第13刑 女王蜂の帰還―B

 休み時間になると、吉川きっかわ杏樹あんじゅは忽然と姿を消していた。毎時間そうだ。そのせいでしょうは腹の奥で何かが煮詰められているような感覚になっていた。聞きたいことは山ほどあるのに。どうしてここにいるのかとか、どうして生きているのかとか、本物の杏樹なのかとか、そんなことを。


「はぁ……。まさか昼休みでも捕まらないなんて」


 彼女を探して校内を駆け回ったものの、見つけられず、晶は諦めて教室に戻って来た。弁当も全く手を付けられない。杏樹のことが気になり過ぎて、何も喉を通りそうにない。


 結局放課後まで、彼女と言葉を交わすことはできなかった。それどころか、ホームルームが終わるともう既に杏樹の姿はなく、まるで晶を避けているようだった。


 家に帰る途中で、携帯のアラームが鳴った。ただのメールではなく、『E.S.B.』の職員に配信される緊急命令だ。《罪人》が出現した。執行部所属の晶はその《罪人》を狩ることが仕事だ。今すぐに現場へ向かわなければ。


 メールに添付された地図を確認しながら走っていると、後方からクラクションが聞こえた。


「晶! 乗って!」


 運転席の乃述加ののかが、窓から顔を出して呼びかけてくる。後部座席の扉を開けてもらい、晶は車に乗り込んだ。


「今回現れた《罪人》は、何者なんですか?」


あずま繁雄しげお。逃亡中の強盗殺人犯ですわ」


 警察でも処刑人でも追っていた人物らしい。消息を絶って1月経ったが、ようやく尻尾を出したようだ。今度こそ逃がさないよう、どこの組織も気合が入っている。


 現場に近づくにつれ、パトカーの音も聞こえるようになってきた。武器を持った警官隊が目に入った。

 しかし、いざ現場に到着した晶と乃述加が見た景色は、凄惨なものだった。積み重ねられた複数人の警察官。動かない一般市民。そしてその上に腰かけた異形の存在。


「あなた、東重雄ですわね?」


「何だ、小娘。ここはテメェみたいのが来るところじゃねぇぞ」


「いいえ。むしろこここそが、あたくしたちの仕事場ですわ」


 十字架を腕章に嵌め、処刑人の姿になる乃述加。彼女に続き、晶も戦闘衣装になる。

 全身を鱗で覆い、鰭を持つ化け物は、地面に突き立てていた細剣を抜いた。


「なるほど。噂に聞く処刑人とやらか。いい加減にただの人間を殺すことにも飽きていたところだ。お前たちで遊んでやる!」


《罪人》が細剣を構え、一歩を踏み出そうとした、その瞬間。バン! という大きな音とともに、《罪人》の身体が黒い血液を噴いた。


 晶と乃述加はあまりにも突然のことで、何が起こったのか即座に判断できなかった。しかし《罪人》が銃撃されたのだと気付くと、周囲を見渡し攻撃した人物を探した。


 がさり、がさりと音を立て、何者かが近づいてくる。植え込みの木々も何やら怯えているようだ。


「!!?? 何で、どうして…………」


 ついに晶はその人物の姿を捉えた。黒い長髪を三つ編みにした、ジャージの少女。


「杏樹さん…………?」


「あんじゅ、ですって? まさか、あの子は、吉川杏樹!?」


 乃述加も驚き、その少女を見つめる。彼女の手には拳銃が握られている。『E.S.B.』の職員、主に執行部と捕縛部の人間に配られる支給用拳銃だ。そして左手首には『E.S.B.』の腕章が。処刑人しかつけることを許されないそれを、どうして彼女が。


 呆然と姿を見つめてくる晶と乃述加に気づいているのか定かではないが、杏樹は拳銃を腰からぶら下げたホルダーにしまうと、ジャージのポケットから1つの十字架を取り出した。


「何ですの、あれは」


 乃述加が首を傾げるのも無理はない。杏樹の握る十字架は金色をしていた。普通処刑人が持っているのは銀色の十字架だ。あんなものは見たことがない。


 一方の杏樹は、どこか楽しそうな顔つきだ。まるで戦いに乱入できたことを喜んでいるみたいだ。彼女は十字架を腕章に嵌めると、満足そうに微笑みながら宣言した。


「死刑執行」


『ネオ エグゼキュージョン システム ブート!』


 十字架から発せられた光が彼女を包み込む。光はやがて実体を持ち、彼女の身体を守るように張り付いた。


 その姿は、ドレスにも喪服にも、聖人にも悪人にも、処刑人にも《罪人》にも見える。手首に付いた十字架は、手の甲に向けての部分だけが長く伸び、1本の針になっている。その形状は、晶には見覚えがあった。杏樹の《罪人》としての姿――ワスプ・ディシナの武器と同じだ。手の甲に付いた毒針。それだけではない。よく見ると全身がワスプ・ディシナの姿に似ている。処刑人にも《罪人》にも見えるのは当然だ。だってこれは、彼女の《罪人》の姿を模して造り出された戦闘服なのだから。


「おいでよ。私があなたを殺してあげる」


 敵を挑発する杏樹。《罪人》は首を傾げながらも彼女に跳びかかった。


「テメェも処刑人みたいだが、知ったことじゃねぇ! 俺の恐ろしさを思い知らせてやる!」


 細剣が杏樹の喉笛を狙う。しかし攻撃には全く興味がないと言う風に、彼女は微動だにしない。危ない! と晶は割って入ろうとしたが、いかんせん距離がある。間に合わない。

 だが問題はなかった。東の攻撃は杏樹には届かなかった。跳躍した途中で、彼は突然地面に墜落したのだ。しかもその上、何かに苦しんでいるようで、痙攣している。


「私の毒はどうかな。微量でも、そこそこ効くでしょ?」


「毒だと……? そんなもの、いつの間に……」


 声を絞り出す東を嘲笑する杏樹。


「いつも何も、分かり易い行為があったでしょう。あんた、馬鹿だね?」


 彼女は指でくるくると拳銃を回す。這いつくばりながらそれを見上げた《罪人》は、ようやく気が付いたようだ。


「あの、銃弾か…………!」


「正解。あの時点で私の勝ちは決まっていたんだよ。あんたはここで死ぬんだ、いいね?」


「ふざけるなクソガキが……。俺が殺されるだと? そんなふざけた話があるか!?」


 この状況でも己の負けが決まったことを認めようとしない東。そんな彼の腹を、杏樹は尖ったヒールで蹴りつけた。ワスプ・ディシナ同様に、もちろんここにも毒が仕込まれている。苦しみは増すばかりだ。


「あんた強盗殺人犯なんだよね……? アタシさぁ、そういうの大っ嫌いなんだわ。自分の快楽のために、他人の人生を冒すなんてさ。ホンット、死んでほしいんだ」


「お前こそ、そう見えるがな。己が満たされたいがために、俺を殺すのだろう?」


 その言葉を耳にして、反論しようとしたのは、晶だ。彼女はそんな人ではない、と。晶は、彼女が家族を殺された過去を持っていることを知っている。だから身勝手に他人を傷つける輩を嫌うのだと。


「そうだよ。アタシはもう堕ちる所まで堕ちた。だからもう恐れることはない。アタシはアタシの罪に従う。それがアタシの強さだ」


だが杏樹は、言い返しはしなかった。それどころか、東の言葉を認めたのだ。


 左の拳を握りしめ、《罪人》の胸に針を突き立てる。《罪人》は元の人の姿に戻り、泡を吹いて悶え苦しむ。これに晶と乃述加は既視感を覚えた。以前ポーキュパイン・ディシナを殺した時と同じやり方だ。


 やがて東は、信じられないといった表情をしながら、ぼろぼろとその身を崩した。


「死刑完了」


 ふぅ、とため息と吐くと、十字架を腕章から取り外し、杏樹は元のジャージ姿に戻った。そしてそのままどこかへ立ち去ろうとする彼女を、晶は呼び止める。


「杏樹さん! 待ってください!」


 無視してゆっくり歩を進める杏樹。追いかけて、その腕を掴む晶。


「あれからどうしていたのですか? どうして生きて……。それに、どうして生きていたのに、顔を見せてくれなかったのですか!?」


 問い掛けに答えずに、杏樹は晶の手を振り払った。そして振り返り、今度は彼女が問い掛ける。


「どうしてすぐに見つけてくれなかったの? アタシは待っていたのに」


 見つける? 初めはその言葉の意味が分からなかった。だって、てっきり杏樹はもう死んでしまったのだと思い込んでいたから。もう2度と会うことのできない人だと思っていたから。それなのに探しても虚しいだけだと――。


『過去と未来に呪われた亡霊、ってところカナ』


『ここから先はかくれんぼだ』


『アタシを見つけてみせてよ、晶』


「――――――――――あ」


 ようやく気が付いた。あの時だ。脱獄犯が巨大な《罪人》の姿となった、あの謎多き事件。その時森の中で遭遇した、不思議な人物。あれはもしや。


 もう1度杏樹の腕を掴む晶。そしてこう宣言する。


「捕まえましたよ、杏樹さん」


「遅すぎるよ、鬼さん」


 どうやら正解のようだ。あの時の人物が、吉川杏樹だったのだ。そうか。彼女は晶の前に姿を現してくれていたのか。自分が気づけなかっただけで、彼女は既に生きていることを知らせていたのだ。


「ごめんなさい。でも、もう見失いませんから」


「約束だよ。これからはずっと、アタシの傍にいて」


 杏樹は晶の肩を力強く押さえた。双眸を潤ませる彼女を安心させるため、晶は頷く。


「はい。もちろんですよ」


 あまりにも真っ直ぐ見つめられ、気恥ずかしくなり、目を逸らしながら、


「僕だって、もうあんな思いは嫌です。あなたを処刑したと思った時、凄く胸が苦しかった。僕の方がずっと追い詰められていました。もうあんな思いはしたくない。だから――あなたの傍から離れません」


 それを聞き、杏樹は安心したように手を離した。


 そして手さぐりをするように、あの日のことを語った。


「私にもよく分からない。私は確かに、あなたに処刑された。でも気が付くと傷1つない姿で生きていた。ごめんね、でも本当なんだ。私は私がどうしてここにいられるのか、自分で分かっていないの」


 そうですか、と俯きながらも納得しようとする晶。


 しかしそこに乃述加がやって来て、彼女に質問を投げ掛けた。


「初めまして――いや、お久しぶりかしら? 吉川杏樹さん。あたくし晶の上司の邪庭やにわ乃述加といいますわ」


「吉川杏樹。よろしくお願いします」


「ところで、早速なのですがお尋ねしたいことが――。あなたの持っている腕章と十字架。あたくしたちも見覚えがありませんわ。どこで手に入れましたの?」


 それを訊ねられた杏樹は、しばし返答に困りながらも


「これもアタシには分からないんです。ある日突然小包が送られてきて、これがあれば『E.S.B.』の力になるって」


「送り主は?」


「殆ど匿名みたいなもの。『レジスタンス』って名前が入っていました」


 怪し過ぎる。よくもまぁ、そんなものを疑わずに使用したものだ。ましてやあの用心深い杏樹が、だ。


「よくそれを使ってみようと思いましたね……」


「それがね、不思議と怪しいとは思わなかったんだ。手にした瞬間、あれはアタシのものだって、そう思えたんだよ。だから抵抗はなかったね」


 握りしめた十字架を、愛おしそうな視線で見つめる杏樹。


「これがあれば、アタシも処刑人になれる。晶の力になれる。そう思った瞬間、身体が震えたよ。これからはずっとあなたと一緒にいる。アタシがあなたを守るよ」


 晶の胸に飛び込む杏樹。身長は彼女の方が高いため、やや前かがみの姿勢になってしまう。


驚いて呆けた顔になってしまうが、すぐに表情を取り繕い、


「そんな……僕ばっかりが……」


 と、晶は首を横に振る。すると途端に杏樹は不機嫌そうに頬を膨らました。


「アタシが守りたいのは晶、あなただけ。誰よりも、何よりも、あなただけを守りたいの。あなたのためならアタシはこの命をなげうつよ」


 必死の形相で迫る杏樹に、ほんの少し怯える晶。そんな2人を乃述加は「あらあら」と笑って見守っている。


 そんな彼女の方に、視線を移す杏樹。

 そして唐突に宣言した。


「今日からアタシもあなたの所で世話になろうと思うのですが、いいですよね?」


「「――――――――は?」」


 沈黙が流れた。あまりにも突然な言いだしで、頭の整理が追いつかない。


「杏樹さん、あなた、あたくしの家に来るつもりですか?」


「うん。だって晶もそこで暮らしているのでしょう? だったらアタシも同じ場所に住むべきです」


「住むって……あなた今はどこで生活していますの?」


「町はずれの林の中にあるボロ小屋です。あれからはそこで雨風を凌いでいました」


「それで、学校へはどこの住所を伝えましたの?」


「適当な番地を。多分空地になっていると思います」


 あまりの適当さ、無計画さに、乃述加は頭を抱えた。まさか杏樹がここまで大胆な行動に出るとは。晶は何だか、以前あった時の彼女のイメージと大きく変化しているような気がした。


「アタシはこれから『E.S.B.』の一員として働く。だから拠点は同じにしておいた方がいいと思うんだ。OK?」


 全然OKではない。乃述加はそう答えたかった。しかし何を言ったところで杏樹は引き下がらないだろう。


 それに――今は部屋が1つ空いている。そこの主はもういない。これまでは温もりを抱いていた空間が、今は虚無の洞穴のようになってしまっている。家族が1人いなくなって寂しさを覚えているのも、紛れもない事実だ。


「仕方ありませんわね」


 ため息を吐いて、挑発するような笑みを、彼女は浮かべた。


「あなたをあたくしたちの家族として、歓迎しますわ。吉川杏樹さん」


「よろしくね。晶。邪庭乃述加さん」


 自分の意見は一切加えられていないことに、もやもやしたものを感じる晶だが、これで結果オーライなのかもしれない。

 欠けた家族を埋める訳ではない。杏樹と利里は別の存在だ。けれど仲間が、同居人が増えるのは、今の自分たちにとって必要なことなのかもしれない。そんな風に思えた。


「こちらこそ、よろしくお願いします。杏樹さん」


 固い握手を交わす2人。


 それぞれの瞳には、新たな未来への焔が宿っていた。



 新体制となった処刑人たちは、さらに深い戦いへと、身を投じていく――――。

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