第14刑 血まみれの侍―A

『君は笑っている方が可愛いよ』


 それが、彼が死ぬ間際に口にした言葉だ。

 明日も、それからも、ずっと楽しい日が続く。そう言って彼は目を閉じた。


 まだ小学生の時の記憶だ。周りから見れば、子供の恋愛ごっこに見えたかもしれない。愛だの恋だのを語っても、それは中身のない空っぽのモノに見えていたかもしれない。


 それでも、本当に好きだった。愛していた。でも大人になる前に彼は逝ってしまった。


 あれ以来、他人との関わりを恐れていたアタシが、唯一心を許したのがこいつだ。


 アタシの中に残った、たった1つの光明。アタシはこいつを守り続ける。何があっても、どんな恐ろしいことに巻き込まれようとも、静孔しづくだけは守って見せる。


 世界中のなにもかもが信じられなくなっても、譲れないものはあるんだ。



 暮内くれない弥希みきは人気者だった。整った顔立ち、細長い手足、光沢のある黒髪。ありとあらゆる憧れの要素を持っていた。それだけでなく、男女分け隔てなく明るく振る舞った。それが彼女の厚い人望の最たる理由かもしれない。


 だがウチだけは知っている。あの子が誰にも心を開いていなかったことに。好きだった男の子を事故で亡くして、以来殻の中に閉じこもってしまった。メッキに覆われた彼女は誰にでも同じ表情を見せた。そのメッキを見て、この子を明るい子なんだと勘違いするヤツも大勢いた。


 ウチだけが弥希の弱さを知っている。この子の苦しみを知っている。だからウチは、ずっとこの子の傍にいなければならない。


 そのはずだったのに。



        × × ×



 空港。行き交う国内外の観光客に、しょうは圧倒されていた。まさかこの地域がこんなに人の集まる場所だとは思ってもみなかった。


 目を丸くして周囲をきょろきょろと見回す彼を、吉川きっかわ杏樹あんじゅが小突いた。


「そんなことしていたら、変な奴に見られちゃうよ。仕草自体はとっても可愛いケド」


「ありがとうございます……?」


 いちいち舐めるような視線を自分に送ってくる杏樹に、晶はやや危機感を覚えていた。――主に貞操の。


「やっぱり空港は人が多いですね。アメリカにいた時はそんなことを気にする余裕もありませんでした」


 渡米したのは、父の死の直後。そして日本に戻ってくる時は、半ば家出同然だったので、周りの風景にまで目がいかなかったのだ。


 そんな彼を、呆れたように杏樹は鼻で笑った。


「別に人が多かろうが少なかろうが、そんなことアタシたちには関係ないよ。どうせみんなと同じ飛行機には乗らないんだしさ」


 そうなのだ。彼女の言う通り、今回晶たちが乗るのは一般の旅客機ではない。『E.S.B.』が特別に手配させた小型のチャーター機だ。そもそも彼らの向かう場所は、世間に公表されていない、闇の部分なのだから。


『監獄街』。乃述加ののか新嶋にいしま総長はそう呼んでいた。乃述加が説明してくれたが、そこは『E.S.B.』日本の捕縛部本部であり、死刑執行されていない《罪人》たちが集められた場所らしい。外界とは完全に遮断され、巨大な壁に囲まれた小さな世界で生活を送っているのだという。


 そんな場所に送られるのは、晶の同僚の千瀧ちたき那雫夜ななよだ。先日の事件で最敬の人を亡くし、《罪人》へと身を落としてしまった彼女は、『E.S.B.』上層部の判断でその『監獄街』に入ることになった。その判断に、晶が胸を撫で下ろしたのも事実だ。那雫夜は死ななくてよい。それが分かっただけで、どれだけ気が楽になったことか。乃述加曰く「監獄街の生活は、もしかすると死ぬことの方が楽に思えることかもしれない」ということだが、親しい人の命が奪われるよりもずっと嬉しい。それはあくまで、晶のエゴかもしれないが。


「準備が整いましたわ。さっそく飛行機の所まで行きましょう」


 そこへ手続きを終えた邪庭やにわ乃述加がやって来た。晶と杏樹は彼女に続いて、チャーター機の待つ滑走路へ入る。


 そこで先に待っていたのは、手錠を掛けられ、両脇に捕縛部員を侍らせた那雫夜だ。


「ご苦労さまです。ここからはあたくしたちだけで十分ですわ」


「はい。千瀧那雫夜の身柄、確かに引き渡しました」


 彼女を乃述加に押し付けた捕縛部員たちは、そそくさといなくなった。


 4人と、他操縦士2人が小型のチャーター機に乗り込む。機内では誰もが終始無言だった。晶は小窓から、後方へ流れていく雲を眺める。杏樹がちょっかいを出してくるかもと思ったが、彼女にもこの重い空気が伝わったようで、下手な動きは見せなかった。


 これが那雫夜と過ごせる最後の時かもしれない。それは頭では理解していた。だがどうすることもできない。彼女には何と話しかければよいのか。どう接するのが正解なのか。そんなこと分かったものではない。もう2度と会えない可能性が高いのに、話しかけることができなかった。



        × × ×



 静孔が倒れたのは、今から半年くらい前だった。元々身体が丈夫ではなかったのだが、風邪を引いたことがきっかけで肺炎になり、さらにはインフルエンザに感染するなど、泣きっ面に蜂どころの騒ぎではなかった。


 倒れて病院に担ぎ込まれてから数日は意識がなかったものの、1週間もすれば目を覚まし、会話も可能になった。


 病室。ベッドの傍ら、弥希は親友の白い顔を眺めていた。


「なかなか回復しないな……」


「うん。具合が悪いのはいつものことやけど、1週間もしたら、もの食べるくらいはできるようになるんになぁ。まだ何にも喉通らへんわ」


 やせ細って頬もこけている。見ていられない様だった。


 コンコン、と扉がノックされ、静孔の妹の静子しづこが入って来た。制服に鞄を持っているところを見るに、学校帰りに病院に寄ったようだ。


「こんにちは、静子ちゃん」


「こんにちは、暮内さん。おはよう姉さん。調子はどう?」


「毎日わざわざスマンなぁ。お前だって来年受験やのに」


 羽織っていたコートを壁掛けに掛け、鞄も籠に入れながら、静子は笑った。


「別に問題ないよ。ウチ、姉さんより頭良いもん」


「病院にまで来て嫌味言わんといてな。――あんまり昨日と変わってへんよ」


「そりゃそうだ。一晩明けたら、綺麗さっぱり病気は消えて、すっかり元気になりました! ってなったら、苦労しないもんね」


 弥希は飲み物を買って来ると断って、静子に席を譲った。


 売店に行く途中に、静孔の担当医を見つける。思わず声を掛けてしまった。


「先生。静孔は本当に大丈夫なんですか?」


明外あけがたさんか。あまりにも症状が変わらないせいで、何とも言えないですね。回復している訳でもなければ、悪化している訳でもない。病院に来た日から、一切変化が見られないのです」


 変化していない? それもおかしな話だ。普通治療を受ければ良くなる。病の方が強ければ悪くなる。そのどちらにも向かわないというのは、あまり聞かない話だ。


 悪化していないことが、せめてもの救いだ。そう医師は言った。


「これからもあの子のこと、よろしくお願いします。回隻かいせき先生」


 お辞儀をした後、弥希は再び売店へと向かった。



        × × ×



 飛行機が降りたのは、山奥深くだった。しかしそこにはぽっかりと、飛行機やヘリが着陸するスペースが空いている。


「ここは一体どこなんですか?」


 機内では一切口を効かなかった杏樹が、乃述加に訊ねた。

 運転手2人が再び機体を離陸させたのを見送った乃述加は、その質問に答える。


「ここは湯巣鉢ゆすばち山麓の最奥。この先に『E.S.B.』日本の捕縛部本部――通称『監獄街』がありますの」


 舗装された道路どころか、獣道すら見当たらない森を、彼女は指差す。本当にこんな場所に人が生活する空間が存在するのだろうか。


「千瀧先輩……」


 途端に不安に駆られた晶は、那雫夜を振り返る。晶の言いたいことを察した彼女は「良いんだよ」と力なく笑った。


「今のわたしは《罪人》。もうこれまでと同じようには生きられない。それに利里りりのいない世界なら、わたしにとってはどこも地獄よん。それだったら、他人に迷惑を掛けない場所でひっそりと生きていく方がいい」


 そんなことないです! なんて反論はできなかった。誰も彼女に、肯定も否定も、同意も異見もできなかった。

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