第5話少年は、剣を・・・・・・
偶然、たまたま、この少女との出逢いが何を齎し、何を変え、何が始まり終わるのか。
俺が知るのは、ほんの僅かだけど、先の未来だ。
でもそれは、絶対回避することの出来ないものだった。
俺の運命。
俺の宿命。
もう何度も繰り返し、同じ結末に辿り着いた。
噎せ返るような花に埋もれ、白い天使は眠る。
何処までも蒼く澄んだ高い空の下。
清らかな光降る祭壇を黒い群れが囲んでいる。
それらを掻き分けるように、祭壇の少女の元へ向かう剣士。
彼は、誰よりも罪深い男。
償いきれぬ罪を重ね、その身に余る罰を受けた。
未だ、許されない。
永遠に、許されない。
その命を以ってしても、贖えない。
悲しいことは、何もない。
清廉なる白い天使を喪う以外には。
罪深い剣士の闇に呑まれることを忌み嫌い、黒い群れは退散した。
遠巻きに眺めるだけだ。
剣士は、漸く天使の元に辿り着く。
やっと逢えた。
でも、もうそんな喜びは湧いて来ない。
「 」
白い天使の名を呼ぶ。
答えがないことを、既に知っていた。
何故なら、彼女はもう・・・・・・。
「 」
あの頃と変わらない美しさが、悲しかった。
始まりの時に、愛したままの姿で、白い天使は眠っている。
白く細い指に、触れる。
その冷たさに愕然とする。
魂が喪われて、もうそんなに永い時間が過ぎたのだろうか。
そっと握った掌は、こんなにも小さい。
この少女は、本当にまだほんの子供だったのだと、思い知った。
なのに、一人で戦った。
全人類を、世界中の命を、護った。
その命を引き換えに、神の怒りを鎮めた。
ただ一人、犠牲になることによって。
そして、少女の死を、多くの人間は知らない。
知らないまま、明日も明後日も、変わらず自由に勝手に自堕落に、下らない一生を送っていく。
殺してもいい命が残った。
こんな馬鹿なことって、あるだろうか。
白い天使が命懸けで護った世界とは、こんな怠け者で醜い連中だけが幸福である世界。
完全に腐った世界なんか、何の意味もないのに。
助けてくれと、救ってほしいと求められれば、少女は叶えてくれる。
それを知って、少女の綺麗な心を利用した。
汚くて、悪い人間。
それが人間というものの本性なのだとしたら、やはり人間とは生きるに値しない。
最早、命を繋げる資格はない。
「 」
剣士は、少女に呼びかけた。
涸れてしまってもう一滴も出なくなったと思われていた涙が、最後の涙が、一筋、零れ落ちた。
白く冷たい少女の頬に、滴り落ちる。
本当に、泣くのは最後だ。
叫ぶのは、これでお終いだ。
もう、此処には戻ってこない。
もう、この歴史を繰り返さない。
残酷に血塗られた輪廻を断ち切る。
運命なら、変えてみせる。
何度も繰り返したからといって、永遠に繰り返し続けなくてはならないということもない。
それが出来るのは、きっと自分だけ。
「 」
いつか、再びこの名を呼ぶ。
巡り逢ったその時に。
きっと、ずっと忘れない。
憶えていて、早くすぐに、見つけに行く。
どんな世界でも、駆けて迎えに行くから。
少し迷ったけれど、俺が空から降ってきた少女を、連れて帰ることにした。
此処に放置するという選択肢はない。
警察に保護してもらうのが一般的なんだろうけど、それは拙いと思った。
この場合、警察は頼れない。
大体、俺は警察を信用していない。
あいつらは、その辺の適当な人に罪を擦り付けるのが特技だ。
本当に犯罪を減らし、被害を食い止めるこどなど、目指しちゃいない。
犯罪の検挙数を上げたいだけなのだ。
だから、架空の犯罪を作り、居もしない犯人をでっち上げる。
そうして、無関係の人間が何の罪もないのに、裁かれ、罰を与えられる。
俺がもし、この少女を警察に連れて行ったら、起きてもいない誘拐事件の犯人にされていただろう。
幼女趣味を拗らせた引き籠りの男子中学生が、幼気な少女を拉致監禁していたとか。
それは、非常に困る。
身に覚えもないのに、流石に、それは笑えないでしょ。
許せって言われても、嫌だし。
そんな下らないことで、変態認定されたくない。
とっくに将来なんか潰れてるけど。
俺は、絶対に奴らの思い通りにならない。
残された人生くらい好きにさせてよ。
この世界に絶望していても、二度と浮上したくなくても。
だったら、俺は俺の作った壁の中だけで、生きる。
死にたくても、いざ死のうとする勇気がないままの俺は。
どうせ弱いのだから、戦ったりはしない。
何処にも、もう行かない。
ただ、此処でこのまま果てるだけ。
それくらいの自由、あったっていい筈だし。
運がいいことに、俺には猫のように夜闇に紛れて移動できる「能力」があった。
午前二時過ぎに、外をほっつき歩いてる奴もいない。
丑の刻参りをするような場所でもない、この公園は。
少女を背負い、俺は来たのと同じ道を戻ることにした。
やっぱり、人っ子一人擦れ違わない。
夜なべしている母親も、粋って深夜に友人を呼びだしてLet's partyなMe looperもいないようだ。
家に帰り着いた俺は、何処にもよらず、すぐに自分の部屋に行った。
いつもは、冷たい水くらいは飲むんだけど。
そんなことより少女だった。
一年間、引き籠っているから俺の部屋はお世辞にも綺麗とは言えなかった。
あるのは、PCと机とベッドくらい。
クローゼットの中には、衣装ケース。
実は、もう二度と切ることはないであろう中学の制服も。
捨てればよかったのに。
部屋に入ってから、俺は少女をどうしたらいいのか分かっていないことに気付いた。
連れて来たのはいいけど。
ずっと抱えたままってわけにも、いかないし。
これが物語とかなら、いい感じのソファとか何かがあって、其処にいい感じに寝かせるんだけど。
あるわけないでしょ。
人生勝ち組な一軍様エリートじゃあるまいし。
俺なんか、同世代カースト圧倒的最底辺、暗黒大魔界クソ闇地獄だ。
夕方、俺が寝て起きたままのベッドだけ。
本当は、こんなとこに寝かせるべきじゃない。
だけど、床の上ってわけにもいかない。
散らかって汚い部屋を、こんなに後悔する日が来るとか、思ってなかった。
少女を下ろしてしまうと、体がだいぶ楽になった。
小さな体とはいえ、人間はそれなりに重い。
引き籠りには、きつかった。
無理したから、明日一日は寝込むかも。
でも、それって情けなさすぎる。
つくづく、くそダサいわ。
自嘲に溜息。
机の前に座って、ラップトップを起動する。
リアルの世界とは断絶したとはいえ、バーチャルで俺は存在していた。
通称『キラキラ』と呼ばれる動画投稿サイトに。
俺は自作の音楽を載せるくらいしかしてないのだが、それの何が受けるのか、チャンネルの登録者がそこそこいた。
リアルでは存在意義をなくしたが、こっちの世界の中には、人並みに俺の居場所があるらしい。
つまり、「普通」でいられた。
そもそも、其処でしか「普通」でいられない時点で、「普通」ではないのだが。
10000フォロワーを達成した時、とある実況者から声を掛けられた。
彼は、俺と同じ顔出しが駄目だったが、クソ面白くないゲームを面白くプレイ出来ることで人気の実況者だった。
実は、俺もコッソリ見ていた。
ホラーゲームなのに、何故か泣けるほど可笑しいのだ。
絶対自分で遊ぶと恐ろしいゲームなのに、彼の実況ではちっとも怖くないのが不思議だった。
かなり天然で、自虐家で、癒し系とか言われて、兎に角ファンに愛される人だった。
最初は、『Whisper』でフォローされたのが始まりだった。
「守都炉縁さん、10000フォロワー達成おめでとうございます!」
とか、
「俺、割かしフツーに、守都炉縁さんの曲好きなんですよねー」
とか、何とか。
「フツーに好き」とか言いながら、結構気に入ってくれているらしく、
「今度、守都炉縁さんの『歌ってみた』投稿するから、視聴してください」
とも言われた。
どうせ時間はあるしで、ちょっとお邪魔してみた。
彼の歌は、割かしフツーではなく、めちゃくちゃに上手かった。
そんなこんなで、ちょっとずつ絡むようになった。
いつの間にか、彼とだけ対等な口を利くようになっていた。
「縁、今度ゲストに呼ばせてよ」
「え、ヤダし」
「何でだよ」
「俺にも実況参加しろってことでしょ、無理」
「いーじゃん。縁、結構うまいし」
「ゲームしながら、ハイテンションで喋り続けるとか、無理無理無理無理無理(ヾノ・∀・`)ムリムリ(ヾノ・∀・`)ムリムリ」
と、俺はコラボを断り続けている。
ただ、コメント欄でのやり取りを見ている視聴者には、彼と俺とが「仲良し」であることがバレている。
双方ともにファンの人からは、それを全裸待機されている。
「ふーみん。さんと縁さんのコラボ、はよはよ!」
「あとは、縁さんが決心するだけだね」
彼の名が、『ふーみん。』という。
当然、本名は知らない。
今、俺がすぐにラップトップを起動したのは、その『ふーみん。』とボイチャの予定があったのを、思い出したのだ。
『もう、遅いー!』
部屋に入るなり、これだ。
『待ったんだからねぇー、縁ちゃん』
「ごめんって」
やり取りだけ聞いてると、まるで彼氏彼女ってやつみたいだけど、俺たちは両方が男だ。
ふーみん。はオカマではないし、恋愛対象は女子だと公言している。
ただ、ふざけているんだろう。
『あたいというものがありながら、何処行ってたのよぉ』
「そういうの、いいから」
いつまでやる気だし。
めんどくさいし。
『つれないー。ふーみん。寂しいー』
「・・・・・・あのね」
倦怠期か。
そもそも、そういうのないでしょ。
幾ら飽きたからって、刺激を求めないで。
「俺を巻き込まないでよ」
『あたい、こんなに可愛いのに?』
可愛かろうがそうじゃなかろうが。
「刺されたくないし。ふーみん。のファンに」
俺がいることを、良く思わないふーみん。ファンがいるのは事実だ。
地味に過激な嫌がらせを受けてるというのに、気付かないわけがない。
ふーみん。だって認識済だろうに。
『そうねー。ごめんね』
「謝って済まないでしょ」
『だねぇ』
それから、彼はとても真面目な声になって、
『で、僕はどうすればいいのかな?』
「え?・・・・・・別に」
どうしろとは、言わないし思ってもない。
『そいつら、一人残らずばーんする?』
「怖い怖い怖い」
何なのそれ。
一番過激なの、貴方じゃないんですか?
「Lightじゃないんだから、やめてほんと」
『( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \』
ボイチャで顔文字ってどうやるの勝手くらい、完璧に顔文字発言。
『Light』というのは、ふーみん。と俺の共通の知り合いの実況者だ。
ちょっとどころかかなり無理系のMe Looperで、彼の投稿動画は半端なくバズるが、よく炎上もする。
問題発言が、多めなのだ
。
しかも、彼の動画は基本実写で、内容が過激だ。
平和に穏やかに人生を送りたいのなら、触れてはならないところがある。
敢えて、彼はそれに触れるのだ。
だから、バズりもするが炎上もする。
Lightが語り、テーマとするのは、大日本皇国の裏の闇だった。
それに言及することは、何百年も前からTabooだった。
Lightが、それに何故詳しいのか、敢えて突っ込むのか、俺には解らない。
ただ、色々と黒い部分を隠しているらしいから、叩けば埃が一山くらいは余裕で出来るのかも。
それを暴いたところで、変革を齎したりするのが簡単とは、思わないけど。
命を懸けてまで、とか其処までじゃない。
普通は。
『Lightといえば、こないだ延々と聞かされたよ。例の持論を』
「例の持論」
『うん』
「ふーみん。がいちいち付き合ってあげるから、調子に乗るんじゃないの」
『そうかな』
「だってさぁ・・・・・・」
それをふーみん。に言ってどうするの、って思うよ。
「まさか、だからあなたが立ち上がる時です、なんて言わないよね?」
『僕に?』
「うん」
『言うのは、変?』
「変でしょ。どうして、一般人のふーみん。に熱く訴えるの」
一番仲のいい友人だから?
同じ実況者仲間という関係を飛び越えて、普通に友達同士に見えるのだ。
「自分がどうなろうが、それは自己責任だけど」
ふーみん。を巻き込んじゃいけないと思う。
「関係ないでしょ」
『ん?』
「ふーみん。も同じ考えなの?」
『・・・・・・どうだろう?』
「俺に訊かれても」
それが分かっているのは、彼だけ。
『僕の意志に、彼は影響を受けたとも言えるからなぁ』
「え?」
それって?
『凄く昔ね、まだ十代の頃。・・・・・・今の縁位の時かなぁ』
「・・・・・・」
今まで、俺はキラキラで知り合った連中に、実年齢を明かしたことはない。
ふーみん。に対しても、同じだ。
ボイチャで声を聞かれているから、未成年だっていうのはバレてるとは思ってたけど。
リアル中二とは、言ってない。
てか、凄く昔に中二だったなら、現在の彼は何歳なんだ?
実は、自分の親くらいの人に、俺は対等な口を聞いちゃってたんじゃ?
「・・・・・・死にたくなる」
勘違い甚だしい、粋り野郎とか思われてるんじゃ・・・・・・。
『中二病を発症した僕は、彼の目の前でこの国の在り様とかに関して語りまくったんだ』
それこそ、今のLightみたいなことを。
『あの時の僕は・・・・・・たとえ最後のひとりになっても、抵抗し続けなくてはならなかった。それは、僕が自分で決めたことだった。奴らに敗れ、屈し、諦めるくらいなら、僕は死んだ方がましだとさえ思った』
何があったというのだろう。
俺は、いきなりの話に戸惑っている。
全く、彼とこんな話をする筈じゃなかったんだけど。
『僕が僕である為には、戦い続けなくてはならない。この世界に生きるに当たって、大切なことはそれなんだと思う。本当に大切なものを、決して譲らない。明け渡さない。ただ言いなりに生きることなら、誰にだって出来る』
この国は、その誰にだって出来ることを、すべての国民に求めている。
隣の人と同じ、典型的に従順で勤勉な日本人とかいう奴を量産したいと思っている。
『そんな国に、其処に、自分が存在する意味はない。この世界に、本当に一人きりしかいない自分なのなら、自分として生きなくては』
成程。
実に、らしい。
『半目を剥いて口を開けて、脳みそが殆ど溶けている皇族や、酒池肉林贅沢三昧な華族をはじめとした、怠け者で何の役にも立たない連中の生活の為に、生かされるなんて真っ平だ』
その台詞、皇居前で力説してたLightが、まんま使ったんだな。
聞き覚えあるし。
『そんなものは、ちっとも大事じゃないと思う。本当に大切なことを見失ってしまうのは、悲しいよ』
だけど、残念ながら。
理想でしかない。
『僕がどれだけのことを思おうと、特権階級を憎もうと、奴らは馬鹿三昧だよね。挙句、其処かの宮家のナントカ女王・・・・・・現皇王の弟の孫?というヤツは、希望の大学に受からなかったとかで、一昨年一度入学した大学を退学し、新たに受験して『見事』合格。来年度から、「お目出度く」、希望の大学に通うという』
それはごく最近の話題だから、当時の彼の台詞ではなく、現在のふーみん。の意見だろうか。
『僕からすれば、ふざけんな、だげど。だってさ、二回分の入学金は、誰が払ったと思っているの?彼女が学生を永く続ければ続けるだけ、国民の負担が増えるんだけど?世間には経済的理由で進学を断念してる子だっているのに。我侭放題し放題してるんじゃねぇよ、と言ってやりたいよねぇ』
言える雰囲気じゃないけどね、この国は。
「そもそも、会うことは、絶対にないでしょ」
向こう、皇女じゃないけど、一応皇族。
こっち、単なる平民。
「ふーみん。って、実は相当過激なんじゃない?」
怖いよ、と呟く。
『ごめんごめん』
ヘラヘラと返される言葉は、もういつものふーみん。だ。
ヘタレ男子キャラの、ふーみん。だ。
『皇族の話題になると、過剰に反応しちゃうんだよね』
「嫌いなの?」
誰もが皇族という存在を、歓迎してるわけではないのだ。
『嫌いというか・・・・・・あの人たちは、神の子孫ではなくて、ただの人間だから。それも、物欲塗れの汚らしい人間。反吐が出るよね。それなのに、神の子孫と称してるのが、気に入らないな』
「それ・・・・・・マジ?」
てことは、偽物だってことじゃないの?
いつの間にか、摩り替ってるってことじゃないの?
『ある日勝手に、そう名乗り出て、ずっとそれを続けてるってだけ。こいつら偽者なんじゃないのって思ったとしても、それを続けさせた方が都合がいいんだろうし』
今現在、この国に置いて特権階級にある者たちが、そうだろう。
ただ、それが表沙汰にならないのは、抑え込まれているから。
声を上げようものなら、処刑されるから。
国を故意に危機に陥れ、他国と共謀し滅亡させようとする者は、直ちに死刑だ。
其処に生きる人の命を守らず、国を守るという名目で実は、特権階級の連中だけを守る。
今の世界がそんなところだなんて。
『・・・・・・こんな未来の為に、犠牲にされた人たちに申し訳ない。僕は、不甲斐ないね』
と、ふーみん。は言うけれど。
「じゃあ、本当は、ふーみん。は、自分がどうすべきだと思うの?」
『どうすればいいんだろうね』
と、彼は呟く。
「他人の命だからと粗末に扱い、その尊厳さえも踏みにじった連中に対する怒りが込み上げたところで、今の僕には、何の力もないよ』
悔しいね、と。
彼に内在するあらゆる感情を押し込んで、その上で語る言葉だ。
過去がどんなだったか、なんて知らないけれど。
今よりましだった、なんてことはないのだろう。
この先の未来がましになるわけでもないんだろう。
ずっとずっと、世界は酷いままなのだ。
弱い者たちは、声無く消え、何も残せない。
その犠牲者たちの名前さえ。
俺だって、無残に、殺された。
訳の分からない強い力の前に、潰された。
悔しいと思った。
誰が、今のこんな自分になりたかったというのか。
ふと涙が、零れ落ちた。
こんな風に、泣いていられないけれど。
悔しくて、悔しくて。
窓を開けた。
冷たい風に当たりたかった。
「・・・・・・」
夜明け前の空を、見上げた。
星は、もう見えない。
月だけが、俺を見ていた。
結局、一睡もしなかった。
こんな筈ではなかったのだけれど。
仕方がない。
遠く遠い景色の向こうに、高層ビル群がある。
その地下深く、国民とすら認められない、人として扱われない人々の暮らすスラムの街が広がっている。
其処は、上の世界の常識は全く通用しない。
文字通り、ならず者の創り上げた世界だ。
とても口には出せないような犯罪が蔓延り、生きる為に普通に命を奪い合ったりもする。
子供たちでさえ、武器を手に強奪行為を繰り返す。
上の住人が足を踏み入れたら最後、生きては戻れないとさえ言われている位だ。
流石に、国の手も及ばない。
それぞれに徒党などを組み、支配地域なども持っていて、小競り合いなどが頻繁に起こっている。
単に小競り合いなら、まだいい。
恐ろしいのは、その中に、本気で国家転覆を目論むテロリストが紛れているところだ。
テロリストたちは、上の世界へも入り込んでいる。
スラムの住人だからといって、みすぼらしい格好をしているとは限らない。
外見から見破ることは、不可能とされる。
奴らは指導者の指示などにより、様々な破壊活動を行う。
人の多く集まる施設の爆破。
政府の要人の暗殺。
軍の幹部への襲撃。
その際、無関係の多くの人間が巻き込まれ、犠牲になる。
が、革命には犠牲が付き物だとか、思っているのか。
それとも、間違った者たちを正しいことへ導く行為なので、むしろ感謝されていいと胸を張ってテロを続けるのか。
それは、わからない。
しかし、何にしても、最も被害を蒙るのは、一般庶民だ。
特権階級の為に苦しめられ、テロの犠牲になる。
そんなサイアク。
スラムは無法地帯だが、一部そうではない地区もある。
七番街スラム。
其処には、小さな建物が集まり、犇めき合って一つの街になっていた。
スラムの中では、最も治安が良い。
小さなイザコザはあるけれど、住人同士の殺し合いなどはない。
比較的温和で、無駄に争うことを好まない人たちが集まり、その七番街は形成されたようだ。
勿論、スラムに在るのだから、全く不穏なことが起こらないわけではない。
他の地区の連中が、襲ってくることだってある。
しかし、この街がこれまで無事存続していたのには、当然ながら理由がある。
七番街は、非常に統制の取れた街だった。
街の中心部には、空を全て覆うようなプレートを支えて立つ支柱があった。
そのプレートとは、上の街、つまり此処のような特権階級と一般庶民とが暮らす地上のことだ。
つまり此処は、スラムの支柱に支えられている偽物の大地だ。
『東京』と呼ばれるこの皇都は、空中に浮いて存在している。
地方都市にもいくつかそういう所はあるが、皇都『東京』のそれは途轍もなく巨大である。
それを忘れるほど、特別違和感はないし、不自然でもないが。
何故そんな風に街を形成するに至ったのか?
一説によると、それは、かつて天空に存在した天空都市を模したものらしい。
天空人と呼ばれた「特別」な存在に、地上人はとても憧れていたと。
だけど、遥か昔に、果たして人間がこの遥か上空に城を建造し、暮らしていたなんてなんて考え難い。
現代の科学力を以てしても、そんなこと出来やしないのに。
どうやって、地上から天空へ上がったというのだ?
それとも彼らは、初めから其処にいたのか?
・・・・・・天上人は、地球人ではないのか?
結局は、夢物語でしかない。
そう、リアルではないのだ。
話が逸れたので、元に戻す。
皇都のスラムの街を八つの地区に分けたなら、支柱は全部で八本ある。
その中の、七番街の支柱に沿うような形で、巨大な建造物聳え立っている。
いつから在るのか、誰が建てたのか、分からない。
誰も知らない。
それは、まるで城のように見えた。
或いは、楼閣だ。
その概観から、人々には『摩天城』と呼ばれている。
七番街の治安が保たれているのは、その『摩天城』の主の功績によるところが大きい。
『摩天城』の主は、少女だ。
『星姫』と呼ばれる少女。
上の街で、その姿を見た者は、殆どいない。
しかし、語られていることには、大層な美人らしい。
まあ、その方が盛り上がるからかもしれないが。
その美少女の『星姫』が街の代表となり、指導者として皆を纏めているという。
如何なる時も、住人たちと真摯な姿勢で向き合い、争いが起こりそうになれば仲裁し。
決して一筋縄ではいかない荒くれ者や、無法者を上手に飼いならし、見事に街を治めているんだとか。
街の人々は、皆が『星姫』のことが好きで、愛しているのだろう。
なかなか強かな女だと思うが、スラムの住人を纏めるにはそうでなくてはならないのだろう。
そして、それが絶対、女の方が向いているのだ。
個人的な感情を持ち込まなければ、だが。
結局は、女なんてすぐに意地の悪い本性が出てくるので、国の代表者には相応しくないのだが。
それは別に、俺の言うべきことではない。
ただ、そう思っただけだ。
不意に、『摩天城』の『星姫』を思い出したのは、彼女とふーみん。やtijoriの考え方が似ていることに、以前気付いたことがあるからだ。
『星姫』も、どういうわけか特権階級、とりわけ皇族を憎んでいた。
忌み嫌うなんてレベルじゃなく、憎悪を抱いているらしかった。
直接、皇族の命を奪ったことはないけれど。
下らないパーティーやパレードの類を、何度も中止に追い込んだ。
つい最近は、女性皇族が身に着けるティアラやネックレスなどを奪い去り、身包み剥がし、下着一枚にしてしまったことがある。
恥をかかせるのが目的だが、勿論それだけではない。
奪った貴金属類は、すぐに金に換えて、スラムの住人に配布した。
そうする必要があるほど、貧しく、苦しみ、病んでいた。
それを理解する特権階級に在る者は、あまりにも少ない。
未だかつて、ただ一人、怜宮と呼ばれた人しかいないようだ。
当初、七番街の代表者は彼だった。
しかし、今はもう亡く、『星姫』は彼の遺志を継ぐ人とされる。
一部では、彼女は怜宮の血縁者とも囁かれるが、定かではない。
そういえば、先日、その『星姫』が政府軍に捕らえられているという話を聞いた。
何とも非道な手を使って、『星姫』を捕まえたのだと。
奴らなら、やりかねない。
そして、本当に『星姫』が怜宮の血縁者なら、絶対に生かしておかない筈だ。
特に、現皇太子が。
現皇太子と怜宮は、異母兄弟なのだが、とても仲が悪かったようだ。
賢く見目麗しい弟を幼い時から嫉んでた現皇太子が、怜宮を暗殺されたというのだ。
理由は、弟皇子が当時の皇太子妃の産んだ皇子で、兄の方は、妾腹であったから。
つまり、弟の方が皇位継承順が上位で、彼が生きている限りは絶対に皇位につくことが出来ない。
野心家で愚かな兄は、正当な皇位継承者である弟を消したのだ。
それと、現皇太子の最大の罪を、怜宮は知っていたから。
それが明るみになれば、到底皇位継承者などではいられなくなる。
だから、殺した。
邪魔者を葬り去っても、その血縁者がいる限り安心できない。
次に『星姫』が捕らえられた。
そうして、まだまだ安心できず、次から次へと。
何処かで聞いたことのある話だ。
最後は、国に自分ひとりだけが残ったという話。
後は全員、殺してしまったという話。
誰も、信用できないので。
馬鹿な男の話だ。
現皇太子は、まさにそういう男なのだろう。
弟である怜宮は、兄の愚考を止めたかったにすぎない。
しかし、それは聞き入れられなかった。
それどころか、己の皇位継承を脅かす存在として、消されることになった。
可哀想なのは、怜宮の血縁者の『星姫』だ。
まだ幼い身で、不遇な生活を強いられることになった。
彼女の怒りは、尤もだ。
いや、怜宮の娘だから、血族同士で争うことを、嘆いたかもしれない。
奪い合うことの、殺し合うことの理由が分からず。
けれど、考えている時間さえ、与えられなかった。
幼い少女に出来たのは、父の遺志を継ぐことだけ。
父の残した理想を叶える為に、戦うこと。
人々が父に求めたとおり、次は自分が希望の星になる。
そして、道標になって、暗い道に灯を点して。
しかし、たったそれだけですら、許されなかった。
最早、少女は生かしてすらもらえない。
間もなく『星姫』は処刑される。
下では、専らの噂だ。
奪還を試みた連中もいたらしいが、悉く失敗したと聞く。
自分の為に命が喪われたことを、彼女はひどく嘆いただろう。
生きているだけで、皆が不幸になり、多くの命が喪われてしまう。
戦いは終わらず、血は流れ続ける。
彼女が『希望の星』である限り。
幼い少女には、到底耐えられる筈がないだろう。
本当に、可哀想だ。
俺自身にも身近な話だから、痛いほど理解できる。
何か出来ればいいけれど。
残念ながら、俺に出来ることなど何もない。
こんな、ゴミでクズで、引き籠りで心を病んだ闇人形なんかに。
『星姫』には、同情する。
だけど、俺には何の力もない。
自分の部屋に逃げ込んでしまった、戦うことを諦めた俺なんかに剣が振るえるわけがない。
だから、奴らを憎みながら・・・・・・それでも俺は、沈黙する。
俺は、勇者じゃない。
間もなく夜明けだ。
全く、眠れない。
ベッドを、あの少女に譲ってしまったからではない。
眠る気になど、なれないのだ。
街を見下ろし、窓際に座り膝を抱える。
あの少女は、何者だろう?
空から落ちてきた少女。
出逢った時から意識がなかったから、何も分からない。
ただ、見た目から察するに、やはり異国の少女だろうか。
長い髪はプラチナブロンドというやつだったし、目鼻立ちがはっきりした美少女だ。
長くてボリュームのある睫毛も、薄めの眉すら、ブロンドだった。
まるで人形だ。
瞳の開いたところは、まだ見ていない。
でも、多分、色はブルーかグリーンだろう。
肌の色は真っ白で、まるで雪のようだ。
仏蘭西か露西亜か・・・・・・その辺りだろう。
が、尚更謎だ。
どうして異国の少女が、空から降ってくる?
触れるのが怖くて、ベッドに寝かしてそのまま放置だ。
みすぼらしい服だったけれど、まさか着替えさせるわけにもいかない。
相手は、幼くても女だ。
やっぱり、そういうことはしたくない。
だけど、寝かした時に、見えてしまった。
手首と足首に、手錠と足枷の痕があった。
鬱血したような。
でも、それだけじゃない。
少女は、貫頭衣を着ているだけだった。
パンツは穿いていたけれど、本当にそれだけだった。
だから、脇腹に、酷い傷跡があるのを見てしまった。
薄黒く変色した、引き攣れたような傷だった。
切り傷ではなく、明らかに銃創だった。
いつかは分からないが、何処かで銃で撃たれたのだろう。
綺麗な肌だから、余計に可哀想に思えた。
誰があの傷を負わせたのだろう。
あんな幼気な少女に。
あまりにも酷すぎる。
俺は、悔しく思った。
俺が腹を立てても、しょうがないけれど。
まるで、撃ち落された小さな鳥だ。
或いは、天使かもしれない。
もし天使だといわれても、俺は普通に信じるだろう。
天使過ぎるアイドルと同じ意味で、あの少女は天使だ。
目を開けて、動いているのを見たことはないけれど。
地上に落とされた、憐れな天使。
それが、あの少女の正体かもしれない。
では、そんな天使を見つけた(?)俺は、どうなるのだろう。
どうするのがいいのだろう。
本人の了承を得ずに、何かをすることは出来ない。
朝になって目を覚ましてくれればいいけれど。
いや、一生眠りっぱなしというのは、流石に困る。
てか、拙い。
それこそ、俺が変態みたいじゃんか。
ああいう年頃の少女と一つ屋根の下とか。
未成年者略取とか。
拉致監禁とか。
完全に犯罪っぽいし。
でも違うし。
証明するのが、滅茶苦茶難しいし。
でも、警察には連れて行きたくないし。
一番いいのは、早く目を覚まして、自分の意思で自分の足で、出て行ってくれることなんだけど。
「出て行って・・・・・・」
思わず口に出していた。
出て行って、しまって、いいのだろうか?
早くいなくなってほしいとか、俺は思っているのか?
本当に?
俺は、あの少女の存在を疎んじているのか?
いや、多分、それは違う。
そう思っているのなら、最初から此処に連れ帰ったりしない。
幾ら警察に預けたくないからって。
それこそ放置、してしまえばよかった。
でも、そうはしなかった。
迷わなかったわけではないけれど。
俺は、自分で少女を連れて帰ってきたのだ。
少女が美人だったからとか、そんな理由じゃない。
ドキドキしたのだ。
運命じゃないかって、思ったのだ。
宿命なのだと、感じた。
何か、定められたものが始まる。
そう、星だ。
俺の星が、もう一度俺の上にやってきたのだ。
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