第6刑 覚悟はとっくにできている―A

――お父さん、どうしちゃったの? 何でお母さん、倒れているの?


――ごめんなぁ。でももう、お父さんはお父さんじゃないみたいなんだぁ。


――やめて! 来ないで…………誰か助けて!!




 目を開けると、真っ白な景色が視界に飛び込んできた。地平線はなく、壁のように立ちはだかっている。空気に混ざる、薬品の独特な香り。身体に圧し掛かる厚い布。ここが病院のベッドの上だということに気が付くのに、そう時間はかからなかった。


「ああ……またここか」


 百波ももなみ利里りりは、ゆっくり身体を起こそうとする。だが全身に痛みが奔り、それは叶わなかった。


「まだ動いちゃダメだよ」


 優しい声色がすぐ隣から聞こえた。眼球だけを動かして、声のした方を見ると、千瀧ちたき那雫夜ななよが、ベッドの脇に座っていた。彼女の隣には十谷とおやしょうも立っている。

 利里は眉間に皺を寄せながら、自分の身に何が起きたのかを思い返す。


「そうか、あの武器だ。あれの威力に、私が耐えられなくって……」 


 新兵器・エグゼブラスター。『E.S.B.』の研究部が新しく作った、対《罪人》用の武器だ。それを使って、ボア・ディシナと戦った。だがあのマスケット銃の必殺技の反動に耐えきれず、吹っ飛ばされてしまったのだ。


「まさかあの程度で、こんな満身創痍みたいになるなんてね」


「無理しないで。身体が動きについていかないよ」


「平気なのね。これくらいの怪我なら、いくらでも経験済みだ。……それより那雫

夜、あなたの方こそ、平気なの? あの《罪人》の攻撃をまともに食らっていたけれ

ど……」


「わたしは平気よん。先生の話では、わたしよりあなたの方がずっと重症みたい」


 1つの銃の反動に負けるとは、《罪人》もさぞ悔しかろう。


 ――《罪人》?


「そういや、どうした、ボア・ディシナは? あれで仕留められた?」


「いいえ」


 晶も会話に割り込んだ。


「百波先輩が放った弾丸は、車庫と車両を爆破、炎上させましたが、《罪人》には当たりませんでした。僕や千瀧先輩はすぐに百波先輩の方に意識が行ってしまいましたし、《罪人》は混乱に乗じて逃走したようです」


「クッソ……。殺し損なったか……」


 仕留められなかったということは、まだ事件は終わっていないということ。これからも狙われ、命を奪われる者が出て来るかもしれない。


「研究部の方には、乃述加ののかさんや、他の執行部員の人たちが護衛として付くそうです」


「これ以上被害が出なければいいのだけれど。もしも出てしまったら、私の責任ね」


「そんなことない。利里は精一杯戦った!」


「その精一杯の結果がこれなのね。まったく――ホント、だっさいわぁ」


 利里の喉の奥からは、乾いた笑いが滲み出す。今は、《罪人》を取り逃がした自分を責めることしかできなかった。今回の失態は、どう取り返すべきか――――。


「あの《罪人》は、私が仕留めてみせる……ッ!」


 再び身体を起こそうとする利里。しかし、先程と同様に動けそうにない。


「利里! あなたはここにいて。まずは自分を大切にして!」


「きっとあの研究部長のことだ。また武器を改良して実戦実験するつもりね。だった

ら今度こそ、私が使いこなして見せる」


 パチン! 空っぽの音が、病室に響いた。初めは、利里も晶も、音源は何なのか分からなかった。否、こんなことが起きるとは思いもしなかった。利里は自分の頬に、バチバチとした痛みを覚える。まさか、那雫夜に打たれるとは。


「初めてだね、あなたが私に手を上げるなんて」


「そりゃ打つよ! あなたは自分が何をしようとしているのか、まるで分かっていない! あの無敵の利里が、こんな格好なんだよ? こんなことになるなんて、絶対お

かしいよ!」


 那雫夜の悲鳴が何だかちぐはぐに思えて、晶は首を捻る。


「今度の事件は、わたしや乃述加や、他の人たちが解決するから! だから、あなたはもっと自分を気遣って……。そんな姿を、わたしに見せないで!!」


 彼女の涙が、利里を包んでいるシーツを汚した。泣き喚く那雫夜に、やや苛立ちを覚えたのか、利里の表情は不機嫌そうに歪む。


「分かっていないのは、アンタの方ね。私は無敵で最強のスーパーヒロインなんかじゃない。傷ついて倒れる、そこら中にいる人間の1人だよ」


 その言葉が、那雫夜の嘆きを最高潮へと高めてしまった。


「嘘だ! そんな弱音を吐く利里なんて、利里じゃないよ!! ――――晶、この子が変なことをしないように、傍で見張っていて」


 それだけ言い残すと、彼女はわざとらしく大きな足音を立てながら、病室を出て行った。


 那雫夜の退室から数分後、膠着こうちゃくしていた2人は、ようやく口を開いた。


「千瀧先輩って、どうしてあんなに百波先輩を慕っているんですか?」


「どうした? 君は慕っていないのね?」


「いえ、そんなつもりはなくって……。その、何と言うか、ただ懐いているって訳ではないですよね?」


 答え辛い話なのだろうか。利里はあまり浮かない顔をしていた。


 訊いてしまったのが申し訳なくなってくる。


「答えたくないようでしたら、話してくれなくてもいいですよ。誰にだって隠していたい部分はありますから」


 先日の杏樹あんじゅとの交流を経て、晶は他人と関わり、お互いを知ることの温かさと怖さを、同時に知った。だからこそ、利里の「弱さ」を進んで知ろうという気になれなかった。彼女が内に秘めているものをさらけ出させて、嫌な思いをさせたくはなかった。


 だが、


「……別に隠すほどのことでもないし、いいのね。教えてあげる」


 彼女は遠い目をしたまま、語り出した。




        × × ×




 3年前。隣町のファミリーレストランで、その事件は起きた。


「ほら、早くしろよ! こいつら全員ぶっ殺されてぇのか!?」


 髭面の男が、会計で怒号を上げている。その手には拳銃。脅されながら店員は、レジの中から金を取り出す。


「金だけじゃねぇよ……。店にある食い物、一通り寄越せ。持ち運べるようにしてな!!」


 食糧の要求もしていた。男の正体は、強盗殺人事件を起こして拘留していた、脱獄犯だった。前科2件に加え、今回もまた、逃亡の途中で立てこもり事件を起こしていた。


「早くしろつってんだろ、分かんねぇのか!? サツが来ちまうだろうが!」


 苛立ちを隠しきれない男は、天井に向けて弾を撃った。聞きなれない音に客は、店員は怯え、頭を抱える。


 その客の中に、中学生の千瀧那雫夜はいた。友人と待ち合わせるためにここに来たが、まさかこんなことが起こるとは思いもしなかった。怖い。逃げ出したい。だが泣いても動いても、きっと撃たれる。何もできずに、じっとしているだけだった。


「遅いんだよ、ウスノロどもが! 見せしめに1人殺ってやってもいいんだぞ?」


 ついに男の持つ銃の発射口が、客の方へと向けられる。誰かがヒィとしゃっくりを上げた。


 だがその時、ようやく外から警察車両のサイレンが聞こえてきた。店外から、男に武器を捨て投降するよう指示がある。


 もちろん、そんな話を飲む男ではない。


「ふざけんなよ!? お前らがチンタラしてるお蔭で、連中が来ちまったじゃねえかよ! ええい、もういい! 今ある分だけもらうぞ!」


 取り出された金と、準備された食糧だけを持って、男はファミレスから逃走しようとする。しかし何かを思いついたように、1度客の方へやって来た。


「1人で出て行っても撃たれるかもしれねぇからな。お前! 俺と一緒に来い!!」


 そう言うと男は、1人の少女の首を掴んで引きずった。それが那雫夜だった。


「嫌――ッ! 誰か、助けて――――」


 当然、それを聞き入れてくれる人物はいない。皆冷たく視線を逸らすだけだった。店外に出ると、さっそく警官隊が男を取り囲んだ。


「どうした? 俺を殺してみせろよ?」


 が、男が那雫夜を抱えている以上、警察は攻撃を仕掛けられない。


「腰抜けどもが。俺を敵に回したことを、後悔するがいい!」


 そこへ1台の車が乗り込んできた。運転席から降りて来たのは、全身にシルバーアクセを散りばめた、銀髪で小柄な女性。そして助手席から降りてきたのが、那雫夜よりも僅かに年上の少女。それが利里だった。


 男を睨みつける2人。彼女たちに向けて、那雫夜が叫ぶ。


「助けて!」


 自分を必要としてくれる声に、利里はそっと頷く。


 そこから2人の動きは迅速だった。警官隊が全く手出しできなかったのに、彼女らは一瞬で男と距離を詰める。まずは利里が那雫夜を引き剥がした。人質を救うや否や、乃述加が男の手を叩き、拳銃を落とさせる。


「もう大丈夫ね。遅くなってごめんね、怖かったでしょ?」


 那雫夜の手を引き移動した利里は、その頭を撫でながら笑った。そしてすぐに真剣な表情になると、腕輪を装着。そこに十字架を嵌め込み、処刑人の姿になった。


 ファミレスの前では、既に処刑人の姿になった乃述加と、《罪人》としての姿を現した男が戦っていた。利里もそこへ参戦する。


「百波利里の名において、貴様に死刑を執行する!!」




        × × ×




「それが、私と那雫夜の初めての出会い。これがきっかけで、あの子の歯車を狂わせてしまったのね」


 隙間から見える利里の手が、シーツを強く握って皺を寄せていた。


 那雫夜が利里に憧れる訳は分かった。だが、狂わせた、というのはどういう意味なのだろうか。晶の視点では、とてもそうは見えない。


「あの子ね、わざわざ家出して、私の元に来たの」


 晶の疑問を感じたのか、利里は先回りして説明を始めた。


「少しでも私に近づきたいって、言ってくれた。そのこと自体は、悪い気はしなかった。けれど、両親と縁を切ってまでするようなことじゃない。この世界は、これまでの日常を捨ててまで入ってくるようなところじゃないのね」


 その言葉に、晶は胸を締め付けられた。まるで自分も責められているように感じたのだ。せっかく母が、危険な世界から遠ざけてくれていたのに、それを裏切って晶は処刑人になった。自分も紛れもない、愚か者だ。


「バカだよね、那雫夜の奴。どうしてあんな、殺し合いをしていた私に憧れたかなぁ?」


 話すことが段々苦痛になってきたようだ。利里の表情がどんどん曇っていく。双眸には涙の影も見え隠れしている。


「私もね、子供の頃は、ヒーロー、ヒロインに憧れていた。テレビの中でさ、格好よく人類の敵と戦って、勝って、みんなの幸せを守る、そんな戦士に憧れを抱いていたよ。でも実際に自分が処刑人になって気づいた。あのね、晶。ヒーローっていうのは、憧れちゃいけない存在なんだよ」


「どうして、そう思うんですか?」


「ヒーローっていうのはね、1番苦しんでいる存在なんだ。みんなのことを守るんだって言っているうちに、自分のことを思いやる余裕がなくなっていく。常に他人を優先して、自分のことなんか顧みなくなっていくんだ。1番苦しんで、1番泣きたいはずなのに、歯を食い縛って耐えている。そんな人を、ただ見てくれだけ見て、格好いいなんてちやほやして、勝手に憧れる。彼らが必死になって巻き込まないようにしてくれたはずなのに、わざわざ自分からその危険な領域へ踏み込むんだ。――ヒーローに憧れるってことは、彼らの努力を否定するっていうのと同意義なんだよ」


 利里はいつも、こんなことを考えながら戦っていたのか。晶はまだそんなことを意識する余裕なんてなかった。彼女に言われ、初めて自覚していた。利里に、母に、日夜戦っている数多くの処刑人たちに、申し訳ない。


「僕は本当に――――」


 その瞬間、晶の携帯電話が震えた。乃述加からメールだ。


『例の《罪人》の姿が確認できました。これより我々が討伐に向かいます。利里をしっかり見張っておいてください』


 読み終えると、すぐに画面を消して、ポケットに携帯を戻した。

 だが、利里は全てを察していた。


「今のメール、乃述加からね? 《罪人》を見つけたとでも言ってるのね?」


 きっと、誤魔化したところで意味はない。そう直感した晶は、首肯した。それを確認すると、利里は上半身を起こそうとする。


「駄目ですよ! まだ安静にしていなくちゃ!」


「いいや。ここで行かなくて、いつ行くのね。私がやらなきゃ誰がやる? 今度こ

そ、あのクソアマを仕留めてやる――ッ」


 晶が宥めても、彼女は言うことを聞いてくれない。そして驚くことに、上半身を起こしただけではなく、下半身も動かして、ベッドから降りてしまった。


「ホラ、もう立てる」


 もうこれ以上止めたところで、彼女は止まらないだろう。それだったら、彼女の思うようにやらせてやるべきではないだろうか?


「百波先輩。僕、知りませんからね、先輩の身体がどうなっても」


「馬鹿を言うな。傷ついて、死にかけて……。覚悟なんて、とっくにできているのね」


 ニカッと笑う利里に、不思議な安心感を覚え、晶は彼女を連れて病室を飛び出す。

 この人ならきっと、どんな場面でも必ず勝ってくれる。そんな信頼があった。

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