第4話意味√無

 残酷な夢だと思った。

 でも、リアルの方がずっと残酷でもあった。

 だから、俺は思うんだ。

 目覚めたくなかった、って。

 夢を見てるだけなら、それは本物ではないから、リアルにいる俺は無事だから。

 でも、それがリアルなら、俺は。

 結局、目なんか覚まさない方がいい。

 ずっと、眠っていればいい。

 こんなにも無意味な俺なんか、世界も誰も、必要とかなんかしてない。

 息をするだけ、心臓が動いているだけ、無駄。

 嗚呼、今日も生きているのか。

 すみません。

 何の役にも立てなくて。

 死んでしまいたいって、思わなくはないんだ。

 寧ろ、死にたい。

 でも、死にたいと思うだけで、死のうってとこまではいかない。

 実際にやるのは、難易度が高い。

 どうやって、死ねばいいの?

 誰の迷惑にもなることなく、すぅっと俺だけ消えられたらいいのに。

 水みたいに。

 どうして、生まれてしまったら、死ぬまで生きなきゃならないの。

 死ぬ時には、この体を置いて行かなきゃならないの。

 必要なものだけでなく、無駄なものさえ、持って行けないの。

 俺が残して行ったら、皆に迷惑じゃん。

 きれいさっぱり、なくなるまで生きろってこと?

 それは、お前が死にたくないだけだろって?

 結局、甘えてるだけだろって?

 たくさんの人に、言われたことだ。

 俺を「普通」にしようとした、主に大人の偉い先生とかに。

 問題となる行動のない、みんなと同じに。

 都合が良くて、従順な人間に。

 でも、どんなに手を尽くしたって、尤もらしいことを言ったって、無理。

 だって、それは俺じゃないから。

 俺は、作り変えられない。

 そんな器用に柔軟に、出来てなんかない。

 歪だ。

 無理に形を整え変えようとすると、きっと壊れる。

 結構もう、傷だらけな俺は、無神経に触れられる度に瘡蓋が取れて、また血を流してしまう。

 俺の傷は、癒えないまま。

 本当に俺を治したいなら、放っておいて。

 誰も、俺の世界に入らないで。

 この壁は、俺を護る為のもの。

 この世界は、俺が自分で守らなきゃならないもの。

 どうしても生きなきゃならないのなら、どうか穏やかで優しい時間が欲しい。

 俺は、もう戦えないよ。

 臆病だって、弱虫だって構わない。

 俺は、逃げる。

 外の音なんか、聴こえなくていい。

 何も、見たくない。

 此処から見えなくていい。

 この部屋で見るものだけが、俺の世界だから、それ以外の何が必要だっていうの?




 俺がこうなった理由を、俺が分かっていないわけではない。

 だけど、「それ」が何かを語ることは出来ない。

 「それ」は一つの決定的な何か、ではないからだ。

 ほんの少しずつ。

 些細な出来事の一つ一つが、俺を今のようにしてしまったのだろう。

 俺の世界から、出られない。

 出るのが嫌だ。

 ・・・・・・怖い。

 そういう俺に。

 そもそも、原因を探ろうとするのが、辛い。

 頭が痛くて、息が苦しくて、耳鳴りがして、眩暈が酷い。

 立っていることはおろか、起き上がることさえ出来なくなる。

 心的外傷後ストレス障害、なんて言うだけなら簡単だ。

 「それ」を克服しようとする気力は起きなくて、俺はただ静かに待つだけだ。

 薄れて、感知できなくなるのを。

 消えるわけじゃないけど、「それ」が遠ざかるだけでだいぶ楽になるのだ。

 たまに、「普通」で「皆と同じ」であるかのように取り繕えていた時のことを、思い出すことがある。

 ぼんやりと記憶しているのは、ただただ無理した俺だった。

 ひたすらに空気を読んで、皆と同じ空間に居て、皆と同じことに笑い、皆と同じ台詞しか喋らない。

 ちっとも俺じゃなかった俺だった。

 苦痛であるとは思ってなかった。

 ただただ、空っぽだった。

 本当は、皆の話も、見ている筈の風景も、何一つ入ってこなかった。

 俺は、嘘で偽物の俺でしかなかった。

 そんな異様な自分に、気付きもしてなかった。

 皆に合わせることに必死だった、と言ってしまえばそれまでだけど。

 その証拠に、俺はあの頃つるんでいた友人の顔を、誰として憶えていない。

 声も何処か遠く、ただ疲労感に襲われた。

 ぼんやりとして曖昧な記憶だったけれど、ひとつだけ甦る出来事がある。

 地獄のように。

 いつものように、友人たちと中身がなくどうだっていい話を、面白いふりをしていた。

 放課後だった。

 俺にクラスの女子の数人が、声を掛けて来たのだ。

 それまでも、友人たちとの付き合いで、そういった女子と関わることはあった。

 全然興味がなかったけど。

 あの頃既に、女子たちは早熟だった。

 頻繁に男子に関わってくるには、何か意味とか理由とかあるんだろうとは思っていた。

 でも、俺には意味がないことだったから。

 正直、面倒だった。

 南校舎の屋上に来いとか、彼女たちは言ってきた。

 嫌でしかなかった。

 どういうわけか、半裸状態で、それを恥とも思っていないとか、異星人だ。

 犬とか猫の方が、全然分かり合えた。

 彼女たちに無理に引き摺られて連れて行かれる俺を、友人たちは面白がって追いかけた。

 そして、其処には、ボスがいた。

 ゲームのボスとかじゃない。

 クラスの女子たちのボス。

 ボス猿。

 ゲームのボスなら、課金するとかして強い武器とかアイテムとか揃えれば、倒せなくはない。

 でもボス猿には、そんなの何の役にも立たないんだろうな、と思った。

 神谷紗由とかいう名前のボス猿は、言った。

 「立花、お前あたしと付き合えよ」

 「・・・・・・は?」

 思わず、声に出た。

 何なの?

 意味が分からない。

 まず、どうして上から目線?

 命令される筋合いとかないんですけど。

 そして、そもそも俺がボス猿と付き合わなきゃならない理由。

 何処かに、あるんですか?

 だから、俺は答えた。

 「え。普通に嫌だけど」

 「何で!!」

 ボス猿が怒り狂った。

 俺の返答は、お気に召さないし、全く想定外のものだったらしい。

 説明するのは面倒だったが、答える義務くらいはあるだろう。

 「俺は、お前が好きじゃない」

 女子を好きになるって、何?

 俺にはそういう感情はないのだ。

 犬とか猫とかは大好きだったけど、人間の女子に対してはそうじゃなかった。

 人間として敬意を払うに値するかと問われれば、否、だし。

 授業を頻繁に妨害するし、制服がはだけて下着一丁でいるし、時々危ない何かがキマっててラリった状態でいる。

 そういう女を好きな奴なんかいるのか?

 ボス猿が暴れる度に、迷惑を被っているのはこっちだった。

 静かにまともな学校生活すら送れやしない。

 俺の家は裕福じゃないから、他の連中みたく予備校に行く余裕なんかないのに、授業さえ受けてられない状態にされるって。

 いい印象なんかない。

 寧ろ、俺の敵でしかない。

 大嫌いだった。

 「話はそれだけ?なら、もう帰るよ」

 これ以上の用事はないと認識した俺は、その場を立ち去ろうとした。

 「おまっ、・・・・・・イチ、そりゃ拙いって」

 と、友人たちは言ってきたけれど。

 「何が、どう拙いの?」

 俺は、ただボス猿の誘いを断っただけだ。

 だって、嫌だったから。

 命令されるようなことじゃないから。

 誰を好きになろうが、俺の自由だ。

 「どうして、嫌いな奴と付き合わなきゃならないの?恋愛的な意味で」

 「・・・・・・」

 友人たちは、何も言えなくなった。

 それは、正論の筈なのに。

 「・・・・・・ふざっけるな、よっ!立花ぁ・・・・・・っ!!」

 と、ボス猿が吼えた。

 「お前、あたしのこと何だと思ってやがる!!」

 「・・・・・・神谷紗由。ただそれだけ」

 何を求めているのか。

 俺にどうさせたいのか。

 それは、無理難題で、絶対に叶わないもの。

 願うものが総て、手に入るわけじゃない。

 思い通りに行かないことだってある。

 諦めるか、努力するか。

 それなのに。

 ボス猿は、そのどちらもしなかった。

 「あたしの言いなりにしないお前が悪い」という思考だった。

 次の日から、俺の世界が変わった。

 学校はもう、俺のいられる場所ではなかった。

 ボス猿の何に恐れをなしたのか、生徒も教師も、全員が俺の敵になった。

 徹底的に俺の息の根を止めにかかってきた。

 俺は、心身ともに疲れ果てた。

 心が壊れるまで、ものの一月もかからなかった。

 呼吸困難を起こし倒れるので、俺は学校に行けなくなり、家の外に出ることも殆どなくなった。

 いつ、何時、連中に遭遇するか分からない不安が、そうさせたのだろう。

 一日の大半を、自分の部屋で過ごし、寝て、起きるだけ。

 家族と関わることさえ、俺は避けるようになっていた。

 学校へ行けなくなった、即ち「まともな」人生を送れなくなった、将来のない俺という存在は、迷惑だろうとか思ってしまったら、もう駄目だった。

 汚水を浴びせられただけで、便器のように扱われただけで、掲示板に死ねとか書かれただけで、折れて壊れてしまった、弱い俺なんか。

 戦えなくなった、俺なんか。

 世界にいる意味無の俺なんか。

 存在を消してしまった方が、家族の為には絶対に良いから。

 嗚呼、もう死んでしまいたい。

 本当は、飲まず食わずになれば、いつかは死ぬんだろうけど。

 気が付けば、水分と栄養を補給してしまう。

 俺は生命を維持しようとしてしまう。




 あれから、もう一年経ったのだ。

 中学一年の春に、俺が所謂「引き籠り」になって。

 部屋から出ずに、誰にもこの姿を見せずに。

 自分でさえ、まともに俺を見ることがない。

 俺が活動するのは、皆が寝た後の夜中から。

 冷蔵庫の中のおにぎり二個と、少しの生野菜と。

 それだけを食べて、風呂に入って、着替えて、散歩に出かける。

 だから、厳密に言うと、俺は引き籠りではないのかもしれない。

 明らかに外に人間のいない夜道を歩く。

 猫になった気分で、ちょっと楽しい。

 目的地があるわけじゃない。

 ただ、何となく足を進める。

 こっそり、塀とか上ってみたりする。

 夜風が頬に当たって、気分がいい。

 やや伸びたTシャツとジャージのズボン、裸足にサンダル履きの男が塀を歩いている。

 巡回の警察官に見つかったら、職質だろう。

 しかも、俺はマスクで顔を隠していた。

 だが、俺は敢えて彼らを避けて散歩をすることが出来た。

 何となく、出会わないルートが分かっているのだ。

 今日は、どっちに行ってみようかな。

 夜空を見上げて考えてみる。

 気の向くままに、行ってみる。

 答えは、結局、いつも通りだ。

 暫く散歩を続けていて、気付いた。

 確かこっちの方向には、大きめの公園があった。

 子供用の遊具等も、比較的揃っているので、昼間は子供とかその親とかで、賑わっている。

 俺も、幼い頃には、良く通ったものだ。

 確か、いつも二番目の兄に連れられていた。

 遊具には大きすぎる体を器用に畳んで、一緒にそれで遊んでくれた。

 年の離れた弟を懸命に面倒見る彼は、公園中の母親たちに人気があった。

 アイドルでもあるまいし、ファンクラブ的なものまであったとか、なかったとか。

 あの頃の彼と、今の俺は同じ年齢くらいだ。

 しかし、えらい違いだ。

 彼は、あんなにも耀いて眩しかったのに。

 こんな俺は、夜闇よりも暗く。

 俺にないものを普通に持っている二番目の兄は、俺をどう思うんだろう。

 尋ねることは出来ない。

 それは、俺にとって。

 ただ、これだけは言える。

 俺も彼も、こんな筈じゃなかった。

 嗚呼、こんな未来を誰が予想しただろう・・・・・・。

 「・・・・・・兄さん」

 これ以上は、惨めだ。

 やっぱり、もう引き返そうかと思った。

 何年も前に止まったままの時間を、動かしたくはない。

 憧憬のままにしておきたかった。

 リアルにしてはならない。

 綺麗で、輝いたままの場所で。

 歩みを止める俺に、

 「にゃーん」

 誰かが声を掛けて来た。

 「え」

 それは、猫だった。

 道路の上、つまり普通は人間が歩くべき場所に、白い猫が一匹、座っていた。

 塀の上の俺を、見上げていた。

 「・・・・・・」

 途轍もなく、何かを言いたげだ。

 「・・・・・・何?」

 一応、尋ねてみた。

 多分、俺の言っていることは理解している筈。

 「にゃーん」

 「・・・・・・降りて来いって?」

 其処は人間のいるところじゃない、猫様の特等席だって?

 「・・・・・・そうかもね」

 人間は普通、猫になれないから。

 「分かったよ」

 地面に下りると、すり寄ってきた。

 「別に、猫缶とか持ってませんけど」

 てか、見たことのない猫だ。

 猫にこっそり餌をあげたりしてることを、知っているとは思えない。

 「誰かから、訊いたの?」

 猫たちのネットワーク、恐ろしい。

 井戸端会議って、本当かもね。

 「にゃーにゃにゃにゃ、にゃにゃにゃん」

 「?」

 お腹が空いているわけではなさそうだ。

 食べ物を強請るとかいう様子ではない。

 「何?・・・・・・何かあるの?」

 足元の白猫が、首を縦に振る。

 まるで、頷くみたいに。

 「にゃにゃにゃ、にゃーにゃ。にゃんにゃん」

 俺から離れ、少し歩いて立ち止まる。

 こっちを見上げる。

 「案内する・・・・・・ってこと?」

 猫に何を、案内されようとしているのだろう。

 無視してしまえばいいんだろうけど、俺にそれが出来るわけがない。

 白い猫は、可愛い顔で俺が来るのを待っている。

 ついて来いと言っている。

 「にゃーにゃー、にゃおにゃおにゃ」

 この先は、例の公園だ。

 間違いなく。

 「俺を、此処に連れてくるって・・・・・・」

 どうして?

 何の意味が?

 分からないまま、俺は猫の後を追いかけて、公園まで辿り着いていた。

 「・・・・・・」

 其処は、公園だった。

 飛行場でも、船着き場でもない。

 普通に公園だ。

 記憶の中に、夜中の公園は存在しない。

 この時間に来るのは初めてだ。

 大分印象が違う。

 ただただ、静かだ。

 このくらいの広さのある公園なら、不良などが集会所代わりにしてそうなものだが。

 人っ子一人いなかった。

 白猫と、俺だけ。

 「・・・・・・何だろう?」

 白い山の形をした巨大な滑り台が、光って見えた。

 まるで、其処にスポットライトを当てているみたいだ。

 「月明かり・・・・・・」

 見れば、いつの間にか夜空の月が大きかった。

 今夜は満月だったか?

 そうだったかもしれないけど、別にどうでもいい。

 何が変わるわけでもないだろうし。

 「・・・・・・俺は、それでどうしたらいいの?」

 来たのはいいけれど。

 それから?

 白猫に尋ねる。

 白猫の答えを待つ。

 「にゃにゃにゃ、にゃにゃー」

 と、猫が言った。

 同じように、月を見ていた。

 「月?」

 特別、月に纏わるものを信じちゃいないけど。

 それは、ただただ月だ。

 普段なら、ああ月だ、で終えていただろう。

 でも、猫がじっと動かな方から。

 ずっと、見つめていたから。

 無意味にそうしているわけでないのだとしたら。

 猫が見上げるように、俺も見続けた。

 夜空には、月だけでなく、数え切れないほどの星が煌めいていた。

 あの星たちに、俺は気付いたことがない。

 ずっとずっと、そうして存在していた筈なのに。

 或いは、もう存在しないで、光だけ地上に届けているにすぎないかもしれないけれど。

 月の華に、星の海に、掬い上げられるのを感じた。

 声が聞こえた。

 微かに、語り掛けていた。

 「俺に・・・・・・?」

 その時に、見たのだ。

 暗い夜空から、一際大きな星粒が降りて来るのを。

 けれど、そんなことは有り得ない。

 星が、星の形のまま地上に降りるなんて。

 流れ落ちたんじゃない。

 まるで雪の様に、はらりはらりと、ゆっくりと。

 舞い降りる星の欠片。

 ただ大きいだけじゃない。

 「・・・・・・何だ、あれ?」

 声に出してしまうほどだった。

 それだけじゃない。

 眩く輝いていたのだ。

 それはまるで、闇を照らす一欠片の光。

 蒼く発光しながら、ゆっくりとゆっくりと、下りて来る。

 あれは、多分星じゃない。

 確かに、何かだ。

 光っている。

 未確認飛行物体?

 そんなものでは、ない。

 全く、見当もつかないし。

 分からない正体不明なら、放っておくに限る。

 そんな野次馬根性ないし。

 いちいち、それが何かを確かめないでいられないなんて性格でもない。

 正体不明なことは、つまり俺の手には負えないもの。

 なら、手を出しちゃいけない。

 これもまた、自分に言い聞かせる。

 余計なことをしないし、言わない。

 けれど、どんなに無視しようとしても、気を逸らそうとしても、それが出来そうにない。

 やはり、目で行方を追ってしまうのだ。

 「・・・・・・やっぱ、無理だな」

 好奇心が旺盛だとは思わない。

 だけど、あの光だけはどうにも気になる。

 俺の脚は、結局そっちへ向かうのだ。

 何よりも、白猫が早く行け、と言っている。

 光の下へ。

 迎えに行け。

 受け止めて。

 どうしてこんなに、気持ちが動くのか。

 胸がドキドキしているのが分かる。

 これは、絶対いつもより長く外にいるからじゃない。

 光、降る。

 ひかり、ふる。

 俺は、山の形をした白い巨大な滑り台。通称白山のてっぺんに駆け上がった。

 一年の引き籠り生活で、体力はガタガタだ。

 おまけにサンダル履き。

 滑らないところでも、普通に滑った。

 危うく顎を打ちかけたけど、何とか無事。

 漸く辿り着いたら、光は迫っていた。

 「・・・・・・光?」

 ただの大きな光ではなかった。

 雪でも、星でも、隕石でもなかった。

 間近に見えるようになるにつれ、その正体が明らかになる。

 「光・・・・・・じゃない?」

 正確には、光だけじゃない、だ。

 空を下降するのは、光だけではないのだ。

 光には、その本体があった。

 目を凝らす。

 「えっ・・・・・・嘘でしょ?」

 と、思わず声を出してしまうほど。

 「人間・・・・・・だよ、ね?」

 そう、人間だ。

 光の本体。

 それは、確かに人間。

 人間の、女の子だ。

 本当に、女の子だ。

 見てすぐ子供と分かるくらいに、幼い少女だ。

 蒼い光と共に、少女が空から降りてくる。

 普通、落下物はこんな落ち方をしない。

 その重量に限らず、相当な勢いをつけ、落ちてくる。

 それこそ、避けられないくらい。

 しかし、少女は違った。

 宙を漂うように、ゆっくりとゆっくりと、降りてくる。

 まるで狙い澄ましたかのようだ。

 腕を伸ばせば届く。

 近く、すぐ近く。

 咄嗟に、両腕を差し出す。

 その上に、少女の身体は降りてきた。

 背中が、足が、触れた。

 首からぶら下げたペンダントのようなものが、光っていた。

 光は、これだ。

 蒼い石のペンダント。

 何か、何処かで見覚えがあるような・・・・・・。

 思い出せないけれど。

 「・・・・・・えーと?」

 どうしよう、か?

 つい受け止めてしまったけれど。

 それからのことを、まったく考えていなかった。

 今更、離せないし。

 仕方がないから、少女のことを見た。

 どうやら人間のようだが、本当に人間か。

 空から落ちてきた(?)みたいだし。

 天使か、なんて夢みたいなことは言わないけれど。

 気を失っている様で瞳を閉じ、まったく何の反応もない。

 温かいので、死んではいない。

 目を開けていないから、確実に言えることではないが、多分、結構美人だと思う。

 目鼻立ちのはっきりした、所謂美少女ってやつだ。

 勿論、外見は関係ないけど。

 「・・・・・・可愛い」

 こんな俺でも、普通にその言葉が出た。

 それくらいには、可愛い子だ。

 ところで、どうしてこんな可愛い少女が空から降ってくるんだろう?

 ドブスだったら、物語が終わってしまう。

 なんて、メタ発言はしない。

 少女は、何者なのだろう?

 どうしてこのペンダントは、光っているのか?

 そして、どうしてこんなに胸がドキドキしているのか。

 訳が分からない。

 答えが見つからない。

 理由はある筈なのに。

 「・・・・・・あ」

 蒼い光が、その輝きを喪う。

 光が、弱くなったのだ。

 眩さはとっくになくて、普通に目が開けられた。

 だから、少女の外見を確認できたのだ。

 光がペンダントの蒼い石の中へ消えてゆく。

 その収束共に。

 「うっ・・・・・・?」

 なんか、急に。

 少女が重く、なったんだけど。

 いや、普通に全体重がかかるようになっただけだ。

 どういう仕組みが、それは蒼い光に関係しているらしい。

 全く、支えられないということはない。

 本当に小さな子供なので、多分軽い。

 さっきまでが、変なのだ。

 軽かったどころか、全然重量というものがなかったのだから。

 不思議な石のペンダント。

 不思議な少女。

 空から降ってきた。

 俺は、少女がいた(?)と思しき場所を見上げる。

 が、何もない。

 当たり前だ。

 其処には空が、あるだけだ。

 満天の星。

 そして・・・・・・大きな大きな満月。

 魅入ってしまった。

 ところで、此処は本当に地球?

 宇宙から見るかのようだ。

 そんなとこ行ったことないし、そんなもの見たことないけど。

 幾らなんでも、接近しすぎだ。

 月が近すぎる。

 でも、そんなこと本当にあるのか?

 どういうわけか、そう見えるだけで、本当は別に近づいてなんてないんじゃないか?

 色々考えた。

 でも、当然答えは出ない。

 ただ、分かったことがある。

 多分、これを見ているのは、全世界で俺だけだ。

 俺だけに見えるもの。

 それが一体何を意味しているのか。

 「ねぇ・・・・・・」

 分かるわけないし、答えが返って来るとも思わなかったけれど。

 「これ、どういうことなの?」

 白山の下にいるであろう白猫に、訊いてみた。

 「この子、何なんだろう?」

 人間、ではないとしたら?

 「どうして、空から?」

 空の上に、人間っているの?

 「俺は、どうすればいいの?」

 「・・・・・・」

 白猫は、にゃーんとは言わない。

 もう、言わない。

 「・・・・・・いない」

 もう、いない。

 本当にいたのかすら、分からない。

 ただの俺の幻だったかのように、静かな夜闇が其処に広がるだけ。

 舞台の上には、ただ俺と少女だけ。

 あの白猫は、どうして俺を此処へ連れて来たのだろう。

 導かれるように此処に辿り着いた俺は、何をしたらいいんだろう。

 「彼女」が一体「誰」だったのか。

 何故、俺でなくてはならなかったのか。

 理由は、既に目の前にあった。

 ただ、気付けなかっただけだ。

 二度と返らない。

 この瞬間のことを、その時の俺は最早憶えていない。

 永過ぎる時の中で、全てが忘れ去られた果てに、漸く結んだ。

 「彼女」の願いは、叶えられた。

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