第三章 Past events

第32話 出会い

 高校三年の春に親父が死んだ。


 俺の親父は本当の父親ではない。本当の母親の兄にあたる人だ。


 実母の浮気にショックを受けた実父は、心を病み、自ら命を絶った。


 そして浮気をした実母は、俺を置いて浮気相手の元へ走った。


 家族がボロボロになり、母親や世の中を呪った。

 中学二年の夏に起きた出来事だ。


 母親は『叔父さんを頼りなさい』と言う手紙を残し家から居なくなっていたが、俺は連絡をすることも無く、学校にも行かず、飯さえも食う気力が無くなっていた。


 電気もガスも電話も止まっていたし、水だけは出ていたが、水もあまり飲まず、日がな一日ただ畳の上に座っていた。


 何も考えたくないし、何もかもどうでも良くなっていた俺は、早く餓死する事を願っていた。


 学校が家に連絡をしたが、電話も通じない為、担任が尋ねてきて死ぬ寸前の俺を保護した。それすらも迷惑だと思っていた。


 そんな俺を引き取って育ててくれたのが親父だ。


 親父は独り身だったが、それでも俺を実の子供のように育ててくれた。


 初めは生きているのも面倒になっていた俺は、表情も無く、言葉すら出す事をしなかった。


 親父は怒りも憐れみもせず、淡々と普通の生活を俺にさせてくれた。


 それが今となっては有難かったと思う。

 普通ではない生活が長かった俺にとって、何よりの薬になった。


 自然、親父との生活を淡々と過ごす事で、普通の生活と笑顔が戻ってきた。


 俺は親父に感謝して、本当の父親以上の親愛を寄せていた。


 だが、突然死んだんだ。交通事故だ。


 葬式は、誰を呼んでいいのかもわからず、身内だけ、実質俺だけが親父を見送る事になった。


 親父の会社の人も数人来てくれた。

 目の上に傷がある、ヤクザの様な見た目のオッサンが代表だったが、俺は親父がどんな仕事をしているのか知らなかったから、ろくでもない会社だったんじゃないかと、勘ぐった。でも、そんなオッサンが、俺を抱き締め泣いてくれた事は覚えている。


 俺は涙が枯れ果てていたが。


 親父が俺に遺してくれたものは、僅かな貯金と、保険金だった。


 やっと戻ってきた日常が足元から崩れた。


 俺の生きる目的は、親父に恩返しをする事だけだった。

 それももう不可能だ。


 俺はまた、深い闇の中へと堕ちていった。


 親父と暮らしていた二階建てのアパートを出て、この町で一番高いマンションに向かった。


 俺から全てを奪った、情け容赦のないこの街を、一番高い景色から眺め、呪いながら落ちてやろうと思った。


 丁度、オートロックの向こうからドアを開いて、このマンションに住んでいるのだろう主婦が、ベビーカーを押しながら出てきた。


 俺はその隙にその主婦とすれ違い、オートロックの内側へと入った。


 エレベーターで最上階を目指し、そこから更に階段を昇り、屋上の扉の前に立った。


 そこで気付いた。屋上の扉など開いている筈がないのだ。俺のような奴がいると困るから。


 そこで死人が出ると、マンションの評価まで下がってしまうからな。


 自嘲しながらドアノブに手をかけると、意外な事にすんなりと開いた。


 死神も俺を誘っていると思った。


 扉を開き、屋上に出て、貯水槽の脇を歩きながら端を目指した。


 屋上の端には柵があり、その柵を越えると俺の人生は終了だ。


 しかし、それを邪魔するかのように、いや、ただの先客か?柵の向こう側に、此方に背を向けている制服姿の女が見えた。


 その女は俺に気付いたのか、ゆっくりと此方を振り向いた。


「あら、あなたもこちら側に御用かしら?」


 とても今から飛び降りようとするようには見えない美しい笑顔だった。


 俺は絶望の闇の中から眩い光を見たように、その余りにも美しい女に見蕩れた。



 それが『橘 花蓮』との出会いだった。


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