としおォ!!!」


 土足のまま家の中に上がり込む。ここまですると流石に、小屋の持ち主も出て来ざるを得なかった。


 廊下の奥にある一室から、回隻が姿を現す。


「暮内さん……? 何の真似ですか、これは。こんな所に何のようがあるのです」


 あくまで知らぬふりを貫こうとする回隻。そんな彼の態度が、なおさら弥希を苛立たせた。


「しらばっくれてんじゃねぇぞ、タコ! 静孔を誘拐して、何考えていやがる!!??」


 医師との距離を一瞬で詰めると、胸倉に掴みかかる。弥希は今にも彼の喉笛に食いつきそうだった。


「てめぇのせいで静孔は……! この人殺しがァ!!!」


「人殺しだなんて、人聞きの悪いことを言いますね。彼女はまだ生きているのに」


 ――――! 生きている。静孔はまだ生きている! その言葉が弥希にもたらした希望の量は計り知れない。こんな男の言葉を信じるのは癪だが、彼の発言はスッと弥希の胸の内に落ちた。


 弥希の力が緩んだ一瞬の隙を突き、回隻は彼女の縛から逃れた。ゲホゲホと咳き込みながら、廊下の先の窓から脱出しようとする。しかし弥希もそんな彼を見逃さない。即座に反応し、再び回隻の首に手をかける。


「静孔はどこだ」


 脅すも、回隻は薄ら笑いを浮かべるだけで答えない。腸はらわたの煮えくり返った弥希は、彼を力いっぱい壁に叩き付けた。決して脆い訳ではないのに、壁は簡単に、まるで麩菓子のように崩れる。


 壁に空いた穴から、あるものが見えた。病院同様に真っ白な、清潔感のあるシーツを敷いたベッド。その中に誰かが横たわっている。


「……静孔か?」


 呼びかけるも、返事はない。


 弥希は穴をくぐり、恐る恐るベッドに近づいた。寝ている誰かは、頭まですっぽりシーツを被っていて、顔が確認できない。ミイラの布を剥がす考古学者のように、身長にシーツを捲る。


「どういうことだ、おい…………」


 そこで眠っていたのは、間違いなく明外静孔だった。しかしそれは、暮内弥希の知る静孔ではない。本来ならば黒いはずの彼女の髪は、真っ白に脱色してしまっている。肌も、精気を感じられないほどに色が悪い。両目の下には隈が、否、痣がある。


 まるでマネキンのような親友の姿を見て、弥希の中では再び回隻への怒りが燃え上がる。


「てめぇ、静孔に何をしたァァァァァァァァァ!!!????」


 床に転がって、既に虫の息になっている回隻を無理矢理立たせ、問い詰める。


「どうしてこんなに弱っているんだ。3日前に会った時は、いつもと変わらない様子だった。それからアタシがこの子と会っていない間に、何をした!?」


「その子は遅かれ早かれ死ぬんだ。その前に、少しでも人類の役に立てた方がいいでしょう」


「寝言はその辺にしとけよ、キレんぞ」


 回隻の首に、徐々に弥希の爪が食い込んでいく。


「寝言も何も、事実ですよ。明外静孔は、日本はおろか、世界的に見ても珍しい病に侵されている。今の医学では治る見込みがないんだ。それなら、彼女の症状をもっと観察して、今後の医学に役立てればいい」


「それは、なんだ? 静孔に人柱になれって言うのか」


「ええ。医学の尊い犠牲ですよ。それにこの病を解き明かすことができれば、私の名も上がるでしょう」


 その言葉を聞いた瞬間、弥希は激昂した。


「てめぇは……自分の名誉のために、静孔を利用したっていうのかあああぁぁぁぁぁぁぁぁァァァァァァアアアア!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 彼女の全身に、黒いラインが浮かび上がる。皮膚が裂け、黒い血液が流れる。弥希はファルコン・ディシナの、《罪人》の力に目覚めた。


「ッッッ!!! 化け物が!!!」


 回隻は抵抗しようと、尻のポケットから鋏を抜くと、自分の喉を握る弥希の手に突き刺した。怯んだファルコン・ディシナの、手の力が緩み、回隻は彼女を押しのけた。首元を擦りながら、医師はゲホゲホと咳き込む。


 ぼうっと、鋏の刺さった掌を眺める《罪人》。そして彼女は何の躊躇いもなく、それを引き抜いた。滴る血を愛おしそうに握りしめると、ファルコン・ディシナは回隻に襲いかかる。反応を示す隙すら与えなかった。相手の胸に爪を突き立て傷を作り、破れた血管に己の血液を侵入させる。《罪人》となった弥希は、自分の血を自由に操れることができる。彼女の血は一瞬にして回隻の全身を駆け巡った。


「惨めな、阿呆面で、死ねよ」


 呟き。そして、破裂音。


 回隻の体内に潜り込んだ弥希の血は、一斉に膨張し、彼の血管を、肉を、皮を、存在を破裂させた。


 ぐちゃぐちゃと以外言いようのない死体から手を引き抜き、弥希は人間の姿に戻る。自分の血と返り血とで、頭のてっぺんからつま先までが、赤黒く染め上げられていた。


 血まみれの怪物は、同様に汚れたベッドに歩み寄る。そこに横たわる、真っ白な少女。部屋に置いてあった救急箱に入っていた包帯で、静孔の白く濁った瞳を覆う。彼女に、怪物となった自分を見られたくなかった。


「静孔……お前は、家族の元に帰れ……」


 アタシはもう帰れない。それでも静孔には、これまでの生活を取り戻してほしいと、弥希は願った。


 窓の外。雨脚はどんどん強くなっている。そして弥希は見てしまった。稲光に照らされた静孔の姿。一瞬しか確認できなかったが、確かに、その目に写った。自分と同じように、人間の姿を失った彼女が。


「あぁっ、そんな! お前まで……どうして。こんな…………」


 全ては手遅れだったのだろうか。結局彼女を救うことなど、できていなかったのだ。


 もう、どこにも帰れない。


 そんな時、静孔の唇が開いた。あまりにも弱弱しく、虫の羽音にもかき消されそうな声だ。


「弥希、来てくれたんか…………。ありがとうなぁ……」


「もう喋るな。本当に死んじゃう」


 弥希は静孔の枕元で、頭を下げて泣いた。もう何もかもが手遅れだった。こんなことになっては、静孔を家族のいる場所へ帰してあげることもできない。自分も大学や実家に帰る訳にいかない。


 ごめんなさい。ごめんなさい。唇から洩れるこれは、一体誰に向けての懺悔なのか。


 雨脚が強まり、屋根の悲鳴が室内に響く。その音は弥希の心の叫びに酷似していた。


 再び雷鳴が轟く。直後、何を思ったのか、弥希は静孔を抱き上げた。


「どないしたん……? 弥希ぃ、どこ行くん?」


 弥希は問いに答えない。


「(帰る場所がないなら、作ればいい。アタシたちだけがいる、誰にも侵害されない場所を)」


 ぎしぎしと床を鳴らし、玄関へと向かう。


 静孔は苦しそうに何かを言おうとしているが、発声する力も残っていないのか、一切喋ることができない。


「静孔、大丈夫だからな。お前はアタシが守ってやる」


 小屋を出たとしても、その先に温かいものなど待っていない。冷たい雨と暗雲に包まれた闇の世界だけだ。


 それでも、2人で生きるには広すぎる。


「さぁ行こうか。光の届かない、アタシたちの住処へ」


 もう2人には、足元を照らす光すら見つけられない。



        × × ×



「駄目ェ! 弥希ィ!!!」


 誰かの悲鳴が響いた瞬間、棍棒は乃述加ののかの眼前で止まった。百戦錬磨の執行部長も、流石に今度ばかりはお終いかと思った。《臣公》に殺され、りりの後を追うことになると。


「(誰、新手? 暮内弥希の仲間なのは、間違いなさそうですわね……)」


 乃述加は腰を捻ると、棍棒を蹴りつけて自分の身体の上から退かし、数歩下がる。


 どこだ。声の主はどこにいる? 処刑人たちは辺りを窺う。


 ガサッ!


「!!!?」


 意外なことに、攻撃を食らったのは暮内弥希だった。否、それは攻撃と呼べるようなものではない。ただ彼女の腰にしがみついただけだ。


 小柄な少女だった。しかし、《罪人》の姿ではなく人間の姿であるにも関わらず、その風貌は『異形』と呼ぶにふさわしい。肩で切りそろえられた髪には一切色がない。汚らしい純白をしていた。そして両の瞳を覆うアイマスク。だらりと、だらしなく伸びた舌。まるで幽霊だ。


「静孔、どうして来た!?」


「どうしてやない! あんたを止める以外、何があるん?」


 少女の名前に、しょう、乃述加、那雫夜ななよはピクンと反応する。


「シヅク? まさか明外静孔なのか!?」


 那雫夜は、利里の仇である篠原しのはら良子よしこ――信太しのだ美子みこが口にしていたことを思い出す。医師変死事件の際に聞いた話だ。死亡した医師が担当していた人物の名が、明外静孔ではなかったか?


「あなた、死んだはずじゃあ……」


「ウチが死んだ? 何言うてますの、おもろいお姉さんやなぁ」


 舌を振り乱してケタケタ笑う静孔。まるで壊れた人形のようなその仕草は、例え難い恐怖心を晶たちに与えた。


「弥希。あんたの目的はこの人らを殺すこと違うやろ? あんたのお仲間さんの勧誘や。それだけ済ませて、はよ帰りましょ。ウチはこんなとこに長居しとうないわぁ」


 そんな魔女も、暮内弥希には甘えたような仕草を見せる。ファルコン・ディシナは舌打ちをすると、人の姿に戻り、他の3人には目もくれずに那雫夜に歩み寄った。


「なぁ、アンタ。《憤怒》の眷属なんだろう? どうだ、アタシと一緒に来ないか」


 そう。《憤怒》の感情で《罪人》へと堕ちた那雫夜は、《憤怒臣公》である暮内弥希にとっては配下に当たる存在だ。このような勧誘が来てもおかしくない立場だ。


 だが当然、誘いは断った。


「誰がお前ら何かと! 利里を殺した連中なんかと、組む気はないわ!」


「そりゃ残念だ。それじゃあ生かしておく義理はないな」


 再びファルコン・ディシナとなると、彼女は那雫夜の胸に爪を立てる。一方の那雫夜は、両手を拘束されているために、抵抗ができない。


 そこで飛び出したのが、晶だ。


千瀧ちたき先輩から離れろ!」


 風の力を利用して放つ拳が、空気を唸らせる。彼の攻撃は、《罪人》の手を払うことに成功した。


 続けて繰り返し拳を繰り出す。相手も身のこなしが軽いため、なかなか当たらなかったが、ようやく一撃が腹に入った。


「うぐぅっ!」


 苦しそうな声を上げる弥希。


「! これなら!!」


 ここで晶は気が付いた。打撃は斬撃や銃撃よりも、敵の出血量が少ない。これなら厄介な兵隊を生み出させることなく、相手を追い詰めることができる。


「はぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――ッッ!!!」


 今度は胸に拳が食い込む。ファルコン・ディシナの口からは、唾液が飛び散りはするが、血は流れない。この方法ならばいける。そう確信した。


 だがもちろん、相手もこのまま大人しく攻撃を受け続けてくれるはずがない。


「図に乗るな!!!」


 カウンターで拳が飛んでくる。それを左肩に食らいながらも、晶は突き出した右腕を引っ込めない。そのまま、暮内弥希の顎に一撃を入れた。


 ――それが不味かった。


「ッッッ!!」


 しまった、晶は胸の内で悲鳴を上げる。彼の顔に、血の飛沫がかかる。殴られた側である《罪人》の瞳は、晶を見下しながら笑っていた。


 彼女は、顎を殴られる寸前に舌を出し、攻撃を利用して噛み切ったのだ。


 空中で器用に脚を折りたたんだ弥希は、晶の身体を蹴り飛ばす。地を転がった彼に向け、すかさず口内から血液製の千本を発射した。舌の断面から溢れた血で作ったものだ。


 しかしそれは晶には刺さらない。咄嗟に間に割って入った杏樹あんじゅが、代わりに傷を作っていた。


「晶を傷つけさせはしない」


「――お前、アタシと似ているな。行動も、気配も」


 そう。気配が似ているのは、杏樹も那雫夜同様に《憤怒》の感情から罪に堕ちた身であり、《憤怒臣公》の弥希の眷属になるからなのだが、弥希は杏樹が《罪人》であることを知らないため、理由までは気づかなかった。


「弥希ィ!!」


 明外静孔の悲鳴が聞こえ、弥希はそちらを振り返る。そこでは、静孔が乃述加によって銃を突きつけられていた。


「形勢逆転ですわね。このまま大人しく下がるのでしたら、見逃してあげてもよろしくてよ」


 もちろんハッタリだ。《罪人》をみすみす逃がすはずがない。


 のだが。


「分かった。今日は手を引いてやる。今すぐその銃を下ろせ」


 以外にも弥希は、大人しく受け入れた。それほどまでに、仲間が大切なのだろうか。この反応に面食らってしまった乃述加は、思わず言われた通りに銃を下げる。


 それを確認すると、弥希は静孔の隣へと一瞬で詰め寄り、彼女を抱えて飛び立った。


「次は容赦しない。首を洗って待っていろ」


 捨て台詞を吐くと、2人はどこかへと去っていった。


 嵐のような戦いだった。突然現れて、突然去っていく。正直なところ、誰も理解が追いついていなかった。皆、息を荒くしてその場に座り込んでしまう。


吉川きっかわ杏樹。あなた、感じた?」


「そう訊くということは、あなたもだね」


 目配せする那雫夜と杏樹。2人のやり取りの意味が分からず、晶は首を傾げる。


「どうかしたのですか、お2人とも」


 僅かに肩を震わせながら、那雫夜が答える。


「多分これは、《罪人》であるわたしたちだけが感じ取れたものだと思うのん……。でも間違いない。後から来た明外静孔の方……。暮内弥希よりもずっと強い霊力を感じた。暮内弥希だけじゃない。力の大きさなら、あの信太美子よりも上ねん」


 杏樹も首肯しながら、那雫夜の言葉を受け継ぐ。


「今回はあいつが参加してこなかったから良かった。でも、もしも2体同時に相手をすることになっていたら、今頃みんな死んでいたよ」


 鋭い風が野原と化した一帯を駆け抜ける。


 恐らく、今戦った2人は、どちらも本気を出していない。これから先もあんな化け物を相手にしなくてはいけないと考えると、気が滅入ってしまう。


 俯きかけている3人に、立ち上がった乃述加は発破を掛ける。


「あの程度で怖気づく訳にはいきませんわ。今は、あたくしたちのするべきことをしましょう。監獄街も、もうすぐですわ」


 そうだ。今彼らが成すべき最優先の事柄は、千瀧那雫夜を監獄街まで送り届けるところだ。


 立ち止まっては、いられない。

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