第19話 再びのねこ駅長

「にゃるほど、それは大変な目に合いましたにゃあ」


 そう言ってニコニコしているのは、この結界の駅長である。

 姿は白猫で、最初に挨拶に寄った時と同じく、テーブルの上に香箱座りしている。


「そうなんです! 今もモンスターの猛攻の中、必死に魔方陣を描いている人たちが取り残されています! 一刻も早い救援をお願いします!」


 机を叩く勢いでまくし立てたのに、駅長はのんびりしている。こんなところで足止めを食っている場合じゃないのに!


「シャル、ちょお落ち着き」

(うっ……)


 お姉さまに小声でたしなめられて座りなおす。駅長が猫の手を伸ばして、テーブルに乗った不透明なボトルをずずずとこちらに押しやった。かたくなに香箱座りで腹も見せないまま。


「お水ですにゃ。そんな興奮していては、電話口で口が回らなくて混乱するのが関の山にゃ。ひとまず、お水飲んで落ち着いてから、本部に連絡しましょうにゃ」


 お姉さまも頷く。


「駅長の言う通りや、シャル。ひとまず、お水ごちそうになろ。……内緒やけど、うち喉かわいてん。何杯でも飲めるわぁ」


 そう言ってニコッと笑う。お姉さまのお気遣いがありがたい。ここは折れないと。


「……すみません、いただきます」

「ほな、うちもいただきまーす」


 ごくっと一気に飲み干す。……不思議な味がした。なにかとろりとしている。


「これ……」

「……なぁ、うちらに何飲ませたん?」


 二人で詰め寄るも猫は笑うばかりである。


「ところで結界はモンスター除けであって、空気も水も通すんにゃよね。つまりにゃ、特S級呪いの大地の人を操る呪いの細菌が、水に交じり、土に広がり、……結界の外にすでに拡散している可能性を考えた事は?」


 そういって、猫はボトルをちらりと見た。

 お姉さまがハッとする。


「シャル、水を吐き!」


 そう言ってお姉さまは自分の喉に手を突っ込んだ。私も慌てて喉に手を突っ込む。

 しかし、吐き慣れてない私たちでは、空気にあえぐばかりで全然吐けやしない。

 猫が立ち上がって笑う。その腹には赤い紋様! ずっと腹ばいになっていたのはその紋様を隠すためだったのか!


「にゃはははは! お察しの通り、今飲ませた水には呪いの細菌が数百億溶け込んでいるにゃ。納豆菌も目じゃないにゃ。ふふん、いいんにゃよ、そのまま本部に戻っても。どうせ確実に道中で呪いの細菌がお前らの《腸内フローラ》を掌握し、操り人形にするからにゃ!」


「くっ!」


 慌てて捕まえようとするも、猫はするりと身をかわし、窓を割って逃げて行った。

 呆気に取られている暇はない!


「シャル、本部に連絡する電話とかあらへん!?」

「ダメですお姉さま、電話線が切られてます!」


 あの猫はここまで見越して……!


「……くっ、ここまできたのに……!」


 お姉さまが悔しそうに蹲る。

 このまま本部に助けを求めに行っても、何日もかかる。その間に操り人形にされてしまったら、私たちは本部に細菌たちの都合の良いように報告してしまうだろう。

 下手をすれば本部で感染者を増やしてしまうかもしれない。それだけは避けなければ……!


「戻りましょう、お姉さま結界内に!」

「……シャル?」

「結界内に戻って魔方陣の続きを描いて浄伐すれば、呪いの細菌は消えます」

「せやけど……」

「希望はあります。魔方陣の終点から描き始めるんです。そうすれば、反対側から描き始めた鉄道長たちと途中で落ち合え、早く魔方陣が完成します。行きましょう、私たちが正気の内に!」


 アンジェラ鉄道長が言っていた。

 『命を賭してでもそれぞれの任を果たせ!』と。今がその時なのかもしれない。


「私はお姉さまが好きです。勿論学園のみんなも。だから皆が操られ、望まぬ行動を強いられているなんて我慢できません。止められるのは私達しかいないんです。お願いです、手伝ってください!」


 そういって頭を下げる。お姉さまはポカンと私を見上げていたが、やがて強い瞳で頷き返してきた。


「うちもや。シャルが、皆が好きだからこそ、……今戦わなきゃあかんのやなぁ」


 そう言ってお姉さまはふらふらと立ち上がった。……お怪我もしていらっしゃるのにこんなことを頼むのは酷だ、わかっている。

 人間が乗って強化されたモンスターはまだまだ山のようにいるのに、たった一人の戦闘員のお姉さまに全部の負担が掛かっている。

 私はどこまでお姉さまに背負わせてしまうのだろう。自分が至らないばかりに。

 思わず涙がぽろと頬を伝う。


「あらあら、どないしたん? 怖くなったん? ……大丈夫、私がおるからねぇ」

 涙を拭ってくださる手が温かい。私は絶対にこの手に報いようと思った。

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