第10刑 触らぬ神に祟りなし―A

 高速道路を、法定速度ギリギリで駆け抜ける。車内には煙草の煙が蔓延し、後部座席に座っている那雫夜ななよはゲホゲホと咽ている。


ちなみにしょう利里りりは、普段から嗅いでいる香りなので、特に気にしていなかった。


邪庭やにわ部長。そろそろ喫煙をやめてほしいですのん……」


 愚痴を言うものの、聞き入れてもらえない。


 それどころか運転手は、次の1本に火を着けている。


「諦めるのね那雫夜。この人はこうなると止まらないの」


 助手席の利里は特に嫌そうな顔はせず、自分の水のペットボトルに口をつけている。


 隣の晶に助けを求めたが、こちらも慣れっこだ。と、言うよりも諦めの顔だ。「もうすぐ着きますから」と笑っている。


 8月下旬。学生たちの夏休みが終わりに近づいてきた頃。邪庭家に1通の電話がかかってきた。「三依みより市で起きた医師の変死事件の捜査に加わって欲しい」と。特に変わったことではない。よくある依頼だ。


 しかし今の時期の乃述加ののかは荒れていた。連日、本部に呼び出され、報告書を何度も纏めさせられ、他の部の部長や総長に文句を言われ、心が荒んでいた。


「SAの自販機で買い足してもいいですか?」


「まずは目的地に着くことが優先なのね。それからコンビニで買いこみなさい」


「コンビニで買うと、毎回色々な身分証の提示を求められるのでね。面倒なのですわ」


「じゃあ禁煙しろよロリババア」


 だんだん利里まで期限が悪くなっていった。こういった感情は他人に伝染するのが常である。


 すると後部座席の晶が、ある案内板を見つけた。


「三依市まであと1キロだそうですよ」


 ようやく、目的地に到着しそうだ。



 支持された場所は三依市総合病院。現地担当の執行部員、調査部員に迎え入れられる。だが1人だけ、『E.S.B.』所属ではない人物がいた。歳は30代くらい。栗毛のベリーショートの髪はあまり整えられておらず、あまり女性的ではない。それに化粧っ気もないが、適度に日焼けしている肌には健康的な印象を受ける。


「初めまして。篠原しのはら良子よしこと申します。今回の調査に参加することになった、市の学芸員です」


「『E.S.B.』執行部長の邪庭乃述加です。よろしくですわ」


 さっそく4人は、病院の地下にある検死室に案内された。部屋の中央に置かれたベッドには、青緑のシートを掛けられた何かが乗っている。


「大変惨いものですので、ご注意ください」


 篠原がシートをめくると、そこにあったのは、


「ヒッ!!」


 晶が恐怖のあまりおくびを上げる。


 まず全体的に赤黒いものが目に飛び込んでくる。そして目を凝らすと、それが人間であることに気づける。真っ先に思い浮かんだのは、縁日の水風船だ。中に水を入れて膨らませると、ヨーヨーのようなおもちゃになる。しかし中身を入れ過ぎた場合、破裂して使い物にならなくなる。目の前にあったのは、まさしく破裂した人間だった。


「先日発見された遺体です。周囲に落ちていた持ち物から、1ヶ月半前に行方不明になっていた、この病院の回隻かいせき俊雄としお医師であると判明しました」


 調査部の男性が教えてくれた。もしかすると、近くに身元を確かめられるものがなければ、一生誰の遺体なのか分からなかったかもしれない。それ程損壊が激しかった。


「そして我々の方でも1度、検死を行ったのですが、どうも奇妙なことが起きていて」


「奇妙なこと、とは?」


 乃述加が尋ねると、捜査に協力してくれているらしい、検死官がどういう訳だか血液パックを持って来た。


「こちらです」


「普通の、採血パックに見えますが?」


「この血は、回隻医師の遺体の体内から検出されたものです。しかしどういう訳だか――医師の血液ではありませんでした」


「? 彼のものではない血が、彼の体内に流れていた、ということですの?」


「そういうことになります」


「それは輸血ということは考えられませんの?」


 検死官は首肯する。


「ええ。回隻医師が輸血をしたという記録はありませんし、そもそも医師の血液型はB型。なのにA型の血が混入しているのは考えられません」


 奇妙な話を聞き、乃述加は顎に指を添える。


 部屋の中心から離れた所で、利里は晶の背中を擦りながら呟く。


「この事件……わざわざ私たちを呼ぶ必要はあったのね?」


 隣の那雫夜もその意見に同意した。


「そうよねん。この前みたいに明らかに《罪人》絡みの、異常事態が起きた訳ではないもの。確かにあの遺体は奇妙だけれど、まだ《罪人》が関与していると分かったということではないのでしょう?」


 彼女らの言う通りだった。今回の出来事に《罪人》は関わっていない、とは言い切れない。しかしまだ遺体が発見されただけ。犯人の目星はついていない。それなのに《罪人》関係の事件だと決めつけ、その上わざわざ執行部長の乃述加まで呼び出した。


「もしかすると本当は、事件の真相は解けていて、それが分かった上で乃述加さんを呼んだ、とか?」


 少しばかり咽ながら、晶は考えを伝える。2人はそれに賛同してくれた。


「そう考えるのがよさそうね。この事件、まだまだ裏がありそう……」


 唇を噛んでから、利里は1人の人物に目線を向けた。彼女が見つめる先にいるのは、篠原良子と名乗った、学芸員である。凄惨な死体を目にしていながら、何一つ嫌な顔をしない。


 それどころか、こういった光景を何度も見て来たような、場馴れしているような空気を纏っていた。


「あの人、どうして、ただの学芸員がこんな事件の捜査に加わっているの?」


 それは尤もな意見だ。警察や病院関係者は分かる。《罪人》が関係していることも考えに入れたなら、処刑人が呼ばれるのもおかしいことではない。


 だが学芸員は? 検死ができる訳でもない、戦える訳でもない。捜査の手伝いならまだ可能かもしれないが、わざわざこんな中枢メンバーに加える必要はないだろう。


 視線を感じ取ったのか、篠原は晶たちの方へ歩み寄って来た。


「どうかしたかしら? 私が気になる?」


 疑問をここで訊いてみるべきだろうか。3人は目配せする。だが引きずるよりは早々に解決してしまった方がいいと考え、利里は彼女に問いかけた。


「どうして市の学芸員であるあなたが、こんな事件の捜査に参加しているのですか? 何か特別な理由があって?」


 質問を受けた篠原は、しばしきょとんとした表情を崩さなかった。やがて鼻で「フン」と笑い、白い唇を吊りあげると、


「私と回隻医師は古い友人でね。よく共に様々な研究をしたものさ。そんな過去があるから、今回は協力するように頼まれたんだよ」


 1つの答えは出た。だがまだ終わった訳ではない。


「それは、なおさら変ですね。よく友人のあんな姿を見て、平気でいられますのね」


「別に平気ではないよ。最初に遺体を見た時、それが回隻くんだと言われた時は、頭が真っ白になったさ」


 おどけるように両手を竦める篠原。どこまでも飄々としていて、調子を掴ませない。


 今度は晶が前に出た。


「それではあなたは、病院の方から連絡を受けて、やってきたのですか?」


「いいや。そうじゃない。回隻くんが行方不明になっているのは知っていた。まぁ、彼のことだ。また変なことに首を突っ込んだのだろうと、そう思っていた。だけど山奥にある、今は誰も使っていないという別荘から、男性の遺体が見つかったと聞いてね。まさかと思って遺体が担ぎ込まれたこの病院に来てみれば、その正体が彼だったと伝えられた訳さ」


 それでは、と晶は前置きして、


「あなたは自主的にこの事件の捜査に加わった、ということですか」


「そうだよ。誰かに頼まれたとか、そういうことじゃない。私は私の意志で、彼を殺した者を突き止めたいと考えている」


 肌に赤みがかかるくらい強く、彼女は拳を握り締めた。それ程に強い憎しみを抱いている、ということか。


 どうにも疑念は晴れないが、篠原への問いかけはここで終わりになった。



        × × ×



 しばらくは三依市のビジネスホテルで寝泊まりすることになった。部屋割りは乃述加と晶、利里と那雫夜で2部屋だ。宿泊費はこちらの『E.S.B.』持ちになるということで、誰も文句は言わなかった。


 だが協力願いについては、ホテルに着いてからも愚痴ばかり出ている。


「どうにもしっくりきませんわね」


 風呂上りで、バスタオル1枚を身体に巻いただけの乃述加。火照った、清潔にしたばかりの肌だが、やせっぽちで色気がない。


 その上、早速煙草に火をつけている。しかし咥えてから部屋に灰皿が置いていないことに気がつき、晶に鞄の中を探させる。


「ごめんなさいね、お手を煩わせて」


「構いませんよ。それじゃあ、僕もお風呂に入ってきますね」


 バスタオルを持って浴室へ向かう。シャワーを浴びていると、壁の向こうからガタン! と大きな物音がした。あちら側は、利里と那雫夜の部屋だ。驚いて、慌てて服を着てバスルームを出る。


「乃述加さん! 先輩たちの部屋から、変な音が!」


 それを聞いても、乃述加は顔色1つ変えることなく、煙草をふかしていた。


「あの子達もシャワーを浴びているのでしょう。問題ありませんわ」


「でも、ガタンッ! っていっていましたよ。浴室で倒れていたりしたら……」


「2人で入って、勢い余って足を滑らせでもしたのですわ。まったく、こんな場所まで来て……」


 初めは意味を掴めなかった晶だが、あの2人の関係を思い出すと顔を真っ赤にした。


「保護者と子供の目の届かないところで、組んず解れつとは、後でお仕置きが必要ですかね」


 要するに彼女たちは、風呂場でそういうことしている、という話だった。その隣でシャワーを浴びるのも気恥ずかしく、晶がバスルームに入るのは、深夜になってからだった。



 翌朝。4人はよく眠ることができず、目の下に隈を作っていた。ただし睡眠不足な理由は異なる。利里と那雫夜は結局夜通しで絡み合っていたせい。乃述加と晶は、隣の部屋の物音が煩かったせいだ。


「あなたたち、ここはビジネスホテルですのよ? ラブホではないのですから、あまり羽目を外さないでくださいな」


「ごめんなさい」


「ちゅーか、そんな話をロビーでしないで欲しいのね」


「じゃあやめなさい、という話ですの!」


「本当にスンマセンでした」


 頭を下げる2人がだんだん可哀そうに見えてきた晶は、乃述加に「もうその辺で許しては……」と声を掛ける。だが「もう」の所でキッと睨まれてしまい、何も言えなくなる。


「それにしても、乃述加。あなた今回ピリピリし過ぎなのね。総長や他の部長にいびられて悔しいのかもしれないけれど、今は任務に集中して――」


「そんなことで苛々しているのではありません! 何だか今回は――嫌な予感がするのですわ。あたくしたちの知らない所で、大きな事態が動いているような……」


 乃述加の告白を聞き、3人はきゅっと唇を結んだ。彼らもそれには同意だった。この依頼に漂っている空気は、これまでとは違ったものだと感じていた。まるで獣の口の中に飛び込んでしまったような、罠に嵌められているように思える。


「とにかく! 遊びで来ている訳ではないのだから、油断は禁物、ですわ!」


「はい!」


 反省が一通り済んだ所で、迎えが来た。その迎えの顔を見て、利里は顔を歪ませた。疑惑の人物である、篠原良子がやって来たからだ。


 昨日は初対面の挨拶だったからか、スーツを着ていたが、今日はラフなTシャツ・ジーンズ姿である。


「おはようございます。朝早くから待機してもらって、申し訳ありません。それでは行きましょうか」


 彼女に案内されるまま、駐車場に向かう。小さなバンに5人が乗り込んだ。運転席には篠原。助手席に乃述加。後部座席は、晶、利里、那雫夜と鮨詰めだ。


 車は山道に入って行く。


「僕たち、山の中で活動することが多いですよね」


 晶はふと思ったことを、隣に座る利里に向かって口にした。


「《罪人》が暴れて被害が出ないように、山中に追い込むことも多いのね。それに、かなりの数の《罪人》が、世捨て人のみたいに山籠もりするケースがあるからね」 


 そう言われると納得だ。街中で戦う訳にもいかないし、必然的にそうなってしまうのか。


 出発してから1時間程。辿り着いたのは、古びた別荘だった。屋根は剥がれ、窓は割れている。扉の塗装も落ちていて、とても人が使っていたようには見えない。もしやここが――。


「そう。ここで回隻くんは、遺体で見つかった」


 玄関の鍵はかかっておらず(と言うよりも壊れているのか)、篠原はドアノブを回して簡単に開けてしまった。


「もう一通り調べた後だから、土足で上がってもらっても構わないよ」


 一行は、薄暗い家の中に足を踏み入れる。外見に比べ、内装は綺麗だった。どこもそれほど埃を被っておらず、定期的に掃除をしていたのだと考えられる。つまりは誰かが頻繁に利用していた、ということか。


 しかし床には、明らかに生活の跡ではないものがあった。血痕だ。廊下に点々としているそれは、完全に床に染みついてしまっているのか、踏んでも掠れることがない。


 血の跡はまるで足跡のように、彼らを奥の部屋へと導いていた。


「そして回隻くんがみつかったのが、この部屋」


 再び篠原を先頭に、彼らは現場に立ち入る。


 最初に鼻をついたのは、薬品の臭いだった。それがここが日常生活のためではなく、何等かの医療行為のために利用されていたのだと、教えている。ベッドの脇に倒れた点滴も、同様にそれを物語っていた。


「回隻医師は、ここで医療行為をしていたのですか?」


 しゃがんで点滴を見つめながら、乃述加が篠原に訊ねる。


「ええ。その可能性は高い。ほら、これを見て」


 篠原が促したのは、部屋の角にあったクローゼットだ。扉を開けると、中には洋服がかかっている。しかしどれもこれも女物。被害者の他に女性がいたことを意味していた。


「この現場は、なるべく事件発生当時のまま保全している。下手に全て持ち出してしまえば、この部屋に残された手掛かりを消し去ってしまうかもしれないからね」


「それで、何か見つかりましたの?」


「いいや。まだこれといったものはないね。でも気になるじゃないか、ここに横たわっていたのが誰なのか」


 洋服を漁りながら、利里はここにいた人物の特徴を掴もうとする。


 サイズからして、乃述加と同じくらいの背丈。……ということは、中学生くらいか。3着しかないところを見ると、1人だけのようだ。それはベッドの数からも窺えるか。


百波ももなみ先輩。これ、見てください」


 晶がベッドの下を指差して、利里を呼ぶ。


 そこにあったのは、血塗れのアイマスクだった。


「アイマスク? どうしてこんなものが?」


「患者さんが使っていたのでしょうか」


 大きさを見るにそうだろう。ただ裏側にべっとりと血液が付着しているのが気になる。


 じっとそれを見つめていると、篠原に取り上げられた。


「ありがとう。まだこんなものが残っていたんだね」


 その行動に、利里はまた彼女に対する疑念を募らせる。


 篠原から少し離れ、利里は晶と那雫夜に問いかけた。


「今の、どう思う」


「知っていてわざとわたしたちに見つけさせた、じゃないのん」


 那雫夜の言葉に、2人は賛同する。


「あの女は私たちに何をさせたいのね……?」


 どこまでも胡散臭さの拭えない女だった。


「容疑者は上がっていますの?」


 乃述加が窓の外を眺めながら、尋ねる。その瞳はどこへ向いているのかは、定かではない。


 利里から取り上げたアイマスクをジーンズの尻ポケットにしまい、篠原は乃述加の傍へ移動する。


「1人だけ。回隻くんが行方不明に――死亡したのと同時期に行方不明になった人がいる」


「それは一体、どちら様ですの?」


暮内くれない弥希みき。三依大学・法学部に通う女子大生だ」


「その方と回隻医師に繋がりは?」


「彼女の友人である明外あけがた静孔しづくが入院していた時、担当をしていたのが回隻くんだ。そしてその女の子だが、遺体発見の半月前に亡くなっている。そしてその子が亡くなった翌日に、回隻くんは行方不明になった」


 殺害動機には十分な話だ。友人を回復させてくれず、死なせた医師に恨みを持って行動に出た、と考えても不思議ではない。


 しかし殺害した方法が不明瞭だ。遺体は全身の血管を破裂させられていた。文字通りぐちゃぐちゃの状態だったのだ。どんな手を使えば、そんな殺し方ができるのか。皆目見当がつかない。


「それで、あたくしたちを呼んだ理由は?」


 ついに乃述加が口火を切った。誰もが気になっていたこと。まだ事件の真相が不透明な中、彼女らを――もっと言えば、『E.S.B.』が捜査に呼ばれている理由だ。


「その暮内さんが、《罪人》になっている、と言いたいのですね」


「その可能性は高い。こんな殺しは人間には不可能だ。そして暮内弥希は回隻くんに深い恨みを――憤怒の感情を抱いていた。彼女が《罪人》に目覚めたと考えるのは自然だろう」


 その情報を聞いた所で、5人は廃別荘を後にした。これ以上現場を荒らす訳にもいかない。



 思えばこの時、気づいておくべきだったのだ。どうして、ただの学芸員に過ぎない篠原良子が、《罪人》や『E.S.B.』について知っていたのか。


時々協力する警察や病院関係者ならば、分かる。しかし連絡部が情報の隠ぺいを行っているのに、まるで一般知識のようにそれらについて語る、彼女は何者なのだ、と。


そうすれば、最悪の事態は避けられたはずなのに。

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