第11刑 《臣公》―B

 どれだけ狙撃しても、咢によって阻まれてしまう。かと言ってこんな規格外の化け物と、肉弾戦を繰り広げるのも危険すぎる。打つ手はないに等しかった。


 しかし利里りりは、床に膝を付けながらも、完全に臥すことはしなかった。


「息をするのも辛そうだね。そろそろ楽になっちゃえば?」


 肩に大剣を担いだドラゴン・ディシナが、冷たくそう言い放つ。片足で立ち、浮かせた方の足はぶらぶらと揺らしている。行列に並び飽きて退屈している子供のような仕草だ。


 対して利里は、肩を大きく上下させながら呼吸している。戦闘用の強固なコスチュームもあちらこちらが破れたり裂かれたりしている。覗いた白い肌には地が滲み、生々しい痣が見え隠れしていた。敵を睨める眼光も弱まっている。彼女の命の灯は、今すぐにでも消えてしまいそうだった。


「期待外れだったかな。君ならもっと、私を楽しませてくれると思ったのに」


「ごめんなさいね。私は処刑人としての腕はそれなりにあるけれど、エンターテイナーとしての腕は未熟なのね」


 本当はそんな余裕はないのだが、利里は必死に憎まれ口を叩く。これは相手を挑発すると言うよりは、自分はまだ戦えると、自身に言い聞かせるおまじないのような行為だ。


 利里の眼前までやって来た信太しのだは、フラフラの少女の身体を優しく押した。途端に利里は崩れ落ち、床に仰向けになる。


「悪いけれど、この武器はもらっていくよ。一応知り合いの形見だからね」


 その一言に、利里の頭には疑問符がいくつも浮かぶ。


「知り合い、形見……? どういう意味なのね」


「まぁ、知らなくても当然か。このエグゼブラスターって武器は、元々はこちら――《罪人》側の科学者が設計した兵器だ。だからね、『欲しい』よりも『返せ』っていいたいのさ」


 意味が分からなかった。処刑人の武器が、《罪人》の設計した兵器? この女は何を言っている。そんなことありえるはずがない。


「君は疑問に思ったことはないか。処刑人はどうやって、《罪人》を殺す術を得たのか。そもそも処刑人は、何の為に生まれたのか」


「そんなこと――ッ!」


 興味がない、と言えば嘘になった。確かに彼女の言うことは事実だ。利里は、というより幾人かの処刑人は疑問に思っていただろう。どうして処刑人という存在が生まれたのか。そこには《罪人》の存在が不可欠だ。


 そもそも殺す対象が存在しなければ、いる意味がない。どちらが先に誕生したのか。この2つの存在は、切っても切り離せない関係にあるのだ。


「死ぬ前に1つだけ教えてあげよう。処刑人と《罪人》は、元は1つの存在だった。かつては『同じ存在同士』で殺し合っていたのさ」


 信太は利里を跨ぐような体勢になる。そして利里の手に握られているエグゼブラスターに手を伸ばした。だが奪われる寸前で、その手を払う。


「私の心が揺らげば、抵抗されないとでも思った?」


 そして処刑人は、《罪人》の腹に銃口を突きつけた。


「まさか――! この小娘ッッ!」


「この距離なら、バリアは張れないね!!!」


 圧縮されたエネルギーの塊を受け、ドラゴン・ディシナの鱗から火花が散った。直に銃弾は地肌に届き、黒い血を噴出させる。仰け反る相手の身体を追うように、痛みに耐えながら上体を起こしていく利里。1点を集中して狙ったのが功を奏したようだ。信太の肉体は抉られ、確実にダメージが通るようになっている。


「さぁ、これで終わりなのね!!!」


 銃口を十字架に重ね、最大の一撃を放つ準備をする。


 一方ドラゴン・ディシナも、黙って撃たれ続けはしない。呼吸を整え、逆転の瞬間を狙っていた。


 両者の身体が、一瞬離れる。そして、


『エグゼキュージョン フィニッシュ!!』


「『なまくら包丁の書く、被害者のいない推理小説』」


 その一撃は、まるで噴煙のようだった。攻撃と呼ぶよりは、爆発と言った方が相応しい。対象を傷つけるのではなく、自分ごと吹き飛ばしていくそれは、廃ビル全体を揺らした。柱にはひびが入り、天井はパラパラと塗装を降らせ、床は焼け焦げる。


「うぅぅっ、アアアガアァァァァァ!!!」


 今度こそ利里は立ち上がれなかった。やはりエグゼブラスターでの必殺技は反動が大きすぎる。実戦向きではない。使った直後に動けなくなるような攻撃は、なるべく使わない方がいい。


 だが今回は運が良かった。一撃で相手を葬り去ることができたのだから――。


「それで終わりか、小娘」


「――だぁ、クソ。何で死んでいないのね……」


 爆炎の中から、それは姿を現した。明らかに先程までのドラゴン・ディシナとは姿形が違う。否、基本的な造形は変わっていない。大きく変わったのは、背中から生えた蝙蝠の手か、船の帆に似た翼。さらに臀部からは右か左か区別のつかない、全てが均等な長さをした指を持つ腕が生えている。


「理解できた? これがあなたと私の実力の違い。ただの処刑人が、《臣公》に敵うと思わないことね」


 飛膜には焼け焦げたような痕があり、あれで利里の攻撃を受けたことは明白だった。あれだけの力をぶつけても、身体の芯に響かせることはできなかった。利里は悔しくてたまらない。命をかけた瞬間が、一瞬にして否定されたのだから。


「思った以上に楽しめたけれど、戯れるのはもうおしまい。ここで君を殺して、エグゼブラスターとやらを回収させてもらう」


 戦いの最中、床に転がして放置していたドラゴン・ディシナの大剣を、信太は尾のような腕を使って拾い上げる。鱗に覆われた鞭のような腕と、牙や鉤爪に似た大剣を組み合わせることで、ドラゴンテールは完成した。


 刃は、仰向けになって寝ている利里の胸元を目掛けて襲いかかる。しかし彼女の胸を貫こうとする寸前に、動きを止めた。


「そうだね、せっかくだし、遺言くらいは聞いてあげるよ。何か言い残すことはある?」


 まるで気を使っているかのような信太の一言に、利里は嘲るようにして言い返した。


「それをあなたに伝えたところで、私の仲間には伝えてくれるのね?」


 そして信太は、微笑むように、穏やかな口調で、


「気が向いたら、ね」



        × × ×



 主の危険を察知して廃ビルに向かったワイバーン・ソルジャー。そしてそれを追って来たしょう那雫夜ななよ


 2人が現場に到着した時には、全てが終わっていた。


「………………………………利里?」


 全身に痣を作り、胸から腹に掛けて巨大な傷を負っている。そして何より、胸が上下していない。無惨な姿になった利里を見て、晶も那雫夜も、言葉を失った。


 横たわる彼女の隣に佇んでいたのは、学芸員を名乗っていた篠原しのはら良子よしこだ。


「…………利里、利里ィィィィィ!!!」


 頭や心の整理がつかない中、那雫夜は意識しないままに絶叫した。ひたすら上司の、そして親友、否、恋人の名を叫び続ける。


 そんな彼女に向け、篠原は疲れたように言い放った。


「声を上げるだけ無駄。もう死んでるよ」


 那雫夜の心臓が大きくドクン! と撥ねる。電車に撥ねられたとしても、ここまでの衝撃はないだろう。


 晶も全身から力が抜けていくのが分かった。この感覚を彼は知っている。父が事故で死んだと聞かされた時と、類似している。


 気怠そうに利里から離れていく篠原。外に逃げようとしているのか、窓へ向かっている。


「――――――………………お前が、殺したのか」


 まるで何十年も閉ざされていた扉を無理に開けたかのような、重く軋んで錆びついた音が、那雫夜の口から洩れる。今この瞬間、晶は何か嫌な予感を覚えた。しかし彼が口を挿む隙間などはなく。


「よくも、利里を――――ッ。よくもよくもよくもォォォォォォォォ!!!!!!!!!!」


 那雫夜の全身から、漆黒のオーラが流れ出る。頬や手先など、周りから観察できるところに、黒い痣が出現する。彼女の全身を駆け巡る、龍脈のように。黒い痣の正体は那雫夜の血管で、それが膨張し浮き出ていることに晶は気が付く。


「千瀧先輩、駄目です!」


 声を掛けたところでもう遅い。那雫夜の血管は数か所が破裂し、皮を破り、黒い血を流れ出させた。


 黒い血。人間にはありえない血液の色だ。こんなものを持っている存在は、この世にたった一種しかいない。


「そんな…………先輩が、先輩が」


千瀧那雫夜は、《罪人》と化しつつあった。血が蒸発しているのか、傷口から蒸気が上がっている。その光景を目の当たりにした晶は、虚ろな目で首を振ることしかできなかった。怖くて足が竦んでしまう。これ以上那雫夜に近づく勇気が出ない。


 普通であれば、この瞬間晶は彼女を処刑するべきなのだ。《罪人》は存在しないに越したことない。であれば、まだ《罪人》になりかけの状態である千瀧那雫夜を殺すことは、処刑人として大いに評価されるべき行為だった。だがそんなことをする勇気は晶になかった。


 彼が怯えている、そんな時だ。


「どうした小僧。仮にも仲間であった者を手に掛けるのは、怖いか? 腰抜けが!!!」


 篠原は、まるで晶を焚き付けるかのような声を上げた。それを耳にした瞬間、晶の全身に掛かっていた金縛りは解ける。


千瀧ちたき先輩!!」


 慌てて駆け寄るも、既に手遅れだった。


 那雫夜の肩に触れた晶は、その肉体の異様な体温に驚き、「熱い!!」と悲鳴を上げながら後退った。彼女に触れた掌を眺める。しかしそこにあったのは火傷の痕と言うよりも、霜焼けだった。そう、煙を上げていたのは湯気などではない。冷気だ。あまりにも那雫夜の肉体が冷たくなっているせいで、まるで火傷をしたかのような錯覚をしたのだ。


 要するに今の那雫夜は、全身ドライアイス状態なのだ。冷気を振りまく。接触すれば焼けるように痛い。近づくことすら困難だ。


「駄目です、先輩、それ以上は――」


 ここから先は、言葉が出てこなかった。


 後輩の心配など聞き入れず、那雫夜はどんどんその身を醜く変貌させていく。


 そしてついに、全身が異形へと変化した。一見、天女か天使のような印象を受ける。しかし顔面には内側にある何かを覆うための覆面が縫い付けられている。その上足先は纏足で縛られたように細くなっていた。そして何より醜悪なのは、手先から垂れ下がる無数の触手だろう。1本1本が意志を持っているかのように、ウネウネと動いている。


「篠原良子――。お前を、ブッ殺す!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 那雫夜が吠える。彼女の咆哮と連動するかのように、冷気が爆発した。彼女らがいるフロアが、一瞬にして銀化粧をする。


 服に付着した粉雪を払いながら、篠原は反論。


「いいかげんにその名前で呼ばれるのは、むず痒いね。私には『信太美子』っていうちゃんとした名前あるんだ。そっちで呼んで欲しいかな!!!!」


 そう強がってはいるものの、ついさっきの対利里の時に受けた傷が深い。篠原改め、信太は戦いが長引くことを嫌った。ドラゴン・ディシナの姿となり、大剣を振りかぶった。手負いなせいで走ることができない。それでも早足で那雫夜へと詰め寄った。


「吹っ飛べ!!」


 振り下ろされる龍の爪。しかし直後吹っ飛んだのは、信太の方だった。


 那雫夜は一切動いていない。晶もその場にへたり込んでしまっていた。フロアにいた誰もが状況を把握できないでいると、外に面している壁が破壊された。そこにいたのは、飛行形態のバイクに跨っている乃述加ののかである。


 屋内の光景を目にした彼女は、一瞬呼吸が止まった。利里が倒されてしまっている。晶は腰が抜け、戦えそうにない。那雫夜の姿はどこにもない。2体の《罪人》が戦っている。情報量が多すぎる。


「晶、下がって!」


 もしかすると無理かもしれないが、乃述加は叫んだ。そして即座に銃撃を開始する。凍りついた床は砕け、《罪人》たちは下の階に落ちる。


屋内に侵入した乃述加は、まず初めに晶の傍へ駆け寄った。


「何がありましたの?」


「僕も、分からない、です……。病院を、襲っていた《罪人》たちが急に逃げ出して、それで……ひぐっ。追って、探していたら、このビルに着いて、ハァ、千瀧先輩と調べようとしたら、百波先輩が、うう、それで千瀧先輩が……」


 怯えきってしまっている晶は、話す度に嗚咽が混じってしまった。それでも乃述加はなんとか状況を把握しようとする。


「ごめんなさい、晶。あなたにこんな辛い思いをさせて」


 自分も辛いことに変わりはないはずなのに、乃述加は部下を慰めようとした。


 そして激しい物音を立てている下の階に飛び降りる。


「まずは《罪人》どもを処刑しなくては――――」


 銃を構え、2体を狙う。まずは押され気味の白い方からだ。


 しかし上の階から、何とか動いて穴から覗いている晶が待ったをかけた。


「駄目です、乃述加さん! あの白い《罪人》は、千瀧先輩です!」


「…………何ですって」


 絶句する乃述加。しかし合点がいく。心酔と言っていいほど利里に懐いていた那雫夜だ。最愛の人を亡くした彼女が、《憤怒》という大罪を抱え、《罪人》となってしまっても不思議はない。


 だが乃述加は処刑人だ。殺す相手を選ぶなんてことはできない。例えそれが、最愛の部下であったとしてもだ。


「ごめんなさい。許してね、那雫夜」


 迷わずに乃述加は引き金を引いた。しかし銃弾は、那雫夜の肉体に到達できなかった。彼女の発する冷気のせいで、途中で凍りついて地面に落ちてしまったのだ。


 自分が狙撃されたことに気づいた那雫夜。ドラゴン・ディシナはその一瞬の隙を見逃さなかった。


「死んどけ!!!」


 横一文字に薙がれた大剣。裂かれた腹から多量の黒色の血が吹き出し、《罪人》は那雫夜の姿に戻る。幸い、と言っていいのかは分からないが、まだ息はあるようだった。


 その一撃が限界だったのか、ドラゴン・ディシナも信太の姿へ戻る。その身から流れる血は、己のものなのか、那雫夜の返り血なのか、判別がつかない。


「諦めなさい。もうあなたに勝ち目はありませんわ」


 死刑宣告する乃述加。だが信太はこの状況でも、不敵に笑っていた。


「ああ。アンタの言う通りだよ。今の私じゃあ、アンタには勝てない。正直万全の状態でも善戦できるか分からないしね」


 でも――、と余裕な姿勢は崩さない。


「戦って勝てなくても、逃げる道ならあるよ」


 乃述加が眉をひそめた次の瞬間、フロアに大量の《罪人》が流れ込んできた。晶と那雫夜が病院で戦った、ドラゴン・ディシナの劣化版のような、彫刻染みた連中だ。一斉に20体近くの敵に襲撃されては、いくら乃述加でも適切な対処はできない。


「くそっ……! 邪魔ですわ!!」


 形振り構わずに銃を乱射。耐久力のない《罪人》たちは、撃たれるとすぐに崩れてしまった。


 しかし、全ての敵を薙ぎ払った時には、フロアにはもう信太はいなかった。


「――――――くそォォォォォォォ!!!!!!!」


 処刑人の、悔しそうな慟哭が響く。



 今回の事件では、失ったものが大きすぎた。


 百波ももなみ利里の殉職。そして千瀧那雫夜の《罪人》化。


 十谷とおや晶はあまりにも非情な現実から、目を背けようと必死だった。だがどれだけ目を瞑っても、どれだけ頭を振っても、身体を裂かれた利里とそれを見て異形の姿へ変貌していく那雫夜が、脳裏にこびりついていた。


 邪庭やにわ乃述加も同様だった。殺風景な廃ビルに立ち尽くしたまま、涙を流すことすらままならなかった。


 処刑人の世界では、いつどうやって死ぬか分からない。それは承知の上だ。だがいざ身の回りでそれが起きてしまうと、受け入れることは容易いことではない。恐怖とも寂しさとも悲しさとも、何とも呼べない感情しか、後には残らない。

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