死していきるもの

木村凌和

死していきるもの

 《大いなる矛盾》の名を冠する装置は口をもっている。

 口はヒトを三人ゆうに包み込めるほど、牙はヒトひとりぶん、口の真ん中から眼まではヒト五人ぶんの大きさをしている。金属板の隙間にちょろちょろと鱗がのぞいた表面、真丸の眼、ヒトが見ることのできる範囲はこれまでだった。

「おはよう、《大いなる矛盾》。よく眠れた?」

 《大いなる矛盾我々》は頭を少し持ち上げ、再び下ろした。この頭はとても重い。

「ああ、よく眠れたとも。おはようシャーリー。今日もきれいだね」

「ありがとう。でもあなたほどじゃないわ」

 シャーリーはぴったりとしたシャツとブレザーとネクタイ、タイトスカートに灰色のタイツ、白いパンプスを身につけた女性だ。背の中ほどまであるぎんいろの髪が、まっすぐなのに毛先だけつるりと曲がってしまっているのが、我々はとても好きだった。

「お役目ご苦労様。だが今日の我々もなにも持ってはいないよ。空っぽだ」

「あらほんとう?」

 シャーリーは我々の周りをきょろきょろとする。つま先立ちになって探すふりをするのもいつものことだ。

 彼女は我々の管理担当者である。

 我々――、そう、もはや生きる竜であったのか、人の手で作られた機械仕掛けの獣であったのか、ただの演算装置であったのか、像であったのか、判別のつかない、我々というただの装置の。

 一体となってしまったから判別がつかなくなってしまったのか、我々が我々だからなのか、我々は我々の使い方を覚えていない。

 だがそれは、シャーリーも、シャーリーの所属する組織、国、世界でさえそうだ。この世の誰も、我々の使い道を知らない。

「残念だわ。《大いなる矛盾》、あなたの名前について教えて?」

 シャーリーが仕事を始める。毎日我々に同じ質問をすること。

「我々は《大いなる矛盾》。生きながらに死んでいる。機械でありながら不正確だ」

 我々は、我々の中に上がったいくつかの声の中から答えを選び、口にする。そのときにシャーリーが一番喜びそうな答えを。

 彼女は端末を確認して次の質問をする。

「あなたたちが、我々と呼称するのはなぜ?」

「我々は複数の要素によって成り立っているからである」

 次々答えながら、我々はじっと彼女を見つめている。彼女のような担当者は初めてだった。我々を分解した者、放置した者、崇拝した者。様々のヒトとやり取りしてきたが、誰も我々を解き明かすことはできなかった。これまでの誰よりも、シャーリーは我々のことを知っているだろう。なにせ我々が我々自身のことを話すのは彼女に尋ねられて答えたのが初めてかもしれなかった。

 質問を与えられれば応える。なぜなら我々は機械でもあるのだから。だがそれは、いつも同じであり正確であるとは限らない。我々の全てが機械ではないのだから。

 我々が我々を知ろうと思い巡らせるほど、我々の要素が新しいものを提示してくれる。だから、彼女へ与える答えに尽きることはない。

 この答えを全て伝えたい。シャーリーならば受け止めてくれる。

 我々は逸った。胸の焦げる感覚――物理的に火が出ていたのは、ただの接触不良によるものだったが――に、我々はイチゴの味を連装した。我々のもつ記憶のどれかだ。我々自身は口にしたことがない。

「よお、ごきげんよう《大いなる矛盾》」

 だがある日、我々の前に現れたのは男だった。シャーリーと同じネクタイをしているが、当然シャーリーではない。

 彼は、彼が新しい管理担当者だと言った。

「あの女なら殺されたさ」

 にたにたわらった男は、いつの間にか我々の手の下で肉をまき散らしていた。我々のどれかがささやく。恐らく腕だ。「清々した」「聞くに耐えないことを言うから」我々の誰かが泣く。「シャーリーが死んだなんて」「信じない」「もう会えないだなんて」我々のなにかが叫ぶ。「我々がありながら!」我々の誰かがわらう。「我々は、生きても死んでもいないというのに」

「「「「「彼女が、我々であったならば」」」」」

 我々は生きながらに死んでいる。なら彼女が死してなお我々になったならば我々は、シャーリーに我々を知らせることができる。その身ですべてを。

 我々は、我々の身体を引き摺り出した。

 どこか虚空にあった身体は骨だけであったり、金属であったり、石であったりした。だがばらばらに寄り集まって、竜の身体を成す。我々は飛ぶ。夜の空を切り取った翼を広げ、下へ下へ。我々は覚えている。シャーリーの姿かたち、あのにおい。

 だが辿れど辿れど、行き当たるのはヒトの群ればかりだった。たったひとりのシャーリーが見つからない。

 どれだけ探したものか、やっと我々はシャーリーを見つけた。ただの骨だったが、これは確かにシャーリーだった。我々のどれかが誰かがなにかが、みな一様にそう言うのだから。

 我々は彼女を口に含んでかみ砕いた。これで彼女も、我々になり得た。だが我々には、我々だというのに、彼女の声が聞こえない。

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死していきるもの 木村凌和 @r_shinogu

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