第10話 狂った優しさ

 部屋のどこかで携帯が鳴る。

 少年は、その音に気づいたが携帯を探さなかった。

 携帯は、投げた時にどこに行ったのか、長い間、少年に探されなかった。

 何度も携帯は鳴ったが、少年は見向きもしなかった。

 少年は、周りの人間との交流を拒んだ。

 携帯は鳴り続ける。

 少年は、それでも無視をした。

 携帯は鳴り続ける。

 少年は、それをうっとおしく感じ、携帯を探し始める。

 携帯は鞄とクローゼットの間で鳴いていた。

 その着信を切ってやろうと画面を開く。

 そこには彼女の名前が表示されていた。

 少年は、心臓が飛び出るぐらい驚いた。

 少年は、恐る恐る携帯を耳に当てる。

「もしもし」

 彼女の声だ。少年の肺に空気が入ってきた。肩が震える。視界がぼやける。鼻が詰まってきた。

「今日は学校だよ。何をやっているの」

 少年は、声が出せなかった。

「体調悪いの?」

 彼女の声は優しかった。

 少年の視界の全てがぼやけた。

 熱い涙が溢れる。熱い息が吐き出される。顔の中が熱くなった。

 少年は、下を向いて、ボロボロと泣いた。

 言葉は熱い息として、漏れ出てくる。

 呼吸をするのが難しくなってきた。

「ねぇ、大丈夫?」

 少年は、彼女に心配をかけてはいけないと感じ、頷く。言葉は出ない。

「そっか、良かった」

 彼女には聞こえたのだろう。少年の頷く音が。

「私は大丈夫だから、ゆっくりでいいから、学校に来て」

 少年は、また頷いた。

「じゃあ、きるね」

 少年は、頷いた。

 携帯からは、つーつーと、通話が終わったことを知らせる。

 少年は、携帯を耳から離さなかった。

 顔が、涙とか、鼻水とか、いろいろなもので、ぐちゃぐちゃになっていた。

 ぐちゃぐちゃになっていた。

 少年は、それから三日かけて学校へ行った。涙は引っ込み、瞳の充血は治まっていた。

 登校している時に、男と出会った。

 男は少年を見つけるやいなや、ものすごい速さで走ってきて、背中から飛びついた。

「てめぇ、今まで何してたんだよ」

 少年の首がぐわんぐわんと揺すられる。

「心配かけさせやがって」

 男の声は潤んでいた。男は下を向いていた。

「早く学校行くぞ」

 男は少年の腕を掴み、早足で学校へ向かう。

 教室の扉をばんと開けた男は、

「おはようございます」

 と、叫んだ。

 みんなの視線が集まる。

 男の周りの人が、少年の周りに集まってくる。少年は、また首をぐわんぐわんと揺すられた。中には背中を叩いてくる人、頭を強引に撫でる人もいた。

 ある程度すると、男たちが周りから離れた。まるでモーセが海を割るように。その先には彼女がいた。

 潤んだ目でこちらを見ている。

 少年は、心臓がドキンとした。

 彼女は少年に向かって駆け出した。

 少年の胸にぶつかってくる。

「ばか」

 彼女は胸を叩いている。

「私のせいで休んだのなら、罪悪感感じちゃうでしょ」

 少年は、よくわからなかった。

 あとから男に聞いたら、彼女が学校に来た時に、真っ先に少年に泣いて欲しかったそうだ。

 彼女は事情を説明してくれた。

 そんなに酷い病気ではなかったこと。

 体調が優れるまで、退院させてもらえなかったこと。

 携帯は家にあったから、少年に連絡出来なかったこと。

 彼女が学校に来てから、彼女は謝っていた。何度も謝っていた。

 少年は、ぼんやりと、大丈夫だと言った。

 何度も大丈夫だと言った。

 少年と彼女のことは、既に教室の全員が知っていた。それは彼女が登校した時に叫んだことが原因だった。

 彼女は、自分のために病んだ少年のことを、本当に信じられた。もっと好きになった。

 少年はそれがプレッシャーだった。

 少年は、人を好きになれなかった。

 なってはいけないと思った。

 なる権利がないと思った。

 少年が好きになった人間はたちまち不幸になる。不幸な目にあう。

 少年は、プレッシャーに耐えた。

 彼女に別れを告げなかった。

 別れを告げたら、教室のみんなを、男とその周りの人間を、彼女を、裏切ることになる。そう感じた。

 そのプレッシャーが、少年を押し潰し続けた。

 それでも少年は、彼女と、その周りでは、笑顔で居続けた。仮面を被った。

 傷つけないために。

 その優しさはまるで、ナイフを渡す時に、刃のところを握り、相手に差し出すような。

 その優しさは、自分しか傷つけない。

 少年は、それが最善だと思った。

 それしか最善はないと思った。

 少年の手は、既にズタズタだった。

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