第10刑 触らぬ神に祟りなし―B

 病院にやって来た一行は、異様なものを感じ取った。人の気配が薄い。全くない、という訳ではない。元々弱っている人たちが集まる場所だ、それほど精気に恵まれてはいない。それにしても、だ。もう少しだけ活気があってもよいのではないだろうか。


「誰かいませんか!?」


 車から降りると、乃述加ののかは周囲に呼びかけた。しかし返事はない。その代りに足音がした。1つではない。ガサリガサリと、3人以上はいそうだ。しかしそこで胸を撫で下ろすことはできなかった。


 現れたのが人間ではなかったからである。


「!!??」


 例えるならば、古代ギリシアの彫刻だろうか。全身が真っ白で、腰布を巻いている。中には女性なのか、胸から覆っている者もいた。


 しかし肌質は人間とは全く異なっている。まず覗いている素肌は鱗で覆われている。つま先には黒曜石に似た、気味の悪い鉤爪。そして顔面は、龍を模した仮面を被っていた。


「何、こいつら」


「《罪人》――? でも、こんな姿が酷似した奴らばかり……」


 確かに、似た形状の、同類の動植物の姿となった《罪人》は存在しないことはない。しかしこんなにも大量に、同時に出現するというのは、奇妙な現象だ。


「何だ、お前らは」


 身構えながら、利里りりはその怪しげな連中に問いかける。


 すると奴らは、


「レユキソ メッユセウ ヤシママア」


「レクカヤキクカ セユユシソサコ」


 意味の通じない言葉を使った。


 日本語ではない。それは分かる。だったらどこの国の言語だ? そもそも地球上に存在する言語なのだろうか。何だか宇宙人の用いる言葉のような、気持ち悪さがある。


「こっちの質問に答えられないのね。だったら、消えてもらうわ!」


 問答無用で利里は動いた。


 処刑人の姿になるや否や、刃の長いサバイバルナイフで、謎の集団の1人の首を掻っ切った。黒色の血が噴き出し、それは事切れる。彼女に続いて、那雫夜ななよしょうも立ち向かう。


 乃述加はまず篠原しのはらに逃げるよう指示し、自分は地下へ向かった。他の捜査官たちはどうなったのか。病院の中にまでこいつらは侵入しているのか。不安は募るばかりだ。



 地下の検死場。そこは凄惨なことになっていた。おそらく生存者は1人もいない。全員床に倒れたまま、少しも動く気配がない。奇妙なのは、誰もが苦痛に歪んだ表情ではなく、快感に酔いしれるような表情で息絶えていることだ。


「何ですの、これは……。誰がどうやってこんなことを……」


 現場にやって来た乃述加は、目を丸くした。病院関係者。警察官。『E.S.B.』職員。ざっと10人は亡くなっている。しかし彼らを気の毒に思う時間はなかった。


「あなたのせいかしら?」


 見つけたのは、部屋の中央の検死台に腰かけている女。黒色のフードを深く被っているせいで、顔は見えない。が、乃述加はこの女を知っていた。先日の事件で、犯罪者を《罪人》にして実験台にしようとしていた女だ。


「お久しぶり、ですわね」


「来たね。『E.S.B.』日本・執行部長、邪庭乃述加。あなたが来るのを、ずぅっと待っていたのよォ」


 歌うように紡がれる、苛立ちを覚えさせる声。間違いなくあのフードの女だ。彼女は遺体の入った袋を愛おしそうに撫でている。その視線は、まるで恋人の寝顔を眺めているようだ。


「こんな所に来て、あなたは何をお望みなのですか?」


「そうだねぇ。どうせあなたに我々の作戦は止められない。だから教えてア・ゲ・ル」


 僅かに覗いている唇に触れ、投げキッスの仕草。どこまでも嫌悪感しか抱かせない人物だった。


 乃述加は拳銃を握りしめながら、女が話すことを聞いていた。


「アタシたちの目的は、この男を殺害したコを見つけることなの」


「回隻医師を殺害した人物――? もしかして、暮内弥希とやらのことを言っていますの」


「さっすが。耳が良いネェ。いや、もしかしてあの子が喋ったのかしらァ」


 楽しそうにケタケタ笑うと、女は遺体を米俵のように肩に担いだ。その動作を視認するや否や、乃述加は発砲する。女の腹部から、黒い血液が流れた。


「いきなり発射だしちゃうなんて、早漏だね。もっと焦らしてあげないと、満足できないゾ」


「あなたの心を満たす気など、ありませんので」


 続けて引き金を引こうとしたが、次の瞬間には女は姿を消していた。背後に気配を感じ、乃述は上半身を捻る。部屋の入口に、遺体の入った袋を担いだ異形は立っていた。


「それがあなたの《罪人》の姿、ということですか」


 上半身は羽毛で、下半身は鱗で覆っている。そして女神像のような仮面を顔面に張り付けている。蠱惑的なルージュだけは、人間態と変わらずだ。


「さぁ、鬼ごっこの始まりだよ。君はこの死体をアタシから取り返せば勝ち。アタシの勝ち条件は……教えてあげないっ!」


 女――セイレーン・ディシナは一瞬で姿をくらました。だが鬼ごっこと宣言した以上、追って来るように仕向けるだろう。必ずまた、目の前に現れるはずだ。乃述加は深呼吸をして心を少しだけ落ち着けると、腕輪からバイクを召喚した。



 おかしな言葉を話す化け物たちとの戦いの最中、利里は気が付いた。


「あの女、いなくなっているのね!!」


 あの女とは当然、篠原良子よしこのことだ。乃述加が逃げるよう指示した後、しばらくは木の裏に隠れていたはずだ。だがいつの間にやらいなくなっている。


 素直に被害を受けない場所に逃げたと考えるか、それとも――。


 向かってきた《罪人》(?)を蹴り飛ばすと、利里は声を張って晶と那雫夜に呼びかける。


「ここを頼む! 病院に被害を出す訳にはいかないのね!! 私は篠原を探す!」


 返事をする余裕がなく、言葉を受けた2人は頷くだけ。それでも意志の疎通には十分だった。


 どうしても利里には篠原が信用できなかった。彼女が逃げるとすれば、どこだ。


「本当に学芸員だっていうなら、あそこに向かってもおかしくはない」


 さっきまで篠原が運転していた車に乗り込む。幸い鍵は刺さったままだ。まるで「運転してもいいよ」とでも言っているみたいに。エンジンをかけると、グローブボックスの地図と標識を頼りに、利里はある場所へ向かった。



        × × ×



 市内の郷土資料館。受付にいた初老の男性職員に、利里は尋ねた。


「すみません。篠原良子、という方はこちらにいらっしゃいますか?」


「篠原……? さて、聞かない名だがね」


 思った通り。あの女は市の学芸員ではない。地図をざっと見たところ、学芸員として働ける場所は、市内ではここしかない。ただ資格を持っているだけなら、あんな風に仕事として名乗りはしないだろう。やはり偽物だ。


「じゃあ、あいつは今どこに……?」


 次の問題はそこだった。もしも彼女が本当に資料館の職員として働いているのなら、逃げてこの職場までやって来ることも考えられたが、こことは関係ない以上、当てがない。


 運転席にドカリと座り、爪を噛む利里。一度地図をしまおうとして、グローブボックスを開けると、1枚のメモ用紙が入っていることに気が付いた。そこには誰かの電話番号が書いてある。


 指先に紙をつまんで、しばし思考。そしてイチかバチかの可能性に懸けてみることにした。スマホにその番号を打ち込む。無機質なコール音がしばらく続いて――。


『もしもし? 篠原だけど』


 ビンゴだった。思っていた通りの電話に繋がった。


百波ももなみ利里です。篠原さん、今どこにいますか?」


「病院から少し行った場所にある、雑居ビルだよ。何も入っていない、空きビルだけどね。そこに逃げ込んでる」


 そこで待っていてください。利里はそう指示すると、車を発進させた。逃しはしない。絶対に正体を暴いて見せる。



 空っぽの看板のビルを見つけるのは、そう難しいことではなかった。街の中でも人気の少ない場所にあり、万が一何かが起きても、被害はあまり出ないだろう。冷たい埃を被った階段を上って行く。


「百波さん。どうか、しましたか?」


 窓枠に寄りかかるようにして、その女は佇んでいた。まるで利里の到着を待ってましたとでも言うように。一方利里は警戒心を解かず、十字架を握りしめたまま彼女に向かって歩く。


「そろそろ教えて欲しいのね。あなたの正体を」


「正体って。私はただの学芸員だって――」


「とぼけても無駄ね。さっき市の資料館で聞いたわ。篠原良子なんて職員はいない、ってね」


「……ッ。誰もこの市で働いているとは言っていないじゃない」


「それにさっき病院に現れた怪物。あいつら……あなたに話しかけていたのね?」


 その言葉が核心だったようだ。篠原の口から笑いが零れる。そして一瞬で、窓枠を離れ利里に詰め寄る。勢いよく胸倉を掴み自分に引き寄せると、耳元で囁いた。


「触らぬ神に祟りなしって言葉、知らない? 好奇心猫を殺すって、分かる?」


 この瞬間、利里の全身に悪寒が迸った。あの時――研究部員殺人事件の時に感じたものと同じだ。あのフードの女と同じ気配を、篠原は放っている。


「あなた、一体、何者なのね……?」


 怯える利里の表情を確認し、篠原はクフリと笑った。


「下手な真実なら、知らない方が良かったのにねぇ」


 そう言った直後、彼女の肉体は変化を始めた。華奢な身体を分厚い鱗が鎧のように覆っていく。鱗は金色に煌めき、神々しささえ感じさせた。だがこの状況では、恐怖の権化でしかない。


 悪鬼のごとき咢を開き、その女は名乗った。



「私は、信太しのだ美子みこ。全ての《罪人》の代表の1人……《暴食の臣公》」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る