第8刑 熱戦! カーチェイス!―B
「――!! 凄い速度で近づいてくるものがあります!
「それ以外がいたら怖いわん……。よし、トラップも仕掛け終わったし、迎え撃つ準備はできてるのん」
軽口を叩きながらも、
しかしその最中、
こんなところにいてはいけない。逃げて。どういう訳だか、このような言葉が出てこなかった。まるで彼女なら自分の身は自分で守れると、確信しているように。
「――――――あれ?」
今一瞬、変なことを考えた気がする。だが自分が引っ掛かったのがどの部分なのか、分からない。
そうこうしているうちに、敵はすぐそこまで迫っていた。残り200メートルほど。木々は傷つけられ、土埃が舞い、山は荒らされ放題だ。
「目標到着まで、あと10秒です!」
声を張って利里と那雫夜に知らせてから、彼自身は木から飛び降りる。跳躍する直前に人影を確認したが、どうやら彼よりも先に避難したらしい。それらしきものが見当たらなかった。
そして晶に考える暇を与えないように、衝撃が広場を襲った。まずは乃述加が入って来た。空飛ぶバイクに跨った、不思議な体勢で、だ。その後に続いて、巨大なチーター・ディシナが姿を現した。丁寧にも乃述加に触れないスレスレの距離を取っている。
「那雫夜!!!」
利里が呼びかけた。それだけで全てを察した那雫夜は、手元のスイッチを押した。直後、爆音とともに地面が崩れた。《罪人》は足を取られてバランスを崩す。彼女が仕掛けた罠は、この巨大な《罪人》用の落とし穴だ。これを使って身動きを封じ、その隙に利里が止めを刺す。これが当初余裕していた処刑法だ。しかし《罪人》の身体能力は、利里の想像を遥かに超えていた。
「うっそだろ、オイ!!」
まさか10メートルは沈めたはずなのに、後ろ脚のバネだけで地上に戻ってくるとは、思わなかった。瓦礫をものともせず、跳躍した。まだ執拗に乃述加を目掛けている。
「もう追いかけっこは、結構ですわ!!!」
バイクのグリップに不自然に付いたボタン。透明なカバーをスライドさせて外し、乃述加はその小さな突起に指を掛けた。直後、バイクのディスクローターの辺りから、弾丸が射出された。まるで機関銃のように、止めどなく。全弾とまではいかないが、多量のそれを《罪人》の顔面に撃ち込むことに成功した。片目を潰されたチーター・ディシナは「ギャウン!!」と情けない悲鳴を上げ、横転する。
「おとなしく、制裁を受け入れなさい!!」
撃たれた傷が疼くようで、化け物はしきりに頭を振っていた。だが虫が停まっている訳ではない。顔面にこびりついた違和感は羽虫のように飛んで行ってくれない。
その隙に那雫夜が、苦無を使って《罪人》の足を地面に打ち付けた。これで身動きが取れないはずだ。
そこまで準備を整えると、止めを担当する利里が口角を上げながら銃を構えた。エグゼブラスター。使用者の身体さえも痛めつける、危険な兵器。彼女はそれを使いこなすために、ガンマンコスチュームに衣装を変更していた。
「こいつで決まりなのね!!!」
放たれる衝撃。地面を抉り、風圧で木々を薙ぎ倒す。周囲にいた晶、乃述加、那雫夜も必死に足を踏ん張った。それでもまともに立っていられない。必殺技を撃っている利里本人も、地面に深い足跡をつけている。技を出している側である処刑人たちですら、ここまで苦しんでいた。受けている側である《罪人》は、もっと苦しい思いをしている。
「ガキャンッッ! ギギイイイイィィィァァァァァォォォオオオオンンンンンン!!!!」
錆びついた扉の開閉音に似た悲鳴。皮を裂かれ肉を炙られ、骨を痛めつけられる。そんな現象が全身で起きているのだから、苦しくないはずがない。それでもチーター・ディシナは逃げることを許されなかった。徐々に塵芥と化していく自分の身体を、意味が理解できていないように、見つめていた。獣にはそれしかできなかった。
刹那、光が舞った。
巨大な《罪人》の肉体は崩れた。しかしまだ、終わっていない。おが屑の山の中に、1人の男が立っていた。そう、フードの女が実験台と呼んだ脱獄犯だ。
《罪人》の身体が滅び、本来の人間の姿に戻っている。だが衣服を身に着けていないその格好では、崩れかけている肢体が丸見えだった。これ以上生きていることは不可能だ。少しでも身動きを取れば、その身体は灰塵になる。
しかし考える力を失った男は、そんなことは気にしない。今やりたいことは、とにかく目の前にいる目障りな人間たちを傷つけることだった。
「ウガアアアアアアアアアァァァァァァァァァァ!!!!!!!」
人の姿に戻ってもなお、獣のような咆哮を上げる。そして朽ちた自分の破片を撒き散らしながら、走り出した。狙われたのは、晶だった。1番弱そうとでも思われたのか。己に直接危害を加えた3人には目もくれず、ただ見張りをしていただけの彼を襲おうとする。
「晶!!!」
「避けて!!!!!」
「逃げろ!!!」
心配してくれる、悲鳴が聞こえた。だが晶はその場を動こうとしない。それどころか、右手の拳を握りしめ、足に力を籠めた。《罪人》を迎え撃つ気なのは、誰の目にも明らかであった。
「僕だって――――処刑人だ!!!!!!!!!」
宣言とともに、彼は眼前に迫った《罪人》に向けて拳を繰り出す。腹部に強烈な打撃を与えることに成功。それを受けた男は、断末魔を上げることなく、文字通り崩れ落ちた。
もちろん、討伐に成功したのは晶1人の力ではない。その前に先輩や師匠たちが十分に傷を負わせていてくれていたからだ。それでも晶はたった今、間違いなく《罪人》に止めを刺した。その時彼の胸中では、清々しく、気持ち悪く、正義心と後悔の交じり合ったようなものが作られていた。だが、これにて本当に1件落着だ。
「しょぉぉぉうう!! やったじゃん! あなたも立派に戦えるようになったのね!!」
歓喜の声を上げながら、利里が晶に抱き着いて来た。
「
身長は利里の方が10センチほど上なので、晶は体格的に彼女に勝てないのだ。
後から歩み寄って来た乃述加と那雫夜も、彼を誉めてあげる。
「身体や技術はもちろん、心の方も成長していましたのね」
「…………グッジョブ、ねん」
自分では到底力及ばないと思っていた人たちが評価してくれると、嬉しい。何だか急激に成長した気になる。
晶の心の器は、徐々に満たされていった.
事件が解決し、警察や捕縛部がやって来た。ただの塵になった《罪人》の成れの果てを集めて、回収してしまった捕縛部。警察も脱獄犯の死亡を確認し、現場の遺留品の調査を始めた。
乃述加たちがその作業に参加している間、隙を見て晶は森の中に入った。一瞬姿を現した、あの人物を探すためだ。
「(あの人は……一体どこに)」
どうしてこんなに気になってしまうのか。それは晶本人にも理解できない。しかし分かっていることもあった。自分はあの人を知っている。どこの誰なのか。いつ出会ったのか。そこまで思い出せた訳ではない。それでもあの人は間違いなく、自分の知っている人だと、言うことができた。
押し倒された木々を乗り越え、時に枝に足を絡め取られながら、晶は森の中を進む。
「遅かったね」
不意に上の方から声が聞こえた。発声源を探すと、そこは倒れた1本の巨木。人はそれに腰かけていた。つばのついた帽子を被っているせいで、顔がはっきりと見えない。僅かに覗いた口元は、白い肌に柔らかそうな唇で、女性的に見えた。着ているパーカーとジャージはサイズが合っていないのか、ぶかぶか。身体のシルエットも掴みづらい。はっきりと性別、年齢は把握できなかった。印象だけで言えば、女性で、年齢は晶の少し上くらい。
「あなたは、誰ですか?」
答えてくれるとは思っていない。それでも訊かずにはいられなかった。
「――そうだね。強いて言うなら、過去と未来に呪われた亡霊、ってところカナ」
どこか合成染みた声。彼女(?)は幹の上で立ち上がると、
「待ってください! どうしてこんな所に? 何をしていたのですか? あなたは、人間ですか、《罪人》ですか……?」
晶の問いかけに、その人物は振り返ることなく、応じた。
「ここから先はかくれんぼだ」
この時はまだ、この発言の意味が理解できなかった。あまりにも唐突で、噛み合っていない会話に思えた。
「アタシを見つけてみせてよ、晶」
「……え?」
だが確かに彼女は、晶の名を呼んだ。まるで旧知の仲のように。
それはただひたすらに不気味で、心の踊る体験だった。
「はい。写真は、本部のデータベースに転送しましたわ。これから先、何が起きてもおかしくありません。どんな些細なことでも注意しておかなければ……」
乃述加は総長の
新たな力を持った《罪人》が現れたこと。それを操ろうとする謎の女がいたこと。これは間違いなく、不吉なことの前触れだ。今回の事件は解決したが、まだ巨大な出来事の序章に過ぎないと、彼女はそう考えている。
電話を切り、ふうとため息をつくと、煙草に火をつけた。シトラス系の香りが口の中に広がり、鼻をつく。こうでもしていないと落ち着かない。
「あたくし……いつになったら休めるのかしら?」
左手薬指のリングを撫でながら、そう漏らした。
× × ×
晶たちが《罪人》と戦った山の頂上。そこの1番高い木の上に、その女は立っていた。
「実験終了。成功とは呼び難いわァ。せいぜい理性は残しておいてくれなくちゃ。薬の改良、よろしくねェ」
『完成にはまだ当分かかりそうだな。だが着々と、前には進んでおる』
電話口には、しわがれた老人の声。肺を病んでいるのか、呼吸が荒い。時折「ブヒュゥ」という、気味の悪い吐息が聞こえる。
「《憤怒》と《怠惰》の後継者も見つかった。《重罪人》も我々の手で生み出せるようになって来た。後はブラッドの言う通り、《ロード》を見つけるだけね」
『気を抜くなよ。ここまで派手に動いては、貴様も目を付けられているかもしれん』
「平気平気。このアタシが、処刑人に殺される訳がないもの!!」
女は電話を切ると、被っていたフードを取った。黒い長髪。アイシャドーとルージュは非常に濃く、まるで魔女のようだ。
それはそれは愉快そうに、高笑いしている彼女の肉体が、徐々に変貌していく。上半身は羽毛で覆われ、背中には左右それぞれ1メートル程の大きさの翼が生える。下半身は鱗で覆われ、光を受けて7色に煌びやかに輝く。顔面には海賊船の船首に飾られているような女神像が、貼りついている。まるで仮装舞踏会の出場者だ。
突風を起こしながら、翼が駆動する。女は呵呵大笑を轟かせながら、曇天の空へ消えていった。
× × ×
周囲には薬品の臭いが漂っていた。それに混じって鉄臭さもある。室内なので関係ないが、外では激しく雨が降っていた。時折稲光がして、部屋の中を白く照らす。そこに映し出されるのは、真っ赤に染まったシーツ。そしてその上に横たわる、中年の男性。全身のいたるところが破裂している。皮は破れ、肉は裂かれ、血管は千切れている。見るもおぞましい姿だ。
部屋の扉は開いていた。血を引き摺った跡が室外へと伸びている。電気の点いていない廊下を、その女性は歩いていた。年は10代後半くらい。腰まである長い髪は、血を浴びて真っ赤に染まっている。その腕の中には、1人の少女が抱かれていた。まだ小学生くらいだ。しかし耳の辺りで切り揃えられた髪は真っ白で、老婆のよう。痩せこけていて精気も感じられない。何より異質なのは、瞳を覆うように巻かれた包帯だ。どこからどう見ても遺体なのだが、奇跡的に胸は上下していた。
「
血まみれの麗女は、しきりに腕の中の少女に話しかけていた。だが暖簾に腕を通すように、手応えがない。やがて胸の動きが弱くなっていく。それを見た女性は、唇を噛み締めた。そこからもまた、血が流れる。だがそれは人間のものとは違い、青い。
「さぁ行こうか。光の届かない、アタシたちの住処へ」
2人が去ると同時に、建物内から音も去った。やがて屋外からけたたましい雨音がやって来る。しかしもう、稲光はしない。何者もこの場所を照らしはしなくなった。
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