第9刑 昔、女ありけり――B
ここから先は、後から聞いた話である。
男たちと、《罪人》となった父は交戦した。銃で撃たれ、ナイフで切られても、父は平気な顔をして暴れた。1人の部員の体に、《罪人》の触手が絡みつく。それに電気ショックを流され、彼は倒れた。
「くそ! こいつ思ったよりも強いぞ!」
もちろん処刑人たちは、手を抜いていた訳ではないだろう。だが
他にもその触手に捕まり、意識を刈り取られる部員が出た。隊長は、これ以上戦いが長引くのは危険と判断した。死亡する部員も出るだろう。それにここはマンションの廊下だ。男が《罪人》であると目星をつけて、あらかじめ人払いはしておいたが、まだ住人が残っている可能性もある。
何より自分たちは、女の子――利里がマンションに戻るのを見落としてしまった。その結果、怖い思いをさせた。そんな被害が広がってはならない。
「全員、一斉射撃!」
隊長の合図を元に、部員たちは銃を構える。狙いを定め、《罪人》の急所を目掛けて撃った。胸や頭、足首などを撃ち抜かれ、《罪人》は一度動きを止める。が、どうにもしぶとい。処刑人たちも、まるで水を撃ったような手応えの無さを覚えていた。
「僕はこれから、どうすればいいんだろうなぁ」
無気力な呟き。しかし行動はそれに伴ってはいなかった。再び触手を伸ばし電撃を浴びせようとする。標的にされた部員は、咄嗟にナイフでそれを斬りつけ、退けた。
青黒い血を撒き散らしながら、触手がうねる。《罪人》は悲鳴なのか嗚咽なのか分からない声を喉から出している。
「そうだ、僕は悪くないんだ。僕の方こそ被害者なんだよ」
徐々に再生していく足首。びっこを引きながら這う《罪人》。非常に気色悪い。
進まない展開に痺れを切らした隊長は、大胆な行動に出た。まず《罪人》の首を掴んで上半身を起こす。そのまま米俵を担ぐように、肩に乗せた。そして無気力で抵抗しない《罪人》を非常階段まで連れて行き、そこから地上へと放り出した!
15メートル程落下した利里の父は、足音よりも遥かに大きい「べちゃり!」という音を立てて潰れた。当然、銃で撃たれても死なないような輩が、その程度で絶命するはずがない。隊長は階段の手すりにワイヤーロープを結び、自分のベルトに反対側を引っかける。それを命綱に、慎重に下までおりた。
「悪いな。俺たちはそんなお前さんを殺さなければならない」
隊長の持つ鉈に似た刃物が、《罪人》の首目掛けて振り下ろされた。一度だけではない。何度も何度も、息絶えるまで、打ち付け続けた。
刃が、そして装備の前面が真っ青に染まった頃、ようやく利里の父は元の姿に戻った。そして、灰となって崩れた。
部員たちがその場に駆け寄る。
「任務完了だ。行くぞ、上層部に連絡だ」
部下にそう言いつけると、隊長は先頭に立ち、乗って来た車を目指す。その車両には、先に
「お疲れ様ですわ」
「その子は?」
仏頂面で尋ねる隊長。乃述加は唇に指を当て、静かにとジェスチャーをした。
「眠っていますわ。ショックなことがあって、心が追いついていないのでしょう」
目を閉じている利里の顔は、苦痛に歪んでいた。ちっとも快眠ではない。現実なのか悪夢なのか区別のつかない出来事が目の前で起きたせいで、どうリアクションを取ればいいのか分からなくなっていた。
「近隣住人は、全員自宅に帰しました」
執行部員の1人が報告に来た。隊長は「ご苦労」とだけ告げ、乃述加と利里を見つめている。
心配そうに、眠っている少女の顔を見つめる乃述加。
「この子は……これからどうなるのですか?」
「俺には分からないよ。まずは病院で手当てを受けて、それからどこかの施設に入れることになるはずだがね。父親は《罪人》になって処刑され、母親は父親が変貌した化け物に殺害される。まったく、悲惨なことだ」
《罪人》による身内の殺人事件は少なくない。むしろ全体の事件の中でも多い方だ。しかし今回は、1番の被害者は残された娘――利里だろう。家族も、生活も、何もかも失ってしまった。それが本人の心の支えになっていたかは、別として。
「あたくしが、この子の力になれないでしょうか。まるで少し前のあたくしのよう……」
この時乃述加が、何を思い出していたのかは誰にも分からない。しかしその視線は、間違いなく同情から来るものではなかった。
ここからは、利里も覚えている。
目を覚ますと、真っ白な部屋にいた。窓の外は多少の緑があるだけで、ほとんど殺風景と言ってよい。賑やかさの欠片もない。彼女はここが病院だと気が付くまでに少しの時を要した。
「よかった。やっと気が付いたのですわね」
ガラガラ、と扉が開く音がした。このおかげで、利里はここが外界と完全に隔離された密室でないことを知り、安心することができた。閉じ込められている訳ではないのだ。
真っ白なシーツを退け、上半身を起こす。さらにここで、自分はベッドに寝かされていると自覚した。
「無理をしないで。ゆっくりでいいのよ」
ベッドの脇までやって来たのは、銀髪であちらこちらに銀色のアクセサリーを付けた、若い女性。父に追われ怯えていた自分を、抱き締めてくれた人だ。
「あたくし、
優しく微笑み掛けられ、利里は戸惑う。他人との接し方を知らないから、どう反応を示すのが正解なのか分からない。笑顔も作れない。喉の奥が張り付いているせいで声も出せない。僅かに首肯することが精一杯だった。
「突然のお話で申し訳ないのだけれど……」
そうは言うが、表情は申し訳ないと言っていなかった。かと言って不愉快な顔をしていた訳でもない。どこまでも慈愛に溢れていた。
「これからはあたくしが、あなたのお母さんです。よろしく、ね」
………………??? 何を、言っている? あまりにも唐突な申し出だった。お母さんだって? あの人はもういない。確かにこの目で見た。母は死んでいた。全身が捻じれ、千切れ、見るに堪えない姿になって。混乱して、全力で首を横に振った。
「(違う。違う。違う)」
叫びたかったが、声が出てくれない。私にはもう、家族はいない。もう誰とも家族になってはいけない。
逃げようとしても、身体が鈍ってしまっていて上手く四肢を動かせない。ああ、どうすればいい。
この時利里は、知らず知らずの内に「怯え」の表情を作っていた。感情が自覚できない彼女にとっては、まるで不必要な機能だったが。
乃述加の手が、利里の頬に伸びる。その瞬間利里の脳裏にフラッシュバックしたのは、母親に打たれた記憶。あの嫌な感覚が電流のように全身を駆け巡った。
「嫌!」
咄嗟に声が出た。それで何かを悟ったのか、乃述加は手を引っ込める。そして頭を下げた。
「ごめんなさいね。怖いのね、他人といるのが」
その発言が、さらに利里の恐怖心を駆り立てた。どうして分かる。これまでずっと両親が傷つけあう光景を見て来た利里は、それが普通だと思ってきた。だから友達もいない。他人の痛みが分からないから、誰かと上手に接することができない。
だが自分の痛みは分かる。だから彼女にとって他者との交流は恐怖するものだった。なぜなら、他者に寄るということは、傷つけられることを意味しているから。利里には、他人との距離の取り方が、分からない。
「あたくしも、少し前まであなたと同じでしたわ」
怯える利里をなだめるように、乃述加は言葉を紡ぐ。
「大切な人を目の前で失って、全てに絶望していた。まだ立ち直った訳ではありません。けれど決めましたの。あたくしは守れなかった。そしてあたくしの他にも、大切なものを守ることができない人がいる。そんな人たちの代わりに、あたくしが戦う、とね」
強さと脆さを同時に宿した彼女の瞳に、どういう訳だか、利里は惹かれた。暗く深い水の底に沈んでしまいそうだったのが、ようやく光明を見つけたように。たった1つの光源に向かって泳ぐように、利里は乃述加に惹かれた。
「私は――――どうやって生きればいいの」
それは、生まれてからずっと抱え続けてきた疑問。そんなこと、人間は生きていれば誰でも直面する問題なのだから甘えるな、と言う人もいるかもしれない。
だが利里にとっては、根本から違っていた。自分の生き方に疑問があるのではなく、自分の存在そのものに疑いを持っていた。両親がずっと傷つけあっていたのは、自分のせいではないのかという疑念まであった。
彼女が知りたいのは、生き方ではない。自分は生きていてもいいのか、ということだ。
そして乃述加は、彼女と真正面から向き合った。
「あたくしの、傍にいなさい」
そう断言した。
「あたくしがあなたを守ります。だから、ここにいていいのよ」
ここにいていい。簡単な言葉だった。だが利里にとっては、ようやく与えられた意味だった。存在意義など気にする必要はなかった。そうだ。命の価値なんかも意識することなかった。ただ――居場所が欲しかったのだ。安心して生きていられる場所が。
「うう……うぇぇ、うえええええええんん!!!」
利里は生まれて初めて泣いた。今までどうやっても流れることがなかった液体が、双眸から流れた。ようやく許された。欲しかった安寧が得られた。乃述加が自分の事を認めてくれた。
「泣きなさい。泣きたいときは、泣いてもいいのですわ。それは罪ではありません。そうすることで救われる心もありますわ」
乃述加は利里を己の胸に抱き寄せた。決してふくよかではない乳房。むしろ骨と皮ばかりで、ゴツゴツとしている。彼女も酷い苦労をしているのが伝わって来た。
それでもそこには、利里の味わったことのない温かさがあった。記憶している限り、両親に抱き締められたことなど1度もない。学校でも、手を繋いでくれる友人はいなかった。先生にも受け入れてもらえず、変な子扱い。そうやって愛情を知らずに育った利里は、ようやくそれに接することができた。
『百波利里』という人物の人生は、ここが始まりだったのかもしれない。
× × ×
「と、まぁ。こんな話があったのね」
語り終えると満足したように、利里は台所にコーヒーを淹れに行った。その後ろ姿を見て
なぜなら、彼女が自分の過去を、まるで他人事のように語ったからだ。自分とは関係のない、どこかで聞いた昔話のように話した。それでいいのだろうか。
「百波先輩。それでいいのですか?」
リビングに戻って来た彼女に、晶は問いかける。
「それでいいって、どういうこと?」
「百波先輩は、自分の過去を、そんなまるで関係ないように語って……」
それを聞いた利里は、一瞬きょとんとした表情になり、それから「アッハッハ!」と声高に笑った。
「別に関係のないことじゃないのね。でも、あの頃の空っぽな私はもういない。乃述加に、
確かに、思い出話に語られていた利里と今ここにいる利里は、全くの別人と言っていいほどだった。
「あの頃の私と、今の私は別人なのね。あの頃存在していたのは、名前もない愛も知らない、まだ何者でもない女の子。そして今の私は、
嬉しそうに歯を出して笑い、それからコーヒーを啜る利里。
そんな彼女の人生を知り、晶は少しだけ、自分が恥ずかしくなった。
「僕も……僕もなれるでしょうか」
「何に?」
「世界のことを何も知らない駄目な男から、父のことも母のことも知って処刑人としても立派な、
うーん、と考える利里。その様子を見て晶は少し不安になった。もしかして「無理だ」とでも言われてしまうのではないかと、怯える。
しかし利里がそんなことを言うはずがなかった。
「そうなりたいと思っているなら、必ずなれるのね」
その言葉を聞いて、晶の胸に閊えていた何かがポロリと取れた。もしかすると、乃述加に「ここにいてもいい」と言われた時の彼女の感覚は、これに似ているのかもしれない。
一通り話が済んだ後、利里はハァと小さくため息をついた。
「どうかしましたか?」
「あのね。私、乃述加の娘っていうことになっているけれど、1度もあの人のことを『お母さん』って呼んだことないのね」
確かにどちらかというと、お姉さん、といった感じではある。流石に母と呼ぶのには抵抗があるかもしれない。
「いつか言えるかな――――」
「呼べますよ。だって、あんなに仲良しなんですもの」
そう言って2人は、笑い合った。
× × ×
実はこの時、リビングの入り口の所に乃述加が立っていた。2人は話に夢中で気が付かなかったが、随分前に総長の所から帰って来ていたのだ。懐かしい話を聞いて、彼女も少し物思いに耽っていた。
「(利里……。あなたは覚えていないかもしれませんが、1度だけあたくしのことを『お母さん』と呼んだことがありますのよ)」
それは、2人が一緒に暮らし始めて間もない頃。仕事から帰って来た乃述加は、リビングのソファの上で眠っている利里を見つけた。起こすのが申し訳ないくらい、安らかな寝顔をしていた。そんな娘の隣に腰かけ、乃述加はその頭を撫でる。
すると利里は嬉しそうに「お母さぁん……」と寝言を言った。その時は意外で面食らったが、乃述加もその言葉に喜びを感じていた。
「(でもいつか、面と向かって呼ばれたいですわね…………)」
実際にそうなった時のことを想像して、可笑しくなって笑う。
それから綻んだ顔を整えると、リビングの扉を開いた。
「ただいま」
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