第2刑 虚ろな目の少女―A
『処刑人』。今の彼は、そんな物騒な名前の仕事をしている。この仕事は、世間にはあまり認知されていない。と、言うのも、処刑人で構成された組織『対《罪人》研究迎撃機構』――通称『E.S.B.』がマスメディアに手回しをしているらしく、報道が全くと言っていいほど行われないのだ。その辺の詳細は晶も知らないのだが、上の方で何かが繋がっているのだろう。
さて、ここで出て来た《罪人》という存在だが、こちらも晶は詳しいことを知っている訳ではない。大体1度しか遭遇したことがないし、あの時もすぐに上司が処理してしまったのだ。何となく、人間を襲う異形の生物という認識しかしていない。ただ乃述加曰く、「自分を抑えられなくなった人間の末路」らしい。つまり《罪人》も元は人間だったらしいのだ。
これからどんな生活になっていくかは分からないが、晶は心のどこかで昂りを感じていた。今まで何も知らない世界に住んでいたのが、急にこの世の深淵を見たのだ。心のどこかに、これから歩むであろう過酷な生活に酔っている自分がいるのかもしれない。
ちなみに、処刑人になる決意を母に伝えたところ、爆弾を破裂させたかのような勢いで怒らせた。元々母は、晶が父の死の真実を知ることに反対していたのだ。それなのにわざわざ日本に来て調査を開始したのだ。怒らないはずがない。気のすむまで怒鳴り散らした後、呆れたように言われた。
「ちゃんと乃述加の言うこと聞けよ。いつか俺も様子を見に、そして隠していたことを話すために、そっちへ行くから」
と。なんだかんだでこの活動を許してくれた、母に感謝するしかない。
あの激動から早1週間。
4月に入った。
× × ×
退屈な午後。リビングでテレビを見ていたところ、インターホンが鳴った。現在部屋にいるのは晶だけだ。乃述加は他の職員と話があると言って出かけ、
「誰でしょうかね……?」
テレビの音量を下げ、モニターへと向かう。今この家に晶が住んでいることを知っているのは、母くらいだ。だから彼を訪ねてくる人などいないだろう。きっと乃述加か利里のお客さんだ。
モニターに映っていたのは、高校生くらいの女の子だった。後頭部で一房に結わえた髪は活発的な印象があるが、少しだけ眠そうなたれ目からは大人しめな雰囲気が出ている。
「えっと、どちらさまですか?」
『? あなたこそ誰なのん?』
声もどことなくふわふわしている。彼女は不思議そうにレンズを睨んできた。確かに、乃述加か利里を訪ねてきたのなら、晶が応答したら不自然に思うだろう。そもそも彼女はここに晶がいるなど想像していないであろう。
「僕は、先日からここでお世話になっている、十谷晶といいます。え――邪庭さんか、
『あぁ、そう言えば利里が何か言ってたわねん……。わたしは
リビングのソファに腰かけている那雫夜に、お茶を出す。話によると、彼女は乃述加と利里の部下にあたる人物らしい。つまりは彼女も処刑人だ。また偶然にも、晶が入学する高校に通っているとのことで、直接の先輩に当たる。
「そう。お父さんのことを調べに……。あなたも大変なのねん」
「ええ、まあ。でも邪庭部長や百波先輩にもよくしてもらっていますし、辛くはありません」
「あの2人がいるなら安心だわん。でも――」
急に那雫夜の目つきが鋭くなった。まるで親の仇でも見つめるみたいだ。そのまま晶の胸の真ん中辺りに人差し指を突き立てる。
「利里に手を出したら、殺す」
本物の殺気だった。思わず喉の奥から「ヒク」とおくびが出てしまう。
「べ、別に、そんな関係じゃありませんから!」
本当にそうなのだが、必死に否定すると返って怪しく見えてしまうだろうか。だが慌てる晶の顔を見た那雫夜は、
「まぁいっか。あなた、人畜無害そうだしね」
「それは褒めているのですか。貶しているのですか?」
「前者」
いまいちしっくりこないやり取りだった。
挨拶が済んだところで、晶は彼女に訊ねる。
「今日はどんな用事があって来たんですか?」
「んーと、別に特別な用って訳ではないのだけれどねん。ちょっと利里に会いに来たというか……。まぁ暇つぶしよん。大学があるってのを、すっかり忘れていたわ」
「そうでしたか。ゆっくりしていってください。なんて、僕が言うのも変ですけど」
「あなたこそ緊張しないでちょうだい。これから長く付き合う仲になるだろうしねん」
「――はい」
ちょっとだけ打ち解けてきた二人は、軽い握手を交わした。
利里が帰宅したのは、那雫夜の訪問から2時間後だった。
「ただいまー。あれ、那雫夜?」
「お帰り、利里。来ちゃったわん」
驚いたことに、那雫夜は玄関の扉が開くと同時に、利里にすり寄って行った。それを見た晶は、なんとなく「あぁ、そういう関係なんだな」と理解した。別に珍しいとは思わない。アメリカにいた頃も度々目にはしていた。
「あの僕、席を外しましょうか?」
「別にいても構わないのね。何かする訳でもあるまいし」
それはする気があれば出て行ってもらう、ということだろうか。
不思議な空気を醸し出している二人を、晶はそっと眺めていた。
利里の帰宅からそれほど時間をおかず、乃述加も帰って来た。なぜだか妙にやつれている。
「ただいま帰りましたわ……。あぁ、疲れましたの……」
「お帰りー乃述加――。何、また
「ええ。あのお爺さん、話が長いんですもの。それに重要な話は少しだけで、あとのほとんどは与太話。付き合わされる身にもなってくださいまし」
中学生くらいの外見に反して、おばさんくさく肩を揉む乃述加。まぁ彼女、実際晶の倍くらいの年齢なので、見かけほど幼くないのだ。
「あら那雫夜。来ていましたのね」
「うん。特に用があった訳じゃないけど、何となくね」
彼女たちが話している間、晶は人数分のお茶を入れる。幸い、ティーカップは丁度4つあった。元々この家に暮らしているのは2人みたいなので、セットか何かで客人分も揃えたのだろう。
ぴょん、と飛び跳ねてソファに座った乃述加は、1つの箱を晶に差し出した。
「これ、あなたのものですわ。まだ見習いですが、持っておいてくださいな」
「えっと……?」
首を傾げながら開けてみると、中には『E.S.B.』の刻印がなされた腕輪と、中央に黒のクリスタルが嵌った十字架があった。先週、乃述加や利里が戦っている時にこれを使っていたのを見た。
「これって、僕もあんな風に戦えるってことですか?」
「おお~。『執行十字』かぁ。そうね、これで《罪人》と戦う力を得られるのね」
まだ基本装備しか入っていませんがね、と乃述加が付け足す。
彼女らの説明によると、仕事の実績や期間などに応じて様々な装備が支給されるらしい。その中から自分にあったスタイルの道具を使っていくのだそうだ。まだ見習いである晶には、必要最低限の装備しか与えられていない。この先どう活躍するかで、どこまで強くなれるかも決まっていくそうだ。
「頑張るのねん、後輩クン」
微笑みを浮かべた那雫夜に肩を叩かれる晶。
笑い返しながら、そっと首肯するのだった。
適当に雑談をしながらアフターヌーンティーを楽しむ。だがそんな時、電話のコール音が鳴った。すぐさま乃述加が取りに行く。
「はい、邪庭ですわ――――」
一瞬にして場の雰囲気が張り詰めた。何やら不穏な空気を纏った会話がなされている。
乃述加が受話器を置くなり、利里が尋ねる。
「何かあったのね?」
「……また、被害者が出ましたわ。連絡部から、G地区D番地で、小学生の男の子とそのお母さんが遺体で見つかったとの通報。犯人は先日の事件と同一と思われますわ」
和やかだった午後が一転、重苦しい午後となる。利里は唇を噛み、口角泡を飛ばす。
「早く現場に向かうのね。これ以上こんなこと繰り返させちゃいけないのね!」
3人はその言葉に無言で頷いた。
すぐさまマンションの地下の駐車場に向かい、乃述加のワゴン車に乗り込む(二輪、四輪どちらの免許も持っているらしい)。
車内で会話がなされることはなかった。
× × ×
「執行部邪庭、以下3名。到着しましたわ」
現場に着くとさっそく操作に加わった。すでに野次馬を遠ざけながら検証を行っていた調査部と協力してだ。
「今回の被害者の、具体的な情報を」
「はい。
「酷いやり方をしますわね……」
遺体は既に運ばれているが、木の幹には人型にテープが貼られていた。丁度その胸の辺り、木には深々と槍で突いたような傷跡が確認できる。
「凶器は見つかりました?」
「どうやら、2人を串刺しにしていた針が凶器のようですね。付近から、それ以外に被害者の血液が付着した物は発見されていません」
警察の鑑識の人が呼ばれ、凶器と思しき針を見せてくれた。否、針と呼ぶには大きすぎる。鍔のない木刀と表現した方が伝わりやすいかもしれない。
「これで胸を一突きにして、そのまま木に貼り付けにする……惨いことを考える奴がいたもんね」
現場に向けて合掌する利里と那雫夜。そんな2人にならって晶も手を合わせる。
その後、3人は乃述加に支持され周辺での聞き込み調査を開始した。
現場よりやや離れ、晶が辿り着いたのは何の変哲もない児童公園だった。だがついさっきあのような事件があったせいなのか、遊んでいる親子連れなんかはいない。だからすぐに彼女の姿が目に入った。年齢は自分と同じくらいだろう。長髪を三つ編みにして肩に引っかけている。くたびれたジャージを着て、俯きながらブランコに座っていた。
「あの、ちょっとよろしいでしょうか?」
恐る恐る話しかけてみる。
「何?」
彼女が顔を上げた瞬間、目があった。思わず晶は身震いする。驚くほど精気が感じられなかった。人間と話しているような気がしない。まるで人とマネキンを間違えて声をかけてしまったみたいに感じる。
「ええっと、その……」
どもりながらも、尋ねた。
「先程この近辺で発生した殺人事件について、何か知っていることがあったら教えてくれませんか?」
「チッ」
露骨に舌打ちをされてしまった。
彼女は立ち上がると、踵を反して歩いて行ってしまう。
「ちょっと待ってください! 何でもいいんです、些細なことでも見たり聞いたりしていたら――――」
「何も知らない。何も見ていない。何も聞いていない。OK?」
それだけ言い残して彼女は立ち去ってしまった。結局、何1つ聞き出すことはできなかった。
凶器の針を眺めていた乃述加が口を開く。
「これまでの事件でも、被害者は刺殺されていましたわよね?」
「ええ。これでようやく、凶器がはっきりした感じです」
「でもどうして? わざわざこんなものを現場に残していくなんて。まるで犯人とばれても構わないと言うように」
「よほど捕まらない自信があるか……、それとも逆に捕まっても関係ないというか。どっちにしろ、変な犯人ですね」
今の所、犯人の正体も動機も分からない。まだ犯行は続くのか、それともこれで終わりなのか。まずはどこから調べを進めるべきだろうか。
『何にも分かんねぇんだ。だったら全部調べていきゃいいだろ』
『数撃ちゃ当たる、と言いますしね。しらみつぶしに行きましょう』
「(…………あら?)」
ふと懐かしい会話が頭を過る。これはデジャブか?
何だか昔、同じようなことがあったような気がする。乃述加は己の記憶を辿り始めた。
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