第11刑 《臣公》―A

 その名を聞いた瞬間、利里りりは凍りついた。信太しのだ美子みこ……? あの信太美子なのか。そんなことがあり得るはずがないではないか。


 この世界にいる人間にとって、その名はあまりにも大きなものだった。処刑人でなくとも聞いたことはあるだろう。中学、高校の教科書の隅にも場合もある。知らないはずがない名だ。


 だがどういうことだ。信太美子は1世紀も前の人間だ。今ここにいるはずがない。


「そんなビッグネームを語って、私をビビらせようっていうのね?」


 こめかみに冷や汗を浮かべながら、利里は乾いた笑いを見せる。


「名乗るも何も、本名なのだから仕方ないだろう。私にしてみれば、篠原しのはら良子よしこという名の方が違和感しかない。君は百波ももなみ利里という名を隠して、松波まつなみ利沙りさと名乗れと言われたら、それを堂々と自分の名前として使うかい?」


 金色の怪物は口元を歪めて笑ったような表情になった。気持ち悪い! 利里は胸の内でそんな悲鳴を上げた。咄嗟に腕輪に十字架をセットし、怪物の腹部を蹴り飛ばす。


 しかし信太は、処刑人の脚撃を食らってもなお余裕の姿勢を崩さない。むしろ子犬がじゃれて来たとでも言うような、穏やかな態度に見える。


「まぁまぁ、そう焦るなって。もう少しお話ししようじゃないか」


《罪人》は1度人の姿に戻る。元通りのTシャツとジーンズの格好だ。


 利里は当然、警戒を解く余裕など持っておらず、処刑人としての姿を保っている。


「まぁ別にいいんだけどさ。心を開いてもらえるなんて、思っちゃいない」


 衣服が汚れることなど気にせず、彼女は埃だらけの床に胡坐をかいて座った。利里が相手を見下すような構図になる。しばらくどちらも口を開かず、こう着状態が続いた。先に口を利いたのは信太だった。


「私のことが知りたい、のかな?」


 伸ばされた褐色の手が利里の頬を撫でる。気持ち悪いや、怖いといった負の感情が次々に溢れだしてくる。腰のホルダーについている拳銃を抜こうとも考えたが、それよりも後ろ向きの感情が勝っており、動くことができない。


「なぜ戦前の人間が未だに生きているのか、かな」


「ああ。あなたが本物の信太美子なら、ね」


 踵を反して、信太は利里から遠ざかる。利里は全身の力が抜け、膝を折った。視線だけは敵から外さず、ゆっくりと深呼吸をする。そして、僅かにではあるが気持ちを落ち着けると、思い切って発砲! 硝煙の臭いと共に、鉄錆の臭いも漂う。弾丸に貫かれた信太の背面から、黒い《罪人》の血が流れる。


 だが銃弾を食らったはずの女は、平気な顔をして振り返る。


「そんな支給の、おもちゃみたいな銃で私を倒せるとでも、思っていたのかな?」


「流石にそこまで楽観視はしていないのね。でも――もうちょっと傷ついてくれると嬉しかったかな」


 震える足を叩いて己を奮い立たせ、利里は立ち向かう意志を見せる。対する信太は、どこまでもお遊びといった感じがしてならない。


 女の姿から、金色の龍の鱗を纏った騎士へと変化する信太美子。その手に握られている大剣は、龍の牙にも龍の爪にも見える。


 利里はガンマンコスチュームになり、エグゼブラスターを構える。


 その装備を目にした瞬間、信太は肩を震わせた。


「それが例の新作武器か。あの時は失敗したが、今度こそ私が手にするよ……」


「今度こそ」。その言葉を聞いた瞬間、利里はピンと来た。《罪人》はエグゼブラスターに注目している。そして「私が手にする」という言葉は決定的だ。


「前に研究部員を襲っていたのは、お前か!!」


「馬鹿を言わないで欲しいの。確かにその武器を欲しがったのは私だけど、実際に人を襲ったりしたのは私ではない。まぁ、部下は私の手足――結果的には私が殺したことになるのかな?」


 返事の代わりに、発砲。先に撃った拳銃よりも、深い傷をつけることに成功した。しかしそれは、かえって信太の心を震わせることになってしまった。ドラゴン・ディシナは、傷口を撫でると、楽しそうに肩を震わせる。


「凄い、私の身体に傷をつけるなんて……。手にすれば、他にない兵器になってくれそうだよ」


「言ってろドM!! 今に殺してやるのね!」


 利里は焦っていた。目の前にいる敵が、自分よりも遥かに強大な力を持っていることを察していた。本当なら今すぐにでも逃げ出したい。


だが自分は処刑人だ。人々を《罪人》から守る役割がある。この女が何を企んでいるのか分からない以上、指名を放棄する訳にはいかない。


「弾けろ!!」


 エグゼブラスターの銃撃であれば、鱗に全身を覆われたドラゴン・ディシナにも、攻撃が通る。それが分かっただけで十分だ。攻撃が効くのであれば殺せる。だから相手が死ぬまで撃ち続ける――つもりだった。


「さて、これはどう破るんだい?」


 突如、《罪人》の肉体から切り離された虚空に龍のあぎとが出現し、彼女を銃弾から庇った。何度撃っても同じことで、簡単に防がれてしまう。


「二重の防護壁、ね。不愉快なことしてくれるのね」


「処刑人と《罪人》はお互いに不愉快な存在だ。そんなこと、とうの昔から知っているだろう?」


 大剣を引きずりながら、ドラゴン・ディシナは利里へと距離を詰める。切っ先の擦れた床が、火花を散らしては熔解していく。存在していること自体が、破壊をもたらす武器だった。


「ち、な、み、に」


 伸びをするように大剣を振りかぶる《罪人》。利里がいるのは、到底斬撃は届きそうにない位置。だがこの状況でそんな攻撃モーションに入ったということは、何かができるということだ。


「――――クッッ!!」


 どこに向けて回避するか一瞬迷ったが、ここは上に跳ぶ。刹那、これまで立っていた地点が横一文字に切り裂かれた。破壊された床は崩壊し、下の階へと繋がる穴を生み出す。


「私にとっての処刑人は、娯楽。戦っている時が、唯一腹の空きを忘れられるからね」


 利里が戦闘に食らいついてくることが、信太は本当に嬉しいようだ。攻撃を躱した利里を見つめ、表情が綻ぶのを隠せない。異形の、牙が無数に生えた口が、端を上げた。


「1世紀以上生きた甲斐がある。まさかこの歳になって、メインディッシュが見つかりかけるとはね!」


「食い殺される前に、仕留めてやるのね!!!」


 両者の激突は、熾烈を極める――――。



        × × ×



 病院の方ではと言うと。十谷とおやしょう千瀧ちたき那雫夜ななよは、酷く消耗していた。もう2人で10体以上は《罪人》を倒している。だが彫刻似の化け物たちは、どこからともなく湧き続ける。


 男性の《罪人》の顔面を削ぎ落としながら、那雫夜は愚痴を叫ぶ。


「いつになったら終わるのよ、これは!」


 だがそんなことを言っている間に、また襲いかかって来る個体が現れる。


「ゲームの特訓ミッションとは違うのよん!」


 握りしめた武器は、細かい刃のついたメリケンサック。超ミニサイズの糸鋸を指に巻いている、といった具合だ。これを使って襲い来る敵の皮膚を剥ぐ。だが相手はその程度の攻撃で深刻なダメージを受けてくれるのだから、ありがたい。殺すのは非情に簡単だ。


 やはり問題は敵の数だろう。倒しても倒しても、後から湧き出て来る。これではどれだけ戦ったところでキリがない。こちら側の体力が先に尽きてしまう。


「晶! そっちは大丈夫!?」


 手を伸ばして纏わりついてくる異形を振り払い、那雫夜は晶の方を見る。晶も何とか戦ってはいたが、そろそろ限界が来るに違いない。思った通り、息が上がっている。正直なところ、これ以上もちそうになかった。しかし那雫夜も助けに入る余裕がない。


 もう八方塞だ。


「カセアミミ レユキソヱヱ カカクレリリロ キヤヨチ ユヘココ」


 何やら笑っている《罪人》たちだが、言葉の意味を理解することができない。意味のある言語ということに間違いはなさそうだが、その内容が分からないと、言葉を聞いたとしても意味がない。


「――!! ソアアス! レユキソウ フヱヌヱヱ ルホソッセスチ!!」


「クオヱヱヱ ヒシコウココ!!」


 突然、様子が変わった。余裕を見せていた異形の者たちが、突如慌しく動き始める。その口調からは焦りを感じられた。彼らにとって、何かよからぬ事態が発生した。そのことを那雫夜は察知した。


「(まずいかな……このままだと、逃げられるかもしれないのん)」


 思った通りになった。《罪人》たちは急遽、那雫夜と晶を、そして病院を放り出し、黒服の人間の姿へ変化すると、どこかへ消えてしまった。目の前にいた敵を取り逃がしてしまったことについて、那雫夜は地団太を踏む。


「くっそ、倒しきれなかったのん……」


「でも! 病院に被害が出ないよう、守り通したじゃないですか。これについては、僕らの勝ちですよ!」


 晶は項垂れる先輩へ慰めの言葉を贈ったが、これが正解だとは思えない。生かして逃げることを許してしまったということは、再び連中が活動する可能性があるということだ。危険の芽を摘み切れなかったことには、責任を感じてしまう。


 そして問題は、連中はどこへ向かったのか、ということだ。先程の会話の雰囲気を見る限り、何か焦っていたように見える。急がなければならない用事ができたのか? 想像ができない。


 そもそも彼らは何者だったのだ? 基本的に《罪人》は元人間だ。人格も知識も能力も、基本的に人間とは変わらない。異形となって振るう力は持っているものの、それ以外は人間だった頃と同じはずだ。ではなぜ彼らは未知の言語を用いる? これまでの記録にない謎の存在の出現に、怯えるしかないのだろうか。



        × × ×



 再び場所は映る。奧着おうぎ市から隣町に向かう公道を、バイクで駆る邪庭やにわ乃述加ののか。彼女の追う先には、回隻かいせき俊雄としおの遺体を抱えたセイレーン・ディシナが滑空している。


 度々砲撃してみるものの、遺体に気を使ってしまって、なかなか本気で当てにいけない。それが分かっている《罪人》は、乃述加を嘲るように捕まらないギリギリの位置をキープしている。


「いい加減に――観念してはどうです!?」


 そう呼びかけるも、まともな返事など帰っては来ない。代わりに跳んで来たのは、


「!!?? どうして!?」


 回隻医師の遺体が入った死体袋を、突然に投げて寄越してきたのだ。まるで命令した通りに、セイレーン・ディシナは応じた。


「もう必要なさそうだし、ここまでアナタをおびき出した時点で、私の勝ちは決まったようなもの! 後は信太が上手く働いてくれれば、目的は達成されるわァ」


 しまった、と乃述加は唇を噛む。こちらは囮だったのか。狙いは分からないが、彼女の目的は医師の遺体でもなく、乃述加でもなかった。まさか子供たちの方なのか?今すぐバイクを駆り引き返したいが、遺体を放っておく訳にもいかない。どの行動を取るのが正解なのだ。この状況が、苦しくて歯がゆくて仕方がない。


 迷っている間に、《罪人》は地面に降り立った。


「本当はあなたも殺したいけれどォ。アタシの役割はあくまであなたをガキどもから引き離すこと。今日は勘弁しておくわぁ」


《罪人》の姿が解けていき、女が顔を覗かせる。厚化粧なせいで正確な年齢が把握できないが、おそらくは乃述加と同年代――20代後半くらいになっていよう。フードに隠されていたその顔を、乃述加は悔しくも「美しい」と思ってしまった。そんな感情を振り払うように、大きく舌打ちする。


「あなた、一体何者ですの?」


 普通の《罪人》とはどこかが違っている。それは肌で感じて取れた。だが分かるのはそこまでだ。彼女の目的も何も、知りはしない。


 銃口を女に向けたまま、乃述加は問い続ける。


「この前の事件――人間を強引に《罪人》にするなんて、どんな手をお使いになって?」


 女はケタケタと笑いだす。


 別に可笑しなことを言われた訳ではない。ただ、何がとは明言できないが、愉快だった。理由のない面白さが、女の中を駆け廻っていた。


「そうねぇ。せっかくここまでドライブに付き合ってくれたのだし、少しだけ教えてあげようかしらネェ」


 下品に、蠱惑的に、唇を舌が這う。どうして毎度毎度、異性の劣情を誘うような仕草を見せるのか。そうでもしていなければ、死んでしまう病気にでもかかっているのか。乃述加の同性の視点から見れば、それは「気色悪い」の一言に尽きたが。


「あれはね、アタシの力じゃない。アタシはあくまで作られた薬の実験を手伝っただけ。この意味、分かるわよね?」


 ええ、と乃述加は首肯する。


「あなたの他にも、不快な連中がいるということですわね」


「せいかぁい♪」


 女は再び喉を鳴らして笑った。


 それから乃述加の元まで歩み寄ると、唇が触れ合うくらい顔を寄せ、


「でも『不快』っていうところは、不正解。アタシは誰よりも他人を気持ちよくさせる天才だものォ」


「要するにお下劣芸しか能がないという解釈で、よろしくて?」


 煽り合いは続く。しかしいつまでもこんなことをし続けている訳にはいかない。早く利里たちの元に帰らなくては。


 だが最後に、決定的なことを切り出した。


「あなたは――誰?」


 口裂け女のように吊り上る女のルージュ。不気味な笑みを浮かべながら、彼女は名乗りを上げた。


「アタシの名は水本みなもと作楽さくら。《色欲》の感情を司る《臣公しんこう》だよォ」

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