第29話 許せない奴

 時間が経つと共に、右手の薬指と小指が腫れていく。

 俺をバイクに乗せて、病院に行こうと走り出す大将だが、その走りは俺が右手を使えない事を考慮した、優しい運転だった。


「素人が人を殴ったら、変な所を痛めるんだよ。殴る時はこうやって、拳の人差し指と中指の出っ張った所を使うんだ。それを意識してたら手首も痛めにくいしな!」


 信号で止まっている時に大将は、自分の拳を見せながら説明をしてくれた。

 普段気にしていなかったが、大将の拳には拳ダコってやつがある。言っている通り、人差し指と中指の付け根にあるタコは、見事なもんだ。


 確かに、手首も痛い。

 本当に渾身の力で殴りつけたからな。


 いや、今はそんな事どうでもいいんだが、色々と疑問が多すぎて、質問するのも面倒になっていた。


 程なくして病院に到着した。

 救急指定病院で、割と大きな総合病院だ。


 夜間診療で初診だから、これきっと診療費高いんだろうなぁ…


 診察室で診てもらい、レントゲンを撮った結果、やはり骨にヒビが入っている事が分かった。


 指に添え木をして、包帯でぐるぐる巻きにされ、『痛み止め出しときますねー』で終わり。


 診察室を出て、受付前の待ち合いスペースに、川口家と雫がいた。


「シンさぁん!大丈夫?良かったぁ…」


 俺を見てすぐに駆け寄って来て、抱き締めてきた。

 雫も少し頬が腫れてる。


「話は、大将に聞いたのかな?この怪我も、あれにやられたわけじゃないから。」


「本当に…ごめんなさい…私のせいで、シンさんも、アキさんも…お姉ちゃんまで…」


 緊張感が緩んだのか、雫は顔を覆って泣き出した。


 俺は雫を抱き寄せ、優しく髪を撫でる。


「雫のせいじゃないよ。なんて言っても慰めにならないか。でも多分みんな、雫にそんな風には思って欲しくないんだ。雫のせいじゃなくて、雫の為に動いたんだからさ。そんな人がいるんだって雫にはわかって欲しいかな。」


 雫は泣きながら何度も頷いている。


「シンちゃん、明夫さんもここに運ばれてるの。それで今、簡単な手術中なんだけど…」


「手術中?大丈夫なのか?そんな大怪我なの!?」


「いえいえ、簡単なって言ったでしょ?なんでも破傷風予防と縫合だからそんなに時間はかからないって。」


「ああ、そうか。良かった。」


「それでね、後でシンちゃんと話したいって言ってた。」


 話か。なんだろう。

 それよりも、多分警察の事情聴取とかあるだろうから、今日の所はこれで解散だな。


 雫はどうするんだろう。今日は一人で居させるのは心配だが…


「今夜は家に連れて帰るわ。心配しないで?」


 俺の胸の中で泣いている雫を眺めていると、スミレさんがそう言ってくれた。


 それならば一安心だ。


 今回の件、色々と分かるのはまだ先だろう。

 何はともあれ、原因である男の身柄が確保された事で、一応の解決と言えなくもない。


「シンさん…私暫くシンさんに会えそうもありません。ごめんなさい…」


 まったく…また謝る。こんな状況でそういう気分にはならないだろ。


「気にするな!雫、自分を守ってくれた小嶋さんにちゃんと着いてるんだぞ?」


 その後、病院に来た警察から一通りの質問を受け、また聞く事もあるかもしれないと言う事で、連絡先を伝え、帰路に着いた。


 家のマンションの前には、まだ警察だと思われる人が何やらやっているが、かなり疲れていた俺はそれらを素通りして自分の部屋に戻った。


 部屋にある雫の荷物を眺め、冷蔵庫の中にある雫が作り置きしていた惣菜とビールを出しソファに座り、うまく箸が握れなかったから、フォークを使って、何とか腹に詰め込んだ。


 ああ…疲れた。


 一緒に暮らした時間はたった二日だったが、雫がいない部屋はいつもより広く感じた。


「俺ってこんなに寂しがり屋だったっけ?」


 急に寂しさに囚われてしまい思わず自嘲した。


 ソファに身体を埋め、暫し目を閉じていると、携帯が鳴った。

 メールの着信音だ。


『お疲れ様。シンに逢いたい。愛してます。』


 離婚の件があってから、誕生日以外にも度々こいつから連絡が来るようになった。

 俺も借りがあるので、たまに返事を返している。


 あぁ、そうだった。

 今日はこいつの誕生日だったな。


『誕生日おめでとう。逢ってもいいぞ。』


 メールを送って一分と経たず電話が鳴った。


「もしもし?」


『シン!本当に!?』


 かなりの勢いで食いついて来た。


「落ち着けよ。取り敢えず誕生日おめでとう。」


『ああ!ああ!ありがとう!最高の誕生日だわ!』


「そんな気分の所悪いけどな、逢ってもいいってのは、またお前を利用しようとしてるんだよ。」


『して!利用して!嬉しい!』


 まったく…何を嬉しそうにしてるんだ、このバカ。


 俺にも許せない奴ってのはいる。


 女を力で従わせようとする奴。

 さっき俺がぶん殴った、あいつみたいな男。



 それと、愛情を踏み躙る奴だ。

 それはつまり、俺のような男だな。

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