過去2 新人教育
苦々しい顔をしていたのだろう、鍋山社長は苦笑いをしなから、俺にコーヒーのおかわりを勧めてくれた。
そんな俺を横目に、西田が社長に話を聞き始めた。
「あの橘と何かあったんですか?」
「あはは、まぁこの商店街はね、橘の三代前の代表が作ったと言っても間違いじゃないからね。」
「ええ?そうなんですか?三代前って…今は亡くなった先代の娘さんが代表でしたよね。その前の前というと、今の代表の祖父母にあたる方ですか?」
「よく知ってるね。先代は、現代表の母親の、婿養子だったんだが、これが厄介だったんだよ。橘はデベロッパーの先駆けみたいな事を代々やっててね、地元であるこの街にも、色んな所にその息はかかってるが、その恩恵を受けている我々は、感謝していたのさ。」
「過去形ですね?」
西田は俺をチラチラと伺いながら、話の続きを促した。
「あぁ、いや。今はその先代が亡くなって、蟠りはなくなったんだよ。」
社長が例の件を思い出すように、タバコに火をつけ、長い紫煙をゆっくりと吐き出した。
余り聞きたくないな。
「社長、こいつ新入社員なんで、色々と話を聞かせてやって下さい。」
「え?先輩?」
席を立った俺を、驚いたように見る西田。
俺は聞きたくない話だが、西田にとっては勉強になる話かもしれない。
社長に任せてみよう。
「シンちゃん…わかったよ。」
社長も、苦笑いして請け負ってくれた。
「暫く外に出てます。」
そう言って、鍋山金物店を出た。
商店街の中をつらつら歩いていると、美味そうな匂いに釣られ、たこ焼き屋に辿り着いた。
1パック8個入で250円という安さを目の当たりにして、直ぐに購入し、店の前にあるベンチで食べ始めること暫し、ふと、隣に人が座った。
「山口さん、こんにちは。」
凄く良い香りがする、とんでもない美人が、俺に微笑みかけてくる。
「お久しぶりです、涼風さん。」
なんと言うタイミングだろうか、先程聞きたくないと逃げてきたにも関わらず、その話の中心人物の一人が、ここに現れた。
「フフッ、サボりですか?」
「え?んん〜、新人教育中です。」
「たこ焼きを食べるのがですか?」
「そうですよ?営業なんて、何が縁になるか分かりませんからね。」
「あら、でもその新人さんが見えませんけれど?」
「…鍋山金物店に置いてきました。色々とお話を聞かせて下さるようなので。」
「なるほど、色々ですか。」
「色々です…」
涼風さんはクスクスと笑い、立ち上がった。
「山口さん、またお会いしましょうね?」
「あはは…こんな美人にそんな事言われるなんて、光栄ですね。」
俺も立ち上がり、食べ終えたパックを、ゴミ箱に捨てた。
◇◆◇◆◇◆
「お久しぶりです、涼風さん。」
そう言って、営業スマイルを作る彼を見ていると、色々な事が思い出される。
当時、あの方が会社を立ち上げたばかりで、私はその補佐であり、表立った代表者という立ち位置。
あの巨大企業を相手に戦う為の第一歩目で、私達は立ち往生をしてしまった。
大型商業施設を作るという案件が、橘と被ってしまい、郊外に作るという私達と、この商店街を潰してそこに作るという橘で、そこに入る企業が橘に傾いてしまった。
立地条件的に、当然この商店街がある場所の方が強かったが、あの方が反応したのは、商店街を潰すという橘の判断だった。
その判断は、どうしても許容出来ないと、郊外型の商業施設の件は一度白紙に戻し、この商店街を守る方法を模索した。
この商店街がある場所は、昔から鍋山家が半分程は土地の所有者になっており、格安で入居者に貸し出されていた。
橘が狙いを定めたのは、その鍋山家だった。
ある時、金物屋としての業務で、超大型の受注を受けたという。
普通は一社にそんな負担はかけないものだけど、少しずつ黒字を伸ばしていた鍋山さんが、調子に乗ってしまった。というより、乗せられたのだ。
それまでは、半分程は山口さんの会社に見積もりを出して貰っていたのに、新参の会社が、破格の見積もりを連発して来た。
新規の顧客を得る為に、そう言う事は有り得るのだけど、山口さんの会社では、有り得ない利率での取引価格で、納品事態も問題がなかった為、大勝負をかけたらしい。
結果、その新参の会社は破産。
既に受注してしまっていた超大型案件の商品は、期日までに納品が不可。
多額の違約金が発生し、土地を切り売りする他に道は無くなっていた。
そうなってから、この商店街を潰す話を橘から聞かされ、嵌められたと気がついた。
新参の会社は、初めからこうする為だけに設立された会社だったようだ。
話を聞いた私達は、土地を買い取る方法も考えたが、資金の出処を橘に知られる訳にも行かず、また、銀行からの融資にも期待出来ず、万事休すという状況に陥った。
そんな時、フラリと私達の会社に尋ねてきたのが、山口さんだった。
アポ無しで訪ねて来た方とは会わないのだけど、受付から渡された彼の名刺を見て、直ぐに応接室に通した。
彼を目にして、私は思わず笑みが浮かんだ。
「初めまして。私は此方の代表代行をしております、涼風です。」
「山口 眞です。えーっと、まぁ御社とは、直接の関わりはないんですが、商店街を助けてくれようとしているとお聞きしまして。」
「はい。中々難しいのですけど。」
私の言葉に、それまで笑顔だった山口さんは、真剣な表情を作る。
「面倒なので、直球で聞きますが、どんな思惑が?あんな古びた商店街なんて救っても、うま味がないでしょう?」
訝しんだ表情でそう問いつめられたが、無理もないと思った。
会社は慈善事業ではない。
うま味があってこそ、介入するのが当たり前だ。
こんな事、何の関係もない、ただの一営業マンと話す意味も無いけれど、この人を蔑ろにする事は出来ないし、一秒でも長く留まらせたい。
応接室の奥にある扉をチラリと見て、話し始めた。
「山口さんは、商店街の成り立ちはご存知でしょうか?」
「ええ、まぁ。あの企業が立ち上げたと。」
山口さんは、苦々しい表情でそう言った。
「そうです。それなのに、今度はそれを潰そうとする。これは、橘の現代表の意向です。私達はこの街で、橘ではない者が、橘の威光を使って、橘の意志を捻じ曲げる事を許す事はできません。」
山口さんは驚いた顔で、私を眺める。
「え?何の話を…?」
「しかし、現在私達は救う手立てを見付ける事が出来ないのです。今の橘を崩す為に、その先ず第一歩として、支援者が多く居るこの街で、力を見せなければなりません。」
意味が分からないという顔で、眉を寄せ、無言で私を見詰める山口さんに、ニコリと微笑む。
「ですが、ご心配なさらず。私達の代表は、必ず何とかして下さいます。」
「何とかって…」
「彼女は、今の橘を崩す為に表に出る訳にはいかないのですが、最悪、表に立ってでも救ってくれるそうですから。」
「彼女?今の橘を崩す…?」
無言で俯き、何事か考えていた山口さんは、ハッとした顔で、私を凝視する。
そんな山口さんに、笑顔で答えた。
「橘は、橘に返すべきだと思いませんか?」
「っ!…失礼します。」
徐に立ち上がり、山口さんは出口へと向かい、扉に手をかけて立ち止まる。
「その、彼女が表に出ると、マズイんですか?」
「そうですね。今は時期ではありません。それでも、彼女なら何とかしてしまいそうですけれど、フフッ。ただ、そうなると、彼女の辛い時間がどれだけ続くかわかりませんが。」
「………そうですか。」
それだけを呟いて、山口さんは部屋を後にした。
私は彼を、一秒でも長くその場に留める事しか考えていなかった。
いくら彼だとしても、ただの営業マンにこの状況を動かすような力があるとは思っていなかったし、期待をして現状を話した訳でもなかった。
彼は彼女を動かせる唯一の人。
それだけで凄い事だけど、それだけの人。
そういう認識しかなかった。
「フフッ、サボりですか?」
「え?んん〜、新人教育中です。」
面白い人。
もし私が先に出会っていれば、なんて事も考えてしまうのは、流石彼女が見初めた人だと思わずにはいられない。
―――――――――――――――――――――――
三章後の幕間へ続きます
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