《臣公》編

第13刑 女王蜂の帰還―A

 夏休みが明けた。教室では、明るく、気だるげな会話があちらこちらで交わされている。しかし十谷とおやしょうは、爽やかな青春に混じる気になれなかった。原因はもちろん、先日亡くなった上司、百波ももなみ利里りりの存在だ。仲間が命を落としたというのに、明るく振る舞う気にはなれない。


 ――が、実のところはそれ以上に晶の心を締め付けるものがあった。その利里の葬儀の参列者名簿に見つけた、とある名前。


吉川きっかわ杏樹あんじゅ


 かつて処刑したはずの少女の名が、どういう訳だか記されていたのだ。

 晶の中では、複雑な感情が入り乱れていた。


「(杏樹さん……あなたは本当に生きているのですか? 今どこにいますか? 僕はまた、あなたに会えますか……?)」


 同時に晶は、そんなことを考えている自分に嫌気がさしていた。


「(百波先輩がなくなって、千瀧ちたき先輩も捕まって、乃述加ののかさんも部長として色々なことに追われていて……。それなのに僕は、ずるい。自分のことばかり考えている)」


 唇を噛んで机に突っ伏していると、教室の入り口から自分の名を呼ぶ声が聞こえた。


「十谷晶さん、いますか?」


 顔を起こしてそちらを見ると、見ず知らずの女子生徒がいた。制服の装飾品から、1つ先輩であることが伺える。起きて扉の元へ向かう。


「えっと、どちらさまですか?」


 尋ねると女生徒は、申し訳なさそうに頭を下げた。


「私、2年6組の重松しげまつといいます。あの、少し前から千瀧さんに連絡がとれないのだけれど、十谷さんは、彼女と親しかったですよね? 何か知らないかなと」


 そうか。考えてみれば当然だ。処刑人や《罪人》に関する情報は、世間一般には知らされていない。報道も極力真実を省くように、『E.S.B.』が各機関に圧力をかけている。彼女が何も分からないのも、頷ける。


 そもそも那雫夜ななよがどうなったのか、学校側にも知らされていないのではないだろうか。

 しかし、千瀧那雫夜は《罪人》になったので『E.S.B.』の施設に収容しますと伝えられても、どう対応すればよいのか分からないだろう。

 知って得をしない真実であれば、知らない方がいいのだ。


「――――僕も詳しいことは分からないのですが、どうやら休みの間にお引越しされたみたいです。僕もその話を聞いただけで、以来連絡は取っていません」


 嘘を吐くのは気が引けたが、これが正解に違いない。

 重松さんも、どこか納得していないようだが、自分の教室に帰って行った。

 ふぅ、と深くため息を吐き、席に戻る晶。それと同時に、担任がやって来た。


「登校ご苦労様。夏休みは満喫したか?」


 そんなことできない、と心の中で呟く晶。


「さて、今日はまず初めに転校生の紹介をする」


 珍しい話ではない。節目の時期に転校・転勤などよくあることだ。

 しかし入って来た転校生を目にした途端、晶は絶句した。

 どうして。まさか、そんな。


 黒い長髪を三つ編みにして、肩に引っかけている。制服はやや着崩して、野暮ったい印象を植え付ける。わずかにこけた頬に、目つきの悪さとは裏腹に磨いた石のような光沢を持った瞳。

 前に会った時とは、やや違った印象を受けるが、間違いない。彼女だ。


 転校生は口角を上げ、教師に促されながら、名乗った。



「吉川杏樹といいます。よろしくお願いします」




        × × ×



 9月に入ったため、『E.S.B.』の日本本部では、上半期の報告会が行われていた。集まっているのは、各部署のリーダーばかり。錚々そうそうたる顔ぶれだ。


 しかし乃述加は、反って息苦しさを感じていた。この中で最年少というせいだろうか。それとも執行部の成績のせいだろうか。苛立ちが募り、無意識の内に手が煙草の箱に伸びる。


邪庭やにわ執行部長。ここは禁煙です」


「……ごめんなさい。つい、癖で」


「あまり吸い過ぎると、身体に毒ですよ」


「毒でも食っていないとやっていられないのが、この世界でしょう」


 隣に座る補佐役の平山ひらやまが注意してくる。箱を戻し、再び周りのお偉方たちの面を眺めた。


「(おっさんに囲まれての会議。やっぱり慣れませんわ)」


 心の中で愚痴を呟いている間も、報告会は続いていく。総長に指名された部署の人間が、前回の会議以降の出来事について述べていく。


「次、連絡部」


「日本政府との関係は良好。情報漏えいは、現時点ではありません。~中略~そして国際的な問題ですが、今年度上半期の《罪人》出現状況は、昨年と変わらず日本が世界1位の49件。続いてアメリカ41件、ドイツ33件、イタリア29件、イギリス27件、イラク22件、中国15件、韓国14件、オーストラリア10件、ロシア7件――――」


 そう。非常に残念なことに、日本は世界で最も《罪人》が誕生し、事件を起こしている国なのだ。《罪人》は人間が負の感情により変貌した姿と言われるが、実のところ肉体が変化するメカニズムは、まだ多くが解き明かされていない。だからどうして出現する国としない国があるのかは、解明しきれていないのが現状である。


 頬杖を突き、貧乏揺すりをしていると、今度は執行部が指名された。しかし起立し、発言するのは、乃述加ではなく平山だ。


「次、執行部」


「出現した49体中、18体が処刑完了。25体が捕縛部に身柄を引き渡しました。残る6体は全国の『E.S.B.』で指名手配中です。殉職者は4人。日数を見れば、過去最少になりました。~以下略~」


 執行部の申告が終わり、平山は着席する。


「ご苦労様」


「いえ、近頃は部長も大変でしたでしょうし、このくらいは私に任せてください」


「気を使ってもらわなくても結構ですわ。もう立ち直りましたから」


「本当に立ち直っているのならば、指名されれば私よりも先に起立したでしょう」


 部下にも、意気消沈なのは御見通しのようだ。義娘の死をまだ完璧に受け入れられない、というのもまた事実なのだが。乃述加は返す言葉がなかった。



 報告会が終わり、会議室から出たところ、捕縛部副部長のいちじくに呼び止められた。


「邪庭執行部長」


「あなた、捕縛部の……。どうかなさいました? もしかして、那雫夜のことですの?」


「はい。おっしゃる通りです。千瀧那雫夜執行部員の収容ですが、来週末に決まりました」


 そうですか……とため息を吐く乃述加。ちなみに今那雫夜は、この近辺の捕縛部支部に留置されている。今度彼女が向かうことになるのは、捕縛部本部であり日本最大の収容施設、そして表社会には認知されない隠れ里、『監獄街』だ。あそこは日夜『E.S.B.』職員によって監視されている、全ての住人が《罪人》という、異質な街だ。主な住人は《罪人》であることを拒む者、人を手にかけたことがない者、自身が《罪人》化していることに気づいていない者と、様々な悪事を働いていない人々が集められている。己の罪を抑え込もうとしている者たちを、処刑するのではなく1つの集合体の中で生活させる。そんな、少しでも平和的解決をしようとする施設だ。


「了解しましたわ。今一度、総長と、そちらの部長にお伝えください。あの子を殺さないでくれてありがとう、と」


 承りました、と九は頭を下げて去っていく。


 それから乃述加は駐車場へ向かうよりも先に喫煙室に寄った。付き合わされた平山は呆れた顔をしている。


「部長。そんなに吸いたかったですか?」


「ええ。どうにも落ち着かなくてね」


 本当は、煙草だろうが何だろうが関係ない。ただ動揺している心を塗りつぶしてくれるものがあればいい。浮足立って、平常心ではいられない自分を、何とかして普段通りに保ちたいのだ。


「那雫夜……利里……。どんな形であれ、皆あたくしの元を去って行ってしまう……。シルヴェール、あなたもですわ…………」


 彼女の左薬指のリングが、鈍い色で光った。



        × × ×



 気が付くと、見知らぬ部屋にいた。少し埃を被ったベッド。どこの国のものだか分からない、豪奢なカーペット。小さな、それでも艶やかな装飾をされているテーブルの上には、これまた綺麗なコーヒーカップが湯気を立てている。


「どこだ、ここ……?」


 暮内くれない弥希みきはその部屋の中を見回し、これまでに何が起きたのかを頭の中で整理しようとする。あの悪魔のような医者のところから、静孔しづくを連れて逃げ出し、山奥のホテル跡に身を潜めていた。するとあの奇妙な2人組が現れて――――。


 そうだ。あの変な詩を聞いたせいで意識が朦朧とした。


「アタシはあいつらに、ここに連れられたのか……?」


 まだぼぅっとしていた意識が、ようやく覚醒してきた。そこで大事なことを思いつく。静孔は? 静孔はどこへ行った!?


「静孔! 静孔!!!」


 彼女の身にもしものことがあれば、今度こそ自分は生きていられない。これ以上彼女を酷い目に遭わせるものか。そう誓ったのだ。

 錯乱していると、ノックもなく部屋の扉が開いた。


「安心して。あの子ならベッドでぐっすりお休み中よォ」


 全身に悪寒を感じ、鳥肌を立てる。首を軋ませるように振り返ると、そこにはあの奇妙な詩を唱えた女――水本みなもと作楽さくらが立っていた。

 彼女に言われた通り、弥希はベッドをめくる。するとそこではすーすーと寝息を立てて眠っている静孔がいた。生きている彼女の姿を確認し、弥希は安堵のため息を吐く。


 それから水本の方へ向き合った。


「お前ら、何なんだ。アタシたちに何の用がある。どうしてこんなところへ連れてきやがった!」


「質問の多い子ねぇ。あんまり相手の考えを探ろうとすると、反って嫌われちゃうぞ」


「テメェに好かれるつもりはねぇよ」


 吐き捨てると、弥希は己の左手の甲に噛み付いた。犬歯を深く立て、多量の血をこぼす。1本の線を描きながら床に垂れていった血は、あっという間に凝固していく。床に着いたものだけでなく、中空を滴るものも、だ。弥希の血はすぐに、1振りの刀のようになった。


「血液操作――――。面白い力を持っている」


 と感心している隙に、


「……。やれやれ。またァ? 同じネタは受けないわよ」


 弥希は水本の腹を串刺しにした。しかし水本は前回同様にびくともしない。


「――化け物が!」


「自分の血で刀を作る、あなたがそんな口を利ける訳?」


 弥希を突き飛ばし、刀を抜いて止血をした水本は、弥希とベッドにいる静孔を交互に見やって、嘲笑した。


「認めようよ。あなたたちはもう人ではない。既にその力を使って殺めたものもいる。もうただの学生だった頃には戻れないわよォ」


「馬鹿なこと言ってんじゃねぇ。アタシは確かに、化け物かもしれねぇよ。でも静孔は違う! あいつは何でもない、ただの人間だ!」


 吠える弥希の首根っこを掴み、水本は己の顔に彼女を近づける。


「現実から目を逸らさないで。あなたも見たのでしょう? 彼女の本当の姿を」


「本当って何だよ。今のこいつの姿が、本当のこいつだよ!」


 バン! と床を強く殴りつける弥希。その振動か物音の所為で、眠っていた静孔は目を覚ました。と、言っても、彼女の双眸はアイマスクで覆われているために、目が開いているかどうかは確認できない。しかし意識は覚醒していた。


「弥希ィ? どうしたん、騒がしいで?」


 上体を起こして不安そうに顔を2、3度振った後、静孔は乾いた唇の隙間から、赤く長細い舌を出した。チロチロとそれを動かすと、何かに気づいたように背筋を伸ばす。


「弥希、怪我したんか? それにその女は誰や。ヤな臭いがするわァ」


 その言葉にムッと来た水本は、静孔にも危害を加えようとするが、弥希がそれを阻んだ。


「静孔には、指一本触れさせねぇよ」


「おお、怖。いいねぇ、美しい友情。でもダメダメ。女同士じゃいつか飽きる。やっぱり異性じゃないと、身も心も満たされないわよォ」


「そんなことアタシが知るか!」


 頭に血が上っている弥希と、寝起きでまだ状況を上手く判断できていない静孔に対し、水本はくふりくふりと楽しそうに笑う。


「いいわァ、あなたたち。本当に愛で甲斐がありそう。アタシも可愛がるのが楽しみだわァ」


「うるせぇ、何なんだよてめェらはよ! アタシたちをどうしようってんだ」


 暮内弥希。明外静孔。それぞれの名前を呼び、指差していく水本作楽。鼻歌を歌うように彼女は、2人に告げた。


「あなたたちは選ばれたの。欠けていた《憤怒》と《怠惰》の《臣公》にね。ありがたく思いなさぁい。とっても名誉あることなのよ」


「だから知らねぇ、つってんだろ!! シンコウだかコウシンだか知らねぇがよ、アタシらはあんたたちの言いなりになるつもりはねぇんだよ!」


 2人の口論がヒートアップして来た所で、ドアがノックされた。反応する前に信太しのだが部屋に入ってくる。


「うるさいぞ、お前ら。水本、お前はいちいち相手を挑発するんじゃない。暮内、そして明外あけがた。お前たちには早く我々の世界に馴染んでもらう必要があるんだ。こいつの言う通り、現実から目を逸らすな」


 釘を刺して2人を黙らせると、信太は水本の傍に行き、彼女に耳打ちした。


「グランドからメールが来た。直々にこの2人に会いに来るそうだ」


「わざわざ重い腰を上げるのねェ。代表者の交代はそれ程重要なことって訳ね」


「《怠惰》は3年、《憤怒》は7年も主がいなかった。力の管理が上手くいかなくなっている。それだけに、暮内弥希と明外静孔の存在は大きい。グランドだけじゃない。オリヴォと戸蔵とくらも呼びつける必要があるね」


「その2人が大人しく現れるとは思えないけどねェ」


 こそこそ話しているのが気に食わなかったのか、弥希は水本と信太の間に、自分の血で作った刀を割り込ませた。


「アタシらのことは放っておいて、ナニ内緒話してるんだ?」


 信太は素手でその刀を握り、折る。まさか破壊されるとは思っていなかった弥希は、意外そうに双眸を見開いた。


「暮内弥希。明外静孔。歓迎させてくれないか。君たちが、私たちの新たな仲間になることを」


 そう言う信太の瞳には、有無を言わさない力が宿っていた。

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