第3話 彼女

 しばらくして、少年は風邪をひいた。

 三十九度の熱だった。

 両親は病院に連れていってくれた。

 喉に優しい食べ物を作ってくれた。

 だが、二日もすると、病院の診察費と、作り置きのお昼ご飯を用意するだけになった。

 少年はそれでも充分嬉しかった。

 だが、広い部屋に一人だけでいると、とても寂しく、虚しくなった。涙は出なかった。

 熱を出してから四日が経った。

 いつも通り大人しくベッドで横になっていると、インターホンが鳴った。

 重い身体を引きずり、玄関まで向かう。

 扉を開けると、どこかで見たことがある人が立っていた。

 少年のクラスの委員長をやっている人だった。

「体調の方はどう?」

 彼女の手には、大きな茶封筒があった。

「見ての通りさ」

「大丈夫そうね」

 彼女は皮肉を交えて笑った。えくぼがとても可愛らしかった。

「これは今まで休んでいる間に配られたプリントと、受けられなかった授業のノートよ」

 渡されて中身を見ると、一冊のノートが入っていた。

「ありがとう、助かった」

 少年は久しぶりに人に優しくされたと感じた。とても嬉しかったが、涙は出なかった。

「早く元気になって学校来てね」

 彼女はそういい帰っていった。

 少年は、その場で茶封筒からノートを取り出し、ぱらぱらと中を見た。

 丁寧な字で、たくさんの色が使われていて、矢印や吹き出しでコメントを残してある、とてもわかりやすいノートだった。

 茶封筒の中のプリントたちは、折り目が付いておらず、とても綺麗な状態だった。

 少年は、とてもとても嬉しかった。

 少年は、一週間学校を休んだ。

 学校に来たときに、クラスの男子が騒ぎ立てはじめた。

 周りの視線が少年の元に集まった。

 その中には、少女の視線もあった。

 目が合うと、少女は違う方向を向いた。

 少年は、とても嬉しかった。

 少年は、まだ少女のことが好きだった。

 午前中は、クラスの男子が周りに集まり、他愛もない会話をしていた。

 午後の授業では、その男子たちは揃いも揃ってみんな寝ていた。

 休み時間。委員長が来た。

 手には茶封筒を持っている。

「ノートを貸してくれてありがとう」

 少年は、ノートを返そうと彼女に手渡すが、彼女はそれを拒んだ。

「それはあげるわ」

 そんな訳にはいかなかったが、彼女がどうしても譲らないというから、少年は机の中にノートを仕舞った。

「その代わり、お願いがあるんだけど」

 少女は周りが見ていないことを確認して、少年に耳打ちで告げた。

「放課後、ちょっと残ってて」

 それを告げると彼女は足早に自分の席へと帰っていった。

 放課後、教室に一人。

 少年以外は誰も残っていなかった。

 少年は、照明が消えた教室の、そんな空気がとても気に入った。

「この空気、気に入った?」

「うん」

「よかった」

 彼女は、窓の外を見た。

 外では野球部が走っている。

 太陽が赤く輝いていた。

 彼女はしばらくの間、窓の外を眺めていた。

 少年は、彼女の横顔をじっと見ていた。

「私ね、好きな人がいるの」

 彼女は、少年の目を見て告げた。

「その人はたぶん私のことを好きではない」

 彼女は悲しそうに笑う。

「君、好きな人いるでしょ」

 彼女は少年に歯をむき出して笑った。

 少年は、その笑顔がとても好きになった。

「好きな人はいない」

 少年は、何度目かの嘘をついた。

 少年には好きな人がいた。

 忘れられずに、引きずり続けている少女の影が、大好きだった。

「そっか」

 彼女は帰っていった。

 少年は、再び一人になった。

 少年は、その空気が好きだった。

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