第18話 結界の外へ

 いよいよ発車だ!

 私はマスコンのレバーを傾けて、《鉄尾》をゆるやかに発進させる。私の魔力で魔法のレールが敷かれ、その上を車輪が少しずつ滑りだした。《アンソニー》も動き始める。

 私は不意に名残惜しくなって、《アンソニー》を振り返った。

 すると、空にポツリと黒い黒点が見えた。それもたくさん。


(ん?)


 翼竜だろうか? だが、どうせ後部車両を切り離した機関車には追いつけない。発車すればこちらのものだ。

 ……しかし。

 みるみる黒点が大きくなる。確かに翼竜だ。が、――速い! 通常の翼竜のスピードの三倍はある!

 私は慌てて車外放送で、《アンソニー》に呼び掛ける!


《敵襲です! ただ様子がおかしい! 通常より速い翼竜のようです! 間もなく接敵します!》


《アンソニー》のアンジェラ鉄道長から慌てた声が返ってきた!


《すぐに最大速力まで上げろ! 翼竜の背に生徒が乗っているのを確認した! やつらモンスターと手を組んだぞ! 強化魔法で翼竜の速さを底上げして、こちらに追いつくつもりだ!》


 そう言いながら、《アンソニー》は派手に車体を揺らしながら、最大速度にギアを入れたようだった。

 私も慌てながら、マスコンのレバーを段階的に最大速力にまで上げる。


 《鉄尾》がガクンと派手に揺れ、備品が床に散らばった。ふわりと胃が浮く感覚がして。――最大加速で怒涛のように走り出す。あっという間に《アンソニー》が小さくなった。


「人間とモンスターが手を結ぶことなんてあるん!?」


 ガタガタと揺れる列車の中、手すりにつかまりながら、お姉さまがボヤく。


「呪いの腸内細菌を持つもの同士結託したのかもしれません!」


 いくら愚痴っても仕方ない。相手の方が一枚上手だっただけである。でも勝負はまだイーブンだ。速度が同じになっただけで鬼のような防衛部部長を相手取れると思ったら大間違いである。


「お姉さま、迎撃お願いできますか?!」

「できる、できるけど……」

「……お姉さま?」

「いや、やるしかないわなぁ」


 お姉さまの声が震えている! 慌てて窓の外を見ると、黒雲のような翼竜の群れ! その数約百頭! すごいスピードで近づいている!


「翼竜に生徒乗ってはるんやから、随分と手加減せなあかんし、全く難儀な任務やわぁ」

「……お姉さま」

「大丈夫や。シャルは運転に集中せぇ」


 お姉さまはにっこり笑うと手に光槍を呼び出した。


「うちがみーんなやっつけたるさかい、安心しぃな」


 そう言ってお姉さまは翅天翼を羽ばたかせ、列車の屋根の上に立った。

 ドガガガガッ! と雨のように魔弾が《鉄尾》に降り注ぐ。翼竜の上の生徒たちの遠距離魔法だ。お姉さまはピンポイントで結界を展開しながら、一頭ずつ光弾の狙撃で仕留めているようだ。……だがなにしろ数が多い。そしてどんどん近づいてくる。


 接敵! 何かを断ち切る音がする。屋根の上でドスンと何かが落ち、屋根の上を転がっていく。列車の前に投げ出されるように落ちてきた。……翼竜の首だ。


(ッ?!)


 ブレーキは引けない。そのまま轢き潰す。グシャリと車体に背筋が粟立つような振動が走った。


(……一瞬、お姉さまの首に見えた)


 列車の屋根の上ではどんな修羅場が繰り広げられているのだろう。

 鋭い剣戟の音、翼竜が火球を吐き出す轟音、結界を展開する音。鉤爪で車体を切り裂く音。その度に列車がひっくり返りそうになる。

 何度も取り付かれそうになり、その度に列車を蛇行させて振り切ってきた。

 《鉄尾》はもうぼろぼろだ。防御結界を張っているが、それももういつまで持つか……。

 首を振ってマスコンを強く握りしめる。私の役目は確実に外部まで連絡すること!

 余計な雑念に支配されるな。お姉さまを信じろ!


 翼竜の群れをまとわりつかせたまま、最高速度で列車は走り続ける。血しぶきが車体に掛かり、フロントガラスが血脂で曇る。前が見えない!

 目に千里眼を発動させて、ひたすら進路方向を凝視する。十数キロ先に青白色の結界の壁が見える!

 もう少しなんだ! もう少しで……!


(お姉さま、もう少しだけ耐えてください!)


 助けられない我が身がもどかしい。


「! 見えた!」


 血まみれフロントガラスの隙間から、肉眼で捉えた結界の壁! 突入する!

 ボロボロの《鉄尾》は火花をまき散らしながら、結界を突破した。

 モンスターたちは結界のギリギリまで粘っていたが、結界は通り抜けられずに、衝突しそうになりながらも旋回して呪いの大地に戻っていく。


 《鉄尾》をゆっくり停止させた。

 しばし、マスコンを握りしめたまま肩で息をする。私たちはやり遂げたのか?

 ――いや、まだだ。駅長に本部への連絡を頼まないと。まだ、魔方陣組は敵陣の最中にいるんだ。早く、早くしないと、お姉さまの頑張りが無駄に……。


「……そうだ、お姉さま!」


 慌てて翅天翼を展開し、列車の屋根に飛び上がる。


 ……そこは酷いありさまだった。


 屋根は焼け焦げている。翼竜の鉤爪で切り裂かれたのか、車体に開けられたギザギザの切り口から車内が良く見えた。

 翼竜の死体がパーツだけ転がっている。腕や尾、……恨めし気な目をした首。派手に血しぶきで彩られた車体。

 そんな惨憺たる世界の中で、お姉さまは光槍を支えに片膝をついて、うずくまっていた。

 血まみれで、傷だらけのお姉さまが……。


「お姉さま!」


 駆け寄ると、お姉さまはのろのろと顔を上げて、少し笑った。


「あー、しゃるや……。どうしたん? 危ないからのぼってきたらあかんよ……。まだ翼竜がおるからね」


 まめらない口調だ。まさか精神に失調を?


「お姉さま、ここは結界の外です! もう翼竜はいません」


 光槍を握ったまま固まったお姉さまの指をそっと引きはがしながら、必死に言い聞かせる。


「結界の、そと?」

「そうです、もう大丈夫なんですよ」


 そと? そとかぁ? そとってどこやったっけ?

 拙い言葉遣いで何度か反復した後、……お姉さまの目が急に見開かれた。


「けっかいのそと、そと……結界の外! っ、やったなぁシャル! 任務達成やわぁ!」 


 そう言いながら抱き着いてきた。慌てて受け止めるが、一緒になってひっくり返ってしまった。


「お、お姉さま! お怪我に障ります!」

「固い事言わへんのもう。そや、はよ駅長はんに報告いこ?」


 うきうきしている。無理もないか、修羅場を潜り抜けてアドレナリンが大量に出ているのだ。

 立ち上がろうとして、お姉さまがよろめく。とっさに支えた。


「うふふ、足がもうガクガクや。悪いけどシャル肩貸してな」

「勿論ですよ、お姉さま」


 そのまま翅天翼でふわりと地上に舞い降りる。

 修羅場を無事潜り抜けられた安堵を胸に、私たちは駅長のログハウスに向かって歩き出した。

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