第16話 アンジェラ鉄道長

 みんなの荒い息が機関車に響く。全速力で走ったんだ、無理もない。私も運転がなければ、床にへたり込みたかった。


「ま、まさか、《腸内フローラ》が人を操るなんて……」


 科学部員が息も絶え絶えに言う。私もマスコンのレバーを握りしめながら荒い息で答えた。


「で、でもそう考えると、全部つじつまが合うんです。『脳腸相関』で腸内細菌が脳に命令していて、腹の紋様も腸内細菌の位置を示していたのなら」

「感染経路は?」

「呪術部長は肉じゃないっていってたから、多分皮だと思います。『翼竜の巨大な腸詰め肉』に使った腸の皮」

「……全部推測だろ? 証明はできるのかよ」

「そ、それは……」


 言いよどむ私に、お姉さまが安心させるようににっこりと笑って言った。


「シャルの推測が正しいかわかる方法があるわぁ。シャルが送り込んだ納豆菌で、人を操る腸内細菌が駆逐されて、アンジェラ鉄道長が正気に戻れば、それは《腸内フローラ》のせいだったってことになる」


 そのアンジェラ鉄道長は床に寝かせたきり、まだ目覚めない。時折苦しそうに唸って、腹を抱えるように丸まっている。お腹の紋様は明滅するように、色が濃くなったり薄くなったりを繰り返していた。

 科学部員は諦めたように肩を落とした。


「……はぁ、まあいいや。もし仮説が間違っていて、本当はアンジェラ鉄道長――俺はまだ《フローラ》だと思ってるけど――を殺せば解決するっていうならその時に殺せばいい」


 呪術部員もこくりと頷いた。その手には未だナイフが握られていた、が、微かに震えている。……そうだ、殺人は怖い。

 お姉さまが疲れ切ったように言う。


「それで、うちらはどないしよか……」 

「一人ひとりの呪いの腸内細菌全滅は難しいでしょうし……。あとは二通り考えられますね。このまま魔法陣の続きを描いて呪いの大地を浄化するか。それとも結界の外に出て救援を呼ぶか」

「そもそも、ここはどこだ?」


 確かに、ゾンビ村に着くまでにどこをどう走ったかわからなかった。

 唯一把握していた《鉄尾》が答える。


《ここは、《アンソニー》を発見した場所から数十キロ。ここから結界までと《アンソニー》までの距離はほぼ同じです》


 昨日は《アンソニー》の居場所まで魔法陣を描き終わった。だから、続きを描くには一度アンソニーのところまで戻らなければいけない。一方で、救援を呼ぶには結界の外までいかなければならない。


「大地の浄伐にせよ、救援要請にせよ、ここからじゃかかる時間は一緒ってことか。さてどうする」


 しばらくの沈黙。生徒たちは振り切れたとはいえ、日が昇れば、モンスターも襲撃を開始するだろう。たった四人の戦力で救援と浄伐と二つの任務をこなすには、荷が勝ちすぎていた。どちらかの任務しか選べない。

 誰もが選択を迷っている中……弱弱しい声が上がった。


「……《アンソニー》に向かってくれ。運転手が私とフォックス副鉄道長、二人もいるんだ。二つの魔導列車に運転手を一人ずつ配置すれば、それぞれ任務をこなせる。つまり二つの任務の同時進行ができる」

「アンジェラ鉄道長?!」


 よろよろと床から身を起こしたのは、《フローラ》もといアンジェラ鉄道長だった。不意に空気が緊張する。いや、あからさまに殺気じみた。

 科学部員と魔術部員がナイフを素早く構えた。お姉さまも警戒するように右手に魔力を集中させる。私はそれを視線で制しながら、ごくりと唾を呑み込んで、緊張した声で問いかけた。


「アンジェラ鉄道長、あなたは……《フローラ》なんですか? それとも……」


 彼女は頭痛がするのか、頭を抱えながら答えた。


「……もう私は《フローラ》じゃない。不覚を取って腸内細菌に操られていたが、今はもう正気だ。どうやら、フォックス副鉄道長のおかげで、呪いの細菌が優勢だった《腸内フローラ》の勢力が、逆転したらしい」


 科学部員は信じない。


「……証拠は?」


 ナイフ片手にとがった声でそんなことを言う。

 アンジェラ鉄道長は、くりぬかれた服から見える自分のお腹を示した。なめらかで白いお腹だ。あれほど濃く複雑だった紋様が消えていた。


「証拠はこれだ。紋様が消えているだろう? 呪いの細菌が駆逐されて、解呪に成功したんだ」


 しかし、科学部員はナイフを下ろさない。

 アンジェラ鉄道長は科学部員を透徹した瞳で見つめた。


「……納得できないならそれも仕方ない。他に解呪の方法と言えば殺されるしかないが……、必要なら甘んじて受けよう」


 しばしの沈黙。

 ……科学部員は深いため息をついた。憂鬱そうに口を開く。


「……俺だって、殺さずに済むならそうしたい。だから今は引きます。けど、……もし、不穏な動きを見せたらその首かっ切ります。悪く思わないでくださいよ。解呪に成功しても、呪いの感染力はまだ残っているし、もしまた《腸内フローラ》の勢力が再逆転して、呪いの細菌が《腸内フローラ》を占拠したら、またあなたは操られるかもしれない。だからその時は……」


 彼は掲げたナイフの柄をギュッと強く握りしめて決意を示して見せた。

 アンジェラ鉄道長は頷いた。


「わかった。一時的にとはいえ信用してくれて感謝する」


 科学部員も頷いて、ナイフをしまう。殺気は霧散したが、空気は重い。

 私は空気をかえようとわざと明るく言った。


「だ、大丈夫ですよ! もしそうなったら、また私がアンジェラ鉄道長のお腹に、納豆菌送り込みますよ。私の納豆菌は最強ですから!」

「そうか、ありがたいな。その時は頼む」


 ぺこりと頭を下げられた。アンジェラ鉄道長、お固い。まるでおとぎ話に聞く謹厳実直な騎士のようだった。


「……とりあえず、話を戻そなぁ。作戦上、鉄道長はんが復活したことはおめでたいわ。とりあえず、うちは鉄道長はんの作戦に賛成や。一挙両得は素直にお得やし」


 さすがお姉さま。ごく自然に話題を戻した。

 呪術部員が、ふと何かに気付いたのか、口を開いた。


「ま、魔導列車二つで、ふ、、二つの作戦を、同時進行、は、いいん、だけど……」

「わかってるわぁ、問題は《アンソニー》の魔力炉がカラで使い物にならへんことやろ?」

「そうか、あれから一か月もたてばそうなるか。迂闊だったな……。このメンバーでの魔力供給では足りないだろうし、どうするか……」


 そ、そうだった。全校生徒が魔力を込めてもメーターの1%しか埋まらなかったのだ。たとえ五人で魔力を注入しても、全然足りないことは想像に難くない。それ以前に雷属性の魔力しか受け付けないのだ。フルにするには雷落とすぐらいは必要らしいし、どうしよう……。

 しかし、お姉さまはたわわな胸を張った。


「任せとき。うちに考えがあるさかい。鉄道防衛部部長の名に懸けて《アンソニー》を動かしたる」


 堂々たる威風だ。思わず頷きそうになる、が、一体どうすればそんなことが可能なのか。


「ど、どうやってですかお姉さま」

「ふふふ、今の天気ならちょおできることを使うてな」


 そう言ってお姉さまはウィンクした。今日の天気……。夜中で曇りがちで雷の気配なし。強いて言えば、今日は蒸し暑い。……うーむ、さっぱりわからん。

 グダグダになりかけた気配を見越して、科学部員が総括する。


「よし、方針は決まったな。《アンソニー》を使って残りの魔法陣を描きつつ、《鉄尾》は結界外に救援を要請しに行く。……それでいいな」


 みんな一斉に頷く。いよいよこれからだ。

 まさに夜空が白んでくる頃、私たちの反撃戦が始まった!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る