第8刑 熱戦! カーチェイス!―A
峠へと車を走らせる
「どこに行きましたの、あの化け物!!」
珍しく彼女が悪態をつく。車内の全員が苛立ちを隠せなくなってきたその時、
「……!? あいつ、この道路の真下の森の中で暴れてる!」
利里の悲鳴を聞くや否や、乃述加は車を停止させた。そして運転席から降りると、道路の下を覗き込んだ。続けて3人も降車し、様子を探る。耳を澄ますと、近くから獣の唸り声のようなものが聞こえてきた。間違いない。あの《罪人》の声だ。
「利里。車の運転は任せますわ」
「ちょいと! どうするつもり?」
「あたくしはこの下に行って、《罪人》を誘導します。あなたたちは先回りして、あいつに止めを刺してほしい」
それは無茶な願いであった。いくら『E.S.B.』執行部長と言っても、あのような巨大な化け物を相手にして、ただで済むはずがない。ここはなるべく大人数で行動をとるべきだ。
「乃述加。流石にそれは承認できないのね」
「いいえ。ここは役割を分担した方が早いですわ。危険なことは分かっています。けれど、あたくしの身を危険に晒すことで、多くの人を助けることができるのであれば、本望ですわ」
そう言い切ると、静止も聞かずに彼女は、欄干を乗り越えて、橋の下へ飛び降りた。
「――あの馬鹿母ッ!
利里の鶴の一声で、車は発進した。今は、自ら危険に飛び込んだ乃述加の指示を待つしかない。
× × ×
一方、着地した乃述加は、腕輪を通してバイク召喚していた。日常使っているものとは違う、戦闘用にカスタマイズしたものだ。どんな地形でも走れるように、タイヤやエンジンを弄っている。もちろん、戦場に持ち出すものだ。それだけではない。
メキメキという樹木の悲鳴と、息の荒い、喘ぎに近い唸り声が背後から聞こえた。
「来ましたわね」
生い茂る木々を踏みつけて現れたのは、理性を失ったチーター・ディシナだった。それは乃述加を発見すると、昂ぶり始め、さらに鼻息を荒くする。僅かに開いた口からは、だらだらと涎が滴り、それを浴びた土や植物を腐らせていく。
「さぁ……かかって来なさい!!」
《罪人》の足に向けて拳銃を発砲。その挑発に乗った化け物は、雄叫びを上げて乃述加に跳びかかって来た。攻撃が自分に届く前に、彼女はバイクを駆る。視界も狭く、道もない山中。それでもひたすら走らせる。時折ミラーで、後ろから《罪人》が追って来ているのを確認し、利里たちとの合流地点まで誘導する。
乃述加がバイクを乗り回すせいで、チーター・ディシナが暴れ回るせいで、自然はどんどん荒らされていく。あちらこちらから、破壊される自然の悲鳴が聞こえてくるようだ。
「オオオオオオオオオオオオォォォォォォグォォォォォ!!!!!!!!!」
人語を忘れた化け物は、獲物を殺そうと必死に四肢を動かしていた。だが思うように可動しない。前脚は
「ほら! そんなことでは、あたくしを捕まえられませんわよ!?」
言葉が既に通じなくなっていることは、もちろん乃述加も承知している。分かった上での挑発だ。いくら理性を失っているとはいえ、元は自分で考える能力を持った動物だ。馬鹿にするような言葉を浴びせれば、じりじりと怒りや屈辱の感情が募り、もっと彼女を殺そうと躍起になるだろう。そうやって従順について来てくるのが何よりだ。
一瞬、空気が爆ぜた。乃述加は初めその現象がどういうことなのか、理解できなかったが、すぐにチーター・ディシナの咆哮だったと気付いた。ハンドルを切り、背後から追って来るそれがどんな行動をとっているのか確認する。化け物は一度走行を止め、大きく腕立て伏せのような動作をとっていた。左右にぐらぐらと腰を揺らし、後ろ脚を窮屈に折り畳む。それがジャンプの準備だと分かると、乃述加は急いでその場を離れた。
なるべく距離を取らなければ、あの巨躯の繰り出す攻撃の餌食になってしまう。彼女と怪物では質量が違い過ぎる。直撃を受ければひとたまりもないのは明らかだ。
「グルゥゥオオォォオッッルルッッッッッッッッ!!!!!!」
逃げられると思った《罪人》は、まだ万全の状態でないにも関わらず、後ろ脚のバネを解き放った。どんな砲弾も凌駕する巨大な影が宙を舞った。出鱈目な跳躍ではない。きっちりと乃述加に狙いを定めている。轟音と共に、《罪人》が着地。辺りは青々とした木葉と土煙が広がった。
だが、化け物の身体の下に、乃述加の姿はなかった。襲いかかるとうの昔に、彼女は距離を広げていた。だがそれは彼女の判断力のお蔭だけではない。そう、ここで使われるのが、彼女のバイクの秘密その1だ。このバイク、速度の大幅強化が可能なのである。そのモードを解放するには、乃述加自身の起動済みの腕輪が必要になるため、彼女意外は使用不可だが、セキュリティに見合ったくらいの戦闘力がある。
「まだまだ、やられませんわよ……」
今度は乃述加の攻撃。流石にバイクに乗りながら大型の銃は使えないため、手段が拳銃のみになってしまうが、それで十分だ。弾丸が《罪人》の前足の腱を貫いた。これでかなり速度は落ちるだろう。
部下たちの所まで、きっちり誘導する。それまで掴まる訳にはいかないのだ。
× × ×
さて、晶たちはと言うと。
峠を抜けて、森の中に入っていた。そこには木々はなく、空から丸見えの広場になっている。ここに《罪人》を誘い込んで戦う、というやり方だ。この場所の座標は既に乃述加に転送したので、きっと向かってくれていることだろう。
「姿は見えた!?」
広場の中心でいつでも戦闘に入れるよう整えていた利里が、樹上に上った晶に訊ねた。晶は今、中心から少し離れた巨木に上り、乃述加と《罪人》がいるであろう方向を見張っていた。
「姿はまだ見えません! けれど11時の方向で木が倒れていきます。多分、あの辺りにいるかと!」
北西に2キロほどの地点。そこで時折爆音を上げながら、木々が伏していっていた。執行部長が敵と激しい戦いを繰り広げているのが分かる。この調子だと、この地点まで来るのにどれくらいの時間がかかるだろうか。
「晶はそのまま見張りを続けて! 那雫夜はここいら一帯に罠を仕掛けておいて!!」
この場での指揮官は利里だ。2人ともその指揮官の指示に従う。
「さぁ来い……。お前を殺す準備はもう整ってるのね!!」
とても正義の側に立つ人間とは思えないようなことを叫ぶ利里。例えどんな風に見られたとしても、自分は自分の仕事をしっかりこなすだけだ。
× × ×
再び場面は、乃述加の方へ移る。彼女は、このままバイクだけで誘導するのは無理ではないか。そう考えると、また別の力を解放しようとした
もう一度バイクに搭載しているリーダーに腕輪をかざし、その上10キーを使ってパスワードを入力する。これでバイクを越えた力が発揮できる。まずはタイヤが地面に水平になる。地面から離れれば当然、横転してしまうはずだが、これではそんなことは起こらない。タイヤの内側、ワイヤーの間にやや隙間を開けながら薄い板が現れる。ファンのようになり、高速回転し、空気で地面を押して車体を浮かした。飛行形態である。まるで信じられない作りだが、これも『E.S.B.』の科学力を結集して開発した兵器だ。
「ついて来なさい!!!」
この飛行形態でも、高速移動はできる。むしろ土に足を取られないお蔭で、速度はバイク状態以上になる。木々の間を縫いながら誘導する乃述加の姿は、箒に跨り人々を怯えさせる魔女に酷似していた。
チーター・ディシナはこれに対し、地を這うことをやめ、跳躍を多用するようになった。前足を撃たれたせいもあるが、森の中を俊敏に動き回る乃述加には、この方がすぐに距離を詰めることができていいと判断したようだ。それを思考するくらいのおつむは残っているらしい。
「いいですわよ。その調子で、あたくしを捕らえてみなさい!!」
挑発は続く。一瞬、《罪人》が動きを止めた。さっきと同じだ。後ろ脚を折り畳み、腰を振っている。だがさっきよりも深く屈んでいる。より遠くへ跳び、より強い攻撃を繰り出そうとしているのだろうか。
「ギャガアアアアアアアアアアアアンンンンンンンンンンンンァァァァァァァァ!!!!」
人間には到底発音できない雄叫びを上げ、敵は弾丸のような速度でやって来た。しかしこの行動を読んでいた乃述加は、体当たりを食らう前に上空へ向けて移動した。ここまで来れば自分が一方的に攻撃を仕掛けられる。そう思った束の間、チーター・ディシナは木をよじ登って来た。
「随分と懐かれてしまいましたわね」
警戒して銃で狙う。が、木が《罪人》の重量に耐えきれず、どんどん横に傾いていく。完全に地面に戻されてしまう前に、《罪人》は別の木に飛び移った。しかしその移動先も、また倒れてしまう。
「やはり滑稽なものですね……。そこでずっと木登りの練習をしていても、あたくしは構いませんけれど、もうすぐ利里たちが待機しているころですわ。部下の頑張りを生かすのが、上司の役割ですわ!!」
誘い込む予定の広場の方に目をやると、そこでは武器を構える利里、罠を仕掛ける那雫夜、周囲を警戒する晶と、仕事を分担してこなしている彼女らの姿が見えた。
「(頑張っているようですわね!)」
目的地点まで約2キロ弱か。エンジン全開で行けば、瞬く間に移動できる距離だ。しかしこの《罪人》をそこまで誘導しなくてはいけないのだから、骨が折れる。
「それでも……あの子たちの働きに応えるために、あたくしも頑張りませんと」
先の見えない森の中を乃述加は、仲間を信じて逃げ続ける。
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